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真崎
2024-02-16 12:59:02
19300文字
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卓SS
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とある復讐者のエピローグ③
CoCシナリオで例えるならエンドB-2とかそのへん。ご清聴ありがとうございました!(23歳21歳出させていただきました)
目を覚ますと、真っ先に視界に入ったのは知らない天井だった。身体を起こし、辺りを見渡す。
俺がいたのは、見覚えのない四畳ほどの部屋だ。寝室だろうか。カーテン越しの清涼な朝の日差しに照らされる部屋の家具は、今寝ていたベッドと、本棚代わりにしているのだろうか、文庫本がたくさん並べられているカラーボックス一つくらいしかなく殺風景だ。
「ここ
……
兄貴の家
……
?」
昨日の記憶を辿り推測し、
……
そして、カラーボックスの上に転がっているダンベルを見つけ、
……
文庫本の著者名全てが『叶出朋』であることに気づき、確信する。
昨日の公園の一件の後、まだふらつく兄貴に肩を貸して車まで向かい、全く知らない道を運転していたことは覚えている。どこをどれくらい走っていたかは必死すぎてわからないし、「着いたよ、ありがとう」の一言を聞いたところで、緊張の糸が切れたのか俺の記憶は終わっている。
……
こうして呑気に眠っていたあたり、何事もなくここまで来られたんだろうし、その後追っ手が来ることもなかったんだろうけど。
……
あいつ、どうなったんだろう。大丈夫かな。
「奏太、起きたー?」
俺の心の声を聞いていたかのようなタイミングでかけられた声と、ドアのノック音。
「
……
起きたよ」
「開けてもいい?」
「ああ」
返事をするとすぐに扉が開く。
「おはよう!」
そこにはいつもの、呑気な笑顔の兄貴がいた。昨晩の狂気的な決意や溢れ出すマイナスの感情は、一欠片も見られない。
「
……
おはよう」
「よく眠れたみたいだね。よかったよ」
穏やかに語りかける彼の両腕に目が行く。
……
二の腕から手首にかけて、素肌が見えないほどぴっちりと巻かれた包帯が痛々しい。
「腕
……
」
「ん?」
俺の言葉に何も思い当たらなかったのか、キョトンとした様子の兄貴。やがて「ああ、これね!」と声を上げる。
「心配しないで。もう処置は済んだから大丈夫。指は動くから不便はしないし」
「ごめん
……
」
「そんな顔しないで。骨は折れてないし、大して縫ってないし。こう見えて僕、縫合上手いから跡残らないと思う」
「縫わなきゃいけないほどの怪我なんだな
……
」
「い、いやいや! 下手な刃物で切られるよりずっとマシだよ、細菌とか入らないだろうし」
「でも、怪我は俺のせいじゃん」
「あう
……
えっと
……
」
俺の返しに、しばしオロオロとしていた兄貴だったが、「僕は気にしてないんだけど
……
、」と再び口を開く。
「奏太はまあ
……
気にしちゃうか。それじゃあさ、僕のお願いを二つ聞いてほしいな。それでチャラにしよう。ね?」
「お願い
……
」
なんだろう。闇医者のこいつが、ただの大学生の俺に頼まなきゃいけないようなこと。
「で、さっそく一つ目のお願いなんだけど、」
裏社会に関することだろうか。それとも昨日の問答に関することか。それとも
――
「僕に朝ごはん作ってほしいんだぁ」
「えっ」
予想外の言葉に、情けない声が漏れる。お願いって、そんなこと?
「昨日公園で肉まん食べたのが最後だから、お腹がぺこぺこでさ」
料理程度じゃ詫びにはならない
――
なんて俺が返そうとするより先に、腹の虫がぐぅ、と大きく鳴る。
「あ」
「ふふ、奏太もお腹空いてるなら、決まりだね!」
「いや、つってもさ」
「まあまあ、いいからとりあえず食べようって。二人分、よろしくね!」
そう言うや否や手を引かれたせいで、反論の機会を失ってしまった。何も言えないまま兄貴に誘導されたのはダイニングキッチンだ。
寝室と同じく、殺風景なリビング
――
ダイニングテーブルと、申し訳程度に置かれたソファという最低限の家具しかない
――
を臨む対面式キッチンは、男の一人暮らしにしては勿体無いくらいに立派だったし、綺麗すぎた。
「いい台所でしょ? でも僕、持て余しちゃってて」
「自炊しねぇの?」
「んー、僕がやるのは、鶏肉と卵とブロッコリー茹でるくらいかな」
だとしたら、昨日おじやを作ろうとして備長炭を錬成したのも、料理に不慣れだったからかと頷け
……
いや、やっぱ頷けないわ。いくら慣れてないからってあんな風になるわけない。
とりあえず、冷蔵庫と戸棚を物色させてもらうことにする。やはり自炊をしないということもあって、置いてある食材は少ないし、戸棚は各種プロテインが占拠してて、少ししかない調味料が肩身を狭くしている。けど
……
これだけあれば、アレが作れそうだ。
卵と鶏肉、ネギを取り出し、戸棚のパックご飯をレンジにかける。
「もしかして、チャーハン?」
掛けて待っていればいればいいのに、リビング側からカウンターにもたれかかりこちらの作業を眺めている。
「ああ。材料になりそうなものがあったから」
返事をしつつ、まな板に具材を載せる。まずはネギだ。
「欲を言えば、鶏肉じゃなくてベーコンだと完璧だったけど」
「ごめんね。ベーコンは滅多に買わないんだ。チャーハン、奏太の得意料理なの?」
「うーん、まあ、そうかな? 美味いレシピ教わってさ。それからは少し自信があるかもしれない」
「へええ、楽しみだなぁ」
雑談をしつつ、諸々の食材を切り刻んでいく。ほぼ新品同然の包丁だからだろうか、切れ味が頗る良い。なんでもざくざく細かく切れていく。ちょっと楽しい。
「よし
……
そんで
……
」
米に油と卵を和えて、これで下準備は完璧だ。フライパンに油を垂らす。
「
……
あの、奏太」
「ん?」
「なんで今、油で星のマーク書いたの?」
「これが大事なポイントなんだよ」
「そ、そうなの? 料理って奥が深いね
……
?」
「まあ、兄貴は見てろって」
コンロの火は張り切るように燃え盛っている。脳筋の茹でしか作らせてもらえていなかっただろうから、いつもと違う活躍ができるのが嬉しいのかもしれない。
以前教わったレシピを頭の中で思い返しながら、俺は熱いフライパンへと卵を注いだ。
◇
「
……
今まで食べたチャーハンの中で一番美味しい」
俺作のチャーハンを一口食べた兄貴から出た言葉は、それだった。目をまんまるにして、視線を俺と手元の皿の間で永遠に反復させている。
「んな大袈裟な」
「大袈裟じゃないよ、本当だよ! シェフ顔負け。奏太も食べてみてって」
ほらほら、とスプーンを持たせてくる兄貴。このまま食べずにいたら「あーん」でもしてきそうな勢いだし、腹が減っているのは本当なので、俺も一口食べてみる。
――
衝撃が走った。
「美味っ
……
!?」
「でしょう?」
「え? なにこれ。驚くくらいの出来だわ」
そりゃ、他人に食べさせるつもり、それも罪滅ぼしとしての料理だから、自分一人が食べる時より何割増しか真剣に作った自覚はあるけど、嘘だろ、ここまでの出来になる? 誰がここまで本気で作れと言った。
「すごいや奏太!」
「まあ、ほら、設備の力とレシピのお陰じゃないのか?」
「だったとしても、使いこなせたのは奏太の実力だし、レシピ通りに作るのだってすごいよ!」
「そう
……
? ありがとう
……
」
「ありがとうはこっちの台詞だよ! もっとある?」
「ん、あるよ」
「やった! 後でおかわりする!」
無言で頷き、俺もまた食事に戻る。
……
うん、俺も二杯目食べよう。腹が減ったと喚く身体に忠実になって、気持ち多めに作っておいて正解だった。
腹ペコ成人男性二人の手により(口により?)フライパンはたちまち空っぽになる。
「ご飯ありがとう。食後に紅茶かコーヒー淹れるけど、どっちがいい?」
衝撃的な発言が出た。こいつの口からそんな発言が出るなんて思わなかった。この家、水とプロテイン以外の飲み物はないもんだと。
「
……
任せる。兄貴と同じので」
「りょうかーい」
そんな返事から数分後。
「お待たせー」
「ありが
――
は?」
目に映る光景に、俺は言葉を失っていた。
意気揚々とテーブルに帰ってきた兄貴が両手に一つずつ持っているのは
――
プロテインシェイカーだ。
「ちょっと待て?」
「どうしたの奏太。そんなびっくりした顔して」
「紅茶かコーヒーってお前言ってたじゃん?」
「え? うん」
「プロテインのフレーバーの話だったのかよ!? プロテイン飲む前提で話してたの!?」
「え?
……
いやいや違うよ勘違い! よく見てー!」
そんな言葉と共に、彼は手に持っていた容器を傾ける。さらさらした透明な飴色の液体と、ふわりと立ち昇る湯気。
「外はシェイカーだけど、中身は紅茶だから!」
「あっほんとだ。ごめ
……
いや待て、マグカップ使えよ?」
「だいじょーぶ、これ耐熱性だから!」
「そういう問題じゃなくてな?」
「というか、『紅茶かコーヒー』って言っておいて、プロテイン出すわけないじゃんか! 僕をなんだと思ってるのさー!?」
お前ならやりかねないわ、とか、マグカップ持ってないの? とか、お前のことは極度の脳筋だと思ってるよ、とか、言いたいことは多すぎるけどツッコミが追いつかない。
……
まあ、せっかく出してもらったものにケチつけるのはなんか違うし失礼か。これ以上は何も言わないことにしておこう。
「
……
ありがと」
「どういたしましてー」
受け取って、一口。
……
器と中身のギャップで一瞬脳がバグるけど、ちゃんと美味しい。ふぅ、と思わず息が漏れる。
温まり、少し緩んだ空気の中、
「
――
あのさ、奏太」
そう切り出したのは兄貴だった。
空気が冷える。身が固くなる。あの時とほぼ同じシチュエーションと言葉ゆえに、嫌でも昨晩のことが思い出されてしまう。心臓が早鐘を打つ。手にした容器の温かさが、わからなくなる。
あの時と同じ話が繰り返されたら、俺はどうすればいいんだろう。どうしたいんだろう。兄貴はどうするつもりなんだろう。二度目があったらどうなってしまうんだろう。俺は
――
「謝らせてほしいんだ。
……
本当にごめんなさい」
「え」
俺の渦巻く思考を止めたのは、全く予想していなかった、「あのさ」の続きだった。
「謝らせて
……
?」
「昨日のこと」
「昨日って、それは俺が」
俺の言葉は兄貴に手で制され遮られる。
「僕ね、君を助けないと、って必死すぎた。君が死ぬのが嫌で、狂うのが怖くて、君のことを守れるならそれでいいって思ってた。
……
だから、どんな手を使っても、何をしてもいいと思った」
じっと手のひらに視線を落とし、暗い顔で自嘲の声を漏らす。
「だから
……
暴力も使って、結果、奏太をとことんまで追い込んでしまったんだ」
昨晩叩かれた左頬がひりついた気がして、顔を歪める。
「でも、僕のやろうとしたことって、純粋に君を助けることじゃなくて
……
君の今までの人生と想いを否定することだったんだ。君が向き合って、悩んで、頑張って、その上で積み上げてきたものを、僕はぽっと出で現れて全部否定したんだ」
「積み上げてきたもの
……
」
「うん。
……
奏太がどこまで自覚しているかはわからないけれど、はっきり言って、君は冒涜的なものに染まってしまってる。昔の奏太とは違う。
……
でも、それだけじゃなかったんだ」
思い詰めた顔が優しい微笑みへと変わる。
「空手を覚えて逞しくなったし、あんなに美味しい料理が作れるようになった。医療の知識まで身につけてるなんて思わなかった
……
」
確かにそれらはみんな、兄貴と別れてからの四年間で得た技術だ。
「
……
できること、増えたよ。空手や料理以外にも、たくさん。覚えたり、教えてもらったりして」
「そうか。奏太は人と機会に恵まれたんだね」
笑顔を再び暗い表情に戻して、兄貴は紅茶の水面を見つめる。
「奏太は僕がいなくても、友達を作って、色んなことに立ち向かってきてたのに。僕の認識が、『可愛い弟』ってところで止まって、追いついてなかった。それってきっと、君を大事にしているようで、ぜんぜんそんなことなかったんだ」
「そんなこと
……
」
兄貴は緩やかにかぶりを振る。
……
それからしばらく、俺たちの間には沈黙が満ちていたが、
「あのね、」
思い切ったように、兄貴はまた語り出す。
「僕、本当に心配で、不安で怖くてたまらないし、今からでも、やめて、って頼んで縋って止めたいくらいだけれど
……
」
その言葉を最後に、また兄貴は口を噤む。目を閉じ沈黙しているのは悩んでいるか、覚悟を固めているからなのだろうけれど、その様は祈りのようにも見えた。
先よりも長い沈黙ののち、「それでも」と、勇気を振り絞ったように彼は言葉を続ける。
「僕は、君の道を
……
これからの道も、これまでの道も、否定しない」
その言葉は苦々しい諦めの言葉であり、敗北宣言であった。
……
だけど、こちらを真っ直ぐに見つめる眼差しには、静かで揺るがない意志があった。
「君の望む道を、思うように選んで歩いて。
……
でもね、本当に危なくなる前に、戻れなくなる前に、引き返すんだよ。それだけはお願い」
「
……
うん」
「僕はね、奏太が大事なんだ。君が想像しているよりも、ずっと。
……
君がこの世にいなかったら、この僕はいなかった。空っぽな人間が一人いただけだと思う」
「そんなことないよ」
「ううん、ほんとだよ」
こちらから目を逸らさずに、兄貴ははっきりと告げる。
「君がいてくれたから僕は兄になれたし、医者になる夢をくれたのは君だから。
……
どちらでもない僕なんて、何者でもないよ」
「
……
後悔、してない?」
俺の言葉がわからなかったようで、静かに小首を傾げた兄貴に、俺は続ける。
「俺がいたから、俺のせいで、医者を目指して
……
そのせいで、あんなひどい目に遭って
……
お前は闇医者になるしかなくて」
「全然、してないよ」
優しい微笑みで俺の言葉を否定し、彼は続ける。
「医者になるのは奏太がくれた夢だけど、それを選んだのも、闇医者の道を選んだのも、僕だから。
……
あ」
唐突に話を止めて、声を上げて笑う。
「やっぱり僕ら、似てるや」
「
…………
そりゃ似てるよ。兄弟だから」
「ふふ、そうだね!」
俺の肯定に頷きと笑顔を返すと、「とにかくね、」と話を続ける。
「僕、奏太には感謝してもしきれないし
……
だからこそ、昨日のことは本当に、ごめんね」
「
……
いいよ」
頷いて
……
一つ、混乱やら照れやらでまだ言えていなかったことを思い出す。
「あの、さ」
「うん?」
「
……
俺に会いに来てくれて、それに、看病してくれてありがとう」
「どういたしまして! 本当はもっと早く来るべきだったけど、遅くなっちゃった、ごめんね」
「ううん、平気。
…………
あの、」
「うん」
「
……
嬉しかった」
「えへへぇ」
「あと
……
俺の本
……
読んでてくれて、ありがとう」
「僕、奏太の書く話、大好きだよ。新作の叙述トリック、ほんと面白かった! 見事に騙されたよ。次は確か、ホラーにするんだっけ」
「え、それSNSで呟いたやつ
……
見てくれてるの?」
「僕、ファン一号だからね」
「
……
ありがとう」
伝えるべきは、感謝の言葉だけじゃない。
「
……
昨日は、怪我させてごめんなさい」
「大丈夫。
……
それに、先に痛い思いをさせたり、呪文使ったりしたのは僕の方だし」
そう言って、彼はなんだかとても、とても嬉しそうに、無邪気に笑う。
「兄弟喧嘩って、二回目だね。ふふふ、二回目があるなんて夢にも思ってなかった」
殺されかけておいて、なんで笑えるんだ。それに、一回目は喧嘩ですらなかった。俺が罵倒し続けただけじゃないか。
……
思い出は、謝らなきゃいけないことは、どんどん芋づる式にあふれ出てくる。
「
……
あんなこと言ってごめんなさい」
「あんなことって?」
「兄ちゃんが家を出てった時の
……
」
「ん?
……
ああ。全然いいよ。気にしてない」
俺の心に刺さり続けていた棘は、穏やかに、そんな言葉であっさりと受け入れられてしまう。でも、まだ想いの濁流は止まらない。
「俺の
……
大学の入学祝いにって、万年筆買っててくれたよね」
「うん! あの日家出る前に物置に隠してた。奏太が見つけてくれててよかった! 父さんに見つかったらきっと捨てられちゃってたから」
「
……
だけど、カルトの奴らに
……
赤の女王のカルトの奴らに盗られてなくしたんだ。ごめんなさい」
「そうだったんだ
……
でも、奏太が無事だったならいいよ。万年筆なんていくらでも買ったげる」
「でも、入学祝いはあの一本しかない
……
」
「じゃあ、別のお祝いとしてまたあげる。ね? あとね、赤の女王は僕らがもう追い払ったから」
「えっ」
さらっと言われた重大な事実に、あんぐりと口が開いてしまう。
「嘘
……
兄ちゃん、戦ったのかよ、あいつと!? 赤の女王って、ニャルラトホテプの化身だぞ
……
!」
「にゃ?
……
ごめんね、それは僕にはよくわかんないや。でも、あの病魔と戦って勝ったのはほんとだよ」
「
……
すごい」
「僕一人の力じゃなかったけどね。助けてくれた人と、隣でずっと僕のことを信じてくれた人がいたから」
話しているうちに、伝えたいことは、知ってほしいことは、どんどん、どんどん溢れて。
「あのさ、兄ちゃん」
「うん」
「俺、兄ちゃんと離れてから、色んなことがあった」
「そう
……
だね」
「許せないことがあって」
「うん」
「怖い思いや嫌な思いもして」
「うん」
「死ぬ覚悟をして、腹を括ったこともあった」
「
……
うん」
「でも、楽しいこともあったんだ。辛いことと同じくらいたくさん。それに、心を許せる友達や、信頼できる先輩たちに会えた」
「うん。それは、本当によかった。僕も嬉しいよ」
「
……
全部、聞いてくれる?」
「勿論」
優しく肯定し、彼は微笑む。
「君に会いに来たの、このためでもあるからね」
ありがとう、と話し出そうとして
……
昨日抱いた大きな疑問が頭をよぎる。
「に
……
兄貴は、さ
……
」
「うん」
「死んだ
……
の? 本当に?」
「
……
うん。そうだよ。今はこうして生きてるけどね」
苦々しく笑うと、手のひらに視線を落とす。
「知らないうちに部屋に
……
あ、ここじゃなくてその日泊まってたホテルね。そこに病魔がいて、襲われてさ
……
」
「うん
……
」
「何も抵抗できないうちに、身体を切り刻まれて命を落とした。
……
ほんと、呆気なかったよ。人ってこんな簡単に死ぬんだって思った」
かける言葉を見つけ出す前に、彼は続きを語る。
「で、なんで今生きてるのかっていうと、奇跡的にバーストに目をつけられたから。彼女の気まぐれで助けられて、命を拾った」
「バースト
……
もしかして、“被害をそらす”も
……
」
「うん。その過程で覚えた。あの呪文も何度も僕を助けてくれたから、彼女には感謝しかない
……
かな。とはいえ、生き返るのもそりゃタダじゃなくて、信じられないような目にあったし、それに
――
」
不意に言葉が、止まる。
「兄貴?」
彼の表情には、恐怖が、逡巡が、はっきりと見えた。今までどんなことがあっても
――
夢を失ったあの日や、俺の手により死の淵に立った昨日ですら
――
一度も見せたことのない、とても“弱い”顔だった。
「
……
悪い。無理させた。死んだのを思い出すのは、辛いし怖いよな」
「ううん、違う。僕が一番怖かったのは、なかったことにしてしまいたいのは
……
それじゃない」
「え?」
かぶりを振り、改めてこちらに向かい合う兄貴の表情には、もう恐れも迷いもなかった。
「そもそも、その時の
……
病魔に襲われて死んだ僕はね、
……
僕だけど、僕じゃなくなってた。壊れてたんだ」
「え、どういうこと?」
俺の問いかけに、深呼吸を一つ挟んで兄貴は絞り出す。
「
……
狂ってたんだよ、僕」
「え」
狂ってた?
信じがたい言葉が聞こえて、思わずその顔を見つめてしまったけれど、相対する兄貴は目を逸らさず、俺の視線を静かに受け止めていた。
「僕ね、さっき話した病魔に殺される何ヶ月か前に
……
もっと恐ろしくて大きな邪神の声を聞いて、正気を失って
……
おかしく、なってたんだ」
「
……
そう、なの
……
?」
「うん。
……
生き返る時に、狂気も一緒にバーストに取り去ってもらったから元の僕に戻れたけど、それまでの僕は、歪な正義で動く狂人
……
化け物だった」
暗く沈んだ、だけれど信念と強さを持った表情で、ぽつぽつと兄貴は語り続ける。
「自分が世界を救ったんだって、独りよがりの万能感に酔って
……
目的と手段を入れ違えて、間違った正義でたくさんの人を傷つけた。本当に、どうしようもないやつだったんだ、あの時の僕」
「で、でも、それはお前じゃないだろ」
「そうだね、今の僕とは違う。だけど、確かに“あれ”は僕だったんだ」
顔を覆い、苦し気に小さな呻きを漏らす。それでも彼は、語りを、懺悔を止めない。
「もちろん、“あれ”の狂った考えを、今の僕は理解することも許すこともできないけど
……
紛れもなく、“あれ”は僕だ。だって、“あれ”がしていた思考も、“あれ”の記憶も、僕の中に全部残ってるから。
……
僕は“あれ”と一続きの同じ人間なんだ。この事実は、変わらない」
……
話を聞いているうちに俺が思い出したのは、今までに出会った、悪意と狂気に満ちた人間たちのことだった。
彼らは往々にして俺たちの前に敵として現れていたし、一時的に手を組むことになったとしても、その思考は別の次元に生きているみたいで、相容れることなんてできなかった。
兄貴が、俺の兄貴が、あいつらみたいになってしまっていた
……
?
想像はつかないし納得はできない。
……
でも、少し腑に落ちた。散々昨日言っていた、俺に『轍を踏ませない』というのは、このこともあった、のかもしれない。
「
……
死んでしまったことも、おかしくなってしまっていたことも
……
勇気が出せなくて、きちんと話したのは奏太が初めてで
……
」
「うん」
「君に聞いてもらいながら、言語化して思ったんだけど」
「
……
うん?」
「狂った僕の暴走を止めて、正気を取り戻すきっかけを作ってくれたって意味では、あの病魔にもちょっとだけ感謝
……
かなぁ
……
?」
「自分を殺したことに感謝してんの? 笑えない冗談やめろよ
……
」
「でも、現にあいつに会わなかったら僕、あのままだったかもしれない。
……
死ぬのはもうごめんだけどね」
「
……
頼むから、死ぬなよ」
「ふふ、大丈夫。死ぬつもりも、
……
あんな間違いをまた犯すつもりも、ないよ」
その一言で語りを締めて、兄貴は紅茶をごくごくと流し込む。これ以上の過去を、言葉を、丸ごと全部、自分のうちに飲み込んでしまうかのように。
……
少しぬるくなったシェイカーを両手で握りしめ、「あのさ」と、俺は言葉をかける。
「兄貴の話も、聞いていい?」
「僕のこと
……
?」
不思議そう
……
というよりは怪訝そうに返した兄貴に頷く。
「兄貴もさ、俺と同じで、この四年で色々積み上げたてきたんだろ?」
「
……
でも、僕は、あんなことを
……
」
「確かに、そうかもしれない。少し前の
……
おかしくなってた兄貴は、手を止めたり、それまで積み上げたものを崩したりしたかもしれない」
暗い表情の呟きはそのまま受け止める。だけど、その先の言葉を「でもさ」とすぐさま否定する。
「今は元のお前に戻れたんだろ。俺の知ってる兄貴に」
暗い表情に、ほんの少しだけ光がさす。
「だからさ、その話をしてくれよ。兄貴がどんな風に医者としてやってきたのか、どんな人に出会ったのか。
……
兄貴の歩いてきた道を、教えてくれよ」
俺のその言葉に、兄貴はしばらく呆然としていたが
――
「
……
うん。ありがとう」
やがて、へにゃり、と微笑む。
「そうだね
……
話したいこと、たくさんある。消し去ってしまいたい過去もあったけれど
……
頑張ったことも、楽しかったことも、たくさんあったんだ。
……
友達も、できたよ」
「ああ、聞かせて」
「へへ、お互い話すこと、いっぱいだね」
◇
「
――
た、奏太ー、起きてー」
ゆらゆら、ゆさゆさ、身体が揺れる。
「んあ
……
」
薄く、目を開ける。
……
兄ちゃんが、こちらを見下ろしている。
「にいちゃん
……
」
「おはよ!」
「おはよう
……
」
どうやらベッドで眠っていたようだ。
……
昨日の、あの後。
俺たちはひたすら、今までの出来事を話し続けていた。食べることも、眠ることも忘れて、四年間を埋めるよう、ずっと、ずっと、何時間も。
お互い、話したいこと、聞きたいことは尽きなかったけど
……
どこかで俺は眠さに負けたみたいだ。多分、リビングで寝落ちたところを兄貴にここまで運ばれ寝かされたんだろう。
「
……
ごめん、寝ちゃってた
……
」
「大丈夫。夜は眠くなるし、話し疲れちゃったね」
「疲れてない
……
楽しかった
……
」
「ならよかった! 僕もだよ!」
寝ぼけたまま、カーテンを引っ張る。街はまだ暗い。夜の帳の中だ。
「今何時
……
?」
「えっとね、朝の五時」
「
……
そっか、まだ寝れるな
……
」
腕が勝手に布団を頭まで引き上げる。滑らかに瞼が閉じる。そのまま、温かな夢に落ちそうになるけど
――
「だめー! 起きてぇ!」
そんな言葉で布団を引っぺがされて、冷たい現実に戻って来た。
「さぶい
……
」
「ごめんね。でも、起きなきゃ」
「なんで
……
」
「だって奏太、僕からの二つ目のお願い、まだ聞いてないでしょ」
「お願い
……
」
そういえば、まだ兄貴の“お願い”、一つしか聞いていなかったっけ。
「起き抜けでごめんだけど、やってね?」
「うん
……
」
「よし、言質取った! 取り消したらダメだからね!」
無意識にした返事に、妙にやり切った感のある返事を返す兄貴。
……
よくわからないけど、ちゃんと話を聞いた方がいい予感がする。
目を擦り、頬を叩いて、兄貴の顔を見上げる。
……
ようやくピントの合った目で見た兄貴は
……
なんだか、寂しそうな顔をしている気がする。
「二つ目のお願いはね」
兄貴はポケットから何かを取り出す。ちゃりん、と涼やかな音が鳴るそれは
……
鍵だ。
「僕が運転するからさ、バイクの後ろに乗ってくれる? 君と二人乗り、してみたかったんだ」
◇
夜と呼んでも遜色ないような暗い冬の明朝の街を、機体は駆ける。
「はや、速くない!?」
あまりバイクには詳しくないけれど、兄貴に乗せてもらっているこれは大型のものなんだろう。かなり大柄な俺が乗っても、窮屈さや不安定な感じは受けない。でも、車と違って生身で、自転車よりも遥かに速いこれの感覚は少し乗った程度じゃ慣れないし、ぶっちゃけ怖い。
「安全運転だよー! でも、怖いならちょこっとスピード落とそうか」
「
……
いや、大丈夫!」
「ほんと?」
「うん! 今のままのスピードがいい!」
怖いのは本当だけど、風を切って、何よりも速く走っていくのは、心地いいし楽しい。
「
……
今の俺ら、風より速いな」
「えっ」
ぽつり、こぼした言葉に驚いたような声を上げた兄貴。
……
一拍置いて、運転しているその肩が、震えだす。
「なになになに!?」
「タイム
……
ちょっとタイム!」
肩を震わせたまま、兄貴はすぐそばのコンビニの駐車場にバイクを停める。
……
そして、バイクに跨った体制のまま、腕に顔を埋めて震えている。
「ッ
……
ふっ
……
」
「え? え?」
もしかして俺、めちゃくちゃ笑われてる!?
「な、ちょ、変なこと言った! 忘れて!」
「ごめ
……
ごめん! 本当にごめん! 変じゃないよ!」
「んじゃなんでそんなに笑ってんだよ!?」
「わら
……
ん
……
へへ、懐かしくなっちゃったんだ!」
ヘルメットを外し、目を拭いながら兄貴はそう答える。泣くほど笑ったのかよ。
「昔、こうやって二人乗りして、出かけた時にね! 奏太、おんなじこと言ってたんだ! 『風より速いね』って!」
「マジ?」
「うん!」
全然記憶にない。相当小さい時なんだろうな。兄貴と二人乗りしたのなんて、小学生の低学年くらいが最後だし。
「なんか、懐かしくて、楽しくて
……
やっぱ、奏太は奏太なんだ、って思えて、へへ、えへへ」
「
……
そう」
「あ、その時はバイクじゃなくて自転車だったけどね!」
「そりゃそうだろが!」
「へへ、確かに。
……
ごめんね、急に停まって。出発しよっか」
再び、バイクは走り出す。
しばらく乗っているうちに、俺も二人乗りに慣れてきて、周りを見る余裕ができて
……
目に映る景色が、徐々に既視感のあるものに変わっていくのに気づく。
「今向かってるの
……
って、」
無言。
「ねえ、兄貴!」
さっきまで
……
というか、一昨日からずっと、俺の言葉全部に返事してくれてたくせに、何を言っても兄貴は黙ったままだ。
――
それから、数分して、
「よし、到着ー!」
ようやく口を開いた彼が告げた言葉とともに、バイクは停まる。ヘルメットを外し、こちらに振り返る。
「奏太、降りて大丈夫だよ」
おっかなびっくりバイクから降り、ヘルメットを外した先に見えたのは
……
白んできた朝の空を背景に佇むマンション。幾度も見たそれは、
「俺んち
……
帰ってきたんだ
……
」
なんだか、数年ぶりに帰ってきたような気分だ。ここには一昨日の夜までいたのに。とてもとても濃く、非日常な時間だった。
「あのさ、奏太」
「うん」
呼びかけに振り返ると、兄貴はバイクに跨ったままだ。そして、ぽつりと告げる。
「名残惜しいけれど、僕も帰らなきゃ」
……
兄貴の言う「帰らなきゃ」が、単純な「家に帰る」という意ではないということは、俺にもよくわかった。
「
…………
そっ、か。
……
そうなんだな」
「うん。僕は奏太と同じ世界には住めないからね」
「闇医者、さ、やめる予定は
……
ないの?」
「今のところはないや」
「
……
俺たちが、やめてくれって言っても?」
「うん。これは譲れないんだ」
「そっか。
……
うん、そんな気がしてたわ」
「ごめんね」
口調こそ優しげで柔らかくはあったけれど、即答かつ断言するその言葉たちにも、それを告げる表情にも、俺の問いかけ程度では覆せない強い意志が現れていた。
いつだかカイトへ語ったように、俺から兄貴への想いや考えは移り変わる。きっと、兄貴を、今の俺の想いを否定する俺は、すぐそばの未来にも過去にも無数にいるだろう。
だけど、
「
……
頑張ってな」
少なくとも今この瞬間、如月執に相対している俺の返事であり祈りはそれだった。
「うん、僕頑張る!」
俺の言葉に嬉しそうに返したかと思うと、出し抜けに「あ、そうだ」と手を叩く。忙しない奴だ。
「ねね、せっかくだから、伝言頼んでいい?」
「別に良いけど、誰?」
「んー、伝えたい人は何人かいるけど、奏太が大変だろうし一人だけ。アリスに」
「アリス
……
有栖京一さんで合ってる?」
「うん。僕ら大一の時からの仲でね。思うところがあるから」
有栖さんから散々兄貴の話を聞いていたけれど、兄貴の口から有栖さんの名前が出てくるのは多分初だった。
……
ぶっちゃけ、有栖さんが一方的に兄貴を慕っているものなのかと思ってた。
だからこそ、ここで彼の名前が出てくるのは意外だったし、それに
……
、
「お前と会ったこと、話していいのか?」
一番心配なのは、それだった。
「あの人、お前を裏社会から連れ戻すんだ、ってずっと探してる。俺からの伝言、手がかりになっちゃうんじゃないの」
兄貴を連れ戻してほしくないと言えば嘘になるけれど、兄貴がさっき語った信念というか、宣言を邪魔したくない俺もいる。そんな俺からすると、兄貴を探している私立探偵に俺との接触を伝えることは、とんでもない悪手にしか思えなかった。
俺の懸念をよそに、「大丈夫!」と兄貴は快活に笑う。
「知ってるし、構わないよ。僕、絶対逃げ切るし
……
それに、伝えたいからさ」
どうやら、俺が思っていたような関係ではなかったらしい。とにかく兄貴の言葉を聞くことにする。
「えーとね、『奏太を可愛がってくれてありがとう。弟をこれからもよろしく』って。それとね、『君は僕の親友だよ』って伝えて欲しい」
「
……
わかった」
俺の頷きを見届けると、満足そうに兄貴はヘルメットを被る。
「それじゃあ、奏太」
バイクのエンジンが再び駆動する。
「元気でね。僕はいつでも、君の味方だ。応援してるよ」
「ッ、兄貴、待って!」
呼びかけに、アクセルを握ろうとした手が緩む。こちらに顔を向け、俺の言葉を、
……
最後の一言を、待っている。
『いかないで』
本当は、本当なら、そう言いたかった。でも、言えない。だから、だから。
「
……
また、会おうな」
「
……
うん!」
投げかけた言葉に、シールド越しに笑顔が浮かぶ。
「僕、また会いに行くよ!」
その言葉を最後に、バイクは走り出す。
思わず後を追い二、三歩歩む間に、機体はもう、手の届かない場所に行ってしまって。
去っていく背中は、たちまちのうちに小さくなり見えなくなる。
エンジン音と排気ガスは、冬の朝の静謐な空気に吸い込まれる。
ここには何も残らない。俺以外の誰も、初めからいなかったかのように。
――
斯くして。
俺はただ一人、日常に取り残された。
◇
クリスマスが終わった街は、今度は年末がどうのなんて言い出しそわそわしており賑やかだ。曜日も時間も関係なく、なんとなく浮き足っている。
ついこの間までの、サンタやら電飾やらの派手で洋風な装いはどこへやら、和風の装飾やおっとりした和の音楽に満ちた街を見ていると、切り替えの早さに感心するような、呆れるような。
「奏太くん、元気かい?」
そんな言葉とともに、俺の視界にひょっこりと現れたのは勅使河原先輩だ。
「さっきから話に入ってこないけれど
……
」
余計なことを考えていたせいで心配させてしまったらしい。
「すいません、考え事してて。日本人の切り替えの早さってやべーなって」
「いやそれ何人の目線よ」
「お前も日本人だろ」
園田さんと不死原から立て続けのツッコミが来たので弁解してみる。
「だってほら、あそこ、昨日までツリーが置いてあったんすよ。でも今日は門松が置いてある。切り替え早すぎません?」
「うーん、そうかも?」
「
……
ツリーから門松って、色的に全然変わんないよな
……
いっそ融合させてしまっても
……
」
「それは雑すぎない?」
やれやれ、と夜久が肩をすくめている。共感してもらえなかったか。
年の瀬が近づき、大学もそろそろ閉まるころになる今日、俺たち五人は学食に集まって昼飯を食っていた。学食は流石に平時より人数は少ないけれど、それでもそこそこにぎわっている。
みんなで思い思い飯を食って、他愛ない話をしていると
……
なんだか、感慨深くなる。
「帰って来たなぁ
……
」
「ん? 奏太、どこか出かけてたの?」
「まあ、ざっくり言うと、そっすね」
「
……
ま、また前みたいに、宇宙人と入れ替わって別の星行ってたとかじゃないよね?」
「え、違いますよ!? なんで!?」
「だ、だって奏太、あの時も『帰って来たなぁ』とか言ってたし
……
」
「言われてみれば確かに
……
? でも違いますからね、ずっと俺は俺でしたし、行ったのは都内ですよ」
「よ、よかった
……
」
ほっとしたように息を吐くと、園田さんはコーラを手に取った。
……
意味深に話したせいで心配させてしまった。
――
兄貴と過ごしたあの週末から、数日が経った。
予想通り、俺からの伝言を聞いた有栖さんはより躍起になって、あらゆる伝手を使って兄貴を探し始めたけれど、その行方は杳として知れない。
この間俺が泊まった兄貴の家にもたどり着いたらしいけれど
……
もう、兄貴は住んでいなかったらしい。部屋に備え付けられた家具が、ひっそりと残されているだけだったとか。
――
俺が眠ったベッドも、チャーハンを作ったキッチンも、語らい合ったテーブルも
……
あの時のまま、主を失い取り残されているんだろう。
……
そういうわけで、今のところ、兄貴の居所はまったくわからない。俺と兄貴の間にはもう、繋がりはない。兄貴が来る前と同じ状態だ。
でも、多分、希望はある。
だって俺、「また会おう」って言えたから。それにあいつ、「会いに行く」って言ってたし。だからきっと、そのうち会える。四年前みたいには、多分ならない。
『へへ、身勝手に来ちゃった!』
そんな台詞を吐いて、ひょっこり現れそうな気がする。
「どしたの、今度はにやにやして」
少し呆れたような、心配したような様子で、夜久がこちらをのぞき込んでくる。
「
……
え、俺そんな顔してた?」
「超してた」
「マジか」
「まだクリスマスツリーと門松のキメラのこと、考えてたの?」
「や、違くてな
――
」
「
――
うるさい」
不意に飛んできた言葉に、俺たち二人は口を噤む。
……
声の先にいたのは、ひどく不快そうな表情をした不死原だ。
「あ
……
サーセン」
「ごめん、はしゃぎすぎたわ」
おずおずと謝罪する俺たちに、「違う」と彼は短く否定する。
「うるさいのはお前らじゃない。
――
この不愉快な音が聞こえているのは俺だけか?」
「え?」
不死原の言葉に、みんなで耳を澄ます。
……
雑踏の中、歌声が聞こえる。女性のものだ。オブラートに包んで表現すると個性的、オブラートを引っ剥がすと音痴としか言いようのないそれに意識を向けると、どうやら『ハッピーバースデートゥーユー』を歌っているようだ。
……
音程めちゃくちゃだから、歌詞がなかったら絶対わからないけど。
「誰かの誕生日なのかな。こういうサプライズ演出、お店によってはあるよね」
「学食はないでしょうけどね。ウェイが仲間を祝ってんじゃないっすか」
「じ、じゃあここも陽キャの場所だったんだ
……
俺みたいな陰キャがいるのはお門違いだし、盛り下げちゃうよな
……
か、帰ります
……
」
「待て待て帰るな園田。周りを見てみろよ。俺ら以外にも困惑してる人がたくさんいるだろ?」
「た、確かに
……
?」
「だろー? つまり、俺たち陰キャの場所に、陽キャが紛れ込んで勝手に騒いでるだけだ。お門違いはあっちなんだからお前は堂々としてろ」
「あのー、それだとここにいるもれなく全員が陰キャということになっちゃいますが
……
」
「んー? 夜久ぅ、なんか言ったかー?」
「
……
ナンデモナイデス」
「とにかく、ぼくらには関係ないことだし、誰も君を責めないよ。だから気にしなくて大丈夫だよ、伊織くん」
「そっか
……
そうだな、勅使河原! それに、いざとなれば数的有利は俺たち陰キャにあるしな!」
「おー、すぐさまその発想に至るとはな。よっ、戦闘民族!」
「うっせえ戦闘ニート!」
「にしても
……
歌、終わんないっすね」
俺たちがやりとりをしている間にも歌は終わらず、永遠にループを続けている。あまりにもずっと歌っているので、歌声の主も見つけられた。
俺たちのテーブルから少し先で、流行りのワンピースに身を包み、亜麻色の髪をたなびかせて歩く女性がそれだ。やっていることは個性的な癖に、その出立ちは不自然なほど没個性的だった。まったく、一体全体、誰を祝おうとしているのか
――
宝石のように輝く瞳が、俺に向けられた。
「あっ」
小さな声が漏れるとともに、外れた歌が、一瞬、止まる。
「
――
はっぴばーすでー、とぅー、ゆー」
再び、彼女は歌い出す。外れた音程とリズムは変わらないが
――
一つ、歌詞に大きな変化が起きた。
「はっぴばーすでー、でぃーあ、そーたくーん」
「はい?」
「おや?」
「ん?」
「ちょっ」
「はぁ?」
耳を疑うけれど、四人の視線が俺に突き刺さっているのを見て、間違いでないとわかる。
彼女の視線は俺をロックオンしたまま離れない。困惑する俺たちをよそに、彼女はこちらへ、音程もリズムも外れた歌を引っ提げやってきて、そして、
「いぇーい! 奏太くん、お誕生日おめでとーう!」
俺の目の前で、祝福の言葉を反響させた。
一瞬の沈黙。
――
そして、混乱。
「うぇっ
……
みんなが俺を見てる
……
!」
「ご、ごめんなさい園田さん! でも俺も何がなんだかさっぱりで!」
「落ち着け園田。見られているのはこのデカブツだけだ。
……
はあ、俺はお前をそれなりに信用していたつもりだったんだがな」
「不死原は急に心の距離取るなよ!」
「この人誰!?
……
ていうか俺、プレゼント用意してない。ごめん」
「俺も知らんしそこ気にしなくて良いよ夜久! 誕生日来月だし!」
「
……
貴女はどちら様ですか。ぼくの友人に、何のご用が?」
混迷を極める卓から立ち上がり、謎の女性に問いかけたのは勅使河原先輩だ。
彼の口調と台詞こそ穏やかで紳士的だし、立ち上がる動きは優美だった。でも、その目には敵意が滲んでいたし、なにより杖の構えは歩く時のそれとは違うもの
――
すぐに戦闘に移行できる構えだと、幾度か彼と戦闘を共にした俺は気づいた。
先輩による、ヒリつくような視線で見下ろされた彼女であったが、
「およよぉ、顔が怖いじぇ! 笑ってー!」
全く怯む様子はなく、そんな台詞を吐いてカラカラと笑っている。
「笑えるわけがない。ぼくの友人たちに何をする気だい?」
「人聞き悪いじぇ。そんな警戒しなくてもいいじゃん」
「いや、こんな不審な流れで出てきて警戒しない人いませんよ?」
「黒マスクくん正論だにゃあ!
……
んじゃ、ささっと本題に入っちゃうことにしまーす! 奏太くん、右手をご覧くださーい」
「
……
えっ」
言われて気づいた。いつ持たされていたのかわからないが、俺の手の中には何かがあった。
……
紺の包装紙と銀のリボンでラッピングされた、細長い形状の箱だ。
「あげる!」
「いりません」
「だーめ、受け取って!」
「不審者からのものは受け取れません」
「ちーがーう! これ、アタシからじゃなくて、貴方の最初のファンから!」
「最初のファン
……
?」
その言葉に、一人の人物の顔がよぎる。
「アンタちゃんの誕生日が待ちきれなかったんだってさ。
――
じゃ、大切にするんだじぇ!」
「あっ」
そんな捨て台詞を残し、彼女は雑踏の中に溶けてしまった。
「待てッ!」
箱とコメントに気を取られて駆け出すのが遅れた。みんなで後を追い、周りを見渡すけれど
……
先ほどの女性はもう、見つからなかった。
「
……
見失った」
「一瞬でしたね。これ、爆発物とかだったらどうしましょう? 通報した方がいいっすかね」
「つっ、通報
……
そ、そうだよな
……
清也任せた
……
俺は力になれない
……
」
「あ、はい。通報くらいなら俺やりますよ」
「おいデカブツ、それ一旦置け。万が一危険物だと危ないから」
「いや、待って」
小包を両手の平に載せ見つめる。受け取った時にそんな気はしていたけれど、これって。
「夜久、電話ストップ。これ危ないものじゃない気がする」
「え、そうなの?」
このサイズ感と重みには覚えがあったし、俺の最初のファンといえばあいつしかいない。
「開けてみます」
「奏太くん!」
「無茶すんな!?」
みんなに見守られながら、俺はプレゼントのリボンをほどき、テープを一つずつ外していく。やがて出てきたのは、爆弾なんかではなかった。冬の日差しを浴び、銀色にきらりと光ったそれは
――
「万年筆でした」
俺がそれを摘み上げると、みんなから安堵のため息が漏れる。
「爆弾じゃなくてよかった
……
」
「全く、人騒がせだな」
「万年筆って、奏太に似合うな!」
「
……
だけど、奏太くんは万年筆を持ってなかったね?」
「昔は持ってたんです。
……
でも、みなさんと関わる前に無くして、それ以来使っていませんでした」
そっと右手で持ってみる。前のものとは違うけれど、懐かしい重みだ。思わず顔が綻んでしまう。
「無くした万年筆
……
もう会えない人から数年前にもらった、思い入れのあるもので
……
買うことを勧められたり、プレゼントとして提案されたりしたこともあるけど、新調する気になれなくて」
「
……
なあ」
じっ、と赤い瞳で俺を見つめながら、不死原が静かに問いかける。
「お前の言葉と表情から察するに、これの送り主は、最初に万年筆を贈った奴なんだな?」
「ああ」
頷き、先ほどの女性を思い浮かべる。彼女は、俺の記憶にはない人だったけれど
……
「あの人は俺の身内の知り合いとかなんだろうな。あいつの代理で持ってきてくれたんだ」
「奏太の身内
……
もう会えない
……
って」
「まさか、奏太くん!」
園田さんと勅使河原先輩は思い当たるところがあったようだ。頷きと苦笑を返す。
「
……
お騒がせしてすみませんでした」
そう、俺の初めての小説を読んで、「面白かった」と伝えてくれた、一番最初のファンは。やり方は違うけれど、いつかも俺に万年筆を贈ってくれたのは。
「これの送り主、俺の兄貴です」
四者四様の「兄貴!?」ののち、質問の嵐。
「確か、四年前に生き別れたお兄さんだよね?」
「お医者さんで、筋肉がすごいんだよな!?」
「兄貴? 生き別れ? 筋肉? 待って奏太。頭が追いつかないんだけど」
「如月。初耳なんだが」
「ごめん、不死原と夜久には話せてなかったけど、俺、兄貴がいるんだ」
「奏太
……
弟だったんだ
……
」
「お兄ちゃんさ、会えてないんだよね?」
「はい。四年くらい会えてませんでしたが
……
」
「
……
否定形と過去形に意味はあるのか?」
「まあ、うん
……
先日、色々あって会いまして
……
」
「会えたのぉ!?」
「ええ。
……
看病されたり盛大に喧嘩したりチャーハン食ったりしました」
「何だそれ」
「仲いいの? 悪いの?」
「やっぱり背、高かった?」
俺の言うことはすべて爆弾発言になってしまう。再び卓は混乱と混迷を極めていて、なんか、とても申し訳ない。
「
――
とりあえずさ、」
そんな言葉とともに、ぱちん、と手を鳴らしたのは勅使河原先輩だ。
「改めて、君のお兄さんのこと聞かせてもらおうか。この後のみんなの飲み物代は、ぼくが持つから。いいだろう?」
俺の返事を待たず、いたずらっぽく微笑んで、続ける。
「みんなも奏太くんの話を聞きたいだろうし、
……
いつかと違って、奏太くんも話したいようだしね?」
……
そうかもしれない。
勅使河原先輩と園田さんに兄貴の存在を開示したのは、どちらの時も、俺がおかしくなってしまっていたのがきっかけだ。二人のことは信用していたとはいえ、正気だったら話すつもりはなかった。
でも、今俺は、まっとうな思考回路で、「このプレゼントは兄貴からだ」って、みんなに、四人に伝えたんだ。黙っている選択肢もあったのに。
……
それはつまり、そういうことなのかもしれない。
みんなを見やると、静かに、俺を見ている。
……
俺の言葉を、待ってくれている。
「
……
それじゃあ、お言葉に甘えて、少しだけ
……
」
そんな言葉で、俺は、友人たちに少しずつ想い出を語り出す。
◇
――
復讐譚には幕が下り、筆が置かれた。あの物語の続きがあるかは、俺にもわからない。
だけど、“日常”はまだ、続いていく。昔のようには戻れない。歪んで、失って、傷ついたけれど、
……
これから先、悲しいことも、苦しいことも、また起きるだろうけれど、
……
それも含めて、俺がこの日常を選んで、ここでこのまま、生きていたいと思ったから。
だから、俺の物語は、もう少し続く。
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