ゆい
2024-02-23 18:10:02
5186文字
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【宗みか】火種のふたり

Web企画提出物。放送事故未満のふたりと巻き込まれ真緒くん

「いつもの二人、ねぇ‥」
「もう少し興味のある声出してや。お師さんが受けた仕事やろ」

 傍らの声に上目で睨むように窘められて、続く筈だった舌打ちは流石に止めた。
 「貴方達には親近感が足りない」と、珍しく胡散臭い笑みを外した七種からビデオカメラと企画書を手渡されたのが数時間前のこと。酷く世俗的な番組名が記された厚い束には、秘密を暴いてギャップを披露するメリットが滔々と並び、末尾には互いに撮り合った素顔なるものを画面に収めろと書き加えられていた。僕達とは縁遠く馴染まない要望にすぐさま一蹴をくれてやるつもりだったが、仕事と押されてしまえばこちらも強くは出られない。いくら大人しく活動していたとしても、ことあるごとに事務所から目を付けられやすいのが僕達だ。大きく意に反しない限りは、嫌々でも従っておくのが得策だとそろそろ僕だって気付いている。反吐が出る戯言もある程度なら理に適っている時もあって、見極める目が無ければ自分も相棒も守り抜けない。だから、ここ数年で少しは覚えた打算を信じて、珍獣でも見たような顔の影片を横目に苦渋の思いで企画を受けた。勢いのまま驚きっぱなしの手を引き足音高く事務所を後にしてやったが、如何せん慣れない仕事で動き方が分からない。とりあえず主旨でも読み込もうかと、夜まで一人だと言う影片の部屋に引き篭もってはみたけれど。いくら待ってもやる気の欠片すら見つけられずに、退屈ばかりが募っていく。

「親近感と言われても、過度に大衆へ媚びないのが僕達なのだよ。ファンもそれを理解してくれているのに、今更何が問題なのか分からない」
「あんまり媚なさ過ぎて、お師さんがSNSで呟く度に一部で炎上待ちされとるもんね」
「ノンッ!誰だねその失礼な輩は!」
「だからおれ絶対断ると思ったのに。さっきのお師さんすごい顔しとったし‥あ、動いた」

 止まらない不満を垂れ流す僕へ気の抜けた相槌を打っていた声が急に芯を取り戻す。変わり身の早さに思わず紙面から顔を上げれば、僕の右側に背中と体重を預けて高らかにビデオカメラを掲げる影片がいた。二人均等に腰掛けた筈のベッドが偏った重心に引き攣れたような音を立てる。僕の話もそこそこに隣でがちゃがちゃ騒がしかったのはこれが理由だったらしい。くしゃくしゃの説明書を膝に乗せて意気揚々と明るくなった画面を見せつけてくる影片に、大分白けていた気分が少しだけ上を向く。二人で覗いた画面に映るのは、素っ気無い無地の壁ばかりで、この小さなレンズが僕達を暴き出すとは到底思えない。まだ電源が入っただけで無邪気に喜ぶ彼の鮮やかな瞳の方が、余程詳しく僕の素顔を映すだろう。

「これ、どこ押したら録画になるか分かる?」
「何となく分かるけれど、もし壊れたら大変だから止めておきなさい」
「はぁい。でも、おれ達がただお裁縫したりごはん食べたりするの観て、皆本当に楽しんやろか」

 声だけ素直な返事を寄越して、ビデオカメラは掌で遊ばせたままの影片が心底不思議そうに首を傾げる。いつの間にか靴を脱ぎ、ベッドの上にきちんと乗り上げた脚で無為にシーツを蹴りながら唸る姿は年齢よりもずっと幼い。だけど、一度舞台に上がればこの稚拙さはすっかり影を潜め、一つの完璧な芸術品として光を浴びる。近頃は受ける仕事の毛色のせいか、本質とはまるで異なる肩書きや性格を望まれることも多い。確かに雑誌や画面越しで見る影片は蜂蜜のように笑うことも無いし、口元や眉尻も終始硬いまま、仔猫を思わせるあの柔い声も殆ど上げない。僕からすればそれがこの子の当然で必要不可欠なものであるのに、凡俗共はそれら全てが除かれた影片に似て非なる何者かの方が好きらしい。遠慮無くこちらへ寄り掛かったまま、薄い身体は左右に揺れる。少し尖らせた唇から漏れた意味の無い音も、共に部屋中を行っては来たりと忙しない。悩んだ時に身体を動かして答えを探すのは、影片自身もまだ気付いていない癖だ。巷で求められるクールでミステリアスな彼には似つかわしく無いその仕草を目にする度、何時も両頬が擽ったくなる。全く愚かで視野の狭い世間だ、すぐに剥がれるレッテルに心躍らせるなんて本当に彼を見る目が無い。
 未だ続く呻吟につられて、長い前髪から覗く眉間に似合わない皺が何本も走っている。陳腐な言葉ばかり踊る書類の何倍も触れ甲斐がありそうなその白さに、眩さすら覚えて獰猛な食指がくらりと動く。咄嗟に噛み締めた奥歯が軋む醜い音が、どうかこの子だけには聞こえてくれるな。手遅れに近い願いをあてもなく胸中で唱えて、もう用済みの紙の束を静かにシーツの波へ手放す。文字を投げ捨てた左手で多少無理な体勢になっても寄った皺に触れてやれば、色違いの瞳が逆さのまま一つ大袈裟に瞬いてみせる。

「おれはお師さんと違って食べ方綺麗やないし、お裁縫だって大した参考にはならへんと思うけどなぁ」
「視聴者はそんな君でも観たいのだろう。不完全な姿を人目に晒すなんて、僕には到底耐えられないけれどね」
「んあっ、お師さんはいつだって世界一格好ええよ」

 少し意地悪く響いた筈の独白へ返ってきた声は、何時も通り舌足らずに甘ったるかった。まっすぐにこちらを見上げた瞳に映った僕は中途半端な仏頂面で、綺麗な応報に触れたままの指が僅かに揺らぐ。そんな僕の動揺など恐らく夢にも思わず、気怠い憂鬱は既に指の下で溶け落ちて。代わりに首が痛くなりそうな上下あべこべの眼差しが蜂蜜のように濡れ光り、三日月を思わせる笑みが密やかに滴る。

「お師さんは寝ても覚めても最高や。もし不出来なところがあったとしても、そこは伸び代ってことやろ。発展途上のお師さんも絶対素敵やわあ」
「君は本当に盲目が過ぎるね」
「盲信させといて今更やろ」

 花咲くような笑い声と共に一層細く撓った三日月から光が漏れる。別に殉教させるつもりは無いが、あまりころころと笑い耽るものだから水を差すのも気が引けた。綻び緩んだ口元を形だけ隠す手はまだ頑固にビデオカメラを携えたままで、笑い声に合わせてかちゃかちゃと耳障りな音を立てる。無邪気も過ぎる態度と暗喩ばかりのやり取りに少し嫌気が差して、帳尻合わせも兼ねてとっくに空になっていた己の大腿部を軽く叩く。騒がしさにも紛れずきちんと届いたらしい音に影片はぴたりと声と振動を止めて、裏返った眼差しと共に促されるであろう次を待つ。甘さの余韻はそこかしこに残したままで僕の一挙手一投足に集中する様は、ご褒美を前に涎を飲み込む犬のようだ。猫だったり犬だったりと目まぐるしい親愛の形に、やっとこちらの頬からも力が抜ける。

「‥おいで」

 自分でも案外穏やかに震えた声に影片の肩も小さく揺れ、骨張った手が語尾を聞かずに僕の首へと回る。僕以外の全てを蔑ろにして反転する身体や巻き付いてくる熱を過不足無く受け止めながら、重力に負けてひっそりとシーツへ転がり落ちるビデオカメラを一応目で追った。今日はもう用済みだが、後日の為に安全な場所で大人しく息を殺していたまえ。

「‥これもいつも通りの二人、だね」
「流石にファンの皆には見せられへんわ。ちょっとばかり目に毒やろうし、こういう絡みが嫌いな子も多いらしいで」

 凛月くんが言っとったよ、なんて他人事みたいに嘯いて僕の首筋で影片がまた笑う。本当は誰に嫌われても疎まれてもどうでも良い癖に。昔より随分重みと価値を増した身体を抱き締めながら、口には出さず淡い皮肉を思った。言葉を無くした後も、産毛を食むように吐息混じりの振動は続く。二人の凸凹を埋め尽くすような湿度や密度を不愉快だと感じなくなったのはいつだったか。軽く浮き出た背骨を戯れを装って丁寧に撫で上げてやれば、今までとは明らかに感触の違う震えが掌の下を駆け抜けていく。さてもう一度、と今度は尾骶骨の辺りまで指を伸ばせば、僕に埋もれたままの影片から少し湿った声で名前を呼ばれる。

「まだお仕事中やで。おひさまも高いし、やらしくなるの早いわ」
「パリなら真夜中だから問題無いよ」
「時差って便利やなぁ‥ちょっ、それ擽ったいからやめっ、」
「凛月ごめん!!昨日貸したDVDにレッスン用の資料混ざって、無かった‥でしょう、か‥」

 勢い良く開いた扉の奥から見知った柘榴の髪が駆け込んで来て、僕と目が合った瞬間にぴたりと止まった。相部屋では何時も礼儀正しく朗らかな彼の翡翠の瞳が、今は丸く見開かれて驚愕の色で染まっている。友人の部屋で、寮では同室の先輩が、自分の同級生を向かい合わせに膝に乗せて睦んでいれば誰だって思考は停止する。僕に跨って身体を寄せた格好からぴくりとも動かなくなった影片も、大体同じ心境だろう。各々が息継ぎすら憚るような緊張と居た堪れなさが、急遽地獄と化した室内をあっという間に埋め尽くしていく。だが、ここで誰が口火を切らない限り沈黙は続くし、適任は恐らく僕だろう。背中を一筋羞恥が流れ落ちていくのが分かったが、首から上は舞台で鍛えた表情筋を総動員して涼しさを纏う。

「‥朔間は夜まで帰って来ないらしい。急ぎで無いのなら出直すと良いよ」 
「‥‥えっと。じゃあ、メモだけ‥いやっやっぱり電話するんで大丈夫ですごめんなさい」
「衣更が謝ることでは無いよ。鍵もかけずに疚しいことをしかけたこちらが悪いからね」
「あっやっぱりやることやる感じなんですね‥」

 人間、思いがけず特大の恥を晒すことになるといっそ振り切れて潔く開き直れるらしい。ここまで見られて上手い言い訳など思い浮かぶ訳も無く、正直に事実を述べれば普通に引かれた。赤ら顔を微妙に引き攣らせて漏れた呟きを目敏く拾いつつ、僕の上で身動ぎ出した身体を宥めるように抱き直す。途端に悲鳴のような怒号のような音が細く上がるが、全て僕のシャツに吸い込まれて言葉にはなれず消えていく。やはり咄嗟に腹を括って本当に良かった。こういう時の面の皮は厚ければ厚い方が良い、後ろめたいのは山々だが一応全て未遂ではあるし。
 段々と身悶えと冷や汗が増える背中を何とか嗜めている間、終始落ち着かない闖入者は未だ握ったままのドアドブを引こうか押そうか迷っている。ちらちらとこちらを覗きながら都度居心地悪そうな顔は見せるが、影片よりはよっぽど落ち着いている。まじまじと疾しさを見せ付けられても結局逃げ出さない衣更の場馴れ具合は心配だが、あれだけ距離感の壊れた幼馴染がいれば仕方無いことだろう。何時も僕達のあれこれにちくちく口を挟んでいるようだけど、自分達だって大概なことを自覚した方が良いよ。

「‥えっと。後頭部しか見えないんですけど、それって‥影片、で合ってます、よね‥?」
「は?僕が影片以外とこういうことをするとでも?」
「いやいや全然思わないです妥当です!」
「では、何の確認かね」
「‥‥あの。意外とこういうの、あいつ気にするから‥その、‥後片付けとか、頑張って欲しいなと‥そっ、それだけなんでっ失礼します!!」

 言い募りながら徐々に赤らんで最後は殆ど押し付けるように畳み掛けて、忙しない星は唐紅に駆けて行く。君の照れるタイミングはそこなのか。扉の向こうに消える足音を聞きながら、人それぞれの慎みポイントに思いを馳せる。結局最後まで俯いたままの影片のそれはどこだろう。耳の先や首の後ろまで赤く染めて恥じ入る様を見下ろしつつ、分かり切った答えをふと聞きたくなる。

「‥内緒にして、って言い忘れたね」
「‥‥もう学校行かれへん。明日、衣更くんにどんな顔して会うねん」
「僕なんて今日の夜からもう会うけどね。さて、気を取り直して不埒を続けても良いかな」
「お師さんメンタル強すぎひん!?」

 冗談めかした本音に負けじとこちらを睨み上げた瞳は、やっぱり恨めしげに濡れていた。離れた手は心臓の辺りを雑に叩いて不機嫌を示すが、勿論痛みなど殆ど無いから怒りの代わりに笑みが湧く。腕の中で上がる抗議の声はいずれ密やかな溜め息となり、涙と汗に塗れて僕だけが知る甘さになる。必死の訴えを笑い飛ばされる悔しさか、既に赤い頬を更に上気させて膨れる様は確かに僕以外の目には致死量の毒だ。僕を通さぬ原色の君は、その気も無いのに在り方だけで世界と人理を誑かしてしまう。僕が手ずから調律と注解を施して、ようやく君は人目が耐え得る程度の芸術品まで成り下がる。

「せっかくだから、僕と炎上してみるかい?」
「‥お師さんのせいで、おれはとっくに燃え滓や」

 きっと捻り出したであろう負け惜しみが胸を衝いて、とうとう降参の音が鳴る。弾けた笑い声にまた怒り出す気配を感じつつ、不可抗力の愛おしさに任せて火照った身体を抱き締めた。