CHIMERAT
2024-02-12 23:35:29
6205文字
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第2話

『みなさんへ』

滞在2日目。
前日のどこまでも果てがない透き通った青空と比べ、今日は早朝からどんよりとした暗く重い空が広がっていた。
個人部屋を出て旅行客みんなが集まれる広い共有スペースに向かえば、廊下に部屋の明かりがまばらに漏れているのが目に入る。
起きているのは数人、まだ眠っている人もいるようだ。部屋で身支度をしている人もいれば、既に外に出て早朝の散歩に出掛けた人物もいるらしい。コテージの玄関から靴が1つ減っているのが確認できた。
「こんな朝早くから外に出るとかよくやりますねぇ。まぁ今日は曇っているぶんまだマシか
窓を開けて外の様子を見ると僅かに香る土の匂い。匂いは人の記憶に最後まで残ると聞いたことがある。何時間もかけて移動したこの場所でも自分の部屋を思い出した。
少ない睡眠時間が習慣になっていたせいで好きな時間まで寝ていられる今のような状況でもあまり長くは眠っていられなかった。こんなに朝早く起きたのはいつぶりか。
このリゾート地に来るまでは一日中仕事に追われ、朝から晩まで文字を追っていた。絶えることなく頭に入れ続けなければいけない情報を前にパンク寸前だったのだろう、目が滑って集中が続かない日もあった。
取れない身体の倦怠感も、段々と働かなくなっていく頭も、砂になってしまいそうな程の眩しい朝日も。思い出すだけで気が滅入る。
気づいた時にはテレビに映し出された番号を携帯の画面に入力していた。自動音声に従い申し込みが終わった後の高揚感たるや!仕事を全て放り出して飛び込んだが後悔はしていない。
無鉄砲に怪しすぎるツアーに参加してしまった、という反省の念はあったが早々に切り替えることにした。手続きを終えてしまったものは仕方がないのだから。
島内全体の通信環境が整いきっていないことも嬉しい誤算だ。これなら仕事の連絡が来たとしても"電波の届かない場所にいた"と言うことができる。
せっかく来たリゾート地。仕事のことは忘れて今は少しでも限られたこの時間を満喫したい。
花園は快適な1日を送るためにエアコンのリモコンに手を伸ばし、同時にラジオをつけた。案内人の少女によるとこのコテージにテレビは無いらしい。
電波は悪いが、かろうじて聞き取れる機械音声が義務的に天気予報を読み上げ始める。
『⚪︎月×日、天気は曇のち雨。気温、43.8度。本日も体温越えの気温が』
「おや」
プツプツと壊れてしまったおもちゃのような音声が突然途切れてしまう。
天気のせいですかねぇ」
情報を入手できる数少ない手段が使えなくなってしまったことで訪れる無音。耳の感覚だけが置き去りにされ、研ぎ澄まされた空間。
─これって私が壊したことになるんでしょうか。
他の人が起きた時に何か言われないと良いが
他の旅行客が起きるまでのあいだ、どう説明するのが良いか考えるという暇つぶしの時間が出来てしまったことに花園は仕方なく向き合うのだった。

─────
AM11:30
11時を過ぎたあたりから外からポツポツと音が鳴り初める。湿った空気が部屋に漂うのと同時にこの時間にもなれば全ての旅行客が共有スペースへとやって来ていた。
厚い雲に覆われた灰色の空とは対照的な明るい声がコテージに響き渡る。
「えー!けむくんラジオ壊しちゃったの?いっけないんだぁ」
「違いますよぉ〜♡突然音が聞こえなくなったんです♪天気が悪いせいじゃないですか?ほらぁ、見てください。外の分厚い雲!ただでさえ電波が悪いんですからこんな天気じゃ余計に、ですよ♪」
ね?と言ってオーバーな対応と笑顔を見せる花園に対し、同じ熱量で話す殊間。2人のやり取りは何も知らない人間から見れば親しい者同士の会話であったが、会話の奥底から感じる妙な迫力があった。
「天気予報では曇りのち雨って言っていたので今日は1日雨でしょうねぇ」
「今朝外を見てみたけど道が舗装されてる訳じゃないからな。怪我したら危ないし、今日は大人しくコテージにいるのが良いかもね」
この人、旅行に来る前に骨折したと聞いていたがいつ雨が降るかも分からない状況の中で外に行ったのか
そのくらいの気概がないとスタントマンという仕事は出来ないのかもしれない。一種のワーカーホリックみたいなものかただの命知らずか。どちらにしろ観察する対象としては飽きることはなさそうだ。
「皆さん午後はどうやって過ごしますか?探せばトランプの1つくらいあると思いますが
「それなら私、天宮さんさえ良ければ占いして欲しいです!」
「占い?別にいいけど特別よ」
「あ僕も、興味あるかも」
「じゃあ俺はそれ眺めてようかな。占い師って仕事に興味あるし。夏生はどうする?」
八波、占いに便乗した海月と唐梨子がそれぞれ天宮の元に集まる。
「え〜♡じゃあ阿月との相性を占ってもらおうかな。なんてね、ごめ〜ん!アタシ占い信じてないからパスするね!」
殊間は興味がないようで断りを入れた後に別の人に話しかけに行った。
「私は少し外で作業があるので、何か欲しいものとか聞きたいことがあったらいつでも呼んでくださいね」
8人は昼食を取った後、思い思いの午後を過ごすための準備を始めるのだった。
──────
PM13:00
「荒れるわ」
時計の針が上を向いてから長い針がまた一周した頃。
天宮はただ一言。その場にいる3人にその一言を告げる。
それって、いまの、天気のこと?」
「もしそうだとしたらそれは占いじゃなくて天気予報だけどな」
天宮の発言を疑問に思った海月に対し、唐梨子はまるで小さい子を相手にするような穏やかな笑みで笑ってみせた。
「確かに私が知っている占いとは少し違いますが、もし天気のことでもそれってすごいことですよね!だってもうラジオいらずじゃないですか」
「天気なのか未来のことなのかどのことを指しているかは分からないけど、私の感覚がそう言っているわ。結構当たるのよ、私の勘」
「勘なんだ!」
4人が共有スペースで穏やかな時間を過ごしていると、突然海月の体が強張った瞬間を唐梨子は見逃さなかった。
「微くん?どうした?」
「あ、あれ
海月は力無く震える手で一方を指で示す。3人が海月が指した方向を続いて確認する。
次の瞬間、コテージ中に悲鳴が響き渡った。

一方その頃。
嶋はコテージの周辺で電波のチェックを行っていた。
この島にいつかもっと多くの観光客が来たときのため。現在、どこのエリアでどれだけのカバーが出来ているのかを調べる必要があったからである。
「うーんやっぱりスマホを問題なく使えるほどのカバー力はないなこの時代にネット使えないとか致命的だし。やっぱり早いところ父さんに連絡して対応してもらわないと」
嶋が電子機器と格闘していると足元にゾワリ、と何かがすり寄る気配がした。
「ヒッ!あ、な、なんだ猫かビックリしたぁ」
下を見ると焦茶色の猫が嶋の足におでこを擦り付けている。
「かわいい
この島に猫がいると父からは聞かされていなかった。しかし国内には猫が多くいるという売り文句の観光地もあるくらいだ。居てもおかしくないのかも。
「人懐こいな。何かあげられるものあったかなぁ」
しゃがみこみ本格的に撫でようとしたその時。
「うわぁぁぁぁぁぁ!!!」
外にも響き渡る悲鳴がこだました。嶋の足元にいた猫はその声に驚き、一目散に逃げて行く。
「あっって猫を惜しがってる場合じゃない!皆さん!どうしましたーーー!?」
嶋が叫びながらコテージの扉を勢いよく開けるとそこには例の4人と悲鳴を聞きつけて何が起きたのか確認しにきた八堂がいた。
「いました黒光りするアレが!」
「アレってゴキブリ?」
八堂が呆気に取られたように告げると海月がこくこくと頷く。
嶋はその単語を聞くなり、ヒィィッ!と叫び声を上げながら土下座をする勢いで謝り始めた。
「ごめんなさい!ごめんなさい!こちらの不手際で皆さんに!私が決着をつけます!」
「そんなに覚悟を決めた目をしなくても」
「あの虫ってどうしてあんなに生理的に受け付けないのかしらね」
八堂と天宮たちが話している間、嶋はキッチンの下から未開封のスプレーを取り出す。
念のため用意しておいて良かった。このような状況の今、1番頼れる存在は間違いなくこのスプレー缶である。嶋はコテージの設備に感謝した。
「皆さん安全なところまで離れていてください!」
体格の良い八堂の背中を中心にサッと人が集まる。
標的は部屋の隅。このまま落ち着けば確実に仕留められる。ジリジリと距離を詰め、嶋とターゲットの距離が1メートルになったとき。
「覚悟ーーーー!!」
「「「「「うわーーーーーっ!!!」」」」」
─────
「あれ?みんな何してんの?」
殊間が2階の自室から共有スペースに降りたとき、そこにいたのはやけにグッタリした6人の姿だった。
「いや油断していたところにいきなり来ると流石にびっくりするな」
「ハァハァなんとかなって良かった
息を整えながら唐梨子が殊間へ説明を始める。
「え〜じゃあつまりGが出てみんなのとこに飛んできたんだ!あはは面白い!絶対その場には居たくないけど、みんなの慌てる姿は見たかった〜!」
疲れた面々の中でニコニコと笑う殊間。
「あ、アンナちゃんのうしろ!虫!」
「え!キャー!もういいです!もう来なくていいです!」
殊間の言葉でパニックになったアンナが後ろに向かって殺虫スプレーを噴射する。
ぽとり、と落ちた力尽きた命。
……この虫、蚊でしょうか?」
床に死んでいた虫は蚊と同じように長いストロー状の針を持っていた。しかし通常の蚊と明らかに違う点が2つある。
1つ目は大きさ。巨大なスズメバチほどの大きさで4cm程度であった。単純に巨大化したというより、胴体が長くなっている。
そして2つ目。通常よりも脚の数が明らかに多い。
「蚊の仲間でしょうか」
八波が興味深そうに虫を眺めている。
「あ、あぶないよ八波さんいくら死んでるとはいえ
「そうですよ!何か起きてからでは遅いですから!」
何にでも興味を持つ八波に対し、彼女らしいなと思いながら笑みが溢れる。
痒い。先ほどの蚊のような生物に刺されていたのだろう。首元が少しだけ熱を帯びている。
嶋アンナは首の後ろを軽く掻いた。

深夜、嶋は共有スペースのテーブルに1人座っていた。首の後ろの痒みが広がり、同時に腫れていく様子を感じていたからである。
救急箱から痒み止めを出し、塗ってみたが効果はあまりみられない。
「気にしすぎなのかもしれないけど。用心するに越したことはないし、どうしたらいいかな
コップ一杯のお湯を飲み、洗ってから水切りラックの上に置く。そんな一瞬を過ごしている間にも体全身が心臓になってしまったかのような動悸が襲ってくる。その時。
「にゃーん」
猫の鳴き声だ、昼間の猫だろうか。あの時は何もあげることが出来なかったから今度は何かあげたい。
嶋は先日釣った焼き魚の身をほぐし、玄関の灯りの電源をつける。
扉を開けて様子を見ると、暗闇の中に佇む猫。やはりそこにいたのはあの時の猫だった。
「こんばんは、可愛いね。また来てくれたんだ」
暗闇から顔を出した猫の頭を撫でようと近づいたとき、嶋は異変に気づく。
「ヒッ顔が!」
猫には顔が複数あった。どういう言葉で表現するのが正しいのか分からない。背中や脚の付け根のところにネズミや鳥の顔が生えていた。
耳をすませば猫以外の声も聞こえている。どうしてもっと早く気づかなかったのだろう。
その生き物は舌を出し、上空を見つめながら苦しそうに体を上下動かしていた。
一緒だ。あの生き物も自分と同じように全身が心臓のように動くのを止められないのだ。
酸っぱい匂いが込み上げ、息をするのが苦しい。
しかし自分がここであの生き物を殺さなければいけない。自分は父親から旅行客を守るように言われているのだから。
扉を閉め、キッチンへと走り包丁を取り出す。
ドアノブに手を掛け、ゆっくりと溜めた息を少しずつ吐き出した。
覚悟を決めて、取っ手を捻る。その生き物は変わらない姿でそこに居た。
嶋を視界に入れるなり、後ろ足にグッと力を入れて飛びかかってくる。左腕に噛みつかれた。
怯んじゃいけない。噛まれたという事実は自分の目に入っているものの、痛みはあまり感じなかった。
持っていた包丁をその生き物に向かって刺す。
切先はちゃんと刺さったようで左腕から離れて奇声を上げながら暴れている。
私がとどめを刺さなきゃ。
うずくまって唸っている生き物から包丁を引き抜き、また刺す。抜いて、刺す。刺す。刺す。
自分が力いっぱい振りかざすとその度にプシャっと音がしながら血が飛び出した。
「ごめんね。ごめん。ごめんなさい。」
その行為を10分は続けた後。その頃には生物はもうただの肉塊となっていた。
もうシャワーを浴びて寝てしまおう。これは夢かもしれない。寝て起きたらこの腕もあの生物の痕跡も消えているかもしれない。
浴室に行きシャワーを浴びようとすれば、お湯になる前の水がかかる。頭が妙に冴えていくのが分かった。
自分が今、1番優先すべきこと。幼いときからこの仕事を任されるのを待っていたからこそ物事の重要性は理解している。
首に手を当てればボコボコと腫れている場所が複数出来ていた。
腕を見れば噛まれた場所が紫色になっていた。
長く息を吐く。浴室から出て、最低限知っておいて貰わなければいけないことをメモに書き記す。
明日、朝一番にみんなへ伝えるべきこと。記憶がハッキリしているうちに残しておくべきだと思ったからだ。
みなさんへ

─────
滞在3日目
この日1番最初に起きたのは八堂だった。
前日と同じように顔を洗って、今日も少し外の様子を見てみよう。雨は昨日の夜に通り過ぎたから、今日の空はよく晴れている。
地面が乾いていると良いが、乾ききらずにぬかるんでいる可能性がある。昨日より用心しないといけないな。
そんなことを思いながら、ふと机の上にメモが置いてあるのが見えた。なんだろうか。
手にとってみてみるとそれは文脈から嶋のものだと推測できた。

『みなさんへ
案内係を頼まれているのにも関わらず、この場にいないことを許してください。
でも今は自分がこれからどうなってしまうのか。もしかしたらみなさんに危害を加えてしまう可能性があるので一度このコテージから離れた場所に移動します。
4泊5日の旅ですが、外部と連絡が取れる手段が見つかった時や、船が見つかった時にはすぐにこの島から離れてください。
コテージの裏に倉庫があります。そこにいくつか護身用に使えるものがあるかもしれないので探して見てください。
最後まで仕事を全う出来なくてごめんなさい。十分気をつけてください。
この島は普通ではありません。』

コテージ中を回って見たがそこに嶋アンナの姿はなかった。
閉じられた玄関の扉の奥には異臭を放つ肉塊と、致死量とも思えるほどの血。そして膨れ上がった紫色の人間の片腕が落ちていたのだった。