いを
2024-02-20 18:29:58
2450文字
Public ブツメツフツマ
 

月を砕く名

無告。
公紲さん【higasa_onink】
蛇石さん【MotC_support】
九印さん【nac_mok】
お名前だけお借りしています。

 未来、と、過去。無告の前にそびえ立った標識。未来には行ける。過去には行けない。未来はなにが起こるか分からない。過去になにが起こったか分かる。無告の脳裏に浮かんだ3人の顔。今は亡い人たち。手の届かない場所にいる、ひとりの命。いずれ祓わねばならない、ふたつの命。それを悔い、生き残ったことを悔い、ぐらりと世界が揺らめく。考えすぎた。生徒のために、この命さえ捧げるのか。無告は時折考えている。守る。守りたい。そう、守りたいのだ。守りたかった。無告よりひとまわり以上若い子どもたちの未来は、明るいものでなくてはいけない。たとえ、おのれ自身の命を踏み台にしても。これから老いていくだけの自分の命よりも、彼らの命のほうが重いのか。命に重さはない。それは悪人でも善人でも命というモノは平等であるから、ああ、それでも。不平等ではある。この世に生きる生物はみな平等に生まれたけれど、死は不平等だ。選択が、ある。選ばなければならない。それによって奈落に落ちるか否か、容易に決まる。頭を抱えた。ズキン、ズキン、と脈打つような痛みを感じた。歯を軋ませる。逃げてはいけない。逃げれば逃げるだけ影は濃く、そして長く、追いかけてくる。
「は、」
 呼吸が一瞬、止まる。ガラン、と音が響く。白く長い髪が見える。七億不思議――通称「邂逅」が、無告を蹴り倒したようだった。相変わらず、包帯にまみれている。
「よぉ。黛無告、せんせい」
 ぐらぐらする頭を支えながら、ゆっくりと立ち上がる。その間、亡霊は手を出してはこなかった。
「アハッ、ずいぶんしけたツラしてるじゃねぇか。おれのこと、見えなかった?」
……お前が私の左目を奪わなければ、あるいは」
「迷っているようじゃないか。未来、過去。お前はどっちを選んだんだろう」
 訊ねているわけではない言葉。お前の選択などどうでもいい、というような声色をしていた。
「前のお前なら、こうやって話しているうちにでもおれを祓えただろうよ。生気不足か? お前らの生気は不味いったらないのに、物好きなもんがいるんだな」
「だからあの子たちに手を出すというのか」
「おれたちも、この土地に縛られているからなぁ。因果ってやつだよ。お前が得意な」
 カラン、と二枚歯の下駄が周りに響くと同時に、無告の左腕が飛んだ。
……!」
 息をのむと同時に、左肩にひどい痛みが走った。関節をやられたのだと知った直後に邂逅の右腕が首を狙って刃物のように撓る。それを右の手のひらで掴んで思い切り捻った。
 邂逅の右腕の筋がギシリと軋む。
「からだは、憶えているみたいだな。なあ、黛無告せんせい」
 無告の左腕がだらりと下に向いている。指先に力を入れようとするたびにひどく痛む。
 動かない。腕が。
「おれは人間を直接殺せないけど、お前はおれを殺せる。けど、純粋にどっちのが強いか、やってみようぜ」
「私を〝先生〟と呼んでいいのはあの子たちだけだ。お前の口調の端々を見れば分かる。お前がどれだけ悲惨な過去を持っているか。だが私はそんなものに興味はない。私は私として、お前を殺す」
――殺す。そうか。お前はおれを殺すと言うのか。……亡霊のおれに、とうとう命を見たのか」
 男は黒い着流しを風にはためかせて、影のように佇んだ。ほとんど棒のようなシルエットだった。
「でも残念ながらおれは、おれの命の手綱を持ってくれる人がいるんだ。お前には殺されてあげない」
 下駄の甲高い音が聞こえる。
「逃げるのか」
「そうさ。痛み分け。お前がおれに命を見たなら、ちょっとだけ、ほっとするんじゃないか」
……わくらば、と言ったな」
「通称、邂逅。人間だった頃の名前はべつにあるよ」
「七億不思議に良いも悪いもない。お前たちは人間を餌にしている。そして私たちもお前たちを食いものにしている。どちらの天秤が傾くか分からないが――それもまた、因果応報というものだろう」
「アハハッ、お前、いいせんせいしてるんだなぁ」
 カラン。
 下駄を鳴らしながら、男は闇に紛れて消えていった。
 足がふらつく。左肩の鈍い痛みに顔をしかめた。そういえばここはどこだっただろう。
 ――私は、一体なにを選んだのだったか――
 藤の花のような色の髪をした少年の涼やかな声も、
 私を揶揄うように「先生」と呼ぶ青い少年の声も、
 まだ花が咲く前の蕾のような少年の柔らかな声も、
 あの子たちの声が聞こえない。
 耳鳴りがひどい。
 膝をつく。ただ、暗い。影が濃く長く床をつたい、私を覆う。
 戦わなければならない。
 戦って勝つことが祓魔師の仕事であるなら、私は戦わなければならない。
 守らなければならない。
 私は守りたい。あの子たちの未来が明るいものであるようにと祈り、願わなければならない。そのために必要なことがあるのなら、なんでもする。この身が朽ちたとしても、私は。――それで本当にいいのかと問われる。あの子の、公紲の、崇我の、九印の顔を真正面から見て、本当にそんなことを言えるのか。私の命を踏み台にしてでも生きなさいと。私を忘れて幸せに生きてほしいと。私の手を振り払って進みなさいと。どれもがみな、言い訳だった。今の自分が正しいのだと、そんなことを、そんな――くだらないことを認めたいがために。どうしたら。私はどうしたらよかったのだろう。爪に罅が入る。ぱきり、とかるい音をたてて指先が鳴った。血が手袋に滲む。
……ただしいことを、しなさいと……私は、ずっと」
 ずっと、ずっとずっと思っていた。
 正しい選択を。
 正しい考えを。
 正しい生き方を。
 けれどそんなものは果たして、本当にあるのだろうか。
 私がしてきたことは、本当にただしいことだったのだろうか。自分がブライ所属・・・・・になった理由を、ようやく知る。
 立たなければならない。立って、戦わなければならない。
 この学園に存在する命たちのために。
「身体が……重い」