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ひおう。
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剣伊
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「祈る月は夢か現か」
舞う剣と、それを見て想い耽る伊織。
一
そろりと、気遣わしげな足音は扉の悲鳴の後に遠ざかる。幽霊長屋だとか噂されるほどぼろぼろな長屋に住む宿命ゆえに、僅かな音は今更であるし、盈月の儀という戦の最中に増えた、寝食を共にする彼が夜明け前に度々出かけて行くのも、今更だ。
だがこの日はなんとなしに。伊織はぱちりと目を覚まし、身支度を整えてセイバーの後を追った。何をしているのか気になる、といえばそうであるし、本当に気紛れに、遊歩混じりに出かけてみるかと思ったのもそうである。
とどのつまり理由らしい理由はなく、目が覚めてしまったからなんとなく、ついでにセイバーがこの時間に何をしているのかふと気になったために着いて行ってみた、である。
呼び人であるが故なのか、ほんのりと伝わる細い糸のような魔力の残滓はセイバーのもの。それを切れぬよう辿って、江戸の街を出ると、少しばかり歩いた。
長らく住んでいる伊織すら知らぬ、林の少し開けた場。見渡せるほどに小さな湖は、微風に揺られ小さな波を作り出した。周りに野花が咲き鳥達が畔で水を飲んでいる。どことなく、御伽噺に出てきそうな場だなと伊織は思う。
見回さなくとも視界に映る件の探し人は、長い結った髪を微風に遊ばれながら朝日に照らされ幻想的な湖面を見つめていた。口角が僅かに上り、泰平を良しと慈しむ夜明けにも似た彼の瞳はただただ眩しい。神秘的な光景は彼が神なのだと、伊織にまざまざと理解させた。
セイバーはす、と静かに足を踏み出した。そこでいつもの彼が身に付けている履物が無いことに気がつく。
足を一歩、また一歩と踏み出す度に、波紋が拡がって、消えていった。
湖面を歩いてたったの寸刻。丁度中心部あたりに歩き付いた所で、セイバーはぴたりと止まった。
一呼吸置いて、両手を持ち上げるとセイバーは袖を捌きながらまるで白鳥のごとく、舞う。
それは伊織も幾度となく見たことがあった。水塊を降らす彼の絶技の一つだ。
虫の音も、鳥の囀りもぴたりとやんだそこには、セイバーが湖面を蹴る音のみが響く。ぱしゃり、ぱしゃり、と軽やかに飛ぶ度に細やかな飛沫が上り宙で留まった。荘厳な雅楽すら聴こえてきそうな、鮮やかで美しい舞だ。
セイバーの表情は喜でもなく、楽でもなく。強いて言葉を当てはめるなら静寂だった。神に奉納する舞に酷似しているように思う。
まるで時が止まったかのようだった。
舞も、茶も、何れ仕える主のためにと師であり、養父に叩き込まれている故、剣舞の良し悪しは知識としてある。
それをいざ目の前にして、思考すら奪われたのは、偏に剣技の一つであるからか、セイバーの舞がただただ美しいからか、それは解らなかった。
ぴたり。舞が止んだ。
宙に停止していた雫を一瞥したセイバーがす、と腕を下ろせば雨のようにセイバーの周りに降り注がれる。止まっていた時が動き出した。虫たちは一斉に産声の如く鳴き始め、鳥達は羽ばたき羽を撒く。
「覗き見とは、随分な趣味だな、イオリ」
ゆったりとした声音、いくらか穏やかな口調。そこに伊織は神聖を見出す。
「見られて困るものでもあるまい。だが
……
そうだな。礼儀を欠いたのは事実だ。すまない」
「ふ。私が歯牙にもかけないと知っていながら
……
。きみのそういう所、私は好きだ」
菩薩のようにセイバーは微笑む。慈愛の中に、別の色を宿しているのを知りながら、伊織は素振りは見せなかった。
「そうか。いつも、ここで舞っているのか」
「舞は初めてだな。昨日、たまたまこの湖を見つけて、ふと、舞ってみたくなった」
瞳が僅かに細められた。琥珀の先にあるのは今伊織と共に見ているそれではなく、はるか遠き日の記憶か。
「ああ、とても美しかった。次は
……
」
「うん?」
風に遊ばれる湖面を見ていた伊織がそっとこぼす。聞き返し、伊織を見やれば夜空の双眸はセイバーをじっと捉えていた。
「月夜の舞も、見てみたいものだな。きっと、さぞ美しい」
混じり気無い讃美に、セイバーはたじろいだ。この男は胸内の言葉を音にすることは滅多に無いから、なんて返せばよいのか解らず、セイバーはとうとう拗ねたように顔を逸らしてしまう。
しかし相手は伊織だ。どうしてその様な行動をセイバーが取るのか理解はしないかもしれない。だがこの朴念仁に安々と応えるのは己ばかりが伊織を想っているようで、癪だった。
「ま、まあいずれ
……
。私の機嫌が良ければ、な」
セイバー自身、天邪鬼な返答だと態度には出さずに苦笑した。伊織はやはりと言うべきか、然程気にもとめずに、
「そうか。楽しみだ」
なんて軽い言の葉を紡ぐのみだ。予想通りの、セイバーにとっては面白くない態度に、今度こそ、ぷい、と頬を膨らませたのだった。
二
とある縁に導かれて辿り着いたカルデアにて充てがわれた自室は、生前住んでいた江戸の長屋を模した造りである。それらは所謂張りぼてであるらしく、夏に感じる茹だるような熱さも、冬の肌を刺す厳しい寒さも無い。
何より死者であり仮初の肉を与えられたサーヴァントには寒さも熱さも然程感じ無かった。
睡眠や食事など、生きるのに必要な行為も意味を成さない。けれど過酷な旅路を歩む主君に、生前と同じように寝食を、できればでいいからと悲しみを飲み込んだ声音で告げられれば伊織は従う他なかった。
時刻で言えばもうすぐ夜明けという頃、機械音を伴って部屋から遠ざかる気遣わしげな足音。
部屋に入り浸る、生前の記憶の一部を知り、〝宮本伊織〟にしては随分と心を許したらしい、己のサーヴァントであったセイバー
――
ヤマトタケルのものだ。伊織の部屋で寝起きし、伊織の部屋が帰る場所だと言わんばかりに我が物顔で寛ぐ。
同室でも構わないと、咎められなかった故に伊織は彼の好きにさせていた。一つすら思い出せない記憶で、きっとそういうことがあったのだろう。覚えていない罪悪感は、僅かにあれど、彼も割り切っているらしかったから踏み込まなかった。
そういえば、と。
たまに、セイバーはこうして夜明け間近に起きては、どこかに繰り出す。伊織が身支度を整えた辺りでひょこりと帰ってきては朝餉だと袖を引っ張り厨房へ共に向かった。
別段気になることはない日常。
だがこの日だけは、彼を追わねばと、直感に似た衝動に駆られたのだ。
直ぐに自室の扉を潜り同じ風景の続く廊下を見渡す。視界にセイバーの姿はなく、伊織は彼の足が向かいそうな場所を思い浮かべる。
真っ先に浮かぶのは厨房だ。しかし彼はカルデアの食事を伊織と、と考えているのか互いがマスターに呼ばれぬ限りは殆どを共にする。それこそマスターの自室、と考えたもののそれも否、と否定した。縁を結ぶに至った特異点と、一足先にカルデアに呼ばれたセイバーから何かを吹き込まれたのか、伊織の用事はセイバーに、セイバーの用事は伊織にといった具合に共有されている。緊急ならばそれこそ、けたたましい警告音がカルデア中に響き渡ると聞いていたためそれも除外した。
そこでふと、己がよく使う模擬戦闘室が頭の片隅に浮かぶ。人間としては破格の戦闘技術を持ち、カルデアでは霊基再臨で神聖すら高めた彼には不要、とは言い難いか。
人類最後の砦となるカルデアでの旅路ならば尚更、善たらんとするセイバーは力量不足のままで良しとする御仁ではない。記憶がなくとも彼への信頼は魂に刻まれているのか、伊織は確信を持って、そう思う。
足は自然と、シミュレーションルームへ歩みを進めた。
三
江戸周辺の記憶はあるものの、その場所に覚えは無かった。
林に、見渡せるほどの小さな湖だ。湖面に煌々と輝く月が映り、その上に、神に近しい姿のセイバーは降り立つ。
彼が水を操ることも、それすら戦の道具として駆使することも知っていたから、なるほどそういう使い方もあるのかと観察していた。
風が湖面を揺らし、セイバーの解かれた髪と、長い袖を揺らす。凪いだ水のように穏やかな表情で、セイバーはす、と腕を持ち上げた。
袖を捌き、水飛沫を上げ、セイバーは舞う。飛沫の時だけがまるで止まったように宙でぴたりと浮き、神秘を伊織の胸に抱かせた。
血が沸き立つように身体は熱くなり、強者と対峙するよつに胸が早鐘を打つ。
白鳥のように舞うその麗しい姿は、知らぬはずなのに、どこか懐かしさと、どうしようもない胸焦がす感情を沸き立たせた。
――
ああ、あまりにも
……
。
伊織は彼の舞に惚ける。
双眸を伏せ、俗世に染まらぬ静寂の色で舞う彼は何を想っているのだろうか。
随分と長い事彼の舞姿を見ていた気がする。もしかしたらそこまでではなかったかもしれない。
時を知る術がないこの空間では些末なことだ。
セイバーが動きを止め、ゆっくりと上げていた腕を下ろせば宙に留まっていた飛沫も重力に逆らわず落ちていく。足元だけに降り注ぐ雨のような雫は波紋を拡げ、湖に反射した月とセイバーを歪ませた。
「ふふふ、見惚れたか、イオリよ」
凛とした声音は髪を結った姿よりも随分と大人びた印象だったが、得意気に胸を張るセイバーの姿は幼く、無邪気に見える。本質は変わらないのだと、好ましく思う一つだった。
「
……
ああ、すまない。惚けていたようだ。とても。とても、美しかった」
髪が編まれ、晒された肌が服に隠れ、カルデアで過ごす姿へ変われば伊織の横に並び立つ。いつだか、同じ場で美しいと賛辞を送られた。それと同等の声音に、頬はうすらと赤く染まっていく。
「そっ、そうか」
カルデアで背を預け共に闘う仲になっても、やはり伊織は胸内の言の葉を滅多に口に出さない。
時折こうして、恐ろしいまでに混じり気無い透明な賛美を口にしては聞く者をどぎまぎとさせるのだ。
「本当にきみは、そういうところだぞっ」
「なにがだ
……
」
セイバーの膨れっ面を見て、理由もわからずただ首を傾げるばかりの伊織に、そんな所も変わらないのだと泣きたくなるような、懐かしむような、兎も角胸が締め付けられた。
暫く、二人は月を見上げる。そこにあるように見えて虚像の月は、本物のように美しく、物悲しい。微風が二人の髪を攫っていて、時折、鬱陶しいとセイバーが眉根を寄せた。
「だがやはり
……
」
静かに、沈黙を破る伊織。
口は挟まず、セイバーは見上げ次の言葉を待つ。
「おまえは、月夜が似合う。一等
……
美しい」
噛み締めるように云うものだから、セイバーは言葉を失い、ぽかんと口を開けたまま、見つめるしかなかった。
「っ
……
きみのためならば」
「うん?」
口を開いては閉じ、紡ぐ言を探していたセイバーがやっと、音を発する。
「きみだけのためならば、月夜でも、朝日でも、舞ってやるとも」
あの時羞恥が勝って濁してしまった言葉を、大事に、一音ずつ言い含めた。顔は月のように、優しげに弧を描く。
夜空の色が瞬き、ふ、と笑みを作った。
中々どうして、最後に見せたあの笑みを彷彿とさせる。
どくん、と大きく胸が跳ねた。
「それはなんとも
……
贅沢だな」
「私の舞なのだから。だから
……
しかと焼き付けよ」
――
三度相見えることがあるならば、今度こそは
……
。
「
……
この魂に、刻みつけよう」
何を察したのか、随分と欲しい言葉を今宵はくれる。
しかしそれが、今のセイバーにはありがたい。
起こり得ぬ奇跡に想いを馳せながら、願いながら、祈るように。
二人はただ湖に閉じ込められた月を見た。
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