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時緒
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魔法使いの約束(ミスルチ)
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【ミスルチ】花街の暗渠
橋の上に立つ白いドレスの女の人がもたらす災いを解決してと依頼を受けたミスルチのお話です。
これは西の国の、シャイロックさんおすすめの店で、ミスラさんと酒を飲んでいた時の話だ。
隣の席の客が狂乱の時代と呼ばれる魔法科学の時代でも不思議の話が好きらしく、この飲み屋やカフェー、娼館が立ち並ぶ街で、怪しい女を見たのだという。曰く彼女は真っ白なドレスを着て、枯れかけの川の橋の脇に立ち、こちらに向かって手を引くのだという。それはそれは美しい女だから、酔っ払いはみな彼女の元に行き、そして川に引き込まれる。そして翌日、哀れにも男たちは川面に浮くのだそうだ。女は氾濫を繰り返す川の精霊とも、人の魂を食う悪霊とも言われている
――
というのが、酔っ払って前後不覚になりつつあった、隣の客の主張だった。
「生贄を求める川の主ですかね」
ブランデーを飲みながら、ミスラさんは言った。私は「川の主」、と、言葉をぼんやりと繰り返して度数の高いワインに口をつけた。
「西の国では不思議の時代は終わっても、精霊はそれを認めないんでしょう。きっと伝説を探れば、生贄を捧げていた時代の文書が出てくるでしょうよ」
ミスラさんはそう言って、ブランデーを飲み干した。そしてチョコレートをつまんで、もう一杯と、同じものを頼んだ。私はずっとワインを飲んでいたけれど、酔っ払いはしなかった。母様からの遺伝だと思うが、こういう雰囲気のある飲み屋では、酔っ払った方が可愛いというものだろう、と私は思った。下世話な話だが、私だってミスラさんによく見られたい時があるのだ。たとえば、こういう雰囲気のある店で、手を繋ぎながらお酒を飲んでいる時などは。
「川、見に行きますか?」
「えっ、いいですよ。怖いですし。それに本気で精霊を鎮めるのなら、こちらも準備をしなきゃならないじゃないですか」
その女の人が、氾濫を繰り返し、平穏の代わりに贄を求めた川の主というのが本当なら、私は敵いそうにない。ミスラさんならば、そんなこと気にしないのだろうけれど、私はただ主を殺すのではなく、鎮めてやりたかった。不思議の時代、人々曰く迷信の時代を終えようとしている西の国で、やがて失われるだろう伝説を、鎮めてやりたかった。それに川が枯れかけているというのなら、私にも勝算がある気がした。
「それじゃあ、宿に戻りましょうか。このまま呪文を唱えて魔法舎に戻ってもいいんですが、俺はそういうの、好きじゃないんで」
「え?」
「あなたはいつまで経ってもうぶだな」
ミスラさんが小さく笑って、ブランデーをまた飲み干し、私と絡めた指を軽くくすぐった。そうして手の甲を愛撫して、宿に誘う。
そういえば、私たちは西の国で頻発しているらしい子どもの失踪事件の捜査に出たブラッドリーさんたちが、なかなか結果を出せないので助けに来て、それでもやっぱりなぜ子どもたちが失踪したのかは分からなくて(好事家に連れ去られたのか、ごろつきに娼館に売られたのか、色々と探ったが分からなかった)、今夜はそれぞれ宿に戻ることになったのだった。だから多分、私を宿に誘うなどミスラさんに深い意味はないと思っていたのだけれど、どうやらそうじゃなかったらしい。
私はワインを飲み干し、薄暗い照明の下でミスラさんに口付けた。そうしてその夜、私は彼と朝まで寝床をともにし、痛いくらいくっついて離れなかった。そう、いつもよりずっと深く、深く愛し合ったのだった。
「橋で死体が上がったってよ!」
「また男の死体だ! 女の噂は本当だったんだ!」
翌朝、まだ早い時刻に私を起こしたのは(ミスラさんは一度魔法舎に戻ったのか、窓辺でネロさん特製のマフィンにむしゃぶりついていた)、そんな騒々しい人々のさわぎ声だった。また男の死体ということは、川の主は女の精霊だろうか? 私はそこまで考えて、不思議を追い求めた昨夜の隣客の世迷いごとを思い出していた。それから、ミスラさんが言った、川の主という台詞も。
「起きたんですね、ルチル」
「そうですね、あんなにうるさかったら、寝ちゃいられませんから」
「羨ましいですよ、本当に。俺は夜ずっぱりです」
マフィンのかけらがついた手のひらを舐めて、ミスラさんはため息をついた。私はまた彼を置いて眠ってたのか。昨日は気を失ってしまうくらい強く抱き合ったから、この人も眠れると思ったのに、そうじゃなかったらしい。
「賢者様の元に新しい依頼が来たそうですよ。ちょうどいいから、あの川の主を鎮めてほしいって。でも不思議ですね、どうやらここのところ一週間単位で男が川に引っ張り込まれてて、川は氾濫しないものの、生贄の意味はなさそうです」
「生贄って、そんなに短いスパンで求められるものなんですかね?」
「それか、生贄に川の主が満足していないとか」
ミスラさんが笑って、「あなたが食事を済ませたら行きますか」と言う。その時お腹がぐうっと鳴って、私は顔を赤くしたのだった。
食事を終え、死体が上がった噂の橋に行くと、そこは見物客ですごく混んでいた。警察による今回犠牲になった男の検死は署ですでに行われたらしく、被害者の身元も分かったらしい。ただ聞き込みを続けていると、真っ白いドレスの女を昨夜見た、という証言が複数出た。あたりはやっぱりその噂で騒然としていて、その女が関係するのならば、と私たちはまた出直す羽目になった。でも、ミスラさんは川を見ながら、何かに語りかけているようだった。興味本位でそれを覗き込むと、そこには大きな龍のような魚がいた。ミスラさんはオーエンさんのように動物と話す力を持たない。でも、彼はその魚に何かを語り欠けているように思えた。でも、一体何を?
私はそう疑問に思いつつ、一度宿に戻って、たそがれ時に再び橋に来ましょうというミスラさんの言葉に従った。昨日の隣客の言葉を信じるのならば白い乙女が見られたのは深夜なのに、と思ったけれど、彼なりに考えることがあったのだろう。何も知らない私には、分かりやしないんだろう、多分、きっと。
たそがれ時の川辺の橋には、あたりが飲み屋街ということもあり、人が絶えなかった。カフェーが夜営業に変わり、飲み屋が開き、娼館も開く。そんな時間帯だった。
「ミスラさん、どうしてこんな時間に?」
「精霊と話すには人間と精霊が交わる時間がいいんですよ。まぁ、俺たちは魔法使いだからどうでもいいんですけどね、今回はちょっと厄介なものみたいだから」
「厄介? ミスラさんにはもう見当がついてるんですか?」
「大体はですが。ほら、そろそろ女が見えてきますよ」
ミスラさんが言う。するとそこには、真っ白なドレスを着たつぼみの頃の女の人が立っていた。悲しそうに泣き、川を覗き込んでいる。私は思わず声をかけようとして、ミスラさんに止められた。だめだ、ということだろう。
――
どうしてですか。私は贄を捧げたではないですか。氾濫はよしてください。
――
我がほしいのはあの男ではない。
――
若い男が欲しいとおっしゃったのはあなた様です。ならばほしいのは誰なのです。
――
我がほしいのは
……
川の水面から干からびつつある指が出る。それはふるふると震え、私を指差し、ミスラさんは不愉快そうに眉を吊り上げた。そして呪文を唱えて飛び立つと、腰に手を当てて川面に話しかける。
「あれは俺の約束の人です。お前などにあげるもんですか。それに川の主も落ちぶれましたね。水源が埋め立てられたんだから仕方がないか」
「ミスラさん?」
「あなたが眠っている間、文献を漁ったんですよ。後で話します。
……
かつては尊き川の主よ、ここもじきに暗渠になります。ガス灯の下ではあなたに脅威はないんです。誰もあなたに生贄を捧げなくなる」
――
うるさい! うるさい!
「アルシム」
ミスラさんが指を使って龍のような川を縛る。そしてそれは鱗を剥がれて、ぽちゃん、と川に落ちて沈んでいった。私たちは、というよりミスラさんは大立ち回りを演じたのに、たそがれ時の人々は誰もこちらを見なかった。多分、あの白いドレスの女の人が、結界を張ったのだろう。私たちはそれを通り抜けたってことなのだろう。
――
ありがとうございます。これで私もお役目を終えられます。
「あなたも暗渠に沈む運命ですよ」
――
いいのです。私は贄を選定する役目の巫女でした。今まで、様々な方々を殺しました。今こそ報いを受ける時です。
彼女がそう言うと、白いドレスが、鱗のように剥がれてゆく。そして女の人は川面に落ちてゆく。まるで悲しい物語のようなそれに、私は胸がきゅっとなった。
「こういう任務には、あなたを連れてこない方がいいのか、それとも目の届くところに置いておいた方がいいのか、悩みますね」
「わ、私もお役に立てたじゃないですか。川の主の正体っていうか、指が出てきて
……
」
「所詮贄候補ですけれどね」
ミスラさんがため息をつく。そして仕事は終わりましたよ、と言って、私を昨日の店に誘った。あの店はいいところだった。薄暗くて、キスをしていても女給にしか見えない。客たちはそんな中でそれぞれ楽しむのだ。ミスラさんはそれをしよう、って言っているのだろう。
私はミスラさんに続いて店に行く途中、橋を振り返った。
そこでかつて死んだ人々を覗き込むものは誰もおらず、白いドレスの女の人ももういなかった。子どもの連続失踪事件は解決していないが、川辺の橋の新しい依頼はミスラさんが解決し、終わってしまった。この人にとっては、赤子の腕をひねるより簡単だったのだろう。
「ルチル」
「ちゃ、ちゃんとついて行っています!」
人混みの中で、私はミスラさんを追いかける。
本当にあの川は暗渠になるのだろうか? あの巫女と名乗った女の人は、役目を終えて、命も終えるのだろうか?
この国は今狂乱の中にある。何が起こったって、西の国では不思議ではないのだから、その不思議に私も身をまかしてミスラさんとともにいよう。朝まで、朝を過ぎて夜まで。多くの人々が命を落とした、かつてこの国の川で力を持った主が、忘れ去られてしまうその時まで。
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