男が日用品店の中をガラスドア越しに覗き込んでいる。何か見つけたのか、薄ら笑みの顔を口を開けた絵文字のような笑みに変え、店内に入っていった。左右で青と黒に色が分かれた髪に、左腕には変な文字のようなタトゥー。この男はマムシと呼ばれている。
店内で品出しをしていたらしい小柄な白髪の少女がマムシに気づいた。
「マムシくんだ!いらっしゃいませぇ」
二人は知り合いなのか、マスク越しにもわかる笑みを浮かべた少女に、マムシは「おやつ買いに来たー」と手を振る。
「ちょうど良かった。マムシくんが好きそうなお菓子あるよ。入荷お願いしてたやつ入ったの」
「まじ?やったー」
マムシは子供のような喜び方をして、少女の案内についていった。
マムシのことは何度か見ているが、いつも言動が幼く、言葉を選ばずに言うとかなり馬鹿そうだ。商品棚の向こうで少女とマムシが話しているようだが、詳しく聞いておく必要もないような会話だ。はぁと小さく溜め息をつき店の前に視線をやると、通りの向こうから走ってくる男二人が目に入った。
男達は怒号を上げながら、みるみるうちにこちらへ近づき、丁度目の前の店のガラスドアに派手にぶつかった。思わず息を呑み、店内に視線を戻すと、菓子を抱えたマムシと少女が驚いた顔で男達を見ている。
「だから、俺がオニなわけがねぇだろ!ふざけんな!」
「嘘ついてんじゃねぇ。お前がアイツと話してるところ見たことあんだよ!」
「俺だって騙されてた!」
男が掴みかかるが、一方が逃げ出し、追いかけ、やがて見えなくなった。通りにいた人間達は、何食わぬ顔で立ち去っていく。
「みんなオニ探し大変そう。気ぃつけてな」
「私は平気。ありがとう」
「強いもんなぁ」
マムシと少女が、間の抜けたトーンでそう話しているのが聞こえ、再び店内に視線をやる。マムシが一瞬外を見ていたようだが、すぐに少女に視線を戻した。
「ごめん、コレ、また後で買いに来ていーい?ちょっと用事できた」
「いいよ。取っておくね」
少女の持ってきたレジ籠にマムシは菓子を入れ、手を振り店を出た。
マムシは慣れた足取りで、入り組んだ住宅街を進んでいく。柵を超え他人の敷地を抜け、ほとんど道ではないような、人通りのないルートを辿らされ、今自分がどこに居るのかさえわからなくなってしまった。
息も切れついつい足を止めてしまい、マムシを見失う。だがまぁ、本命は別だ。マムシを見失ったこと自体はさほど重要ではない。出直せばいいだけだと踵を返し歩き始めると、ふいに肩を掴まれた。
「鬼ごっこ、おしまいか?」
思わず息を呑む。振り返ると、思いの外近くにマムシが立っていた。掴まれた肩に、ビリッと衝撃が走る。異能力を発動させようとしたが、先程マムシに攻撃されたらしい痺れのせいで集中できず、発動できない。護身用のナイフをポケットから抜きざまに突き立てようとしたが、ギリギリでかわされてしまった。ナイフを持つ手を掴まれ、そこにまた衝撃が走り、ナイフを落としてしまう。マムシがニヤリと目を細めた。
体のあちこちの痺れと目眩で、もうろくに抵抗もできず、うまく歩けない。引きずられるように連れてこられたのはおそらく、南側にある廃倉庫の一つだ。いつの間にか、かなり南に誘導されていたらしい。地面に転がされ、マムシに足首を掴まれる。ビクンと勝手に脚が跳ね、痙攣し始めた。
「自分が最近ヴリトラの周りでうろちょろしてるのさぁ、俺でもわかったよ。異能力で自分のこと見えんようにしてるっぽいけどぉ、ガラスに一瞬映ったりさぁ、後ろついてきてる時は普通に足音してるしさぁ。なぁ?ストーカー下手くそやんなぁ」
おそらく逃げられないが、どうにか連絡を取れれば事態は変わるかもしれない。もしここにヴリトラも来るのなら、その前にどうにか
……。
マムシはしゃがみ、私の顔を覗き込む。
「自分、オニィ?」
異能力を発動させる。マムシは「おっ!」と驚いたかと思うとすぐに立ち上がり、躊躇いなく私の身体を踏みつけた。ブーツの靴底が食い込み、たまらずうめき声を漏らす。
私の異能力は、他人の認識を歪めることができる特性を持つ。例えば今は、私がそこに存在しているというマムシの認識を歪め、そこに居ないように見せている。マムシから見えていない間に、通信端末から連絡を取るつもりだ。
それにしても、すでにここに居ることが知られているという不利な状況を差し引いても、躊躇いなくこちらを攻撃してきたマムシの動きは異常だ。稀に存在する、いわゆる認識に囚われない人間なのか。
「見えなくてもわかるよ」
狙ってか偶然か、耳元でそう言われゾワリと悪寒が走った。今度は端末を持つ手を、容赦なく踏まれる。
「なんで
……」
思わずつぶやき、はっとする。断続的な目眩で視界が悪く、今まで気づかなかったのだが、私の周りに霧のようなものが立ち込めていた。
「ヴリトラがモヤモヤ出すとさぁ、ヒトガタが見えんの。すごいやろぉ。自分がこれで何回も見つかってたの知らんかった?」
サッと血の気が引き、思わず異能力を解除してしまった。しかし私の異能力はもう、完全に意味をなさない。わずかに足音らしき物音を耳が拾った。全身から嫌な汗が流れ始める。這いつくばる視界の目の前に、誰かが足を置いた。
「ご
……めんなさい
……」
掠れる声でようやく出たのはそれだった。
「アァ?なんの謝罪だ?」
低くざらついた声が頭上から聞こえる。
「
……嗅ぎ回って
…周りを
……ごめ
……なさい
……殺さないで
…ください
……」
襟首を掴まれ、思わず頭を覆う。引きずるように、うつ伏せから仰向けに転がされた。男が私の身体を跨ぐように立ち、見下ろす。
「ヴリトラ
……」
感情の読めない無表情。治まりかけていた痙攣が再び酷くなり始めた。いや、これは震えか。
「ち
……違います。私は違うんです。オニじゃない。ヴリトラのことを調べるように頼まれただけだ。だからお願いします
……殺さないで
……殺さないでください」
震える声で必死に懇願する。ヴリトラはニヤリとうっすら歯を見せた。
「お前がオニじゃねぇことくらい見りゃわかる」
どこかでマムシの「なぁんや違うんか」という間抜けな声が聞こえる。ヴリトラに目を合わされているのがこんなにも恐ろしいとは思わなかった。目をそらしたいのだが、それすらも恐ろしくてもうできない。
「オニを、オニをここに呼びます。だから
……」
「オニなんてどうでもいい」
「だっ、だったら
……」
ヴリトラはしゃがみ込み、私の頬を片手で掴んだ。
「だったら?目の前に止まった蚊を叩かねぇようなお人好しじゃねぇんだわ」
全身の血の気が引くような、それよりももっと酷い何かが私の身体に起こったのがわかった。苦しい。酷い耳鳴り、眼の前がチカチカして、真っ暗に──
◆
「すみませんが、今日はもう閉店です」
男はそう言って、ドアの前に立つヴリトラの顔をしばし見つめたが、ふっと息を漏らすように微笑んで「ってわけにもいきませんか」と独りごちた。
東側の繁華街の外れにある小さな喫茶店。アンティーク調の家具で揃えられ、よく手入れされている。営業時間が終わり、カウンターの明かりだけが灯る店内は薄暗く、コーヒーの残り香が漂う。
「慎重に慎重にと、特に今は控えるようにと伝えたはずなんですがね。残念です」
カウンター奥に立つ男は、落ち着いた声で淡々と話す。
「でもいつか、私の仲間は貴方を捕まえますよ。必ず」
男の真っ直ぐな物言いに、ヴリトラはハッと鼻で笑った。
「そりゃめでてぇな」
◆
とある自警団の本部にて、深く息をつき頭を抱えた男が一人。彼が手に持つ連絡端末の画面には「通信不可」の文字。
ユキちゃん (しずはらさん宅 @shiz_hara)
お借りしました