hai__ro
2024-02-16 23:12:39
5757文字
Public テスデイ
 

探査ログAA3EEA900-001

人類がいなくなった後の地球で再会する話。
含まれるもの:テスデイ

 人類が全てを食いつぶしたので、地球はとうとう空っぽの星になった。その物語が、人類の宇宙への旅立ちかあえない滅亡かは、地球にとってもはや重要ではない。
 信仰を捧げる人類がいなくなった影響で、地球にいた神や精霊は死んだり帰ったりした。たまに地上に残って、人間以外の生き物の神になろうとする者がいた。人間になる酔狂な者も出た。
 彼らのうち、かつてテスカトリポカと呼ばれた神は、地球の終わりに付き合うことにした。
 手始めに、地上に現界するための依代を作る。しかし、信仰が完全に消え失せたせいで使えるものは少なく、かなり大雑把な出来になってしまった。たとえば髪や目や肌の色が時々ぐるりと変わるとか、あるべき中身があるべき箇所に無いとか、体積に対して異様に軽いとか。そんな依代だが、テスカトリポカは「まあ、これでよし」とした。別に地球上で活動できるなら猫でも恐竜でも粘菌でもよかったし、極端な話、星の終わりを見るだけなら実体などなくてもいいのだが、この肉体で世界を歩くことにした。色々な生き物の神になったが、その中でも人類のことはそれなりに気に入っていたのだ。
 肉体を得たテスカトリポカは地上へと降り立ち、さて、なにをするべきかと考える。神だった頃は、多くの役割とそれを実行するための権能があった。しかし神の存在を語る者がいなくなったので、それらはほとんど無意味になった。つまり、何をするにも自分で決める必要がある。
 なので、テスカトリポカは考えた。考えて、別の星の死と新生の光が地球に届いた時、それを銘記するのを当面の仕事にした。地球の終わりを見ると言っても、この調子だと太陽の熱膨張が始まるまでは暇なので、空を見たのだ。
 天文台を建て、望遠鏡を作り、記録を保管した。仕事は結構楽しかった。地上のことも記録した。手慰みに星の運行に設定を付与して神話を作ってみたこともあったが、長続きはしなかった。テスカトリポカ自身が神話だったからかもしれない。
 ——そうして、長い時が過ぎた。テスカトリポカは天体観測を続けた。いくつもの星が終わる間に、地球も空っぽなりに運動を続けた。大地は動き、天変地異と呼ぶべき出来事が何百回も起こった。日照りや豪雨がよくあって、たまに隕石が落ちた。天文台も何度か壊滅した。地上に残った生き物のうち極僅かが進化し、ほとんどが絶滅した。

 そして、ある夜のことだ。
 テスカトリポカは、彗星でも隕石でもない異物を望遠鏡の先に発見した。星よりも遥かに小さく、地球の引力に従うように向かってくるものを見た。そこにあるはずなのに夜よりも深く超空洞じみて見えるものを見た。
……デイビット?」
 それを。滅んだはずの、いないはずのヒトであると、テスカトリポカは認識した。
 デイビット・ゼム・ヴォイド。生きながらに虚を抱えた男。かつて地球でルーラー・テスカトリポカを召喚した戦士。神霊テスカトリポカが北の楽園に招き、送り出した魂。
 テスカトリポカが、宙を突っ切りながら地球に向かっているなにかを、彼だと認識したのは。その組成がやはり暗く深淵な空洞だったからだ。実在しながら虚の実体が彼の他に存在してはたまらない、そう信じてもいる。
 望遠鏡の拡大率を上げる。それは、不定形ながら漫然とヒト型をとっていた。手足らしき部位はあるが、関節が機能しているようには見えない。まるで粘土で捏ねたようなシルエットだ。全身は靄のようであり天の川のように微かに発光していた。頭部のような箇所には、一際輝くふたつの青白い光が嵌まっている。
 テスカトリポカは望遠鏡を覗くのをやめ、記録をつけることすらせず、落下軌道を計算しながら天文台を飛び出した。
 十数時間後、それが地球に降り立つ。
 そして、先んじて着陸予測地点で待機していたテスカトリポカを見とめ、意表をつかれたような、または奇妙なものを見るような反応をした。人型だからといって人間と同じ機能があるとは限らないため、これはテスカトリポカの憶測だが。
「よう」
 テスカトリポカは、試しにデイビットの使っていた言語、二十一世紀の英語で話しかけてみる。
「久しぶりだな、兄弟」
 突然の接触に驚いたのか、それは一瞬硬直した。その後面食らったかのように不明瞭な音声をしばらく吐いて、
「こんにちは——
 と、同じ言語で返してきた。それから、
「久しぶり、と?」
「そうだとも、デイビット。まさかオレのことを忘れていないよな?」
「デイ、ビット」それはゆっくりと反復した。「もしかして、それは、オレのことを呼んでいるのか?」
 テスカトリポカはその言葉に違和感を覚える。デイビットは多くの記憶を漂白されながら生きていたが、その反面『忘却』は一度としてしなかった。
 しかしその疑問を追及する前に、それが矢継ぎ早に質問する。「オレはおまえと会ったことがあるのか?」「どこで?」「どのような姿で?」「おまえの名前は?」
 押されるように、テスカトリポカはその全てに答えた。回答を得たそれは考え込むように、しばし沈黙した。ややあって、得心がいったように再び口を開く。
……オレは200光年ほど遠方で生成された探査機だ。オリジナルは、もうこの宇宙にいない」
「ああ、成程、そうか」
 つまり、テスカトリポカの知っているデイビットは外宇宙のものに『回収』され、目の前にいるものはデイビットのデータを流用した機械である。と。
 デイビットの魂を送り出して以降、二度と冥界を訪れることはなく、行方もさっぱり掴めなくなったので、そういうことだろうと思っていた。そうなるだろうと互いにわかっていたので、悲観すべきことではない。
 いわゆる自己複製宇宙機だ、とそのデイビットは言う。
 宇宙の適当な惑星に、複製可能なデイビットを放り出す。デイビットは惑星にある物質から新たなデイビットを生成し、別の星を目指すようにプログラミングして、宇宙の四方八方に送り出す。送り出されたデイビットは新たな星を見つけ、現地の物質から自分を複製して、また送り出す。それを繰り返して宇宙中に拡散する。なにかを探すために。
「宇宙機、といっても何してるんだ、オマエ」
「この宇宙の全てを記録、送信するために、と入力されている」
……記録」
 よりにもよって全宇宙か、と、テスカトリポカは天を仰いだ。
 自己複製宇宙機は、その目的には最も非効率的で不適切な手段のひとつである。なぜなら、指数関数的に増殖する機械は、宇宙を覆うよりも先に宇宙の資源を使い切ってしまうからだ。もっとも、こんな探査機を作れる文明ならば、増殖を制御できている可能性はあるが。もちろん、こんな探査機を宇宙に放つ文明ならば、そんなことを気にしない可能性は十分に高い。
 ついでに、人間を搭載するのもいただけない。魂と肉の生き物は時間の荒波に対して脆すぎる。現にこのデイビットは原型から相当逸脱しているようだ。最後に会った時はもう少し地球人類らしい形をしていたが、それが今は靄のような不定形だ。稼働を始めて何万年かは知らないが、宇宙機にしては劣化が激しすぎる。言葉を選ばなくていいなら、杜撰な出来だ。
 そんなことを考えてテスカトリポカが相槌も疎かにしていると、沈黙を続きの催促と受け取ったのか、それが話を再開する。
「だが、オレを作ったものがなぜ宇宙の記録を試みたのか、なぜ記録にあたってオレがこのような形態であるのかは入力されていない。よって、遠いオレは自分で指定を設定した」
「ほう?」
——全ての文明は、生命とは、善いものであった、と遺すためにオレは稼働している」
 デイビットなら、自身を記録装置として再定義した場合、確かにそうするだろう。テスカトリポカは思った。同時にこうも確信した——これがどのような経緯で発生したものだとしても、どこまで原型からかけ離れていても、目の前にいるものは間違いなくデイビットだ。
 かつて数多の名と人格を持ち、神格の分離と併合を繰り返したテスカトリポカにとって、自己の同一性及び連続性は重視すべき事柄ではない。
「そうか。オマエは変わらんな。そこが好ましいんだが」
「うん」
「もう少しありがたく受け取れよ、オレの賞賛だぞ。まあガワのほうは随分と変わったが——
 改めてデイビットを観察してみる。おおまかな形は、煙か靄に見える気体で形作られている。頭から広がっている形はなんとなく、髪に見えないこともない。目を細めて見たら、金色の長髪と解釈することもできなくはなかった。そうなると青白い光は碧眼に見立てることもできる。そして右足と思しき部位の輪郭は、他の部位よりあやふやに見えた。
……なんかオマエ、昔のオレに似てないか?」
「そうなのか?」
 奇妙なことに、それはデイビットと出会った時のテスカトリポカの姿とよく似ていた。
「そこそこ……いや、かなり似てるぞ」
「そうなんだな」、「オレにはもうわからないが」デイビットは言った。
「複製のたびに少しずつ劣化、変質するオレは、多くのことを忘れた。とも言えるからな」
 その中に自分の名前や姿も含まれていることは、想像に容易い。今ここにいるデイビットの複製元が、その複製元が、その複製元のさらに遠くで生成されたデイビットが、破損した自分の姿を再現する時、記録に残っていたテスカトリポカの姿を参照したのだろう。別の記憶に対しても、別の記録で同じことをしているのだろう。
 最初のデイビットから複製を重ねた結果、Aの記録を破損した者とBの記録を破損した者がいて、破損部分を埋めるためにCの記録を参照する者とDの記録を参照する者に分かれる。生成以降の記録を破損した者がいて、現地の記録で補填する者がいる。そんなことを繰り返して、さまざまな形状のデイビットが宇宙に拡散しているのだろう。
 系統樹のように。
 分裂し、老化する細胞のように。
「それでも、指定は覚えていた」
「その通りだ」
「宇宙の全てを記す、ね」
「ああ。指定に従い、この星の文明も記録する」
「それからは、次のオマエを作るのか? このすっからかんの星から?」
「すっからからん、と言うほどでもないな」
 テスカトリポカの問いかけに、デイビットは平然と答えた。
「記録の終わったものは、次のオレの素材にできる」
 聞き逃せなかった。それの意味することは、この星の残り少ない生命を使い潰すことであり、有機物も無機物も均して殺すことだ。自己複製宇宙機の最悪な面を最大限生かした設計だ——テスカトリポカはそんな感想を抱いた。
 終わった星だとしても、その上に残り続けたものがいて、死体から生まれたものもある。それらは、デイビットの行いを許容しないだろう。かといってデイビットは止まらないし、止められない。
 ——間違いなく戦争が始まる。
「それが、どうかしたのか?」
 テスカトリポカは笑った。嬉しかったのだ。かつて神を呼びつけ、星を壊すと豪語した不遜でお気に入りの人間が、もう一度星の終わりと戦争を連れて現れた。その数奇な運命と呼ぶべき未来を喜んだ。
「よし、わかった。オレと取引しないか、デイビット」
「取引? 文脈が欠如している。推測はできるが誤解を防ぎたい、解説してくれ」
「星を駆け回るには足が要るし、生物を『記録』するには暴力が要るだろう。どっちも売ってやれるぞ。……オレは武器商人だったんだ。顧客がいなくなったんで廃業したがね」
「なるほど理解はした。したが、おまえはこの惑星の生命体だろう。オレに与する理由はないはずだが」
「ある、ないけどある。商人だからな、買い手が侵略者だろうと地球が終わろうと商機は逃せん。あと、武器あるところにある事柄は大抵好みでね。それともなんだ? 星ひとつ滅ぼすのにオマエひとりで充分ってか?」
 デイビットが反応する。「達成可能だが」、「知性体のいる惑星は久々だから苦労するな」
「なるほどそりゃあオレと組むべきだ。今の地球でオレほど生命のなんたるかを知ってる奴はまあいない。どうだ、損はさせん」
 そう言いながら、神霊だった頃の思考の名残が脳を過ぎる。なぜそこまでこの男に干渉するのか、と。
 理由は複雑ではない——遥か昔、地球に降り立った時、地球に充満する生と死が、生命の苛烈な闘争が、第一世代はくあきの彼に原風景として刻まれたから。
 ゆえに、それらを司る神ではなくなっても、滅亡を齎す運命を逃せない。ある星のある文明で、テスカトリポカと呼ばれた繊維を継ぐものである限り。
「悪い話じゃあないだろう。代金は、そうだな。——オレに、惑星の終わりってやつを見せてくれたらいい」
 どうだ、と手を差し出す。あの数秒で英語を把握したのだから、握手の意味も知っているだろうと推測して。デイビットは決めあぐねるように黙りこくって、立ち尽くす。損得を勘定しているのだろうか。確かに星の終わりは安くない、武力を仄めかす現地の個体を生かしておくのも。もしくはテスカトリポカのことが、妄想と破滅衝動に呑まれた、ありふれた知性体に見えているのかもしれない。……神話における第六つぎの世界はもう創造されないのだから、側から見たら大して変わらないな、とテスカトリポカは考えた。
 神話が終わっても続くものがあると知っていて。
 惑星が終わっても続くものがあると知っているだけだ。
 やがてデイビットが、瞬きのように瞳——便宜上そう呼ぶ——を明滅させる。そしてテスカトリポカを見据え、発声した。
「わかった。テスカトリポカ、おまえの要求を受け入れるよ」
 デイビットの中で、現地生命の助力による利益と、規格から違う生命を信用する危険性を天秤にかけ、前者に傾いた。デイビットの思考ロジックに重大なエラーが発生しているが、テスカトリポカにそれを知る術はない。記憶の端に引っかかった金色の髪がエラーメッセージを看過させている。ハードが壊れたまま動き出す。魂ははじめから壊れている。
 デイビットの、星雲に似てきらめくガス状の手が、テスカトリポカの手を掴んだ。