kaede
2024-02-18 13:01:26
5567文字
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一彩くんにバレンタインチョコあげようとしたら、もうもらった、って言われる燐音くんの話

燐一です

 昔から物欲の薄い子だとは思ってはいたが。

……え? 兄さんからのバレンタインチョコはもう、もらってるよね?」

 俺のベッドに腰掛けて、もらい物のダイオウ何ちゃらとかいうぬいぐるみをいじっていた一彩があっけらかんと言う。……今度、かわいいくまさんかうさぎさんのぬいぐるみでも買ってくるか……じゃなくて。
 そりゃ、確かにチョコはやったけどよ。
 まさか数日前、廊下でちょっとすれ違っただけの時にやったパチンコの景品で満足するとか、さすがのお兄ちゃんだって予想外だっつの。
 見てみろ俺の右手を。お前のために用意しといた、まあまあ高級なチョコが泣いてるだろ。
「あのなァ、弟くん」
「ウム?」
 勢い任せに一彩の隣に腰を下ろした俺の真意なんて、こいつは何一つ理解してないんだろう。反動で揺れた一彩の身体が俺に最大限近づいたところで、ぎゅうと肩を抱き寄せた。
「そんなに俺っちのこと、薄情な人間だと思ってンのか? お兄ちゃん悲しいぜェ〜」
「え? 兄さんはとても優しくて思いやりがあって、僕をとても愛してくれる人だよ?」

 コントか?

 俺があからさまに呆れた顔をしてみせても、一彩は怯みもしなければ訝しがりもせず、百点満点の回答ができて満足です、とでも言いたげな朗らかな顔をしている。つまり、俺の皮肉を何一つ、わかっていない。そりゃそうだ。この子は昔からそういう子だ。言葉を言葉通りに受け取る。相手の言葉の裏にある感情を読まない。他人の心情を好き勝手に推し量ることを無礼だと捉えている。自分の気持ちひとつも正直に表明できない人間の感情を正しく察することなんて不可能だと知っている。わかってたことだろ、天城燐音。
 一彩は今も昔も純粋で、変わらず俺を愛してくれる良い子だってことくらい。
 はいはいお兄ちゃんの負けですよ。
「ほらよ」
 と差し出した、箔押し……って言うのか? 見るからに凝ったギラギラの装飾が施してある箱を見た一彩は、思考停止……というよりは今も考えている最中なんだろう。そういう顔をして、俺を見上げた。
「兄さん、これは?」
「かわいい弟くんに、お兄ちゃんからのプレゼントに決まってンだろ」
……誕生日、はもう過ぎたし、プレゼントももらっているよね……
 そこで、俺が一ヶ月ちょい前に贈ったもののことでも思い出したのか、くすぐったそうに笑うのはズルいだろ。いや、言葉の文だから、何もズルくねェけど。
 あんまかわいいことばっかしてると、お兄ちゃん、頭がおかしくなって何をしでかすかわかんねェぞ。
「僕がプレゼントをもらえるような、何か特別なことなんてあったかな」
「俺は特別なことなんてなくても、贈りてェって思ったら贈るけどな。……ってそうじゃなくて、さすがに話の流れでわかるだろ。賢い賢い一彩くん」
 ていうかそもそもお前がこの部屋に来た時に言ったよな。
 お兄ちゃんからかわいい弟くんにバレンタインのチョコをやるぜェ、ってよ。
 お前は、もうもらった、ってにべもなく一蹴したけどよ。
 結構気負ってた、っつーか、改まって言うのはまあまあ照れくさかったんだぞ。
……バレンタインのチョコレート、かな」
「せいかーい」
 無事正解を導き出せた一彩に俺が笑うと、一彩も笑う。最初は戸惑っているような笑い方だった。多分、理解が追いついていなかったからだろう。本当はとっくにわかってたくせに、自分とは関わりのないことだ、と選択肢から外してしまっていた解答が、突然自分のものになったわけだから。けれど受け取った箱を眺める時間が増えていくにつれて、じわりと喜びが滲み出したような笑顔になって、最後にはくすぐったそうに微笑む。
……ありがとう、兄さん」
 あー……おう。
 そんな顔するのはズルいだろ。
 お兄ちゃん、何をしでかすがわかんねェぞ。
 幼い頃の丸い面影がほんのり残っている頬にキスすると、一彩は抱えきれなくなった幸せをキラキラした光に変えて、俺に振り撒く。
 俺の贔屓目を差し引いたって、誰がどう見たって、兄さんに愛されて僕はとても幸せです、と言っているようにしか見えない顔をして。
 だから、言ってやった。
「お兄ちゃんに愛されてる自覚があるならよォ、あんな駄菓子ひとつで満足してねェで、もっと欲張れよ。良い子すぎンだろ」
 それじゃまるで、俺の愛は駄菓子レベルとみなされてるみてェだろ。いや、お前がそんなふうには思ってないことくらい、わかってるけどよ。でもこれじゃあんまりにも俺の愛が一方通行みてェじゃねェか。
 そんな俺の虚しさやら寂しさやらには当然気づくはずもない一彩はあいも変わらず、キラキラを俺に振り撒き続ける。
「僕にはもう兄さんがいるのに、これ以上欲張ったらばちが当たってしまうよ」
 んだよその惚気は。
 ズルいだろ。
 キラキラは全部自分の中にしまっておけるようにしろ。
 俺からの愛を受け取るキャパをもっと増やせ。
 じゃないと、

 いつまで経ってもお前からもらった以上の愛を返せないだろ。

「あー……おめェはズルいよなァ……
「そうだね」
「は?」
 意味が通るわけのない俺の勝手な言い分に予想外の同意が返ってくるから、つい、間の抜けた声を上げてしまう。
 一彩は少し困ったような……ばつの悪さを笑って誤魔化しているような、そんな複雑な顔をしていた。珍しく。
「僕は兄さんが思うほど良い子ではないから」
 これは聞き捨てならない。いったいどんな悪い子だってんだ。
 まさかゴミを分別せずに捨てた、とかか?
 ていうかその程度は別に、良い子でもやるだろ……やらねェか。
 気づくと居住いを正していた俺に、一彩が小ぶりの紙袋を差し出す。
「これ、兄さんに。僕からのバレンタインのチョコレート」
 やっと、くれたなァ。
 内心ほっとする。
 お前が隠しもしないでぶら下げてきた、誰が見たってバレンタイン仕様のその袋のことを、俺が何も気にしてないとでも思ってたのか? いつくれるんだ? もしかして忘れてるのか? それとなくこっちから訊くべきなのか? ……まさか誰かからもらったものを見せびらかしてるとかじゃねェよな。
 とか。
 俺がいろいろ考えたことなんて、お前は想像もしてないんだろうな。
「ありがとな」
 嬉しさを正直に表に出す。隠す必要なんてないからな。
 ウム、といつもの短い相槌を返した一彩はまだ、申し訳なさそうな顔をしていた。
「ンだよ。しけた面して」
 言外に、言いたいことがあるなら言え、と促す。最後に昔の俺に近い笑い方をしたおかげか、一彩はちゃんとそれを、雑言ではなく後押しと捉えてくれたようだった。
「本当は、お酒が入ってるチョコの方が兄さんは喜ぶってわかってるのに、違うものを用意してしまったから」
 それだけ?
 たったそれだけのことで、ごめんなさい、とまっさらな心で謝る人間のどこが悪い子なんだ。
「わっ」
 かわいい弟の声が跳ねる。俺が突然、遠慮なしに頭を撫でたから驚いたらしい。
 こういう時、何でお兄ちゃんって生き物は弟の頭を撫でちまうんだろうな。
 多分、愛おしくて仕方ない、っていう気持ちをどうにか落ち着かせたいからだ。多分。異論は認める。
 一彩は俺の手を鬱陶しがることもなく、むしろ嬉しそうに頬を緩ませていて、こいつのためなら俺は死ねるなァ、なんてことを漠然と思った。いやまァ、よっぽどのことでもない限り死ぬ気はねェけど。死んだら二度と一彩とイチャイチャできなくなるだろ。
「俺はお前がくれるもんならなんだって嬉しいけどな」
 さすがに噛んだあとのガム並のゴミは困るが。そういう趣味はない。
「それならいいんだけど」
「良くねェだろ」
……良いのか悪いのか、どっちなのかな」
 良いと言われた端から意見を翻された一彩の表情が困惑に染まる。
 まァ、そうなるわな。これは俺でも説明不足だとは思う。賢いお前なら放っておいてもそのうち気づくだろうが。
 だが今はそんなことに限りある時間を使うべきじゃねェ。
「お前がくれるものならなんだって嬉しいのは本当なんだけどよ。『兄さんが思うほど良い子ではない』は、どこにかかってンだ」
 俺がスルーしたらこれ幸いとお前もスルーする気だったろ。
 良い子のお前の『悪い子』なところなんて、そんな興味しか湧かない話を俺が見逃すと思うか?
 俺がじっと見つめると……普段はあまりしない、多分一彩が好きな表情を意図的につくって優しく微笑みかけると、一彩はそれでもう、降参する気になったらしい。目を伏せたり上目で俺を見たり、といった動作を何度か繰り返して俺の急所を確実に狙うという(無自覚の)反撃に出てから、ぽろぽろと言葉をこぼした。
……僕は未成年だからお酒を使ったお菓子は食べられないけど、そうではないものなら食べられるから」
 ははァ……
 こりゃまた随分かわいらしい『悪い子』なこって。
 袋の中身を取り出すと、小さな箱の中に一口サイズのチョコレートが六つ、入っていた。この時期になると店でもテレビでも雑誌でもよく見るようになる、見るからにちょっといい感じのやつだ。
 なるほどこれなら子供でも問題なく食べられる。
 もちろん、良い子でも悪い子でも。
 つまり、だ。
「つまり、俺っちに食べさせてほしい、っつーことかァ?」
「いや、一緒に食べられたらいいなって思っただけで、そこまでのことは」
「遠慮すンなって」
 似たようなもんだろ。
 つーかよ。
 慎ましすぎるとはいえ、お前の中にちゃんと欲があったことが、お兄ちゃん嬉しくて仕方ないっつーの。
 こりゃ全力で応えてやるしかないっしょ。
「それにやっぱりそれはもう兄さんのものだから、僕がいただくわけには」
 一彩は俺に乗せられて本心を白状する羽目になってしまったのが今さら恥ずかしくでもなってしまったのか、必死に俺を説き伏せようとしていたが。
「俺っちのものなんだから、どうするかを決める権利は俺っちにあるよなァ」
 説き伏せたいなら簡単に奪われちまう理屈は使うなっつの。
 ぐっと押し黙ってしまったあたり、切り返すための手札の用意はなかったんだろう。そりゃそうだろうな。俺に口で勝ちたいなら十手は先を読まねェと。
「っつーことでェ」
 箱の中から、ツヤツヤした赤いハートを選んで、口に咥える。 
「ん」
 一彩に向かって突き出すと、一彩は一瞬戸惑ったあと、観念するように肩の力を抜いてそろそろと手を伸ばした。
……いただきます」
「ちげェよ」
 その手を掴んで、ことさら意識的に指と指を絡ませる。そんな、舐め回すような触り方をされればふわふわ天然ちゃんでもさすがに察しはつくらしい。普段はびくともしない頬がみるみる赤く溶けていく。
 こんな触り方をするのは、お前とやらしーことする時くらいだもんな。
 声を出すために一度口から離した赤い心臓を、今度は。
「んう」
 一彩の口に押し付ける。そして間髪入れずにそれごと、一彩の唇を塞いだ。当然、俺の唇で。
 強引にチョコを押し込まれたせいで、一彩が時折こぼす吐息は酷く、甘ったるい。
 いや、本当にそれだけが理由か?
「にいひゃ……まぁっ……
 ちょっと待ってほしい、とか。そんなことを言いたかったのだろうが、息継ぎさせるために少し離れた俺に追い縋るように舌を伸ばしてちゃ、説得力がないんだよなァ。
 チョコはとっくにお前の赤い心臓の一部になっちまってるのに。

 もうおしまい、と背中をとんとん軽く叩くとやっと、一彩が離れる。いくらか、名残惜しげに。
 とろんとした瞳で俺を見つめるその青い海に溺れたのは一彩だったのか、俺だったのか。

……もっと食ってもいいか?」
「もちろん。それはもう兄さんのものだから。僕は、その、一つ一緒に食べられたから、もう満足だよ」
 こういう食べ方は想定してなかったけど。
 そう言って一彩が、もぎたての果実のように瑞々しくはにかむ。
 物欲しそうな目で俺を見上げてくるくせに、肝心なことは何一つわかっていない顔で。
 
「意味わかってねェだろ」
 呆れまじりに笑うしかない俺を見ても、一彩は今ひとつどころか、二つ三つ、全部わかってない顔をして、そのくせ、兄さん大好きのオーラは隠しもせず、かわいらしく笑うだけだ。
 あァそうだよな。お前にははっきり言わないと伝わらねェもんな。
 お兄ちゃんが間違ってたわ。

「お前を食ってもいいか? って訊いてンの」

 いつの間にか離れていた手をもう一度つないで、指を絡ませて、その指先にキスをして、欲を隠しもしない目で見つめて、はっきりと言う。
 
 ここまですればさすがに、わかるだろ。
 
 一彩が短く息を飲む。そして、それがスイッチだったかのように、次の瞬間にはもう。

……もちろん。僕はもう、兄さんのものだから」

 抱かれる男の目をして俺を見つめていた。

 つないだ手を軽く引いただけで、一彩がしなだれかかってくる。まるで、自分の命をすっかり俺に預けているように。
 兄さんのもの、なんて。そういう言い方はまるで一彩が俺の所有物みたいであまり好かないが。
 まァ、そっちがそう言うならこっちも、こう返すまでだ。

「俺も、お前のもんだからな」

 だからもっと、欲しがっていいんだ。


 はっきりと声に出して伝えると、一彩は少し驚いた素振りを見せたあと。
 俺にぎゅうと張り付きながら吐息混じりにぼそぼそ呟いて、一瞬で俺の心臓を赤くした。

 おうよ、たくさん愛してやるから任せとけ。