暦の上ではとうに春ではあるが、先週までは外套ををきっちり着込んでも尚寒さに身を震わせていたはずだ。しかし今日のこの陽気はいかがなものだろうか。
「あつい……」
正岡がぽつりと漏らしてジャケットを脱ぐ。コートは端から着ておらず、その下は半袖のシャツ一枚である。もはや夏の装いではないか、と夏目は少し眉を顰めたが、この時期にあわない陽気なのは確かでタイを少し緩めた。
「森さんは暑くないんですか」
「多少温かではあるが、流石に暑いまでとはいかないな」
少し襟元を緩めているが、森は上着を脱ぐ程ではないようだ。こちらが正しい反応であろう、とぱたぱたと手で顔を扇ぐ正岡に夏目はわかりやすく嘆息をする。
「君、暑がりにも程があるんじゃないかい。走り回っていた訳でもないのに」
「あー、待ち合わせ前にちょっと素振りしたな……」
「それが原因じゃないか」
「正岡殿……」
あはははは、と乾いた笑いをする正岡に思わず森と顔を見合わせてしまった。以前の、病で寝たきりになった姿とはまったく真逆の行動はそれはそれで心配になってしまうが、彼の弟子達が「元気なのぼさん……」と時折感慨深く口にすることを思えばこちらのがずっと良いのだろう。それに巻き込んでくるのは些か閉口するが。
「でもちゃんと待ち合わせには間に合ってるから」
「それは当たり前だよ」
ぴしゃり、と言い返せば耐えられなくなったのか森が吹き出し、肩を振るわせている。珍しい姿に唖然とすれば、目元を拭った森がまあまあ、と夏目のことを宥める。
「今日は俺の祝いなんだからそのくらいにしてもらおう」
「はい……」
「そうですね……」
森の誕生日当日は館内で催される誕生日会という名のケーキの振る舞いがあったので、こうして日を改めて三人で出掛けようということになったのだ。目的地は近所のタルトが評判の喫茶店で、当代の衛生管理を知り生ものもある程度は食べられるようになった森であるが、やはり煮炊きされたものの方が好きということで決まった店である。コンポートがたっぷりと乗ったという果物のタルトはきっと気に入るだろう、というのは流行に敏感な、森の手伝いをよくしてくれるうちの一人の言だ。なお先日の夏目の際は和洋折衷の羊羹を供する店へと向かい、十月と一人誕生日が離れている正岡はまだ未定である。
「それにしても良い天気だな」
「そうですね」
「一句詠みたくなるなあ」
「ならば、詠みながらいくか」
いつもの正岡の戯れ言に森がそう返したのに、待ってました、とばかりに正岡の鞄から取り出されたのは句帖である。何故持ち歩いているのか、と問うのはナンセンスだ。ベースボールをする際も持って行っていることを夏目はよく知っている。しかしまさか森が乗るとは思っていなかったのだ。
「予約の時間に間に合わなくなっても知らないよ」
「大丈夫大丈夫、批評は店でやるから」
「それは帰ってきてからでもよいか……?」
森が弱気なのは先日の句会で正岡たちに散々酷評されていたからだろう。今度は夏目がくすりと笑い、正岡の肩を叩いて彼を諦めさせる。折角のタルトが不味くなることは夏目だって避けたい。
「代わりにいくつか持って帰って図書館で食べながらやりましょう」
「そうだな!」
気の早い梅の蕾がいくつか綻んでいる。それを揺らす風は温かで、鳥たちがくるりと旋回している。早春の句のタネはいくつも道すがらありそうだ。さて、どんな句を作ろうか。夏目は早速句帖に書き付ける友と、顎に手を当てて考える友を見ながら一句詠むのだった。
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