【ミスルチ】真夜中の花

夜中にノックが続く、庭園が美しい旧家に謎をときにゆくミスルチのお話です。

 夜中になると、とんとん、と扉を叩く音がするのだという。執事もいないその小さな旧家に眠る主人は、それをベッドの上で静かに聞いている。しかしとんとん、と扉を叩く音がしても、その次の言葉はない。とんとん、という音がするだけで、主人の名前を呼ぶこともない。ということは、急な知らせでもない。盗人が不在かどうか確かめているのかとも思ったが、寂れた旧家には、盗むものなど何もないことくらい、外から見ても分かった。でも、それでも毎夜、とんとん、と音が鳴るのだという。そう、今回の依頼は、その音の正体を確かめてくれ、というものだった。
 
 
「扉の音が鳴るくらい、魔法科学で細工できちゃいそうですけどね、モンスターの類を心配しているんですかね……
 私がそう言って先の東の国の旧家、ルッカー家をミスラさんと一緒に訪ねたのは、夕暮れ時のことだった。旧家らしく依頼の優先順位が高かったようで、私たちはネロさんの夕食も取らず、出かけたわけだったが、ミスラさんはそれが気に入らなかったようだ。というのも、私は水筒に入れて来た紅茶で飢えをどうにかしようとしたのだけれど、ミスラさんは違ったらしく、道端で誰のものともしれない桃の花びらをちぎりながら、もしゃもしゃとサラダみたいに食べていたのだった。
 そろそろ桃の花の季節か、と私は思う。賢者様の世界では、女の子のお祝いをする季節。私たちの世界では、新しい季節がやって来て、子が生まれることを祈る季節。どちらにせよ、豊穣の祝いをする季節というのが共通していて、私はそれが面白かった。
「扉を叩くモンスターですか? 吸血鬼だって挨拶をするのに無粋ですね」
 ミスラさんはそう言って、食べるのに飽きたのか桃の花びらを川に散らした。それは先日急な川を訪れた時とは違いゆらゆらと散らばって、ゆっくりと流れてゆく。
「あ、見えて来ましたよ。ルッカー邸です。旧家っていうだけあって、とっても綺麗ですよ」
「腹が減りました。ルッカー邸には何かありますかね」
「さぁ、どうでしょう。でもお茶菓子くらいは出してくれるんじゃないですかね? こんなに急いで訪ねてるんですから」
 私はこんなことならネロさんにバスケットを作って貰えば良かったと思ったけれど、ミスラさんの食欲を止める何かをあの人が作れるとは思えなかった。満腹中枢がないってくらい、ミスラさんは食事を続けるから、時にはお皿まで食べちゃうから。
 私たちがたどり着いたルッカー邸は、門が開け放たれていた。聞けばここには見事な庭園があり、没落したとはいえ貴族の美しい庭園を見に、多くの人々がやって来て、入園料を渡したり、主人が趣味でやっているらしい押し花を買ったりして、この執事すらいない旧家は運営されているらしい。門の脇にはコインを入れるためのものだろう壺がある。私はそこに心持ち多めに銅貨を入れて、美しい庭園を横目に扉を目指し、そしてノックをした。ノックをして気づいたのだけれど、この庭にも桃の木が生えていて、それはそれは美しく、咲いていたのだった。
「ルチル・フローレスです。賢者様から言づてでこのお屋敷の怪異を鎮めに来ました。ほら、ミスラさんも挨拶を」
「はぁ、ミスラです。とっとと怪しいやつを殺してやるんで、食事をください」
「ミスラさん!」
 私たちがそうやってごちゃごちゃ言っていると、扉がギィ、と音を立てて開いた。そこにいたのは、まだ若い、私とそう歳の変わらない男だった。この人がルッカー邸の主人なのだろうか?
「あぁ、あなたたちが賢者の魔法使いの。私はロジャー・ルッカー。ルッカー家の主人です。どうぞ、何もないところですが、今メイドに食事を用意させますから」
 ミスラさんの瞳が光る。私はそれを少し恥ずかしく思って、でも彼を悩ます怪異を解決せねばと、話を聞いて見ることにした。
「ノックがするだけ、それだけなんですか?」
「はい。メイドに開けさせても、そこには誰もいなくて。私も立ち会ったんですが、やはりイタズラでしょうか? お恥ずかしながら庭を見せて糊口をしのいでいるものですから、子どもたちが遊んでいるのかもしれませんね」
 冷静な人だ。それにしても、ならばどうして私たちを呼んだのだろう? 怖くもないのなら、放っておけばいいのに。そんな私の疑問が彼に伝わったのか、ロジャー・ルッカーは笑って「実はね」と話を続けた。
「実は、私は本当は子どもの仕業だなんて思っちゃいないんです。おばあさまに聞かされた、おとぎ話の妖精の仕業だと思っているんです。それで、どうにかして魔法使いの方に私にも妖精を見られるようにして欲しくて」
「あぁ、そういうお願い事でしたか。ロマンチストな方なんですね」
「妖精なんて、見て楽しいものですかね。悪戯っぽくって、よく俺のサンドイッチを食って行きますよ」
「へぇ、あなたは妖精が見えるんですね。羨ましい限りです」
 ロジャー氏は、ミスラさんに興味を持ったようだった。私はなんというか、話の仲介役にされている気がする。
「では、今回の依頼の本当の内容は妖精が見たい、でいいんですね? ノックをしているのは、恐ろしいモンスターかもしれませんよ」
「ええ、結構です、そのために賢者の魔法使い様を呼んだのですから」
 ロジャー氏は笑って手を上げ、メイドが用意した食事を私たちに振る舞うべく食堂に導いてくれた。この後したことといえば食事と、妖精が邸宅に入って来る時に人間に見えるようあちこちに魔法陣を描いたことと、念の為メイドを家に下がらせたこと、だった。
 拍子抜けするくらい、それは簡単な依頼だった。依頼だったのだけれど、私が見ることになったのは、少し違った面持ちをしていた。
 
 
「オルトニク・セトマオージェ」
 念の為、屋敷全体、庭園全体に魔法陣を描いて、私はロジャー氏に与えられた部屋に入った。するとどういうわけかそこにはミスラさんがいて、彼は紅茶を片手に、冷めたスコーンを齧っていた。もう十二時を過ぎた夜中だというのに、だ。
「夜中の庭園の話、チレッタから聞いたことがあります」
「あぁ、夜中に十三も、時計の音が聞こえる話でしょう? 私も寝物語に聞いたことがありますよ。確か、少年が知らない少女と出会うんですよね」
「さっき、時計の鐘、いくつ鳴ったと思います?」
「え?」
「十三です。ここはもう、不思議の屋敷になっているんですよ」
 ミスラさんは、低く艶やかな声でそう言った。私は驚き、窓から庭園を見回す。するとそこにはもうこの世にはいないであろう、古い格式ばったドレス姿の婦人たちや、彼女らをエスコートする紳士たちがいた。
「あそこを見てください。ロジャー氏が、女と語り合っている」
 ミスラさんが指差した方向を窓から覗くと、そこには桃の木の下で語り合うロジャー氏と、誰がさしたのだろう、桃の花を髪に結んだ美しい貴婦人がいた。二人は手を取り合い笑い合って、楽しそうに時を過ごしている。
 私は妖精を呼び出す魔法陣を描いたのだけれど、窓から覗く人々の影はそれとは思えなかった。まるで母様がいつか話してくれた物語の、混ざり合う時の物語のような、そんな感じがした。私が過去を蘇らせ、それを私たちが見ている気がした。
「あぁ、あれは温室でしょうか。これ以上追いかけるのは不躾かな。……ルチル」
「え?」
 ミスラさんの手が、私の頬に添えられる。そうしてその手のひらは私の服をはぎ、丁寧にキスを落としてゆく。ミスラさんはその乱暴な戦法とは違い、セックスはいつだって丁寧だった。私が嫌がることなんて一つもしなくて、彼が快感を得ていることが不思議なくらい、私ばかりが翻弄された。
「ミスラさん、あ、あ……
「ルチル……
 桃の淡い花びらが、窓に貼り付く。それはカーテンのように私たちを隠したので、私たちは、誰からも隠れて、静かに交わり合った。
 
 
 翌朝目を覚ますと、隣にはミスラさんはいなかった。どうしてだろうと思って窓を眺めると、そこからは昨日あったはずの桃の木が大きく折れ、花びらを散らしていた。
「あぁ、そんな……
 私は急いで服を着込み、邸宅から出た。そこには肩を落とすロジャー氏がいて、それを遠巻きに見るミスラさんがいた。
「ロジャーさん、大丈夫ですか? 桃の木が折れてしまったんですね。こうなっては魔法で直すしかないな……
 私は心からの善意でそう言った。けれどロジャー氏は首を振って、「いいんです」と言う。そして「メイドが帰ってきました。朝食にしましょう」と言ったのだった。
 朝食の席でも、ロジャー氏は世間話をするだけで、昨日何を見たのかは話さなかった。昨日の貴婦人と温室で何をしたのかも、彼は話さなかった。そうして私たちは邸宅から送り出され、庭園を見るためにやってきた物見遊山の人々とすれ違い、魔法舎に戻った。もやもやしてしょうがなかったからミスラさんの魔法ではなく、箒に乗って魔法舎に戻った。
「結局妖精は見られたんですかね?」
「あなた、昨日見たものを忘れたんですか?」
「いや、忘れてはいないですけれど、あの女の人は誰だったのか、そこらへんが分からなくてもやもやして……
「別に誰でもいいと思いますが、あれは桃の精ですよ。妖精です。あなたが昨日見たのは全部妖精。花々の妖精です」
 ミスラさんはロジャー氏が持たせてくれたお土産のクッキーを齧り、そう言った。
「じゃあ桃の花が折れたのは……ノックが続いていたのは」
「最後に手入れをしてくれた挨拶がしたかったんでしょう。果たして、温室でどんな挨拶をしたのかは、俺にはわかりませんがね」
 ちょっと悪戯っぽく、色っぽく、ミスラさんは言った。舌でぺろりと唇を舐め、私に近づいてきたかと思うと、唇をそっとくっつけて。
「や、やっぱりそういう、挨拶、だったんでしょうか……
 私は顔を真っ赤にして、ミスラさんに尋ねた。でもミスラさんは笑うばかりで何も言わず、どんどんと先に進んでしまう。
 毎夜続いたノック、それでも見えなかった桃の妖精は、私の魔法でロジャー氏も出会うことが出来た。でも、私の魔法のせいだけじゃないのは、あの十三個の時計の音で分かりきっている。奇跡を起こせるのは魔法使いだけじゃない、精霊も、時には人間も、私たちに奇跡をもたらすのだ。
「ミスラさん、全部食べちゃだめですよ、ミスラさーん!」
 私は箒をぐんと進めて、ミスラさんの背を負う。その時どこからか桃の花びらが飛んできて、私の頬をかすめたけれど、きっとそれに、大した理由はなかったのだろう。誰かが愛し合うことに理由なんてないみたいに、花びらが飛ぶ理由はなかったのだろう。