もし私が魔法使いじゃあなかったら、ミスラさんはどうしただろう。少なくとも、石を食べさせようとはしなかっただろうな。人間はどこまでも弱いから、なのにこの世界の大多数を占めて強いから、私が人間だったら、もしかしたらミスラさんは私を恐れたかもしれない。私だって、魔法科学を便利に使って、魔法使いを動力源としてしか見なかったかもしれない。でも、これは全部仮定の話だ。私は弱い魔法使いで、ミスラさんは強い魔法使いで、そして、私はずうっとミスラさんに恋をしている。
「川に落ちたマナ石を全部掬って欲しい?」
「そうなんです。たくさんマナ石が落ちてある川が西の国にあるらしくって、魔法化学兵器の動力源にしたいから魔法の力で全部掬って欲しい、ってことらしいんですけど。えぇとそれから……」
夜の食堂で、賢者様は少し言いづらそうに私に向かって言った。魔法科学に使うために魔法使いを使うなんて、ちょっと本末転倒じみている気がしたけれど、彼らにとってはそれらは矛盾しないんだろう。でもどうして、その川にはマナ石がたくさん落ちているんだろう。魔法生物がたくさん死んだのだろうか? 賢者様はテーブルの上に、西の国の王家の紋章が入った地図を広げる。そしてしばらく考え込んだ後、ここです、と、『ヴェルドン川』と書かれた急な川を指した。
「あぁ、自殺の名所じゃないですか。今日は誰か死んだんですか?」
賢者様が地図を指さして何かを言おうとした時、隣を通りかかったミスラさんが覗き込んでそう言った。誰か死んだんですかって、じゃあ、魔法使いが自殺したとでもいうんだろうか? 私は不思議に思い、ミスラさんを見上げる。そしてその次に、賢者様を眺める。
「誰か死んだというか……今回は心中ですね。西の国で魔女であることを隠して暮らしていたカフェーの女給と、その店の店主の息子が心中したんです。この急な川で」
賢者様は憂鬱そうにそう言った。でも、私はそれが少し不思議だった。まほ使いは忌避される。でも、西の国の女王リリアーナ陛下は、私たちに祝福を願った。魔法科学と魔法の融合を彼女は願ったはずだ。なのにどうして、その二人は自死を選んだのだろう。そんなに、庶民の間ではまだ魔法使いや魔女が受け入れられないのだろうか?
「マナ石の採取くらい、下級兵にさせればいいのに、どうしてルチルなんです?」
「それが……骨と石が絡まり合って、マナ石だけを取るってことが出来ないらしいんです。つまりえぇとその、ルチルにはマナ石と人間の骨を分離させる作業もして欲しくてですね、ルチルは繊細な作業が上手ですし……」
賢者様の言葉に、私はちょっとぎょっとした。そんなに深く交わりあった恋人たちを引き離すのも悪く思えたし、人の骨とマナ石が絡まり合っている様子を考えると、やっぱり少し怖かったから。
「ルチルには荷が重いですよ。俺が行きます」
「そんな、私も行きます」
「骨が怖いのに?」
「それでも、行きます。他に危険はないんですよね、賢者様」
私は賢者様を振り返る。すると賢者様は頷いて、少し水が速いですが、と付け加えた。
こうして、私とミスラさんは、月が照る夜に川にマナ石と、骨を拾いにいくことになった。死んで結ばれようとした二人を、引き離しに行くこととなった。私は憂鬱だったけれど、それでもミスラさんが側にいたからどこか安心出来た。愛しい人が必ず離れないと知って、私は寂しい二人の死に、ようやく向き合えるような気がしていた。
たどり着いた川は衛兵に囲まれ、彼らは邪魔が入らないように通り道をじっと見つめ、私たちに敬礼をするとすぐに仕事に戻った。ヴェルトン川は確かに急だったが、魔法で流れを止めてしまえば、後は散らばった石を拾うばかりだった。
私たちは月夜、マナ石と人骨が混じり合った、不思議な乳白色の石を拾い集めた。この作業は簡単だったが腰を屈めているのは骨が折れ、窮屈だった。月の光と、ランプの光がなかったら、全部拾い集めるのは到底無理だったに違いない。そしてその全てを拾い集めた私たちは、用意された小屋に行き、そこでマナ石と、人骨が混ざった宝石を広げ、一つ一つ、生まれ変わるときのことを話し合っただろう二人を魔法で分離させ続けた。私はやっぱり悲しくて、ちょっと泣きそうだった。死んでもなお別れさせられるなんて、これが悲恋でなくて何なのか。
「ミスラさん、はやいですね。何かコツってあるんですか?」
涙を誤魔化すために言うと、ミスラさんは甘い声で、けれど冷静に言った。
「ありませんよ。ただ、あなたみたいに、生前の二人について考えていないだけです」
「……せっかく二人は結ばれたのに」
「死んで結ばれるなんてこと、西の国の魔女たちが考えそうなことですよ」
ミスラさんは口を尖らせて言った。そんなこと、馬鹿げてると言わんばかりに。確かに、馬鹿げているのかもしれない。死んで二人きりになって愛し合ってだなんて、そんなのロマンチックすぎるかもしれない。
「男の親からしてみれば、息子が魔女に誑かされて、骨までマナ石っていう不純物に絡め取られて、悔しくてしょうがないんじゃないですか? 詳しくは知りませんけどね」
ミスラさんの言葉に、私は何も言えなかった。二人の恋はどの程度だったのか、私は知らないからだ。でも、心中するくらい思い詰めていたのなら、どうしても別れを選べないのなら、いっそ箒で逃げてしまえばよかったのに。母様が全てを捨てて父様と一緒になったみたいに、故郷を捨てるくらい、誰にだって出来そうなのに。
「……西の国を捨てればよかったのに」
「ルチル、賢者の魔法使いであることを捨てて、魔法舎から俺と逃げられますか?」
「えっ、それは……」
「ミチルも捨てて、俺だけを見ていられますか?」
「っ……」
私は言葉をなくす。そこまで、そこまでは考えていなかったから。ただ可哀想な二人の成れの果てを見て、哀れに思っていただけだったから。自分に選択を突きつけられたら、何も言えなかった。
「……冗談ですよ。俺もあなたも死ぬまで賢者の魔法使いですし、チレッタとの約束も死ぬまで続きます。あなたとミチルは死ぬまで血縁だ。死んだところで、えにしは消えやしない。約束もね。それに魔法舎から逃げたところで、俺たちはチレッタみたいに幸せになれない」
ミスラさんは、最後の石を骨と分離させて、そう言った。私は立ち尽くしたまま、いつの間にかぽろぽろと泣いていた。ミスラさんはそんな私を眺めると、魔法を使わず、綺麗に整えられた指先でもって私の涙を拭った。いつも唇や耳元を愛撫してくれる指で、私の涙を拭ってくれた。
「さぁ、依頼はこれで終わりです。あぁ、でも報酬をもらってなかったな」
ぼんやりと涙を流す私に、ミスラさんは一度分離させた骨とマナ石を再びくっつけて、傷だらけで、一目では宝石と気づかない石にした。そして小屋にランプを置いて私を川に連れてゆき、魔法で時を止めていたそれを再び流して、そこに石を放り込んだ。誓い合って川に身を投げた、魔女とその人間の恋人を、今度こそ一つにしてややるように。
「魔法使いの血が流れる者同士、これくらいしてやってもいいでしょう。報酬はどうせ興味のない金銀財宝でしょうしね」
「ミスラさん」
私はミスラさんの腕を引く。そうして、川の脇で口づける。ミスラさんは拒まない。私の強引なキスを、この人は拒まない。
「落ち着きましたか?」
どれくらい口付けていたのだろう? 空にはまだ月があって、小屋に置いたままのランプは輝いていて、川を囲む衛兵はずっと道の方を見つめている。何もかもが変わらなかった。変わったのは、石になった魔女と、骨になった青年が、ひとかけらだけ、ともに川に流れていったってことだけだった。
私の恋は、実るのだろうか? ミスラさんの考えは私には分からない。ミチルと通じ合う彼が、私には分からない。キスをして、セックスをしても、それは変わらない。でもミスラさんが、私を受け入れてくれることだけは分かった。それが愛じゃなくても、母様との約束の末の決断でも、私はミスラさんが好きだ。魔法舎を捨てることがなくても、ミチルを捨てることがなくても、私はミスラさんを愛せる。そこまで苛烈な愛が私たちの間になくても、愛し合うことは出来る。
「そろそろ、夜が明けますね」
ミスラさんが言う。私は頷いて、彼から離れ、衛兵に全て終わったと伝えた。全て終わった。魔女と人間の恋も終わった。いつか魔法使い同士の恋が終わることがあっても、私はずっとミスラさんを愛するだろう。血はえにしであるとミスラさんは言った。だったら、多分約束もえにしだから。
「夜明けの色は、どれだけ頑張っても、パレットから取れないんです」
「残せないものこそ美しいって、俺は思いますよ」
ちょっと彼らしくない言葉を聞いて、私は笑ってしまった。ミスラさんは少しだけ怒っているのか、むすっとしている。
「行きましょうか。きっと賢者様、徹夜で待ってますよ」
「あの人らしいですね」
私たちは笑い合って、ミスラさんの魔法で魔法舎に戻る。そこには優しい空気が流れていて、私たちを否定する人は誰もいなくて、心地いい、そこから離れたくないって思う。でももしそこから離れることで真実この人と結ばれるのなら、私は川に身を投げた魔女とその恋人のように決断をするだろう。多分、きっと、ミチルを愛していても、きっと。
私は空間の隙間から覗く激しい川の流れを見つつ、魔法舎に戻る。ミスラさん好きですって、口の中だけでつぶやいて、彼の背に向かって何度もまばたきをして、愛していると、そればかりを考えて。
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