憂依
2024-02-17 22:50:09
8484文字
Public 供養シリーズ
 

供養:『奇跡の刀剣』設定(黒バス×とうらぶクロスオーバー的な)

刀剣乱舞でキセキが刀剣男士だったら、みたいな妄想の産物。のキャラ設定。のかきかけ。
個人的には黛さんが真打で黒子は黛さんの影打ちっていう設定は気に入ってる。途中で力尽きて無冠にまで手が回ってないのが分かるな私。

『奇跡五剣』
江戸時代中期に書かれたとされる書。
とある貧しい旅の剣士が、黒子影打という刀を手に入れたところから始まる伝記小説。
戦国時代の最中、戦場跡から捨てられた一振りの刀を拾った旅の剣士。その刀は余り切れぬなまくらであったが、なんでもいいから刀が欲しかった男はそのなまくらを使い続けていた。
ある日、剣士は盗賊に襲われているところを一人の武士に助けられる。無双青峰という刀を持つその武士と意気投合した剣士は、彼の口利きで将軍家の家臣団に入ることになる。
そこで、将軍足利義満の提案で忍者として仕えることになった剣士は、忍者として影から家臣団をサポートすることとなった。
家臣団には五振りの優れた刀を持つものがあり、

とある刀好きで知られた城主が「我を納得させるほどの名刀を持って来たものには褒美を取らせる」として城下や近隣諸国から刀を集めさせた。
その際、ある一人の商人が「これ以上ないという刀を五口揃えました」として、鉄心、悪童子切、雷獣剣、夜叉丸、剛腕の五振りを持ってきた。
褒美を与えられるのはその商人かとされたが、そののち、貧しい身なりの男が同じく五振りの刀を持参してきた。
その身なりの汚さから兵たちはどうせたいしたことない刀だろうと男を追い払おうとしたが、城主は男の自信に感心し、刀を見せるよう告げた。
すると、男が持って来たのは世に二つとないと称されてもおかしくない名刀ばかりであり、褒美は男に与えられることとなった。
『これ以上なき刀が五口も揃うとは、正に奇跡の如しなり』と言われたことから、その剣は『奇跡五剣』と語られるようになる。
なお、その際男はもう一振り城主に刀を差し出したが、その刀は城主のお眼鏡にかなわず受け取りを断られてしまったという。
しかし、いざ城主が男に褒美を与えようとしたところ、男の姿は既になく、男のいた場所には五振りの刀と「光の如き偉大なる刀五振り集めれど、影の如き刀に価値を求めざるならば、いずれ破滅の道を辿るなり」とのみ書かれた文が残っていた。
その後、その刀を持った城主はあらゆる戦に常勝無敗となったが、ある日の夜、奇跡五剣の一振、無双青峰により心臓を一刺しにされ死んでいた姿が見つかった。壁には「光は影なくとも存在する」「されど、影は光なくては存在せず」と血文字で書かれていたという。
これは男から六本目の刀を受け取らなかったことによる五本の刀の祟りだと怖れられ、六本目の刀と共に男を探すも行方は用として知れず、加えて城主を失ったことで城は他国から攻め落とされた。その際、奇跡五剣も散り散りになってしまったという。
その後、奇跡五剣はその美しさもさることながら、手にしたものに必ず勝利をもたらすとされる噂が流れ、数々の刀剣愛好家たちの間で親しまれるようになったが、五本の刀を集めようとした者はいなかったとか。
以上が書の内容であるが、この書物は長年創作とされていたところ、近年の研究によって実話を書いたものではないかという話がでており、議論がなされている。
また、作中で奇跡五剣とされている赤司帝光、国士無双青峰、紫原切、黄瀬川鞍馬、




黄瀬川鞍馬
打刀 
刀派:不明
平安時代、富士川の戦いにて源義経が源頼朝のもとに駆け付けた際に、鞍馬山の天狗から授かった刀を兄頼朝に献上したとされる刀。
黄瀬川鞍馬の名は、義経と頼朝の兄弟が対面した場所が黄瀬川であったことと、鞍馬山の天狗がうったとされることに由来する。
この刀にはさらに曰くがあり、源平合戦後、義経が頼朝に追われた際に頼朝が義経から献上されたこの刀を処分しようと部下に折るよう命じたところ、その刀は鎌倉殿の手により蔵から持ち出された後であると告げられる。当然、そんなことに覚えのない頼朝は部下を使って刀を探させるも見つからず、代わりに蔵の中には「鞍馬天狗」とのみ書かれた紙が残されていたという。
これについては、自身が鍛えた刀を折られることを恐れた鞍馬天狗が頼朝に化けて刀を持ち出したという説と、天狗に鍛えられた妖刀自身が頼朝の姿に化けて逃げ出したのだとされる説が残っている。
また、現在では黄瀬川鞍馬の名で広がっているが、一部文献では木瀬川鞍馬とも記載されており(黄瀬川自体が木瀬川とも書くためと思われる)、
「奇跡五剣」においては前者の名前が採用されている。

「どーもー!オレの名前は黄瀬川鞍馬っす! 主さん、これからよろしくお願いしまっす!」
「オレの名前は黄瀬川鞍馬。源義経がお兄さんにあげた刀なんすけど、折られるのが嫌で逃げちゃったんスよねー。その後キセキの皆と一緒になったと思ったら黒子っちはどっかいっちゃうし、おれめっちゃ悲しかったっすよー」

【新しい刀剣男士公開 黄瀬川鞍馬(きせがわくらま)】(1/2)
奇跡五剣のひとつで、鞍馬山の天狗が鍛ったとされる打刀。人の真似をするのが得意で、本人は奇跡五剣の下っ端を自称する人懐っこい性格の持ち主。しかし、他の奇跡の刀達からの扱いは軽い。




緑間
薙刀 銘帝光 人事天命
刀派:帝光
鎌倉時代の武将鹿間真助が刀工帝光に依頼して作らせたとされている刀。その際、鹿間は帝光に刃の大きい刀を依頼し、刃渡り六尺五寸(約2m)の大太刀を打たせたが、これでもまだ長さが足りぬとして、大太刀から薙刀に打ち直させたという逸話がある。
標準的な大薙刀の大きさは刃が三尺(90cm)ほど、柄が五尺(150cm)ほどだが、緑間は刃が六尺(180cm)、柄が七尺(210cm)もある巨大さで、近年の研究では実践用ではなく儀礼用に作らせたものではないかともされている。



「緑間だ。短いより長い方がいいのだよ。なぜなら、より遠くの敵を倒せるのだから」
「緑間だ。

【新しい刀剣男士公開 ()】


無双青峰(むそうあおみね)
太刀 無銘西峰
刀派:西峰
正式名称は国士無双青峰。
鍛刀時期は不明であるが、鎌倉時代初期には存在が確認されている。
人であれ妖であれ、この刀に斬れぬものなしと伝えられている刀であるが、同時に手にした主が悉く死に至ることから主君殺しの刀としても伝えられている。
戦国時代、豊臣秀吉が本多忠勝を「日本第一、古今独歩の勇士」と称し、「東に本多忠勝という天下無双の大将がいるように、西には立花宗茂という天下無双の大将がいる」と話したことは有名であるが、ここに、「されど、武器であるなら青峰こそが国士無双の刀なり」と続けていたとされていることが名の由来とされている。
その豊臣秀吉が家臣達に無双青峰を下賜しようとしたところ、誰もが伝聞を恐れ辞退する中、家臣の一人である今吉翔吉が自ら名乗りを上げ、無双青峰を下賜された。
それ以後、無双青峰は持ち主を死に追いやることもなく、今吉家の守り刀として重宝されることとなる。
江戸時代後期、国士無双青峰は今吉家の家臣である桃井家の姫、彩月姫が大層気に入り、今吉桐国とともに下賜されることとなったが、三度の大火と呼ばれている1837年(天保8年)の大塩焼けの際に屋敷が全焼。彩月姫もこの火事で亡くなり、国士無双青峰と今吉桐国も共に焼失したとされている。
青峰という名は、銘にもあるとおり元々は作者の西峰(せいほう)だったものを、『奇跡五剣』の作中で青峰(あおみね)と記載されていたために広まった名前である。
また、国士無双青峰という名が広まる前は、青輝西峰(せいきさいほう)と呼ばれていたという伝承もあり、そこから青の文字を取ったのではないかとも言われている。

「オレは無双青峰だ。弱い奴に使われるのだけはごめんだぜ」
「オレの名前は無双青峰。正式には国士無双青峰みたいだが、俺からしたら名前なんてどうでもいいんだよ。昔はもっと別の名前だった気がするんだが、焼けたせいか今はもうよく覚えてねえ」

【新しい刀剣男士公開 無双青峰(むそうあおみね)】
奇跡五剣のひとつで、豊臣秀吉に「武器であるなら青峰こそが国士無双の刀なり」と言われたことが名の由来。
勝ち続けてしまったことで戦いに意義を見出せなくなり、自分より強い相手を求めている。黒子影打とはかつて光と影の関係だったそうだが、本人は焼けたせいでよく覚えていないようだ。
「勝負したところで何の意味もねえ。オレに勝てるのはオレだけだ」


紫原切(しげきり)
大太刀 銘
刀派:

紫原切も赤司帝光と同じく、『奇跡五剣』が執筆された際に重切
現在は東京国立博物館に所蔵されている。

「俺は紫原切だよ~。あー、めんどくせえなあ」
「俺は紫原切っていうんだけどさ~。」


赤司帝光(あかしみかみつ)
短刀 銘帝光/銘帝光 弐
刀派:帝光
室町時代、時の征夷大将軍足利尊氏に献上された際、その生い立ちと美しさから特に重宝され、以後足利、徳川と持ち主を移し、将軍家に代々伝わる重宝とされる。後に天皇家に献上され、現在は皇室御物とされている。
元々は太刀であったが、敵と相対した際に刃の半ばで二つに折られるも、折れた刃がその勢いで敵の喉笛をかききったことから「これぞまさに万物を支配するもの。勝利に飢えし刃なり」と称され、二刀一対の短刀として打ち直された逸話を持つ。
後世において上記のエピソードを小説として描いた「天帝記」というものがあり、その題名から新たに生まれた二本目の方を天帝赤司と呼ぶこともある。
なお、この赤司を両断した刀は紫原切ではないかとされているが、真偽は不明。
また、赤司の名は元々は明石だったとされているが、『奇跡五剣』内において赤司の名で記載されていたため、赤司帝光の名が広まった。奇跡五剣は作中においてみな色の名前を付けた名に変えられており、これに際しては、著者が『奇跡五剣』の名を色で統一するために名を変えたのではないかという説もあるが、真相は不明。

「赤司帝光だ。この僕がいる限り、勝利以外の結果は許さない」
「赤司帝光と申します。オレのいる限り、貴方に勝利をもたらしましょう」

「僕の名は赤司帝光。昔は太刀だったが、この身を折られたことで僕が生まれ、二本の短刀に打ち直された。僕のことを天帝と呼ぶ者もいるみたいだが、ボクは赤司帝光に決まっているだろう」
「オレの名前は赤司帝光。昔は太刀だったけど、今は二つに分かれて短刀になってしまってね。その時オレも二人に別れてしまったんだが……、ん? オレがどちらかだって? ふふ、オレは赤司帝光に決まっているだろう」

【新しい刀剣男士公開 赤司帝光(あかしみかみつ)】
奇跡五剣のひとつで、帝光十郎作の短刀。元々は太刀であったが、折れた際に二刀一対の短刀に打ち直された珍しい刀。
奇跡五剣のリーダーであり、勝利に対して異常なまでに固執する絶対勝者。時に厳しく、時に穏やかなその姿はまるで二人の赤司帝光がいるかのよう。
「絶対は僕だ。僕に逆らう者は親でも殺す」

赤司はオレ司と僕司の二種類存在し、二人を同時に出陣させることも可能。ステータスが微妙に違うほか、外見上は目の色が異なる



黒子影打(くろこかげうち)
脇差 銘哲也影
刀派:哲也
室町時代の刀工千尋哲也(ちひろてつなり)により打たれた刀。
朧黛の影打(日本刀を打つ際、数本打った刀の中で一番出来が良いものを真打、それ以外を影打と呼ぶ)として作られた後、知人の蒐集家に譲られたとされているが、影打ちであるため記述がほとんど残っていない。
黒刀身の珍しい日本刀であり、元は忍の忍者刀として注文を受け作られたのではないかとされている。
『奇跡五剣』内において、持ち込まれた六振りの内城主に断られた一本とされており、それ以外に特に目立った文献が無く、実物が確認されなかったため創作の刀ではないか、実在しないのではないかとされていた。しかし、1986年に渡米したとある旅行客が、火神阿礼と共にメトロポリタン美術館に展示されているのを発見したことから所在が発覚した。
アメリカ側の文献によると、1854年日米和親条約を締結した際にペリーによって持ち帰られたものであるが、「日本から持ち帰った物資の中にいつのまにか紛れ込んでいた」とされており、荷物に紛れていた経緯は不明とされている。荷物に紛れていた黒子影打は当初ペリーの所蔵となっていたが、1858年のペリー死後、彼の娘に受け継がれ、1872年のメトロポリタン美術館開館に当たり寄贈された。その際、いつの間にか荷物に紛れ込んでいたことから「Ghost Liner」という名で展示されていた。
なお、開館時から展示されているにもかかわらず、美術館のスタッフにも存在を忘れられており、来場者にもほとんど存在を認知されておらず、1986年の発見の際にはアメリカ側からもそんな刀が展示されていたのかという驚きの声が上がったと報じられたとか。
1989年に火神阿礼と共に相田誠と相田凛の兄妹により購入され、日本に帰還。現在は個人蔵となっている。

「おや、見つかってしまいましたか。始めまして。黒子影打はボクです」
「ボクは黒子影打と言います。いつの時代も影が薄くて忘れられてばかりで、嫌になってしまいますね。昔は奇跡の皆の影でしたけど、今のボクは火神くんの影です」

【新しい刀剣男士公開 黒子影打(くろこかげうち)】
奇跡五剣の幻の六本目とされる刀。黒子の影打にあたる刀だが、真打よりも名が知られており、黒子の名はすっかり彼のものになっている。
目の前にいても気づかれないほどの影の薄さであり、影打であることから自身を影だと自称するミステリアスな少年。火神阿礼を自身の光だと呼び慕っている。
「ボクは影だ」


火神阿礼
太刀 銘阿礼
安土桃山時代に西欧に渡り、そのまま現地に根付いて刀鍛冶の技術を伝えたとされる珍しい来歴を持つ刀工、阿礼派の二代目大我の作。
日本刀の刃と西洋風の拵えを持つ非常に珍しい刀であり、そのあまりの切れ味の良さと美しさから、フランス、イギリス、アメリカと西欧諸国を転々とした来歴の持ち主である。
1872年のメトロポリタン美術館開館時より黒子影打とともに並んで展示されており、1986年の黒子影打の発見と共にその存在が国内で知られるようになる。
火神阿礼の名の由来は、二代目阿礼が自身の納得できる刀が打てずスランプに陥っていたところ、夢で火の神を名乗る者から「炉にくべる薪を街の裏山から自ら拾い集めよ。さすれば良き炎を生み出そう」というお告げを受け、実際に自分で薪を拾い集め炉にくべたところ、人生最高の刀を打てたという逸話から。
火神阿礼は噂を聞きつけたフランスの商人によって買われ、そこから
アメリカ時代、試し切りとして生きた虎を胴から真っ二つにしたことから「Tiger Killer」の愛称をつけられた。
1989年に黒子影打と共に相田誠と相田凛の兄妹により購入され、日本に初上陸。現在は個人蔵となっている。
二代目阿礼が実践刀としての粋をつぎ込んだ最高傑作であるが、海外では日本刀としてではなく美術品として扱われ、現代にいたるまで観賞用として扱われていた経歴を持つ。

「どうも、火神阿礼です! アメリカ帰りなんで、日本語おかしかったらわりい。……あ、です!」
「どうも、火神阿礼です! スペインで生まれて、それからずっと外国を転々としてたから日本のことは良く分かんねえけど、強え敵と戦えるのがすっげー楽しみだ!」

【新しい刀剣男士公開 火神阿礼(かがみあれい)】
火神阿礼作の太刀。火の神様のお告げを受けて作られたことから名づけられたとされ、生まれたスペインを始め海外諸国を巡った来歴を持っている。
外国育ちなので日本語はやや苦手であり、黒子影打を自身の影として友好を深めている。
「飾られっぱなしは性に合わねえ。早く戦に出してくれよ!」


笠松
脇差
刀派:



刃越高尾(じんえつたかお)
短刀 無銘
刀派:
旅人が高尾山で妖に襲われた際、刃越しにアヤカシの姿を映し見事斬り伏せたことに由来する。

「どーも!刃越高尾ちゃんでーっす! うちの真ちゃん見かけませんでしたかー?」
「オレの名前は刃越高尾。刃越しに

【新しい刀剣男士公開 刃越高尾(じんえつたかお)】
刃越しに妖を切ったとされる逸話から由来された、高尾山薬王院に祀られている御神刀。
緑間の相棒であり、

「ほんっとう、真ちゃんってば


今吉桐国
打刀 銘
刀派:桐国
戦国時代の武将、今吉翔吉が愛用したとされる刀であり、名前もそれに由来する。
今吉桐国に関する記述は少ないが、国士無双青峰を

「わし、今吉桐国言います。どうもよろしゅう。……あ、今胡散臭そうって思ったやろ?」
「わし、今吉桐国言います。どうもよろしゅう。なんや


氷室阿礼
太刀 銘阿礼
安土桃山時代に西欧に渡り、そのまま現地に根付いて刀鍛冶の技術を伝えたとされる珍しい来歴を持つ刀工、阿礼派の初代辰也の作。
1582年の天正遣欧少年使節団と共に西欧を訪れた初代阿礼は、使節団とともに帰国せずに道中のポルトガル・リスボンで現地の女性と恋仲になり下船。そのままポルトガルに居つくこととなる。
その後、彼は西欧に日本刀の良さを伝えるために尽力。日本刀の美しさと切れ味を伝えるために作られたのが氷室阿礼とされている。
火神阿礼と同じく、日本刀の刃と西洋風の拵えを持つ非常に珍しい刀。火神阿礼が実践刀として突き詰めた刀なら、氷室阿礼は美術品としての美しさを突き詰めた刀である。
その美しさから、後の評論家から「日本にあれば三日月宗近に勝るとも劣らない美しさと称されたであろう」と評されたほど。
なお、氷室阿礼はその美しさのみに注目されることが多いが、刀としての切れ味も逞しく、両手で持ち刀身で叩き潰すのが主流であった西洋の剣に対してその薄さをバカにした現地人の挑発に対し、初代阿礼が氷室にしまわれていた巨大な氷塊を一太刀で真っ二つにして黙らせたという逸話から氷室阿礼の名がついたとされている。なお、現地ではLâmina de gelo(氷の刃)と祥されていた。
氷室阿礼は使節団の頃の縁によりアルベルト・アウストリア枢機卿に献上され、持ち主と共にスペインへ渡るも、1588年のリスボンの戦いにおいて敵対していたイングランド兵に強奪され、その後行方不明となる。
ところが、1902年の日英同盟締結の際に、イギリス側から友好の証として贈られた品の中に西洋拵の日本刀が発見され、銘を見たところ阿礼という銘が掘られていることから、氷室阿礼だと特定され、以後国の所有となる。
現在は東京国立博物館に所蔵されている。

「初めまして。氷室阿礼だ。美術品だと言われているけれど、刀の切れ味なら負けはしないよ」





朧黛(おぼろまゆずみ)
脇差 銘哲也
室町時代の刀工千尋哲也(ちひろてつなり)により打たれた刀。
黒子の真打であり、刀工の名から千尋哲也とも呼ばれている。
黒子の名はその美しい黒い刀身に敬意をこめて「黒子」(こくし)と名づけられたのが始まりとされているが、現代においては黒子の名は真打ではなく影打ちの黒子の方が有名となっている。
名前の由来は時の将軍徳川家光の時代、『奇跡五剣』に記されていた幻の六本目をついに見つけたとして、黒子影打と偽って献上されるも、「この朧のごとき見事な波紋は影打黒子ではなく真打黒子である」と見破られ、男は処罰される。
しかし、家光はその真打を気に入り、「黒子影打の代わりに赤司と共に並べるとしよう」と言ったことから、黒子影打の代わり、転じて黛という名がつけられたとされている。ここで黒子真打ではなく朧黛としての名が広まったことも、黒子の名が影打ちの方が広まった一因だとされている。
その後、将軍家に赤司帝光とともに伝えられたのち皇室へと献上され、現在は皇室御物とされている。
なお、皇室に献上される際、赤司帝光と並べて保管されていたにもかかわらず、朧黛を見つけるのに丸一日を要したという嘘か誠か分からないエピソードが伝わっているが、これは黒子影打ちの影の薄さを逆輸入した作り話という説もある。

「朧黛だ。旧型君の方が知られてるみたいだが、真打はオレの方だからな」


【新しい刀剣男士公開 朧黛(おぼろまゆずみ)】
千尋哲也作の脇差。
朧の如き特徴的な刃文と黒い刀身の持ち主であり、徳川家光に「黒子影打の代わりに赤司と共に並べるとしよう」と言われたのが名の由来。
黒子影打同様影が薄いが、性格は異なりナルシストでどこか冷めた言動が目立つ。赤司帝光に逆らえる数少ない存在。

「旧型君の代わりに赤司の隣に並べられたのが、オレの運の尽きだったんだ……


鉄心

悪童子切

雷獣剣

夜叉丸

剛腕