和綺
2024-02-21 19:29:34
4150文字
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楽しい飲み会(五歌)

うちの五歌、いつも飲み会にいる

五条悟は自分が特別で特異だという自覚がある。凡人の枠になど凡そ収まりきらず、五条の前で人垣は割れ、五条の後ろにこそ道ができる。共に歩けるものなどいなかったし、いなくなったし、いらなくなったし、寄り添うものなど最も遠い存在だった。ゆえに、五条は恐れられている。だが、自身は、それを気に留めていない。行きたいところに行くし、行きたくないところにはいかない。嫌がるならそちらが帰ればいい、とそれだけの話だ。とはいえ、どうせ行くなら楽しい方がいいし、歓迎されれば嬉しい。
「五条術師!」
「五条さん! お待ちしていました!」
だから、居酒屋の個室の扉を開けた瞬間にかかった声に、にぱっと笑ってしまった。そこが例えどんなにめんどくさい修羅場になっていようともだ。
庵歌姫の酒癖は悪い。呪術会随一である。トップクラス、トップランカーの名をほしいままにし、下手すれば顔の傷よりも本人を認識する。ほら、あの飲み会の、といった塩梅だ。傷など、呪術師たちにとっては当たり前なのである。
今もどこぞの狸の首根っこを脇に抱え込んで、酒瓶を振り回している。通常ならその密着ぶりに鼻の下でも伸びようものだが、彼女の細腕には、見かけからは想像もつかないほどの力がこめられており、脇から除く生首の顔色はすこぶる悪い。それをサングラスの隙間から眺めながら、五条は個室の小上がりを上がる。ざ、と並んでいた補助監督が場所を開ける様がまるでモーゼの海割りだ。
「お疲れサマンサ~。今日も盛り上がってるね?」
ひらひらと手を振りながら、歌姫に視線を流してやれば、比較的若い集まりである彼らは、顔を見合わせて苦笑いしてみせた。はぁ、まぁ……などと曖昧に笑っている。
「ほんと、いい加減酒の飲み方覚えた方がいいよね、って下戸の僕が言うことじゃないんだけどさ」
まじで酒のなにがいいのかわからん、と人生で唯一解けない問題に思いを馳せながら、空いている箇所に適当に腰を下ろした。ぺたんとした座布団が畳の感触をダイレクトに伝えてきて尻に硬い。妙にテンポよく差し出されたメニューを開いて、とりあえずオレンジジュースを選ぶ。駆けつけ一杯というやつだ。テーブルをざっと見渡して、枝豆を手にした。最初の一杯はビールで、ときたら枝豆でしょ!と件の先輩がよく言っていた。今、あそこで、ヘッドロックをキメ、なんか多分それなりにどっかの業界の上の方にいるであろう中年の頭を撫でまわし、げらげら笑いながら数少ない毛をむしり取っている、五条の先輩が、だ。
「ぶふっ、やば、なんだっけあれ、ざんばら髪? 落ち武者みたいになってんのウケんね」
手を叩いて喜んでいる五条に同調してもいいものか、と迷う空気が生まれる。多分あの古狸の評判もよろしくないのだろう、少し離れたあちこちのグループでは失笑しているような気配もある。まぁた、なにか義勇やら義憤やらに駆られたのだろうか。
べたりと脂ぎった額に手を当てた酔っ払い、もとい歌姫が、うわっと顔をしかめて、その手を男のスーツに擦り付けた。それが最後のトリガーだったのか、男の顔色が変わり、締めつける腕から抜け出そうともがき始めた。
頼んでいたオレンジジュースが到着し、かんぱーいと掲げてみるが、それに追随するものはおらず、五条はちぇ、と舌を鳴らして、ジョッキに口を付けた。妙な沈黙のなか、男の口が開く。
「お前みたいな女、私の一言でどうにでもしてくれるっ!」
はいじらーい。胸中で呟きながら、五条はメニューを指さして、唐揚げ食べたい、と注文した。
「はぁ~? やれるもんならやってみなさいってのよ~そんなちんけなセリフ、もう散々言われたっての~~それでも私はまだここでこうしておいしくビール飲んでるんだからぁ……えーと、ビールおいしいでしょ?」
あ、放棄した。五条は、ぶくく、と笑いながら手つかずで置いてあったほっけの干物をほぐしにかかる。少し硬くなっているのが惜しいが、味は悪くない。
「ねぇ、ビールおいしいよね? ほらぁ、ビールぅ」
舌足らずの甘えた声音で、歌姫がささやいている。くすくすと楽しそうに笑いながら、その手がビール瓶を鷲掴んだ。
「はい、あーん」
「ぐがっ?!」
男の口にビール瓶がまっすぐに刺さった。
「ほらぁ、もっとお口開けて」
ぷんぷんと擬音がつきそうな声で歌姫が迫り、ぐりぐりと瓶口が押し込まれていく。
「ぐほっ、げほぇ、おあ、ぐぇ……
聞くに堪えない声を出しながら、男がビールを嚥下していく。口からも鼻からも液体が流れ出ていて、非常に痛そうだ。炭酸だし。
「あ、ちょっと、こぼさないで!」
ほとんど白目を剥いている男の口から喉を伝うビールを見咎めた歌姫が、そこに顔を寄せようとする。と同時に、五条の指からピスタチオが飛んだ。多少の呪力が籠ったそれは、弾丸のようにまっすぐに飛び、男の額へと当たる。ばちーんっ! というかなりの音に見合うように、男の首がかくんと更に後ろに倒れる。誰もが折れたと思った。どさりとその体から力が抜けて崩れ落ちる。誰もが死んだと思った。んぎゃ、という落下の巻き添えを食った歌姫の珍妙な悲鳴の後で、しん、と個室が静まり返ってしまった。
「唐揚げお待たせしましたー」
からりとふすまが開き、店員がほかほかと湯気を立てている唐揚げを運ぶ。
「はいはーい、こっちこっちー」
五条の能天気な声に誘導された店員は大ぶりの皿を手渡すと、空いたグラスと皿を手際よく重ね、またふすまの向こうへと去っていった。
さく、はふ、じゅわー、と皿から摘まみ上げた唐揚げを咀嚼しながら、五条は歌姫のもとへ向かう。
「ん、唐揚げうま」
はふはふと食べながら、歌姫の前にしゃがみこむと、どろんとアルコールに潰れた目が五条を見上げた。
「あん? ごじょー? あんでいんのよ」
「仕事終わったからだよー」
「げこのくせに……またむりやりおひかけてぇ」
「違う違う。ぜひに、って言われたんだって」
ぜひにぃ? と胡乱げな顔つきの歌姫の前に摘まんだ唐揚げを差し出す。
「ほら、唐揚げ。おいしいよ」
ほかほかと湯気を立てる唐揚げと五条の顔を、歌姫の目線が行ったり来たりしている。
「熱いから早く」
「んむぅ」
ほらほら、と近づけると、歌姫の口があ、と開く。少しだけ覗き見えた白い歯が唐揚げに噛みついて、さくさくと咀嚼している。
「おいしい?」
「ん、おいひい。ビールほしい。ビール……
もぐもぐと唐揚げを味わいながら、歌姫の目が辺りをさまよう。
「ビールどこぉ?」
いつの間にか手放していたビール瓶をばしばしと殴り、そうして、いまだ抱えたままだった生首もとい狸もとい男の頭もばんばんと叩く。うめき声が上がったので生きているようだ。
男の周りの畳にはビール溜まりができており、歌姫の手がびちゃりとそこに落ちる。
「うひゃっ! んんーなにこれぇ」
「歌姫がこぼしたビール」
「うそぉ、もったいなぁ、やだぁ」
ぐりぐりと男のシャツで手を拭いた歌姫は、涙に潤んだ目で五条を見上げた。さくさくと唐揚げを咀嚼していた五条は、ごくりとそれを飲み込むと、あっち、と離れた席を指す。
「あっちにビールあるよ」
「ビール! よっしゃー! 飲むわよ! あんたも来なさい!」
「ええ、まだ飲むのぉ」
「当たり前でしょ! まだまだ夜はこれからよ!」
「もういいじゃん、もうたいぶへべれけじゃん、歳考えなよー」
「うるせー! あんただって来たばっかでしょ! どうせ来たなら楽しみなさい!」
立ち上がった歌姫を唐揚げの皿を抱えたままの五条が後ろから誘導する。その背後では、中堅の補助監督たちが、さすがの連携でこぼれたビールと男の始末にかかっていた。
端の端に歌姫を座らせると、五条は壁で挟むようにして、すぐ隣に腰を落ち着けた。
「僕はもうだいぶ楽しいよ?」
「なに言ってんのよ。酒飲めないやつが楽しいわけないでしょ」
五条がテーブルに肘をついて、完全に歌姫に向き直ると、そこは周りから遮断された空間になった。
五条の背後では、またざわざわと酒席が動き始めている。件の狸は端にでも寝かされているのだろうか。
「ねー、五条ー、ビール」
「はい、ジョッキ。はい、ビール。はい、持って」
「ん」
「はーい、動かないでねー」
とととと、と五条がビールを注ぐ。ラベルを上にすんのよ、などと前時代的なお小言をはいはいと受け流して、角度を調整すると、ぴったりとした泡が完成した。
「わお! 見て見て、この泡、天才的じゃない!?」
「いっただーきまーす!」
「あー! もうちょっとこの芸術を堪能してよ!」
「ぷはーっ! うまい!」
「聞いて?!」
「はいはい、もうわかったわよ、はい、かんぱーい!」
「雑!」
テーブルに置かれていた五条のオレンジジュースにごいんとジョッキをぶち当てた歌姫は、更にぐいーっとビールを傾けていく。
「おいしい?」
「おいしいわよぉ。いる?」
「いらなーい」
げーっと舌を出した五条に、歌姫が意地悪く笑う。
「ガキね」
「別にそんなの飲まなくてもおいしいものはたくさんあるし」
「わかってないわねー! 酒は飲むとうまくて楽しいのよ!」
ふーん、と五条は目だけで自らの背後を振り返る。やはり先程の狸は、端に転がされているようで、そこだけぽっかりとした空間になっている。
少し離れたところにあるそれぞれのグループは和やかな雰囲気になっており、ふむ、と五条は顔を戻した。
「狸が一、歌姫が二ってところかな」
「なにがよ」
「なんでもなーい」
呪いに呪いをぶつけるのは、なるほど理にかなっているし、最終的に特級である五条にお鉢が回ってくるのも、納得がいくものだ。
五条は自分が特別で特異だという自覚があるけれど、呪術界にその名を轟かせる歌姫には自覚も記憶もないので、きっとしばらく五条が歓迎される飲み会は続くはずだ。
「ね、歌姫、楽しいね」
「そう~~?」
「うん、楽しいよ」
ふーん、とジョッキに口を付けながら、少し考えた歌姫は、真っ赤な顔で、ならよかったわね! と豪快に笑ったので、五条も自分のジョッキをごいんとぶつけていえーい! と笑った。