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kaede
2024-02-14 14:32:19
13510文字
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ニキと一彩くんがバレンタインのチョコを渡して食べてイチャイチャするだけのはなし
タイトル通りのニキひいです
「今日は友達の部屋に泊まるから、一彩くんと二人でごゆっくりどうぞ」
そう言って同室の悪戯っ子が冗談混じりに、けれど僕に
……
僕たちに気を配ってくれていることがありありとわかる笑顔を見せるので。
変に気を回さなくていいっすよ。
と、思った。建前でも何でもなく、本当に、そう思った。
夕方に終わるはずだった仕事が一時間ほど押したので、そのまま夕飯を済ませて寮に帰る途中、話があるから部屋に戻る前に共有ルームで待っていてほしい、とひなたくんからメールが届いた。僕の記憶が確かな限り、彼からのメールはいつだって具体的かつ簡潔に要件が記してあって、こんなふうに持って回った言い方をすることなんてなかったので、てっきり何か深刻な相談(正直、厄介の方を想定していた)をされるかと思ったら、まさかこんなことを言われるなんて。
いくら僕と弟さんがルームメイト以上の間柄だからって、それでひなたくんを邪魔者と見做すほど僕は薄情な人間ではないつもりだし、友達をとても大事にしている弟さんならなおさらだ。ひなたくんが仕事や用事で部屋を空けている時にはちゃんと二人の時間を大切にさせてもらっているのだから、今さら自ら仲間外れになることを望むようなこと、言わなくていい。ひなたくんとしては、そこまで深刻で切実なことは考えていないのだろうけど。でも、こうしてひなたくんのためのチョコレートだって、ちゃんと用意しているのだから。日頃お世話になっているお礼とか感謝とか、単に甘いもの好きな後輩が喜んでくれたら嬉しいとか、そんないろんな気持ちを込めて。寮の他の子たちよりちょっと多めに。
本当にただそれだけの意味しかない。賄賂では決してない。
たとえ、それならその気遣いを綺麗に丁寧に、未練もなく返却できるのか、と言ったらそれは正直惜しくなってしまうとしても。
惜しいというか、良心の呵責と本音の狭間で僕が唸り声を上げてしまう。
だからこれは決して。
「
……
ありがとうございます」
諸手を挙げての感謝ではない。決して。
せっかくのひなたくんの厚意を無駄にするのは忍びないし、弟さんと二人きりになれるならそれはもちろん嬉しいし。
良心の呵責よりも本音の方に僅かに軍配が上がっただけで
……
本当にありがとうございます。
「今回は厚意に甘えさせてもらいますけど、でも本当に、僕らに気を回さなくていいんすからね。あとこれ、チョコレートっす。バレンタインの」
「やりぃ! ありがとうございます!」
ひなたくんのために用意しておいた箱を差し出すと、彼は変に揶揄うことなく素直に喜んでくれた。
「それにしても、椎名先輩も一彩くんも、優しいですよね」
「ん? 弟さんと何かあったんすか?」
「優しい二人には幸せになってほしいなぁって、ひなたくんは思います」
それじゃ、また明日。
そう続けて、ひなたくんがひらひらと手を振る。僕の質問に答える気はないらしい。
含むような笑い方が少し気になりはしたものの、悪い予感がするかと言ったらそういう感じもしない。それに、僕としても特別気になるほどのことでもない。弟さんが、肉となるために自ら火の中へ飛び込んだうさぎのように優しいのは当たり前のことなのだから。まあ、弟さんはそうするより先に肉を狩ってきそうではあるけれど。いや、そんな話ではなくて。そう、むしろ僕と同列に扱うのは失礼というものだ。
なんて考えているうちにひなたくんは行ってしまっていて、物理的にも何も訊けなくなった(スマホがあるけれどそれこそそこまでして必死に知りたいことでもない)僕は、自分の部屋へ戻るしかなくなってしまった。いや、最初からその選択しかありえなかったわけだけれど。
慣れた心地でノックを二回して、ドアを開けた。
「ただいまっす」
「あっ」
僕の言葉に対応するものではなく、明らかにタイミングが悪かったのがわかる声音で、弟さんが僕を見る。
手には、チョコレートとおぼしき箱が二つ。多分、誰かからもらったものなんだろう。
その箱たちを丁寧に持ち直して、弟さんが笑った。
「お帰りなさい!」
誤魔化すように
……
という空気はまったく感じないので、タイミングが悪かった、と思ったのは僕の思い込みだったのかもしれない。けれど、そうとも限らないので
……
というか、明らかに誰かから贈られたそれらを大事そうに持つ弟さんを見て、少しモヤっとしてしまったのを
……
別に、今日はバレンタインで友チョコなんて言葉が必要なくなりつつあるくらいに贈ることへの垣根が低くなった昨今、弟さんが誰からからもらうことも渡すことも取り立てて気にすることではないけれど、僕だって寮のみんなに贈り回ったわけだし、それは別にどうということもないのだけれど、受け取ったそれをどう扱うかで相手への感情の大きさや重さというものはある程度測れるわけで、つまり弟さんを疑いはしないけれど僕と同じかそれ以上に大事に思っている人間から
……
燐音くんはまぁ、しょうがないですけど、片方は燐音くんからだと仮定したとしてもそれならもう一つは誰から
……
いやいや、弟さんは食べ物をぞんざいに扱う子じゃないし優しい子だから相手が誰だろうが大事に扱うに決まっていて、でもそれだけ考えてもやっぱりモヤモヤは消えないのででも弟さんには何の関係もない感情なので誤魔化したくて
……
結局誤魔化してるのは僕の方じゃないすか、と内心呆れながら、訊いた。
「タイミング悪かったっすか?」
もちろん、そんな情けない感情が顔に出ないよう、気をつけて。
「そんなことはないよ」
そう否定した弟さんは落ち着いていて堂々としていて、やっぱり僕の勘違いだったんすね
……
とますます情けない気持ちになっていると。
「椎名さんがいつ帰ってくるのかな、って思ったらそわそわしてしまって」
跳ねるような弟さんの笑顔が、僕の曇天を吹き飛ばす。
そのままうさぎみたいにぴょんぴょんと駆けてきた弟さんが(もちろん僕の誇張表現であって、実際はやや大きめの歩幅で近寄ってきただけだ)僕の前で行儀良く止まる頃には僕はもう、さっきまでとは別の感情が顔に出ないよう、必死だった。
「そっすか」
神様、僕の恋人はこんなにもかわいいです。これは自慢です。
「よかったら僕のももらってください」
と、鞄から取り出したはいいものの、すでに両手が塞がっている弟さんに渡したところで困らせてしまうだけだ。そう思って、ソファへ座るようそれとなく促して、彼の隣にいつもよりも若干近さを意識して腰を下ろしてから言うと、弟さんは丁寧に箱を置いて、僕からの贈り物を受け取ってくれた。
惚気を差し引いても、誰が見たってかわいらしく笑って。
「ありがとう」
いつもの爛漫な声とは少し違う、奥ゆかしさを感じる声で言うから、なおさら。
胸がいっぱいになってしまって、少しでも空き容量を増やすために、なはは、と意図しない声が出てしまってもこれは仕方がないと思う。
「早速開けてもいいかな
……
あっ、僕も用意してるから、渡す方が先だね」
「いいっすよ。先に開けちゃってください」
弟さんからももらえることが確定した時点で僕はもう九割満足してしまっていたし、楽しみで待ちきれない、というリアクションを見せられてしまったら、その顔がもっと輝く瞬間を早く見たくなるのが料理人
……
いやこれは、うん。
恋人というものだ。
マットな赤い箱に、光の加減によっては虹色に反射する乳白色のリボンを施しただけのラッピングなんて、何の捻りもないし質素すぎるかと思っていたけれど、彼のわくわくする表情には良く映える。これで正解だったみたいだ。
「わぁ
……
! どれもすごく綺麗だね!」
蓋を開けてチョコレートを眺めて、僕を見て目をきらきら輝かせる弟さんの方が、星みたいに綺麗だ、なんてことを本気で思ったけれど、それをさらっと照れずに言えるような度胸はあいにく、持ち合わせていない。一等星は僕の心の中に大切にしまった。
「この丸いのは以前にも見たことがあるけど、こっちの枝みたいなものは何だろう」
「丸いのは寮のみんなにも配ったチョコレートトリュフで、そっちのは
……
とりあえず食べてみてください」
自分も子供の頃は枝のようだと思ったことがあった。なんてことを微笑ましく思い出したのは一瞬だけで、あとはもう、期待で胸がいっぱいになってしまう。
それを食べた弟さんの反応が楽しみで。
いただきます、と律儀に一言挟んでから、一口かじった弟さんの顔が、咀嚼するたびに光り輝いていく。
「
……
レモンの味がする!」
「シトロネットっす」
「しとろ
……
ねっと?」
こくりと首を傾げながら、無意識だったのか。食べかけのシトロネットをぱくりと口に含んで、弟さんが言う。
自制心が仕事をしてくれたからよかったけれど。
かわいい。
と、うっかり口にしてしまう日がいつか僕にも来てしまうんだろうか。
「レモンピール
……
レモンの皮を砂糖で煮詰めて乾燥させたものに、チョコレートをかけたものっすね」
「
……
もしかして僕のためにわざわざ?」
「なはは。そんなに手間はかかってないんすよ。あっ、手抜きって意味じゃないっすからね!」
気を使わせないように口にしたつもりだったのに、これじゃ逆に失礼な意味になりかねない。とセルフフォローする僕の慌てっぷりが面白かったのか。
「ありがとう、椎名さん。僕は幸せ者だね」
弟さんがくすっと笑う。
そんな弟さんを見て僕は、笑ってくれて良かった、と思う。
彼の好物の一つがレモンだということは知っているし、これまでにも何度も、彼に喜んでほしくてレモンを使った料理やお菓子をつくっているのだから、もしかして、なんて。間違っていたら申し訳がない、みたいに言わなくていい。そうに決まっているのだから。
そんなこと、頭の良い彼なら簡単に推測できそうなものなのに、「もしかして」を予想が外れた時の保険としてではなくて、思い上がった言動、と考えてしまうところがどうにもいじらしくて、切なさにも似た気持ちになってしまう。
だから、笑ってくれて良かった。
もっと、自信を持って思い上がってくれていい。自惚れてほしい。
抱きしめて、キスして、愛してる、と伝えたい。彼の心の脆いところが僕の気持ちでいっぱいになって、愛されているという自信に変わるまで、何度でも。
なんてことを思ったけれど、やっぱり僕にはそういう類の度胸はさほどないので、見つめるだけで精一杯だ。
……
いや、キスまでなら許してもらえるだろうか。
僕を見つめ返す彼の瞳が淡く波立つのを見ていたら、そんな気持ちになってきた。この子は潔癖なようでいて、僕と触れ合うことを好んでいる節があるから。
……
一彩くん。
「僕からもこれ、受け取ってくれるかな」
「あっ、僕のだったんすね!?」
声がひっくり返ったのが先か、心臓が飛び上がったのが先か。まあ、そんなことはどうだっていいんだけども。
明らかに挙動不審な僕を見ても弟さんはニュートラルに微笑んだだけで、僕の反応を不思議には思ったかもしれないけれど、深掘りしようという素振りはない。
それならもう、変に慌てる必要もない。
弟さんが差し出したのは、僕が部屋に戻ってきた時に彼が持っていた箱だった。
「いやー、てっきり誰からもらったものなんだと思ってました。
……
ええと、どっちが、っすかね」
茶色の包装紙に金色のシールが貼られたものと、黄色い箱に黒のリボンが巻かれたもの、そのどちらもを。
僕が困っていると、弟さんの唇の端がさらに柔らかく持ち上がった。
「どちらも椎名さんのために用意したものだよ」
「え? 両方とも、っすか?」
「ウム」
弟さんでなければ、冗談を言って僕をからかっている、と思ったかもしれない。けれど目の前にいるのは正真正銘、素直で意図的に嘘をつくことを好まない弟さんだ。というか、こんな真っ直ぐに僕を見つめてくれる子が、嘘をついているなんてとてもじゃないけれど思えない。
それならもう、思い当たる理由なんてこれくらいしかない。
「それってやっぱり、僕がたくさん食べちゃうから、ですかね
……
。気を使わせちゃって申し訳ないっす」
先んじて謝った僕に、弟さんは柔らかく首を振った。
「違うよ。実は、迷ってしまったんだ」
「迷った?」
「どちらを贈れば椎名さんが喜んでくれるか、わからなくて
……
」
かわいい。
……
今、僕、何も言わなかったっすよね。
弟さんの様子を見る限り、大丈夫そう
……
っすね。
危なかったっす
……
。
喉元まで迫り上がっていた、率直だけれど返事としては成立しないそれを丸呑みしながら、内心冷や汗を拭く。幸い弟さんは僕の身体の中身が全体的に温度が上がって、夏場の室内に放置してしまったチョコレートみたいに大変なことになっているとは気づいていないようで、かわいらしくはにかんだまま、続ける。
「でも、無理に一つに決める必要はないのかもしれないって、そう思ったんだ」
今度は少し驚いて、そのおかげで体温も若干、下がる。チョコレートは妙なかたちで固まってしまったかもしれないけれど。
「それで結局、両方買った、ってわけっすか?」
「ウム。
……
喜んでもらえただろうか」
「もちろんっす! その、好きな子から二つももらえるなんて、僕ぁ世界一の幸せ者っすよ。なはは!」
照れずには言えなかった上に照れ笑いまでしてしまった不格好な言葉だったけれど、それでもそれは間違いなく僕の本心だ。
少し緊張気味に見えた弟さんは僕を見て、ほっと頬をゆるめる。
「よかった」
いつもなら元気いっぱいによく響く声で言いそうな言葉も、ホットミルクに溶けていく砂糖のように淡い。やっぱり、緊張していたみたいだ。
「ふふ、正解はひとつだけだからこそ正しい、って思っていたけれど、いくつ答えがあってもいい、というのもとても楽しいね」
そう言ってことさら甘く微笑んだ弟さんを抱きしめたのは妄想の僕で、現実の僕は撫でるように微笑み返すのが精いっぱいだ。
それでも僕は本当に、幸せな気持ちでいっぱいだ。
一つの部屋で共同生活を始めた頃の弟さんは、絶対的な正解を示しがち、求めがちなところがあった。天城の兄弟曰くの都会で生活を送るうちに、自分の培ってきた正解が他人にとってはそうではない場合もあることを知って少しずつ、異なる価値観や理不尽に対しての解像度や許容範囲が広がっていって、それが彼にとっていいことなのか悪いことなのかは僕にはわからないけれど、それでも僕は、嬉しかった。
僕には弟さんが、他の誰かの価値観でがんじがらめになっているように見えたから。彼の生い立ちも事情もほとんど知らない僕がこんなふうに思うのはおこがましいのだろうけどそれでもやっぱり、自分の中から生まれた自分だけの感情や衝動を恐れず否定せず、大切にしてほしかったから。
だから、そんな彼が自ら正解を一つにしなかったことが本当に勝手だとは思うけれど、嬉しくて、幸せだ。
「あのー、やっぱり、ぎゅってしてもいいっすか?」
「やっぱり?」
僕の逡巡なんて知る由もない弟さんが口にした当然の疑問ごと抱きしめてしまったから、きっと弟さんは驚いただろう。驚かせてしまっただろう。そう思いはしたけれど、今さら離れる気にもなれないし、彼が僕を拒むどころかその身を委ねてくれるから。僕を自惚れさせてくれるから。
キスしたい。
と思ったけれど。
こんなことするために抱きしめたわけじゃない。
じゃあどうして抱きしめたのかと訊かれても、うまく説明できる気もしないけど。
嬉しくて幸せだ、って気持ちと、だから抱きしめたい、という衝動が理屈では結びつかなくて、少し考えてはみたものの頭を使うとお腹が減ってしまう。もうやめよう。はぁ
……
弟さんあったかいっす
……
。
「
……
椎名さん」
僕を呼ぶ声が耳元でふわりと咲いて、遠のきかけていた気が戻ってくる。
弟さんは、溶かした飴みたいに甘くて熱っぽい瞳で僕を見つめていた。
『今日は友達の部屋に泊まるから、一彩くんと二人でごゆっくりどうぞ』
不意に、ひなたくんの言葉が頭をよぎる。
いやいや、ひなたくんは決してそういういかがわしい意味で言ったわけじゃ
……
。
……
いかがわしい?
いやいや、僕は何を考えてるんすか。
いやいや
……
。
「燐音くんにはもう渡したんすか? チョコ」
「え?
……
渡しに行こうとしたら偶然会えたから、その時に」
想定外の質問をされてもすぐに対応できるあたり、やっぱり弟さんは頭の回転が早い。
兄想いの弟さんのことだから、きっと燐音くんにもチョコを用意しているのだろう、とつけた見当は当たっていたみたいだ。ついでに、弟想いの燐音くんは、きっと偶然を装って弟さんに会いに来ただけだろう。
燐音くんからもチョコをもらったのか、もらったとしたらどんなものだったのか。気にならないと言ったら嘘になるけれど、今はそれよりももっと気になることがある。
「ってことは、このあとの予定はない、ってことでいいっすか?」
「
……
ウム」
弟さんが伏目がちに、控え目に、頷く。僕の視線の射程範囲には入らないように。
それがどういう意味なのかがそれなりにわかるくらいには僕も、弟さんを知っているつもりだ。
弟さんは明確な理由と目的があったから、要件を全部済ませてから部屋に戻ってきた。僕と二人きりになれる時間をできる限り増やすために。
つまり弟さんは。
いつもよりも駆け足でカロリーを消費している心臓は気にしないようにして
……
それとも、後押しされていたんだろうか。
僕がこれから言うことはきっと弟さんを、びっくりさせてしまうだろう。
「んじゃ、弟さん」
「椎名さん
……
」
「とりあえずお茶にしましょうか」
「えっ
…………
う、む」
想像通り、肩透かしを食らった時のお手本みたいな顔をして、それでも一言も反論することなく同意してくれた弟さんに内心、謝る。
そりゃ僕だって君を早く食べたい
……
もちろん比喩的な意味で
……
ですけど、物事には順序というものがあるんすよ。
というのは建前で、ただ覚悟するのに時間が必要なだけだろう、と言われてしまったら反論できないわけなんですけど。いや、これからご馳走を食べるのだったらやっぱり、それなりのテンションを整えてから挑みたいですし。すぐにがっつくのはお行儀が悪いですし。
これから長丁場になるかもしれない、なんて考えたら腹ごしらえはしておきたいですし。
うん。
「僕は自分に嫉妬してたんすね
……
」
「ん? 何か言ったかな?」
夜食に食べようと用意してあったホットドッグにかじりつきながら、弟さんが語尾を跳ね上げる。軽く焼いてさらにおいしさが増したそれを咀嚼して、満足げに笑う彼のおかげで、少し気持ちを和ませられてよかった。
「ありがたいなぁ、って話っす」
部屋に戻った時、弟さんがチョコの詰まった箱を大事そうに持っていたのはそれが僕に贈るものだったからで、それを知らなかった僕は、まるで僕よりも大事にされている人がいるように感じてしまってなんだかモヤモヤしてしまった。そのモヤモヤの正体に今さら気づいて、あまりに余裕のない自分が格好悪くて情けなくて頭を抱えたくなるのに、でも同じくらいに
……
いや、それ以上に嬉しい。
思いがけず目で見て知った、彼が僕に向けてくれる想いのかたちが。
「弟さん、僕がこのメーカーのチョコが好きなの、覚えててくれてたんすね。ありがとうございます」
「いつも見てるからね」
「こっちはクレビにちなんで、ですかね」
「ウム! とても愛らしくて、椎名さんにぴったりだと思ったんだ」
「なはは
……
」
コーヒーを飲みながら僕への好意にあふれた言葉をてらいなくポンポンと並べ立てる弟さんは、とても格好いいっすよ。
と言えなかったのは単に見栄を張りたいという僕の身勝手な理由だ。
僕だって、好きな子には格好いいと思われたいくらいの欲はある。
早速開けさせてもらった箱の中身は、好んで食べているメーカーのバレンタイン限定チョコレートと、蜜蜂をモチーフにしたチョコレート。
ホットドッグ四本を堪能した口をコーヒーでリセットしてから蜜蜂の方を口に入れると、チョコの中から蜂蜜がとろりとあふれた。
「ビターチョコと蜂蜜の甘さのバランスが絶妙で、おいしいっす!」
「よかった
……
!」
弟さんがほわりと呟く。
きっと僕の口に合うかどうか、ずっと気にしてくれていたんだろう。僕にとってそれは、僕の幸せを考えてくれることと同じだ。
だからそんな弟さんの幸せを僕も考えるのは当然のことで。
「よかったら弟さんもお一つどうぞ」
「え? でもそれはもう椎名さんのものだし、僕が食べたら減ってしまうよ?」
好奇心が旺盛で目上の人間相手でも尻込みしないのに、こういう時には自分を下に置いて遠慮しがちな彼ならきっとそう答えるだろう、というのは想定済みだ。ひっそりと息を吸って、あらかじめざっくりと用意しておいた文句にアドリブを混ぜて、少し気落ちしている様を装った。
「それはそうですけど、僕が食べてほしいって
……
おいしさを分かち合いたい、って思ったんで
……
ダメっすかね」
こうすれば優しい弟さんは僕の申し出を無下にはできなくなるから。もちろん、セリフそれ自体には嘘は一つもない。
「ううん!」
僕の期待通り、弟さんは慌てて首を振ったあと、照れくさそうに笑った。
「そういうことなら、いただくよ。
……
本当は、少し気になっていたんだ。椎名さんが絶賛するそれが、どれくらいおいしいのか」
そうっすよね、と心の中で頷く。彼の目の動きを見ていれば、それくらいのことなら簡単に見透かせる。いつも見ているから。
「なはは! じゃあ、あーんしてくださいっす」
つまんだチョコを弟さんの口元に持っていくと、彼は戸惑いながらも頷いて、口を開ける。
冗談というか、軽いノリで食べさせようとしただけだったのに、そんな神妙な反応をされると、僕も妙に意識してしまう。
だから、チョコを放り込む瞬間、指先が彼の唇に触れてしまったのが単なる偶然だったのか、わざとだったのか、もう自分でもよくわからなくなっていたのだけれど。
「んぁ」
と、小さく喉を鳴らした彼が指先の熱から何かを感じ取っていたのは明白で。
「っ
……
とても、おいしいね」
唇から溢れた味の感想も、いつもの太陽のような明るさとは違って、夜の三日月のような色香がある。
「
……
来年はもう少し凝ったボンボンショコラにチャレンジしてみましょうかね」
たくさんつくって、一つずつ食べさせあげて、少しずつ溶けていく君を見て、最後は一緒に溶けてしまいましょうか。
……
なんて、単なる妄想に過ぎないわけだけども。
僕がそんな、いかがわしいの一歩手前くらいまで考えていたことなんてつゆほども知らない弟さんは、僕を見てどこか申し訳なさそうに微笑んだ。
「僕も椎名さんみたいに手づくりできたらよかったのにな」
手づくりでないと気持ちが伝わらない、なんてことは絶対にないのだから、僕としては、既製品でも相手のことを考えて選んだものなら何も間違ってない、と思うのだけれど。
世界にたった一つのものをつくることでより気持ちが伝わることもある、とも、思う。
弟さんのそれが欲しい、とも。
「じゃあ来年は、一緒につくりましょうか。お互いの好きなものをたくさん入れて、贈り合うんす」
「
……
いいの?」
「もちろん。弟さんは要領がいいっすからね、きっと上手につくれますよ」
足手まといになりはしないか、と気後れしての発言だろう。そう思って背中を押す返事をした僕の言葉尻に、弟さんの声が重なる。
「来年も、椎名さんは僕と一緒にいてくれるの?」
馬鹿な僕にしては珍しく、一瞬で理解した。
彼はとても前向きで未来への努力を惜しまない子だけれど。
こればっかりは、自分一人でどれだけ頑張ったところでどうしようもない。
二人で努力しなければ叶わないことだ。
「
……
もちろんっす! いや、一彩くんさえ良ければですけど!」
堂々と言い切ってしまえばいいのに、どうにも弱腰になってしまうところが格好悪い。一彩くんは来年も僕と一緒にいたいと思ってくれているのだから。
一彩くんの青く澄んだ目が綺麗な円を描いて、ゆっくり、溶けていく。
こんな僕の頼りない言葉でも、君はそんなふうに尊く笑ってくれるんですね、一彩くん
……
一彩くん?
「え? 僕、今、君に何て言いました?」
「もちろん、と」
「そのあとっす」
「
……
一彩くんさえ良ければ、と」
「うわぁ
……
」
やってしまった。
彼がらしくなく、落ち着かなげにもじもじと僕を見つめていたのは、つまり、そういう。
「何か問題でもあったのかな」
満点では足りないくらいにかわいらしく、絶妙な角度で目を上向ける彼に、僕はどんな顔で返せばいいのかわからない。
とか言ったところで、なるようにしかならないけれど。
視線が定まらない。
「問題というか、その、まさかこんな無意識に君の名前を呼ぶとは思ってなくて」
「え? でも今までにもたびたび、呼んでくれていたよね」
いやまあ、それは確かにそうなんですけど。
君が僕に名前を呼ばれたがっていて、今もとても喜んでくれていることは理解しているけれど、もう少し手加減してほしい。今の僕にその正論はちょっとばかり、荷が重い。
「覚悟して呼ぶのと、何気なく呼ぶのとではなんていうか、こう、気持ちの持ちようが違うというか」
「覚悟?」
「
……
君の名前を呼ぶ時はそれなりに緊張してるってことっすよ」
そこで一度言葉を止めて、息を吸う。言ってしまえばなんてことはなかった、といつも思うのに、どうしていつも、最初の一歩を踏み出す瞬間はこんなにも覚悟が必要なんだろう。
「一彩くん」
呼んだ途端、いや、少しフライングしていたかもしれない。
一彩くんが僕の胸に飛び込んできて、そんなふうに全力で好意を示されたらどうしたらいいのかわからない、と僕は思っているのに、僕の身体は彼をやんわりと抱き返す。きっと、一彩くんの望む通りに。
それから数秒遅れて、確かに僕はこうしたかったんだな、と。先に行ってしまっていた身体と追いついた僕の心がぴったり重なって、僕はもう一度、今度は自分の意思で彼を抱きしめた。
僕の頭の奥をくらくらさせるような、一彩くんの甘い声が耳をくすぐる。
「つまりさっきは緊張していなかった、ということかな?」
「そういうことになるんすかね」
「椎名さんの気持ちの問題だから強要はしないけど、これからはあまり気負わずに僕の名前を呼んでくれると嬉しいよ」
「一彩くんもっすよ」
やっぱり、なんてことはないんだな、なんてことを思う。
一度覚悟してしまえば、あとはもう。
ニキさん、と。
僕の名前をいっとう甘やかに呼ぶ声に、それよりもっと甘ったるい声を絡ませる。僕にもこんな声が出せるんだな、と他人事みたいに思いながら。
「キスしていいっすか?」
「
……
もちろん」
さくらんぼみたいにおいしそうに色づいた彼の頬に、キス。
一彩くんは、そこじゃない、と言いたげに眉を下げたけれど、物事には順序というものがあるので。
焦らされて縋るような顔をする一彩くんが見たかった、なんてことは決して。
「ていうか、期待してましたよね」
「ニキさんと二人きりで過ごせるのだから、期待もしてしまうよ」
柔らかく溶けた瞳で僕を見つめる一彩くんの唇に僕の唇が触れそうな、でも触れない距離で笑ってみせると、一彩くんの唇が珍しく、拗ねた子供みたいに尖る。
他人に対して、喜びや楽しさといった陽の感情を見せることには素直なのに、悲しみや不満はあまり露わにしない
……
というよりそういった隠の感情には鈍い節がある彼だけれど、僕のことは、条件さえ揃えばそれなり率直に不満を吐き出してもいい人間、くらいには思ってくれているらしい。
できればもっと、我儘を言ってくれてもいいのだけれど。君は普段からあまりにも欲がないから。
……
いやまあ、今はそれなりにあるみたいですけど。
と、そこまで考えて、はたと気づいた。
「
……
もしかして一彩くんも、ひなたくんに何か言われました?」
「『今日は帰らないから二人きりでラブラブな時間を過ごしてね。椎名先輩にも伝えておくから』と言われたよ」
「そういうことっすか
……
」
一彩くんが理由もなく、ひなたくんが帰ってくる可能性を除外するはずがない。と思ったら、やっぱり。
『椎名先輩も一彩くんも、優しいですよね』
あの時ひなたくんが何を指して、優しい、と言ったのかの見当がついてしまって、くすぐったいような気持ちになってしまう。
きっと一彩くんも、僕と同じことを言ったのだろう。
友達思いのとても良い子で、
……
僕のことをとても好きでいてくれる子だから。
「今度、二人でひなたくんに何かお礼をしましょうか」
「ウム! 僕もそう思っていたところだよ
……
っ」
自分から話を振っておいて強制終了させるなんて、褒められたことじゃない。
いや、提案を受け入れてもらえたのだから、そこで一段落ついていると思えば特に問題はないわけで。
こんな時ばかり頭の回転が速くなるのはどういう理屈なんだろうか。
まあそんなこと、どうでもいいんだけど。
一彩くんだって待ちかねていたわけだし。
最初こそ、不意をつかれたかたちになって軽く戸惑っていたようだった一彩くんも、ようやく欲しいものをもらえている、と理解してからはとても素直だった。
「ん
……
ぅ
……
ふぁ
……
」
積極的に舌を絡ませてくる一彩くんを軽く押し留めて唇を離すと、とろけた飴玉が僕を見る。もっと、とねだっているのがまるわかりの顔で。
付き合ってる子にそんな顔をされて、何もしないでいられるほど僕はできた人間じゃない。
まあ、何もしない気なんて最初からなかったんですけど。そのための順序だったわけですし。
もう一度、キスをする。わざと音を立てて、唇に触れるだけの浅いキスを、何度も。焦れた一彩くんが僕に食らいつこうと熱い吐息をこぼしたその瞬間を見計らって深いところまで侵入すると、彼はぶるりと震えて喉を鳴らした。とても、満足げに。
これで満足してもらっちゃ困るんですけどね。
一彩くんは、僕が肩を軽く押しても抵抗するどころか、全部受け入れてしまって自らソファに倒れ込む。彼の腕力なら僕に逆らうことくらい、造作もないことのはずなのに。
そういう彼の従順さに、自分を卑下しがちだからこその諦観なのではないか、と胸を刺されたこともあったけど。
いつの間にか、僕の首には彼の腕が絡み付いていて、離れられない。
だからつまり、多分これは、僕から与えられるものは全部欲しい、という我儘に似た感情なんだろう。
僕のことを好きだから。
そうだとするなら、こんなにも恋人冥利に尽きることはない。
「今日の一彩くんは甘くておいしいっすね」
上からにこりと笑顔を落とすと、意味を理解した一彩くんの頬が今度はいちごみたいに熟していく。
「あの、そのっ! 歯を磨くべきだったよね
……
!」
「そんなこと今さら気にしなくていいっすよ。僕も同じですし。ていうか」
「ふぁ
……
っ」
シャツの上から脇腹を撫でられただけで甘ったるい声を上げて身をよじってしまった君が、今さら断るとは思ってないけれど。
「全部、食べていいっすか?」
こういうことはちゃんと同意を取らないといけないし
……
というのもあるけれど、なし崩しにことに及ぶのではなくて、君の返事を聞きたい、というのが本音だ。
「
……
まだお風呂に入っていないんだけど、それも、気にしなくていい、のかな」
「もちろん。あ、もしかして遠回しに断ってたりします? それなら無理強いは」
「違うよ!」
一彩くんの青い瞳が、縋るように揺れる。
少し意地悪なことを言ってしまった自覚はあったので、本当はすぐにでも謝りたかったところを、じっと耐える。
君にちゃんと、欲しがってほしいから。
そんな僕の気持ちが伝わったのかどうなのか。一彩くんは身体を軽く起こして僕にキスすると、重力に逆らうことなくソファに倒れ込む。
それから、シャツのボタンを上から二つまで外してから、微笑んだ。
「
……
残さず、全部、食べてほしいよ」
欲しがっていることを隠しもしない、とろとろに溶けた顔で。
火に飛び込んだ優しいうさぎは最後、どうなったっけ。
忘れてしまったけれど。
君にはもっと自惚れて欲しいし、我儘になって欲しいし。
これから先もずっと、つながり続けたいから。
だから僕なら全部、綺麗に食べてあげる。
もちろん、比喩的な意味で。
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