望月 鏡翠
2024-02-15 22:34:41
1014文字
Public 日課
 

#1268 「芝」「見えない」「時計」

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 そこに家があったことを、もう誰も覚えていない。
 人の手が入らなくなれば、数年で人の土地は山に帰る。獣すら通らなくなれば道も消えていく。その場所にたどり着くには記憶だけが頼りだったのだが、記憶を繋いでくれるような情報も、ほとんど残っていない状態だった。
 私は何度も振り返り、背後に見える山や川の位置を確認した。それだけは数年経っても、変わることなく同じ位置にあった。道標にするには心許ないが、他に確かなものがないのだから仕方がない。
 先に進むうちに少しずつ記憶を取り戻してきた。こちらの道であっている。数年経っていても、私の帰りを待っていてくれるものがいくつかあった。記憶にあるより大きくなった木が、かつてと同じ佇まいで待ち受けていた。
 そうしてたどり着いた場所は空き地だった。何もないことは想像ができていたのに、私は少なからずショックを受けた。人が住んでいたようには見えない。
 建物の形は残っていない。基礎がかろうじて残っているが、草に覆われてしまって、やけに平らな地面があることを伺い知ることができる。コンクリートを突き破るような強靭な植物はまだ根を張っていないらしく、芝に覆われている程度だった。きっとかつて庭に生えていたものが、増えたのだろう。
 私は家の基礎部分を探った。軍手をして草を掴む。力任せに引っ張って、かき分ける。鎌や鋏でもあればよかったが、刃物の類は持ち込んでいなかった。
 完全に緑に飲み込まれてしまったように見えるが、よくよく見ればそこには瓦礫の名残らしいものが残っていた。
 カチカチと音が聞こえて、私は手を止めた。
 聞き間違いか、あるいは私が瓦礫を揺らして鳴っている音か。いや、確かに鳴っている。カチカチと聞こえてくる。
……バカなやつだ」
 音の発信源を探す。太陽光で充電するといっていたが、これだけ植物に覆われているのに、電池がまだ生きているなんて奇跡的だ。時間が大きくずれてしまっているかもしれないが、今は細かいことは気にしないでおこう。
 昔この場所に人間がいた。この先長い時間を生きる私のために時計を作ってくれた。そんなもの持って歩くわけがない。そういうと彼は笑いながらいったのだ。
 百年先まで動くものを作ってやる。だから時間を知りたくなったら、取りに来い。
 約束通り動き続けた時計には、私が彼と過ごしてからどれほどの時間が経っているのか、しっかりと刻まれていた。