kimidoriseibutu
2024-02-22 01:46:29
4076文字
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センチメンタリスト・エゴイスト

猫の日の現パロ以新ss(いわゆる記憶あり系)
拾った猫とハッピーになる話ではないです。

ピンポピンポピンポーン、と、古い型式の呼び鈴が雑に連打される音が響いた。
時刻は午後十時を回っている。
来客があるような時間ではないし、今日は荷物などが届けられる予定もない。
そして同居人が帰ってきたのならば鍵を自分で開けて入ってくるはずだと、新兵衛は訝しむ。
荒事の中で生きる身の上には心当たりが余りにも多く、新兵衛はその巨躯を足音を立てる事なく静かに玄関まで運んだ。
しかし、ドアスコープを塞いでいるガムテープを剥がし覗き込むと、そこに在ったのは見慣れた伸ばしっぱなしの癖っ毛と、それに半分を覆われた気だるげな髭面だった。

「なんだ……?」
どこかに鍵でも忘れてきたのか、と無駄に動かされた事に苛立ちながら新兵衛はドアを開く。
「おう、ただいま」
開きかけのドアの隙間からのぞき込むように首を傾げ、以蔵はさも何でもなさそうに帰宅を告げる。
しかし、わざわざ何でもなさそうに振る舞っていて何もないわけがなく。
新兵衛はすぐさま、以蔵が両脇に抱えた鍵を取り出すのが困難なほどの大荷物と、わずかな獣臭さに気付いた。
……なんのつもりだ」
新兵衛の深くなる眉間のしわから目を反らす様に泳がせながら、以蔵はおどけた声で取り繕う。
「いや、いや、ちゃんとわし一人で世話するき」
な?と、何かを――たいていは金か酒を――ねだる時のように笑顔を作るその腕の中から、「アン」とか細い声が聞こえてくる。
カゴの中で毛布にくるまれモゾモゾと動いているのは、酷く弱った様子の錆色の猫だった。
……以蔵」
静かな声が、以蔵に突き刺さる。
聞いた瞬間、その静けさの奥に強い怒りがあると理解できた。
いや、本当は部屋にたどり着く前からこうなると解かりきっていた。

新兵衛はドアの前から動かず、以蔵も無理やり押しのけて部屋に入ろうとはしなかった。
「げーに大丈夫じゃ、別にこれ全部わしが買うたわけやないし」
猫を抱えているのと逆の手にぶら下げた大きな袋を軽く持ち上げ笑ってみせるが、新兵衛はピクリとも反応しない。
解かっている、もっと説明すべき事がたくさんある。
恐る恐る、あまり新兵衛が良い顔をしないであろう名前を、それでも説明しなければと口にする。
「龍馬が今、里親探しちゅうき」
最初から飼うつもりで拾ったのではないと、言外に伝える。
新兵衛は気を許しかけた自分を律するように、逞しい腕をゆっくりと組みながら溜息を吐いた。
「見つからなかったら」
そんな事にはならないと確信している。
だが、龍馬ならうまくやるだろう、保護団体に繋ぐくらいわけはないはずだ、などと、今言うべき事はそれではない事も、以蔵は解かっていた。
「ほいでもわしが飼うとは言わん。安心せえ」
もう、誤魔化す様におどける事はしない。真っ直ぐに新兵衛の瞳を見つめる。
「今はえろう怯えちょって拾ったわしにしか触らせのうて。けど里親が見つかったらちゃんと手放すき。ちくっとの間我慢しとうせ」
そう説得すると同時に、自分にも言い聞かせていた。
……解かった」
新兵衛はそうつぶやくと、壁に背を付ける様に道を開けた。
それまで大きな身体に遮られていた部屋の明かりが以蔵を照らし、眩しさに目を細める。
横歩きで新兵衛と反対側の壁の間を抜けると、後ろでカチャリと鍵を閉める音がした。
……すまんのう」
鍵を閉めてくれた事にだったのか、この錆猫を受け入れてくれた事にだったのか、また己の我儘を聞かせてしまった事にだったのか。
新兵衛からは「ふん」と短いため息のような返事のようなものが返ってくる。
それは酷く不愛想であったが、以蔵はいつも通りのその様子にどこか安堵していた。


***


路地裏に捨てられていた錆猫は成猫で、人に飼われていたようだ。
病院で見せたところ特に目立った病気や怪我はなく、ただ飲まず食わずで、そして捨てられたショックで衰弱しているだけではないかという事だった。
身体も痩せている点を除けば大きく成長しており、ここまで大事にしてきたペットを捨てるというのはどういう事情があったのか。
どれだけ腹を立てても、それは捨てた本人にしかわからない。
他の選択肢を選ばなかった人間を探し出すよりも、これから大事にしてくれる人を探すべきだと龍馬は言う。

本当に、そうなのだろうか。
こんなに怯えるほどに、人を恐れる程に、飼い主に裏切られた事がショックだったのなら。
この猫がそれ程その飼い主を信じていたのならば。
今からでも元の飼い主が思い直す事が一番の幸福という事も、もしかしたらあるのではないか。
以蔵には解からなかった。
だが、それでよかった。
どちらが幸せかなんて、解ったつもりになってはいけないとも思った。
言葉の解らない、別の命の幸せなんて。
それでも、ただ、こいつの幸せの為ではなく。
あのまま何も信じられずに消えていく命を、自分が見捨てたくなかっただけなのだ。
元の飼い主も以蔵も、勝手な事に変わりはなかった。


***


先に眠りについた新兵衛は、壁を向くように横になっていた。広い背中しか見えないが、わずかでゆったりとした揺れが彼が眠りについていると告げていた。
温かい屋内で腹も膨らみ安心したのか、錆猫も丸いクッションのようなベッドで眠りについている。
そういえばこのアパートはペット厳禁ではなかっただろうか。今更になって思い出された事が少しおかしかったが、この猫が近所に聞こえるような声で鳴ける頃にはもうこの部屋からは居なくなるだろう。そう思うと、やはり一抹の寂しさを覚えた。
新兵衛の不安は最もだ。
自分たちは明日をも知れぬ身。
預かった命を置いて二人して先立つ事も当然あり得る。
そんな無責任な行動を、この男が許容できるわけがなかった。

そしてそうなれば。
元の飼い主と同じく、家庭に迎え入れ愛を注いでおきながら突然この命を見捨てる事になる。
そんな残酷な事に、他でもない新兵衛を巻き込む事など以蔵も望んではいなかった。
前世だか並行世界だかの記憶の中の新兵衛に、そして記憶と同じく自分ではない一人の人間を強く信奉しているこの恋人に、以蔵は捨てられた猫を重ねてしまっていたのだから。
起こさないようにそっと、新兵衛の傍に横たわる。
もしかしたらこいつにはそこまで見透かされていたのかもしれないと、以蔵は上下する広い背中を見つめながら、玄関でのやり取りを反芻した。


***


数日後。
アパートの前には、家族向けの大きな車が止まっていた。
「じゃあの~」
連れていかれる錆猫に、以蔵は手を振る。
新しい飼い主は、子育てが終わり家の中が寂しくなったという初老の夫婦だった。
錆猫があまり二人を警戒していなかったのは、以蔵たちの介抱で回復していたからなのか、安心できる人間だと感じたからなのか。
横で腕を組んでいた新兵衛の顔を覗き込むと、何も言わないが少し寂しそうに見える。
「おまんにも懐きはじめちょったきのぉ」
「何の話だ」
ニタニタと一人で納得した様子の以蔵に、新兵衛は眉を一層険しくしかめた。

以蔵が慌てて買ってきたペット用品の数々も、錆猫と一緒に夫婦に譲り渡した。
置いてあった期間は一週間にも満たないというのに、錆猫に別れを告げて戻った部屋は、ずいぶん静かで広々としたものに思えた。
その広さを満喫するかのように、あるいは失った狭さを惜しむように、ソファに腰かけた新兵衛は見慣れたはずの部屋を見渡していた。

ぎしり。

新兵衛が座るすぐそばに、以蔵は手をつき身を乗り出す。
「なんだ」
新兵衛は答えが分かっている問いを以蔵に投げかけた。
「抱いてえいか」
寂しさを紛らわせるためではない、とは言えなかった。
だがそれよりも、この男が欲しかった。
この男は決して手放さないと、自分の意志を固めたかった。
そんな自分の勝手を――受け入れてほしかった。

……ん」
新兵衛はいつものように不愛想な返事になっていない返事をしながら、ソファに体重を預け、以蔵が好きに触れられるように体の力を抜く。
この男が自分のために警戒を解いた様子に、以蔵は自分が赦されたようで満たされ、そして。
「へそ天みたいじゃの」
錆猫の仕草を思い出し、くくっと笑いを漏らした。
新兵衛は以蔵を睨むが、それが悪意からではないと解かるとむず痒く、なんとも閉まらない顔になっている。
自分にだけ見せるこの男の決まりきらない様子に、以蔵はたまらなくなり口づけをした。
触れ合った唇を離し、はむ、はむ、と互いに啄み合う。
身体をまさぐり合うように、徐々に激しく腕を絡ませ合いながら、以蔵の舌が新兵衛の唇をなぞった、その時。
「ふっ」
今度は新兵衛が笑いを堪えられずふき出した。
「なんじゃ!?」
いい雰囲気の中で自分が何か変な行為をしたのではないかと以蔵は焦り、興奮と快感でで赤くなり始めていた顔を更に赤くする。
「すまん、すまん」
こういう時だけ素直に謝りよって!
以蔵は自分の事を棚に上げた心の中の悪態がもうすぐ口から出そうになっていたが、新兵衛の言葉でそれは霧散していった。
「あの猫……貴様に似ていたな」
おかしそうに笑っていた新兵衛の顔が、少し侘しげに、愛しげに影を落とす。
大事な人に置いていかれ、自分を捨てなかった人間にわけもわからぬままただ着いて行くしか術がなく。
言葉にはしなかったが、哀れみと愛しさがないまぜになったような視線がそう物語っているように、以蔵には思えた。
……似ちょったがはおまんの方じゃ」
拗ねたように、小さく零す。

ああもしかしたら、自分たちは同じような事を考えながら過ごしていたのかもしれない。
一つの命に好き勝手に自分達の大事な物を重ねて。
一つの命ごしに相手を感傷的に想って。
やはり自分たちにはペットを飼う資格はなかったのだと、これでよかったのだと笑い合う。
互いを身勝手に想い合う事で、二人は精一杯だった。




終わり