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2024-02-15 14:07:48
7964文字
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幸福のぬい

つがいを探しに旅立つごろりんさめの話 童話調 ハピエン

 ぬいとは、まったく不思議なものです。
 それはもともと、人々を幸福にするために作られました。
 しかし、幸福でないものには、人々を幸福にする力などない、と誰かが――それは人間かも知れませんし、ぬいたち当人かもしれません――考えたのです。

 だから、ぬいは幸福を強く追い求めます。
 うつくしいものに囲まれることが幸福なぬいは、うつくしいものを追い求めます。
 食べることが大好きなものは、美味しいものを追い求めます。

 そして愛することを決めたぬいたちは、互いに愛するものを追い求めます――

   + + + + +

 むらさめは、ほがらかなぬいです。
 だから彼は、自分が箱の中の最後のぬいになっても、ちっともしょげたりはしませんでした。
 物心がついたときには、いくつものむらさめが箱の中にいたのです。売れのこった理由はわかりません。他のむらさめより、彼はめがねが少し曲がってついていたから、そのせいだったかもしれません。
 とにかく、そんなむらさめにも飼い主が現れて、そして、彼はその家に持ち帰られましたが――困ったことに、そこにはすでに、むらさめがいました。
 しかもむらさめではない、別のぬいもいます。別のぬいは、ししがみと呼ばれていました。
「ちょっとブサイクでさぁーそれでかなぁ、売れ残っててー。なんか可哀相で買っちゃったけど、そのせいで二対一になっちゃった」
 先住むらさめやししがみの飼い主は、そんなことを言っていました。だれが何を言おうと、むらさめは気になりません。むらさめのことを世界一かっこいいと言ってくれる人は、きちんとどこかにいるはずなのですから。
『あなたもここでくらすといい』
 先住むらさめは新入りであるむらさめに、親切にそう言ってくれましたが、むらさめは、なるほど、それはちがう、と思いました。なぜならここには、ししがみが一人しかいないし――そのししがみは、むらさめのことを世界一かっこいいとは、思っていないようなのです。
 つまりここは、むらさめの居場所ではありません。そしてどこかに、このししがみではない、むらさめだけのししがみが、むらさめのことを待っているはずなのでした。
 ししがみはむらさめよりマヌケなので、一人ではむらさめのことを探せないでしょう。むらさめは自分から、ししがみのことを探しに行かなければなりません。
 だからむらさめはある日、この二人の飼い主が持ち運ぶバッグによじ登り、忍び込んで、家の外へと飛び出しました。
 むらさめは賢いので、世の中のたいていのことを知っています。バッグの持ち主が電車に乗っている間に、バッグからこっそり転げ落ちれば、むらさめは自由の身になれるのです。
 そうしてむらさめは、ししがみを探す旅に出ることにしました。

 ぬいとは、まったく不思議なものです。
 そんなぬいの中でも、とくべつに賢いぬいであるむらさめが探しているのですから、むらさめは旅をすればするほど、彼のししがみに近づくはずです。
 そうして様々な乗り物へと、ひとびとのバッグを伝わって乗り降りし、むらさめは、ししがみを探しつづけました。
 バッグの中には、他のぬいが暮らしていることもありました。彼らは皆、むらさめのことを見て嫌な顔をしましたが――なにせむらさめは旅の埃にまみれていましたから――、自分だけのししがみを探している、と言うと、中には応援してくれるものもありました。
 心に誇らしさとほがらかさを忘れることなく、むらさめは旅をつづけました。バッグの中のいじわるな、尖ったもの――鍵とかクリップとか、そういうものに、身体を引っかけられて、きれいな縫い跡がほつれることもありましたが、そんなことで、止まるむらさめではありませんでした。
 しかしある日――まったく悪いことに、それはひどい雨の日でした――、開いた車の中に潜んでいようとしたそのとき、勢い良く開きすぎたドアの風で、むらさめの身体は宙に飛ばされました。
 引きずられたり轢かれたり、ということにはなりませんでしたが――ドアの端に引っかけられて、ほつれたところが大きく開き、ふかふかの綿がぼわりとはみ出て、そして、むらさめは濡れた地面の上に落ちました。
 こうなってしまうと、なかなか自由に動くことはできません。そもそも、この世の中の多くのものは、せわしなく動きすぎているのです。むらさめのように落ち着いて、ゆったりと動くものはとても少ないのでした。
 泥水を吸って重くなる身体に、むらさめは途方にくれました。しかしそれでも、ちぎれためがねは、しっかりと手に握りしめます。これはむらさめのチャームポイントなので、なくしてしまっては、彼のししがみが、彼に気づかないかもしれません。
 そのまま道にうずくまっていると、かたわらに、人間の靴が現れました。
 長く白い指がむらさめをつまみ、手のひらで支えながら持ち上げます。
 そしてその手はむらさめを、脱いだジャケットでくるみながら、車の後ろの座席に乗り込みました。

 ジャケットからは、人間がよく使う、消毒のスプレーのにおいがしました。

   + + + + +

 旅慣れたむらさめはよく知っていましたが、人間が乗ったのはタクシーという乗り物でした。それは大きな――少なくともかつての、先住のむらさめとししがみが暮らしていたあの家よりは、ずっと大きな家の前に止まり、人間はむらさめを包み持ったまま、家の中に入りました。
 家は、しんとして、広々として、流れる風はあたたかいのに、ひえびえとしているように見えました。それは、むらさめを包み持つ人間そのもののようでした。
「あなたはぬいというものだな」
 そう言って、人間はむらさめを机の上に置き、奥に入ると、なにやら箱を一つと、おそろしげな道具をたくさん持ってきました。
 おそろしげと言っても、むらさめは賢いぬいなので、それが医者の使う道具なのだということを知っています。
「あなたほどの重傷者は初めてだが、姪のぬいを治療したことはある。汚れもひどいので、まず綿をすべて取り出し――
『!!!!』
 このマヌケは何を言っているのか、と、むらさめは憤激のなかで手足をばたつかせました。できることなら、全身を使ってどすどすと、とび上がっていたことでしょう。
 むらさめはししがみを探す旅をしており、彼のししがみに出会ったときに、ししがみに、世界一かっこいいむらさめだと思ってもらわなければなりません。むらさめの綿はむらさめだけのもので、このフェルトの自慢のめがねだってそうなのです。それをとりかえてしまっては、ししがみはきっと、むらさめがししがみのむらさめだと気づかないことでしょう。
……なるほど」
 道具を並べる手を止めて、人間はしばらく目を伏せました。ひえびえとした何かが伝わってくるよりまず、むらさめは、人間がむらさめの意見を聞いたことにおどろきました。
 人間は、ぬいの話は聞きません。耳には入っているはずなのに、なぜか聞こえてはいないのです。ごく限られたぬいと、ごく限られた人間のあいだでだけ、こうしたことは起こるのだといいます。
 つまりこの人間は、むらさめのためにある人間でした。
「しかし、つがいとやらを探しているのであれば、多少はこざっぱりとした格好であったほうがいいだろう。せめて浸け置きをして身体を洗ったらどうだ」
 たしかに、それは理にかなった提案のように、むらさめには思われました。
 人間は器に洗剤とぬるま湯を入れて、むらさめの身体をそこにつからせてくれました。綿にもなにやら細い棒を入れて、ていねいに汚れをかき出してくれました。
 やはりこの人間は、むらさめのためにあるようです。
 お湯をかえて、何度かそれをして、むらさめは人間の言うとおり、こざっぱりとしました。これ以上綿がはみ出ないように、何かおくりものに使ったような、赤いリボンできゅっと胴を巻き、そうして人間はむらさめを、日当たりのよい場所でかわかしてくれました。
 こざっぱりとしたのはよいことですが、むらさめは、ししがみを探す旅の途中です。もとどおりに体を動かす練習をすると、その体はころりとあお向けになってしまいました。
 どうも綿のバランスが悪くなったようです。
「じっとしていたほうがいい。……テーブルが滑るのか。何か布で……
 人間の言葉は、ひえびえとしたなにかに溶けてしまったようでした。やがて人間は、いい匂いのする、やわらかい、ひえびえとはしない、きれいな布でむらさめの体をくるんでくれました。
「それは……
 むらさめと布から手を離し、人間は静かに言いました。
……それは、もう私には、不要のものだから。あなたが使うといい」
 賢いむらさめはよく知っていますが、これはハンカチというものです。ずっといい匂いがしますので、おそらくこの人間のハンカチではないのでしょう。
 こんないい匂いのものを、もういらないと投げ出すなんて、なんとマヌケな人間なのでしょうか。
 むらさめは気持ちがよくなってきて、ひさしぶりに眠りました。夢の中には彼のししがみがやって来て、なんてすてきなむらさめなんだろう、おまえは世界一かっこいいむらさめだ、とたくさんほめてくれました。夢の中のししがみは目のさめるようなあおい目をしていて、きいろいフェルトも日の光でぴかぴか光っているのでした。


 むらさめは、手術を受けることになりました。
 むらさめの体はこのまま放っておくと、バラバラに裂けてしまう、と人間は言います。とはいえ綿を替えることはむらさめが絶対に許さなかったので、裂けたところは「かいほうそう」のまま、その上を大きくかばうように、糸をかけることになりました。
 人間は、よい主治医のようでした。彼はいろいろな機械でむらさめの体を診察するだけではなく、白い板にむらさめの絵を描き、この小さな石ころはこう取り除く、このななめの傷はこの糸で覆う、とていねいに説明をしてくれました。どこも取りかえないのならまあよかろう、とむらさめも手術に同意し、むらさめの小さな体は、「ふくくうきょう」を使った手術となりました。
 むらさめの体を手術台の上に置き、ぴちぴちの手袋をして、人間は大きな透明のケースを、むらさめの上にかぶせました。ケースには穴が空いていて、長くとがった――あまり好きではない形の――棒がそこに差し込まれようとしたとき、ピンポン、と音が鳴りました。
 むらさめは、それが来客を知らせるチャイムなのだということを知っていました。
 人間はもちろん、むらさめの手術を優先しました。しかしチャイムは繰り返し鳴ります。人間は舌打ちをして、スマートフォンというものの画面をのぞき込み――そして、ハッ、と息をのんだようでした。
 応答する、とスマートフォンに話しかけてから、人間は、
「はい」
 と静かな声で言いました。
 手術中に来客を優先するなんて、ひどい医者です。よい主治医だと思ったのは、むらさめの見込みちがいだったのでしょうか。
 しかしむらさめは、スマートフォンから流れてきた、
『オレだよ』
 という声に思わず耳をかたむけました。その声が、あまりにうつくしい声だったからです。
『カメラで見えてるよな』
……見えている」
 がらんとした、ひえびえとした声で、人間は答えました。
『あのとき、オレの顔なんてもう二度と見たくないって言ったよな。でもさ、お前は医者だろ。そして急患がここにいるんだ。オレのことじゃないぜ。お前に参ってる、なんて使い古したセリフも言わねえよ』
 長い沈黙が、そこにはありました。人間の赤い目はじっと、スマートフォンの画面を見つめていました。
『路上でカラスにつつかれてたんだ、食えもしねえもんをさ、馬鹿なカラスだよな。さすがカラスって名前なだけはある。お前、なおしたことあるって言ってただろ。……こいつのことも、なおしてやってくれよ』
 それでも人間は黙っていました。やがて細く長い指が、長い棒を台に置き、手袋をはがしました。
「ロックを解除した。玄関で待っていろ」
 手袋のにおいの残る手が、むらさめの体を持ち上げ、ていねいに、あの赤いリボンでくくりました。私をどこに連れていくのだ、とむらさめが暴れようとすると、だいじょうぶ、と人間の静かな声が言いました。
……だいじょうぶだ、きっと」
 その手が少し震えていて、むらさめは、人間を勇気づけてやりたい気持ちになりました。むらさめは勇敢なぬいなので、持っていればきっと勇気づけられることでしょう。
 しかし、あのハンカチがないことはいただけません。
 それを指摘すると、人間は困った顔をしましたが、やがて「わかった」と言って、ハンカチの上にむらさめを乗せてくれました。いい匂いは、気持ちがよくなります。おそらくそれをこの人間は知らないのだろう、とむらさめは思いました。
 音もなく部屋を動いて、人間は、あの日泥だらけのむらさめを運び込んだ、あの玄関にたどり着きました。そこにはキラキラのあおい目とピカピカのきいろい髪をした、もう一人の人間がたたずんでいました。
 人間は少し高いところから――玄関には段差があるものです――、なぜか、むらさめの体をそのぴかぴか人間に向けて、押し出すようにしました。
「そいつ、」
 キラキラの人間はおどろいたような顔をして、それから、その人間の手の中にある、マフラーのかたまりをそっとより分けました。マフラーの中にはぬいが一人いて、ひどいけがにぶるぶると震えているようでした。
 そのぬいは汚れていて、しみだらけで、小さなごみのようなものが、たくさんついていました。けものと戦ったからでしょうか、なまぐさいにおいがして、ほこりだらけの目は片方が破れて落ち、手も片方がちぎれていました。
 ――わたしの。
 むらさめには、すぐにわかりました。
 ――わたしのししがみだ!
 駆け寄ろうとのたつく前に、人間の手がむらさめを乗せたまま、さらに、ぐっと押し出されました。むらさめは手を伸ばし、ひしとししがみに抱きつきました。ししがみはむらさめに顔をくっつけて、おれの、とふるえる声で言いました。
『やっとみつけた、おれの』
 めがねがなくても、ししがみは気づいてくれました。
『そうだ、あなたのだ』
 綿はふくらんではりさけるようで、じっさい、どこかでビリリ、という音がしました。
「あっ」
 おどろいたような声が、人間のどちらからともなく上がり、そして二人の人間は、それぞれの手の中のむらさめとししがみを、ぎゅっと包むように握りしめました。
 やがて四つの手が、二つのぬいを守るように包み込み、支え合い、つながって絡み合いました。その中でむらさめとししがみは、いつまでも抱き合ってふるえていました。

   + + + + +

 人間が増えたので、むらさめは、それぞれを「ねくらにんげん」「ぴかぴかにんげん」と名づけました。
『ねくらにんげんはひどすぎる』
 あんなにきれいな赤い目をしているのに。そうししがみが反論するので、ししがみがそう言うならと、むらさめは手ごころを加えてやることにしました。
 くろにんげんと、きいろにんげん。
 くろにんげんはやはりよい主治医で、むらさめとししがみの、綿のいたんだところをすっかり取り出し、取りかえてきれいに詰め直してくれました。二人の綿は同じ綿のかたまりから取ったので、替えてもなにも怖いことはありません。いまや、むらさめとししがみの中には、同じ綿が入っているのです。
 傷はきれいに閉じられて、ししがみのちぎれた手も、ていねいに縫い直されました。なくしてしまった片方の目は、人間たちの注文してくれた、あたらしい目をつけることになりました。
 目が片方変わっても、ししがみはむらさめのししがみです。青い目は、ぴかぴかでも、ぴかぴかでなくても、見ているだけでうっとりするようでした。
「最近さ」
 くろにんげんはむらさめを連れて、「ぬいのおうしん」に行きます。むらさめとししがみが一緒にいられるのは、そのときだけです。まあしかし、この人間たちはどちらも頼りないものですから、ぬいがそばについている必要があります。だからあまり会えないのも、いたしかたのないことではありました。
「こいつのここの染み、薄くなってきた気がしねえか?」
 きいろにんげんの指先は、ししがみの頭を撫でています。わたしの頭もなでてほしい、とむらさめが思っていると、くろにんげんが答えました。
「ぬいには、わずかだが自己修復能力があるらしい。このように得体の知れないものが流行るとは、おそろしいものだ」
「人間でも、恋をするときれいになるって言うんだからよ……『このように得体の知れないもの』ならなおさら、よく治るもんなのかもな」
 ししがみは撫でられつづけるのをいやがって、むらさめに抱きついてきます。何も怖くないぞ、と抱き返してやると、こわいんじゃねえもん、とフェルトの顔がかわいくふくれました。
「なあ、むらさめ」
 呼ばれたのかと思って、むらさめはきいろにんげんを振りあおぎました。しかしきいろにんげんの、ピカピカのあおい目は、くろにんげんのあかい目にひたりとすえられたまま、まったく動いてはいませんでした。
 きいろにんげんの大きな手が、ししかみとむらさめの頭の上に乗りました。きゅっ、と後ろを向けさせられて、なんだ、なんだ、と二人がもぞもぞしていると、ン、と小さな声が頭上から聞こえました。
 おそろしく静かな時間の後、何か濡れたような音がして――すぐさま、パアン! とするどい音が、その静けさをやぶりました。
「私は、私はかえるっ」
 くろにんげんは、聞いたことがないような声を出し、飛ぶように去っていきます。ということは、私はここに泊まるのだろうか、とむらさめが思っていると、大きな手がむらさめを持ち上げ、忘れ物、と言いました。
 振り返ったくろにんげんの顔は、赤いというよりもう、どすぐろくなっています。そしてきいろにんげんの顔には、真っ赤な手のひらの跡がついていました。
「ビックリさせたのは悪かったよ……お詫びにメシを作るから」
「さっきのような、あなた、あんな、いやらしい」
「お前がイヤなら、もうしねえよ」
 くろにんげんは震えています。むらさめをまたテーブルに置き、きいろにんげんはくろにんげんの方に歩いて行きました。
 ふたりの人間は、何やら言い争っています。それを見てししがみが言いました。
『あいつもむらさめなんだな』
『どうもそうらしい』
 そううなずきながら、むらさめは少し、そわそわとしました。むらさめはめがねこそ少し曲がっていますが、それでも、世界一かっこいいむらさめのはずです。あのくろにんげんなど、比べものにならないむらさめのはずです。
 しかしししがみは、そう言ってくれるでしょうか。
『むらさめかぁ』
 もう一度そう言ってからししがみは、でも、と左右がすこし違うあおい目で、むらさめを見て言いました。
『どうでもいいや。おれのむらさめは、おまえだけだからな』


 夢とは少しちがっても、これはこれでわるくない、とむらさめは思いました。

   + + + + +

 ぬいとは、まったく不思議なものです。
 それはもともと、人々を幸福にするために作られました。

 ぬいが幸福なら、人もきっと、幸福になります。