傷跡と矜持

HAM二次創作・『痕』派生

不燃焼さんの『痕』

の重篤なネタバレを含むし、『痕』読後前提の話です。
『痕』を読んでからこちらを読んでください。

また、拝田希が中学生の頃に父親が不審死を遂げた際、寄り添ってくれた『お巡りさん』が古羽さんである。という過去があります。

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 法医学者の道を選んでから、数多くのご遺体を目にしてきた。
 けれどさすがに、顔見知りのご遺体を前にすると心がざわついた。
 伊江浪泉。元薬物銃器対策課の警察官。古羽さんの相棒だった青年。
 彼について知ってることは多くない。何度か話したことはあったけれど、彼が警察を辞めたことも知ったのはずいぶん後になってからだった。
 元警察官が被害者とあって、捜査本部の力の入りようはかなりのものだ。
 古羽さんもいつも以上にピリピリしていて、見かけても声をかけることすらできない。
 だから私は私にできることをやる。
 右腕を、HAMを失ったご遺体から少しでも多くの手掛かりを見つけ出すこと。
 死者の最期の声を聞き取るのが、私たち法医学者の役目だ。

 ………
 ……
 

 カチカチと時計の針の音がやけに響く。
 自分が書いた検案書を前にしてどれだけの時間が経っただろうか。
 薬物による中毒死、死後切断された右腕。それらは現場の検死と一致している。
 けれど。
 遺体は語る。彼が亡くなる前から、長らく薬物を使用していたと。
 薬物を投与して殺すのは、殺人の手段としては回りくどく、薬物入手の経路で犯人も手がかりを残しやすい。
 けれど彼が元から薬物中毒者なら、逆に殺しやすい手段かもしれない。事故にも見せかけられる。もっとも右腕を持ち去っているから事件になってしまったけれども。
 死後切断された右腕。誰もが右手に持つ記録媒体を持ち去るためなのは明らかだ。けれどそれなら手首から切れば事足りるはずなのに。
 カチカチカチカチ……
 一人きりの部屋に響く秒針の音。
 死の直前に薬物が投与されたのは確かだけれど、死後にも致死量の薬物が投与されている。まるでこの致死量の薬物こそが死を招いたのだと主張するように。
 わざわざ切りにくい肘上から切断したのは、記録媒体以外にも隠したいものがあったのでなかろうか。例えば、複数の注射痕とか。
 ……何度も何度も調べ直した。私は何かを見落としているはずだと。
 けれどそうする度にかえって仮説は真実味を増していく。
 仮説。【事故を事件に偽装した誰かがいる】のではないか。

 フーダニット。誰がやったのか。
 仮説に当てはまるのは、一人しかいない。
『希ちゃん』
 優しい人。あの日の私に寄り添ってくれた『お巡りさん』。
 そんなあの人の大切な相棒が彼だった。退職後の彼にも会いに行っていたと聞く。
 気づかないはずがない。あの人が、気づかないはずがないんだ、彼が薬物に侵されていたことに。
 何人もの薬物中毒者と相対してきたあの人が、彼の異変に気づかないはずがない。
 気づいていたのに……止められなかったのか。貴方でも。いや、貴方だからか。

 ホワイダニット。何故やったのか。
 彼が事件前から薬物を常用していて死んだのなら、話はそこで終わる。薬物が違法でもろくに捜査はされないだろう。
 元警察官の薬物中毒死。そんなスキャンダルは握り潰されるかもしれない。
 彼は警察に泥を塗ったと唾棄される存在になっただろう。
 でもその死が殺人となれば、話は変わる。
 元でも警察官を殺されたとなれば、何が何でも犯人を見つけ出してやると捜査には力が入るだろう。実際、彼の古巣は殺気立つ勢いで犯人を探している。
 彼の命を奪った薬物の出処も必死に探されているだろう。だから、殺人事件でなければいけなかった。
 間違った手段だけれど、彼の過ちを隠したまま、彼を貶めた存在を探すためには……これしかなかったんだろう。

 カチカチと秒針がうるさい。いつまでそうやって頭を抱えているんだと私を急かす。
 もしも私がこの検案書を握りつぶしたらどうなるだろう。……馬鹿げてる。私が見ないふりをしても、事実は消えない。遠からず他の人が見つけ出すだろう。
 私が自分の職務も矜持も何もかも捨てたところで、時間稼ぎができるかどうか。
 そんな程度の偽装だ。あの人だってこれで永劫隠し通せるとは思ってないだろう。
 本気で隠してしまいたいなら、もっと徹底的に痕跡を消してしまわなければいけない。それでもいずれ隠し事は明らかにされるだろうけれど。
 優しいあの人が、警察官としての全てを投げ捨ててまで隠そうとするぐらい大事な彼を、あれ以上傷つけるなんて無理だ。
 右腕を切り落とせたのは彼を守るために、時間を稼ぐためにどうしても避けられなかったのだろう。
「悔しいな……
 私は大人になれたと思っていたのに。センセイのように誰かを救えるようになったと思っていたのに。
 気づけなかった。あの人はきっと彼のことで悩んでいたのに。何かが変わったことに気づけなかった。私はいつも話を聞いてもらうばかりだった。
 私がもっと頼れる存在だったなら、話してくれただろうか。
 あの日の私に寄り添ってくれたように、私が寄り添えていたなら、彼が死ぬ前に何かを変えられたかもしれないのに。
 でももう手遅れだ。過去は変えられない。彼の身に起きたこと。それはもう覆らない。
 私は私の矜持を曲げるわけにはいかない。貴方の過ちを見て見ぬ振りはできない。私は貴方のように優しくはなれない。
 けれど私は……

 ………
 ……
 

 私は貴方に合わせる顔がない。
 貴方に問うことさえできなかった。
 私にできたのは、私の仕事を全うすることだけ。
 彼らならきっとたどり着くだろう。あの人の間違いを、正してくれるだろう。
 そう願って託し……過ちは白日の下に晒された。

 優しいお巡りさん。私を救ってくれた人。あの日、貴方が寄り添ってくれたから、私は胸を張って生きてこれた。
 貴方は殴ってでも彼を正しい道に連れ戻すべきだった。そう言ってしまうのは簡単だけど、貴方の前に立つことができなかった私にそれを言う資格はないでしょう。
 私も貴方を連れ戻すことはできなかった。だからといって共に堕ちてしまうこともできなかった。
 ……強くなりたい。
 次に貴方に会う時には、ちゃんと目を見て話したい。貴方の話を受け止められるようになりたい。貴方が頼ってもいいと思えるように強くなりたい。
……働こう」
 強くなる。次に貴方に会う日までに。
 今度は自分で貴方に向き合うから。


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 2022/02/13