知り合ったのはマッチングアプリで、俺としてはこれから恋人交際を始めるつもりだったお相手の男性がふつうに他にも複数(男も女も)の人間と会っていて俺はたんにキープされていただけだったということを知ったのは、俺側は特別な気分で遠出するデートの前だった。
タイミングは最悪、午前中の駅で、混み合う待ち合わせの場所で、他の奴に待ち伏せされて、お相手が激しく問い詰められる修羅場が繰り広げられるのを俺は間近で無言で眺めて、スマホからアプリを削除するか迷いながら、別れを告げた。
連休で、今日はこの関係に進展がある、恋人になるというかもという気持ちで来たのに。気合い入れてきたのに。
一人で電車に乗った。
どこ行こう、と決めないまま快速に乗ってしまった。
そして一回、乗り換えて、観光地雑誌にひんぱんには載らないけど、ときどき何かで紹介される駅で下りた。
ずいぶん遠くへ、来たともいえない。
そういや、学生時代は突発的にいろいろ遠くへ無計画に遊びに行ったなあと思い出しながら、駅から通りを見わたす。
休みだから人が多い。
名前は聞いたことがある、静かな庭園への古い屋敷道を歩いていたら、綺麗な晴れ空が曇ってきて、風と共に冷たく、ぽつと顔に当たった。
吹きつけるように滴りが空中を舞ってくる。
傘もないし、すぐに傘が買えそうな店が道の向こうにも後ろにも見当たらない。
道を歩いていた人々はみなどこかへ小走りにいなくなる。
俺はなぜだかすぐ動き出せなくて、のろのろと、脇の古めかしい屋敷の軒先で雨宿りするしかなかった。
この季節、しっかり防寒具を着ていたって、雨が交じった風が寒い。
なんて、ついてない日だというか、俺は今日は恋人になる予定であったのにと、全身うっすら雨に濡れて寒さにぎゅうと肩をすくめるようにちぢめて、軒先から灰色の空を見上げた。
スマホを握る手がかじかむ。雨雲レーダー予報を見ても、雨はしばらく止まないようだ。
俺はなんだか、とても疲れた気持ちになった。どうやら、自分で感じているより、修羅場からの別れにへこんでいるようだ。
ちょっと、その場にうずくまりかけた。
名前を呼ばれた気がした。
そっちへ向いた。
傘を差した、大学時代いちばん仲が良かった男が立っていた。
こちらを誰か確認するように、様子をうかがうような顔で、傘を少し上げて近づいてくる。
「
……ひさしぶり~」
そう、こいつは能天気な男だった。
「久しぶり」
うずくまりそうになった身体を起こし、俺はきつく腕組みした格好でしっかりと立って、答えた。
すぐそばに来ると、近距離から俺をしげしげ見た。
「
……何してんの? 観光?」
連休だもんな、と続け、男はまわりに目をやり、「でも、ここじゃ寒くない?」と俺の横へ立ち位置をずれた。まるで、雨風から俺を守るような位置に立つので俺は笑ってしまった。そう、こういうことをする男だった。夏には、陽射しが強かったら、それを遮るみたいにして俺のとなりを歩く。
笑って俺が何も答えないのに、首を傾げるようにしていたが、そばの屋敷の門戸のような部分を指さした。
「とりま、ここ入ろうよ」と言われて、よく見るとそこは古民家カフェならぬ古屋敷カフェで、小さい看板と『商い中』という札が出ていた。
雨宿りができるカフェが目の前にあるのに全然、気づかないで、俺はずっと雨風に当たって突っ立っていたのかと、今度は自嘲の気持ちで顔を伏せて笑ってしまう。
「
……?」
能天気な男は怪訝な空気で、はやくと連れて行きたいみたいに、俺を引っ張って行きたいみたいに腕と手をうろうろさせていた。
店内の暖気にほっとする。
冷たく濡れたコートを脱ぐと、店の人が「ハンガーにかけますよ」と言うから、その言葉に甘えさせてもらう。
「顔と髪とか、濡れてるから」と横の男が「すみませーん」と図々しく店の人にタオルまで貸してもらってくるから、困ったが、ありがたく借りた。
向かい合って座る。
互いに、近況と仕事について話した。
「世間は連休だって
……でも俺は今日しか休みなし」
とぼやく。
湯気の立つ飲み物のカップに口をつけて、俺はふうと息をついた。
香りが良いお茶に和む。
昼飯もまだだったと、急に空腹を感じた。
こいつと二人で飯を食うなんて、何年ぶりだろうと思って、アラサーでもまだモリモリと食べる様子に笑う。
デザートの甘味が美味しくて、昔、無計画に遊びに行った先で入った甘味処の記憶がよみがえった。
この男もいっしょだったなと見つめた。
そうしたら、向かいの男はこちらをまた、無遠慮に何があったのかを察しようとする表情で見つめ返してくる。
「何か
……あった?
……ドタキャンされたとか」
そう、能天気で、変なところで鋭い男だった。
あんな、軒先で濡れ鼠になって突っ立っていたいきさつは言えるわけもない。
俺は「それに近い」とやんわりと言って、まださらに訊いてきそうな男に「傘がなかっただけだ」とごまかした。
男は会話が続かないのを、補うみたいに、話した。
結婚はしていなくて、いま恋人はいないらしかった。
コートが乾いて、雨が上がったあとに店を出て、そろって道に立って「どこ行く?」ともうここからは行動をともにするのが決定済みらしく話す男に、俺は「ここの
……」と庭園の名前を言うと、わかったと大仰にうなづいて、よし行こうというふうに歩き出した。俺は、内心、苦笑しながら肩を並べた。
大学時代に遊んだみたいに気ままに二人で観光したあと、どこに住んでいるかとか訊かれる。混んだ快速にいっしょに乗りこむ。
俺は乗り換えの駅で別れようとした。
これで少し楽しい気分で帰れると思った。
あのまま、ずぶ濡れでしゃがみこんでいたら、きっと今日のことを当分ひきずっていただろう。
それについて、礼を言いたくなった。
でも、なんと言おうかと言葉を探した。
だから、一瞬、男の目をじっと見た。
男はふっと、真剣な顔になった。
「
……ひさしぶりに会えて、すごく、その、嬉しかった」
本心、そう思っている声で言うから、俺はくすぐったいような気持ちになる。こういうことを照れなく言ってくる男だった。
そして、男は俺の手をいちど掴んだ。
「
……」
俺は掴まれた手に目を落とした。
「どうか、してると思われるかもしれないけど、あの、こ
…………また、休みの日とかに会いたい」
途中に、何か違うことを言いかけてから、わかりやすく不器用に言い直す。つながれた手が放される。
なんと答えようか考えた。今日の礼の言葉も考えた。
「わかった」と俺は答えた。
長く俺が黙っているから断られると思ったのかシュンとわかりやすく落ちこんだ男の表情がぱっと明るくなった。
ひさしぶりだから、とすぐ横にいるのに、スマホにいくつもメッセージとよくわからないノリの『魂が楽しい』とか書いてあるイラストのを送ってくる。
寄り道しようかなと言って、男は駅のホームで、互いに手に提げた土産の菓子の紙袋をあらためて眺めると言った。
「おみやげ
……半分こしたいな。開けたらだめ?」
調子良くおもいつきで無茶なことを言いだす男だった。
今日は楽しかったという旨のメッセージと『おやすみ』なんて、夜に送ってくるとは思わなくて、俺は寝る直前に、スマホの画面を見つめて、どう返そうと迷いながら、眠ってしまった。
傷ついてへこんだ気分はもうほぼない、悲しみに満ちていない眠りだった。
休みに会うようになって、能天気なやりとりをしたあとに、急にふっと、真剣な顔で熱烈な愛を告げるようなことを言うから、俺は黙ってしまった。
でも、となりにいた。
答えたら、抱きしめられた。
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