吾妻
2024-02-24 20:59:50
4255文字
Public アークナイツ
 

このぬくもりは君のため

ただ尻尾をもふもふしているだけのいつものテキ博♀です。

「あ、ドクター。お疲れ様、お仕事は終わったの?」
 夜も深まった頃合い、仕事を切り上げて自室に戻ると、眩しいほど爽やかな笑顔に出迎えられた。
 外勤任務に出ていた有能な部下兼恋人であるところのテキーラは、つつがなく本日の予定を終えたと見えて、もはや勝手知ったるドクターの私室でまったりと寛いでいた。
「シャワーを浴びたあと?」
 室内にはバスルームを使用したあと独特のソープの香りとしっとりと水気を含んだ空気が満ちている。ベッドに腰掛けたテキーラ自身もラフな部屋着姿で、膝の上に乗せた立派な尻尾にブラシを入れているところだった。
「今日は一日中外にいたから、先に浴びちゃった。もう少し待って戻ってこないようなら、執務室まで様子を見に行こうと思ってたしね」
「そう」
「もしかして、一緒に入りたかった?」
 にこにこと笑いながらからかいを投げてくるので、マスクを外す手を止めてベッドサイドまで歩み寄り、乾かされたばかりでまだ温かい垂れ耳を戯れに引っ張った。
 冗談だよ、ごめんねと詫びるテキーラの表情はむしろ嬉しそうで、申し訳なく思っている素振りはまるでないが、冗談を介したじゃれ合いは彼の甘え方のひとつなので、殊更に咎める気にもならない。
 そもそも自身の欲望や感情を溜め込みがちで、その荷物を簡単に他人に預けたりしないタイプなので、冗談めかしてとはいえ甘えを見せられるのは悪い気分ではないのだ。
「何か飲む? お腹は空いてない?」
「ひとりでできるから大丈夫。君はまだ〝途中〟だろう?」
 甘えを垣間見せたかと思えば、甲斐甲斐しく世話を焼きたがる。ベッドの縁から腰を浮かせるテキーラを制して、仕事用の装備をひとつずつ外していく。テキーラは、「じゃあお言葉に甘えて」と、尻尾の手入れを再開した。

 冷蔵庫からよく冷えた水のボトルを取り出す。
 ミネラルウォーターのみならず、炭酸水や軽めのアルコール、流動食になるゼリー飲料や、その他諸々。このように冷蔵庫の中身が充実しているのも、他ならぬテキーラの功績だったりする。以前は水すら常備されているか怪しかったので、随分と変われば変わるものだ。おそらく彼が不在になれば元に戻ってしまうのだろうが。
 甘やかされすぎてるな、と反省の念が込み上げてくる。
「今日は何も問題なかった? 秘書は――
「ああ、今日はラ・プルマが手伝ってくれてたんだ」
 念入りに尻尾をブラッシングしていた手を止め、テキーラが顔を上げる。ボトルの飲み口から唇を離して、薄水色の瞳を見つめ返した。
「何か言ってた?」
「ロドスの仕事だけじゃなく、副業やら何やらに奔走してる君を心配してたよ」
……そう」
 頷いて、テキーラは尻尾の手入れに戻る。
 ドッソレスシティでの一件以来、どこかぎこちない二人の関係は、それなりの時間を経た今でも変わってはいないらしい。お互いに家族としての情が消えたわけではなく、それでも決して和気藹々 わきあいあいとはいかない。そんな様子が気にかかることはあるが、余計な手出し口出しは野暮というものだろう。

――お兄ちゃんばっかりドクターを独り占めしててずるいよ。わたしだってお手伝いしたいのに。

 ……との義妹の発言は、ひとまず秘密にしておこう。

「君は?」
「俺のほうも、特に問題なく片付いたよ。詳しいことは報告書にして送っておいたから」
「わかった。確認は明日でもいいかな、今日はもう頭が回りそうになくて」
「もちろん」
 他愛のない会話を交わしながら、テキーラの手元を眺める。彼の膝に乗せられた立派な尻尾は、入念なブラッシングを経て、トリートメントオイルを擦り込まれているところだった。みるみる毛艶がよくなり、強すぎない香料の匂いが部屋に漂う。
「前から思っていたけど……
「ん?」
「随分と入念だね。やっぱり身だしなみの一環なのかな」
「え?」
 尻尾のある人たちは大変だね、と続けようとしたのだが、あまりにもきょとんとテキーラが顔を上げるものだから、その先を続けられなくなってしまった。
……何か、変なことを言った?」
「そうじゃないけど……もしかしてドクター、覚えてないの?」
……何を?」
 嫌な予感がする。ものすごく、嫌な予感がする。が、訊かないわけにはいかなかった。
「確かに尻尾の手入れは身だしなみの一環ではあるし、前から気にかけてはいたけど……ここしばらくいつもより頑張ってたのは、ドクターが俺の尻尾を好きだって言ってくれたからなんだけど……
……
 嫌な予感は見事に的中した。
 彼の弁によると、しばらく前のある夜のこと、今日のようにベッドの縁に腰掛けていたテキーラの尻尾に、ベッドに横たわった状態の自分がまふっと顔を埋めて、そのまま動かなくなったらしい。
 あまりにも尻尾を抱いたまま離してくれなくなったので、テキーラは、

――もう、ドクター。そんなに俺の尻尾が好き?

 いつものように冗談めかして、そう問いかけたとのことだった。その返答が以下である。

――……うん。
――……そうなんだ?
――ふわふわだし……いい匂いがするし……あったかいし……こうしてると理性が回復する気がする……

…………
……そっか、覚えてなかったんだ。確かにあの日のドクターは三徹明けだったから、そんな気はしてたけど……
 テキーラはわざとらしいほど寂しそうに苦笑して視線を斜め下に逃がす。
 確かに記憶にはない。が、疲労が溜まると奇行に走る自覚はあるし、彼は冗談は言うが嘘はつかないので、おそらくそのような発言をしたのだろう。
 そして、それを聞いたテキーラは、普段に輪をかけて念入りに尻尾の手入れをしてくれるようになったのだ。ちょっと健気すぎる。
 そっかぁ……とわざとらしく肩を落として見せるテキーラの仕草は、半分くらいは大袈裟な芝居かもしれない。だが、落胆したのは事実だろう。
 〝記憶がない〟ことで相手を傷つけるのは嫌なのだ。それがたとえ、記憶喪失などではなく、疲労によってぶっ飛んでしまったものだとしても――
「ごめん。確かに記憶はないけど……でも、当時の私が言い放った言葉は嘘でも冗談でもなくて……その、つまり……私は、君の尻尾が……好きなんだ」
 自分の気持ちを素直に伝えるのは得意ではない。しかも、恋人の体の一部が好きだと告白するには勇気が要った。それでも、不義理を働いたのは自分のほうなのだから、恥ずかしがっている場合ではない。
……尻尾だけ?」
 俯いたまま、視線だけを持ち上げて、テキーラがこちらを窺う。この上目遣いは、何かをねだる時の表情だ。なまじ顔が整っているからとにかくあざといのだが、あまり多用するわけでもないので、いつも絆されてしまう。
「君の尻尾だから好きなんだけど……
……もう一声」
……好きだよ、エルネスト」
「うん。俺も大好きだよ、ドクター」
 ……見事に彼の思惑通りに動いてしまった気もするが、心底嬉しそうな笑顔を見せられると、まぁいいかと思ってしまうので、ナントカは盲目とはよく言ったものだ。
「じゃあ、ドクター、こっち」
 彼の表情に柔らかい笑顔が戻って安堵したのも束の間、テキーラがぽんぽんと自分の隣あたりのベッドの表を叩くので、困惑した。
「こっち……とは……
「今日も疲れてるかなと思って。……要らない?」
 まだ膝の上に乗せられたままの、丁寧に手入れをされた尻尾を撫でて、テキーラがいたずらっぽく笑う。
 足元を見られている気がしないでもないが、要るか要らないかと聞かれれば――
……要る」
 もちろん要るに決まっているのだ。だって疲れているし。
 わざわざ自分のために手入れしてくれた努力を無碍にするのも悪いし。
 テキーラがもう一度自分の隣をぽんぽんと示す。どうやら座れと言いたいらしい。
 促されるままおずおずと近づいて腰を下ろすと、大きな手が背の後ろから回されて肩を抱き寄せにかかる。そのままぐいと横倒しにされたかと思えば、いつの間にか彼の膝に頭を乗せる、いわゆる膝枕の体勢になっていた。
……?」
 あまりに自然な流れだったので、一瞬何が起こったのかわからなかった。
 首を傾けてテキーラを見上げれば、愛おしげにこちらを見下ろす眼差しと目が合った。
「これは……?」
「こうしたほうが触りやすいでしょ?」
 まるでマフラーでも巻くかのように、テキーラはふわふわに手入れされた尻尾を首元に差し出してきた。
 若干の恥ずかしさはあるものの、首元をくすぐる尾は温かく、手触りなめらかで、強すぎないがいい香りがして。
(落ち着く……
 柔らかな毛並みに顔を埋めているうちに、意識の外へ追いやっていた疲労が睡魔となって押し寄せてきて、瞼を閉ざせば、あとは眠りに落ちてゆくのを止められなかった。


            *


 はじめのうちは体を強張らせていたドクターも、尻尾に顔を埋めてしばらくしたら穏やかな寝息を立て始めた。
 休息を取るのが苦手な人なので、起こさぬように細心の注意を払いつつ、テキーラは顔にこぼれかかる髪を梳いて整える。
 気づけば眉間に寄っている皺もなく、実に穏やかな寝顔だった。自分が――もしくは自分の持ち物の何かが――常日頃気を張っている彼女の緊張を解きほぐせるなら、そんなに悪いものでもない。たとえそれが、他人に隙を見せたくない自分にとってはあまりに無防備で、他人にはおいそれと触らせたくない部位だとしても、だ。

――こうしてると、君がそばにいるんだって実感できて、安心する……

 この尻尾が好きだと言ってくれたあの日、寝入る直前に彼女が独白のようにこぼした言葉を、今も忘れられずにいる。
 本人は覚えていない様子だったので、自分だけの秘密にしておくことにした。
 理性が働いていない状態の言葉は、紛れもなく彼女の本心だ。彼女に必要とされている事実に心底感じ入ってしまう自分が少々気恥ずかしくもあり、それでも喜びを覚えるのは止められない。
「他の人の尻尾を触りたいなんて言わないでよ」
 こんなに一生懸命頑張るのは、他の誰でもなく君だけのため。
「だから、俺だけに甘えてよ、ドクター?」
 すやすやと熟睡する恋人の額を撫で、誰にも聞こえないほど小さな声で、テキーラは密やかな願いを囁いた。


【おわり】