和綺
2024-02-19 19:50:06
4259文字
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蒼天日和(五歌)

※単行本未収録ネタを含みます。

それはよく尋ねられることだった。
歌姫は嘘が苦手だけれど、それについては、淀みなく答えることができる。
「付き合うわけないでしょ。あんなやつと」
これが、ただの事実であるからだ。
からころとグラスに残った氷を回しながら、歌姫はゆるやかにアルコールを含んだ。ざわざわと騒がしい会も終盤に差し掛かり、皆のペースもゆったりとしたものに変わっている。
「もう~ほんと皆なんなの。それ、思い出したように聞くわよね?」
「否定されてそっか~ってそのときは思うんですけど、そのあとお二人が一緒にいるのを見ると、あれ、聞き間違ったかな、って思うんですよね」
「もしくは、あのあと付き合いだしたのかなって思います」
向かい側の若い補助監督たちから、口々に言われて、歌姫は苦虫を嚙み潰した。
「一言一句! 聞き間違えて! ない!」
だんっ! とグラスをテーブルに叩きつけた歌姫に隣で別の話題に興じていた若い術師が驚いた顔をしている。
「ただ単純に、おもしろそーな話題がなくなったら引っ張り出してるだけでしょ」
「そんな~ひねくれないでくださいよ、歌姫せんせ~」


「愛してるよ、歌姫」
特級呪術師、現代最強、いい顔、いい頭、いい声と三拍子揃っている極上の存在である五条悟の告白に、準一級呪術師で、教師で、守られる弱い花で、五条の先輩である庵歌姫は、しかめっ面で応えた。
「告白されてそんな顔することある?」
おかしそうに笑う五条をにらんだ歌姫は、顔を赤らめることもなく、腕を組んでため息をついた。
「こんなときに、こんなとこでそんなこと言うあんたに呆れてるの」
くくく、と笑った五条はうつむいて落ちた前髪を首を振ってはらって、でも本当だよ、と呟く。
「だから、余計たちが悪いのよ」
「歌姫は? 好きでしょ、僕のこと」
「嫌いよ」
「えぇ、嘘ぉ」
「今まで言ったことなかったけどね。あんたのことは、割と、まじで、嫌い」
「もう、素直じゃないんだから」
「あんたに言われたくない」
「素直じゃん」
「嘘つけ」
「疑ってる?」
五条が首を傾げると、歌姫の顔はますます不機嫌に寄ったので、五条はぶくく、と吹き出した。
「脈ありだ」
「単純」
無辜の空間に吹く風は冷たく、白く、静かで、寂しい。
「こんなときだから言ったんだよ」
「こんなときじゃないと言えなかったんでしょ」
……そう思う?」
「思うわ」
「こんなことにならなかったら、言わなかったかもね」
「聞かずに済むならそれがよかったわ」
「ね、好きだよ。ほんとに」
繰り返す五条を、歌姫はじっと見つめたあとで、口を開く。
「あんたは、出会ってから、ずっと今まで、くそ生意気なガキのままよ」
「キスくらいしとく?」
「するわけないでしょ」
「後悔するかもよ」
「しない」
しないわ、ときっぱり言い切るその瞳を、五条は愛しく、まぶしく見つめて、ひどく満足げに笑った。

頬杖をついた歌姫は、手からぶら下げたグラスをぷらぷらと揺らして、まだぶつくさと文句を言っている。
「ほんとにどいつもこいつも、毎回毎回……そもそもいったいどこをどう見たら、あいつと私がそういうことになるのよ」
その言葉に、若い補助監督のふたりは、お互いの顔を見合った。
「なんだろ、なんか、雰囲気?」
「うんうん、いつもは近寄りがたい五条さんが、すごく柔らかいっていうか気安いっていうか」
「近寄りがたいっ!?」
とんでもないことを聞いた、というように歌姫の声がひっくり返る。歌姫にとっては、昔も今も、ただのくそ生意気な後輩で、四六時中べらべらと余計なことばかり話し、事務処理は部下に押し付け、ひとのコンプレックスをぐさぐさと突き刺してはげらげらと笑いだすようなノンデリカシー男である。
「ただうるさいだけよ、あんなの」
「だって、普段は全然しゃべらないじゃないですか」
「はぁ?」
ごくりとグラスを呷った歌姫が、鼻に皺を寄せる。
「口から生まれたような男よ? あいつといて沈黙が落ちたことなんて数えるほどしかないんだけど」
ねーねー、歌姫、ねーってば、ちょっと無視しないでよ、それでも教師? 手本となる教師がお返事もできないだなんて幻滅なんだけど。あ、ちょっと悠仁ー聞いてよー。
ちょっと記憶を探るだけでもこれである。歌姫が一言発しようものなら、五倍十倍と言葉の雨を降り注ぐような男なのだ。
「なんていうか、もちろん無視されたりはないんですけど、やっぱり任務のことだったり、生徒さんのことだったりとかを一言二言くらいで、親しくお話できる感じじゃないんですって」
……一体誰の話をしてるの?」
真剣に聞いた歌姫の問いは、冗談だと思われたのか大きな声で笑い飛ばされてしまう。いやいや、こちとら骨の髄まで真面目に聞いてんだ、こら。
「やっぱりオーラというか圧がすごいんですよ。私たち程度じゃ全然敵わないです」
「ふーん……ねぇ、私も級持ちの呪術師なんだけど、どう?」
「どうって?」
「なんかあるでしょー! そういうオーラとか雰囲気とか神秘的なそれが!」
「えぇ……ないない、ないですよ、歌姫先生はめちゃくちゃ私たち寄りって感じがします」
「うんうん、いつもそばにいてくれてありがとうございます」
にこにこと微笑まれて、ケッと悪態をついた歌姫が、ぷいっと顔を背ける。
その耳が赤く染まっているのを、きっと本人だけが気づいていない。


びゅうびゅうと吹く風に乗って、歌姫の黒い髪がばたばたとめくれている。術式に必要だからと手入れを欠かさず、呪力で丁寧に丁寧に梳られた美しい髪だ。
そこから覗く赤く色づいている耳を、五条はただ見ている。表情はいつも通り落ち着いた風を装っているけれど、わずかな高揚がそこにはある。
五条もそうだが、歌姫もフルチャージの完全な術式を繰り出すのは初めてなのだ。相手にとって不足なし、自らの力を手加減なく放てるのは、ありとあらゆる術師の悲願だろう。
それでもそこに自身が告げた思いを乗せてみてしまうのは、それが五条の望みだからなのかもしれない。
そうだったらいいな、なんて、ないものねだりみたいだ。
「私は、」
……うん?」
ぼんやりしていた。見とれていたのかもしれない。伏せた目に落ちる黒髪も、高く結われたリボンも、細い手首にはめられた鈴も、地を踏みしめる素足も、頭のてっぺんからつま先まで、すべて、今日、これからの瞬間の五条のためだけにあつらえられたものだ。今日だけ、今だけ、きっと五条のものだと堂々と胸を張れる。すべてを手にして、けれど、ひとつも手に入れられなかった自分だけのものが歌姫だったことが嬉しい。その術式が生まれてくれてよかった。その術式を君が持ってくれてよかった。
昔、親友に似たようなことを聞かれたけれど、歌姫だからこそ、その術式なのだろうと素直に思える。
「あんたのことは、それはまぁ、割と、まじで、嫌いだけど」
「はいはい、それはもう聞いたよ」
「それでも、あんたのその目はきれいだと思ってた」
……へー?」
少し意外に思って、歌姫の顔を見ると、歌姫も五条を見ていた。まっすぐ、けれど少し困ったように笑って、五条を見ている。多分、初めて見る表情だ。
……泣いてる?」
……泣かないわ」
「泣き虫のくせに」
「うるさい、嘘つきのくせに」
「えぇ?」
突如降って湧いた言いがかりに、五条は思わず吹き出した。こうして昔から理不尽なところがあるひとなのだ。それでも、と続く。
「ここにこうして、他でもないあんたのために、私が立っていられることを、心から誇りに思うわ」
……うん」
そうだね、そうだ。僕たちはそういう世界で生きていて、そういうことを是として、そういうことを主軸としている。
戦いの中でしか生きられないのは、君だってそうだ。力を生かすことを喜びとしているのは、君だって同じだ。
死地のなかで、生きるために咲くきれいな花だ。
「はは、やっぱりイカれてるね、歌姫も」
ああ、だけど。
たったひとつ。青い空の下、君のそばで眠れればそれでよかったんだよってそんなことを思ったりもしたんだ。


「は~、昼間っから飲む酒は最高ね~」
「ちょっと、歌姫先生、それって罰当たりますよ~」
「うるさいわね。当てるもんなら当ててみろっての。祓ってやる」
「呪いじゃないんだから。っていうか、やっぱり罰も特級クラスなんですかね」
「なんか天変地異とか起きそう……
「はっ、そんなわけないでしょ。どうせ今頃あっちでよろしくやってんのよ」
かつんとグラスを置いた歌姫が、テーブルに両肘をつく。自分の両手に顎を乗せて、目を閉じると、ぐらぐらと頭が揺れた。
「あ、先生、そんなとこで寝ないでくださいよ」
「寝ないわよぉ。まだ飲むんだから」
「でも、もうそろそろお開きっぽいですよ」
「えぇ……まだ飲みたかったのに」
「夜行けばいいじゃないですか」
「そうねぇ……
ぱちりと目を開けた歌姫が、ざっくばらんな雰囲気の店内を見回す。知っている顔ばかりだけれど、あの日、あのときの戦いを知っている者はいない。それでも、皆が労り、思い出し、こうして集まる席が歌姫の顔をほころばせる。
「ね、先生」
「ん?」
「寂しいですか?」
「そうねぇ……
同じ言葉を少し間延びさせて繰り返しながら、歌姫は、思い出す。本当に嫌いだったのに、今でもそうだと言えるのに、思い出はいつだって誰だって美しいのだから、ずるくて悔しくて、腹が立つ。
「むかつくわね」
きっぱりと答えると、若い補助監督たちは、また顔を見合わせて笑う。
「そんなこと言えるの、歌姫先生だけですよ」
「だって私は、あいつの先輩だもの」
そうだ、だから、きっとあの男が、歌姫に告げた言葉は適切ではなかった。
好きだよじゃなくて、愛しているでもなくて、あんたが私に、私たちに言うべきことは、寂しいよ、だったのよ。
「ほんと、馬鹿で我儘で、むかつくくらい強い男だったわ」
目を閉じる。いつ何時思い出しても、うるさく、厚かましく、やたらと大きくて、腹立たしい。
だけど、青い空がそこにあるなら、一度くらい、あんたのそばで眠ってみてもよかったかもしれない。
その程度には自分は優しいのだ、と歌姫は薄く笑って、ふ、と意識が溶けて、なのにすぐに起こされた。散会だ。


本日、五条悟の三回忌も、それはそれは青くよく晴れた空の下で無事に執り行われた。