らい
2024-02-12 11:34:22
3638文字
Public りついず
 

9999回目の小指の先

りついず(事後注意、ループ設定あり)/2015.10.4


 雪の降る夜のようにしんと静まりかえった部屋のなか、時計の秒針がカチ、カチ、と音階を連ねる。布擦れの音がシュッ、と響き渡って、凛月の心地よい微睡みはそこで終わりを告げた。徐々に開かれるぼやけた視界の隅っこに、”だれか”の影が見える。じっくりと目を凝らすと、もぞもぞとベルトを締めている泉の後ろ姿が映った。

 俺の部屋にセッちゃんがいるのはどうしてだろう、と疑問に思いながら、凛月はその背中を見やる。泉の真っ白なシャツには、乱れた皺が刻まれていた。そこで凛月はようやく、「ああ、そういえば」と、数時間前の記憶を思い出した。兄の零が不在の隙を狙って、自分の部屋に泉をさっさと連れ込んだこと。空っぽの脳みそで、がむしゃらにセックスしたこと―――頼りなげに眉を寄せて揺さぶられる泉の姿を思い返しながら、凛月はやっとの思いで上半身を起こす。その気配に勘づいた泉が、背後を振り返らずに低い声を投げた。


起きるの、遅すぎ」
うん。おはよう」
「今、何時だと思ってんの」
「22時37分。っていうか、俺、寝ちゃったんだねえ」
「やることやったら、すぐにねえ?」


 最低だよね、ほんと。普通、セックスしたあとにソッコーで寝る?常識的に考えて寝ないでしょ。チョーありえなぁい。―――泉はぶつぶつと文句を飛ばしながら、シャツのボタンに手をかける。
 淡々と服を着る泉を見て、凛月は自分の上半身が外気に晒されていることに気が付いた。俺も、いいかげん服、着よ~っと。のんびりと呟きながら、床に散らばっている服を掻き寄せる。あとでアイロンを掛けないと、学校に着ていくシャツがなくなるなあ。そんなことを考えながら、しわくちゃのシャツに袖を通した。泉は未だに振り返らない。まっすぐに伸びた背筋からは、とっつきにくいオーラが漂っている。機嫌を損ねているときの空気だ。


すぐに寝ちゃったことは、さすがに謝るよ。ごめんね、セッちゃん」
ほんっと、ありえない」
「セッちゃんとのエッチが気持ちよすぎて、安心しちゃった。ただいまぁ~おやすみぃ~って感じだったよ。あいかわらず名器だよね」
最悪」
「冗談だってば。とっても気持ちよかったのは、ほんとうだけど」


 凛月がひそかに笑うと、泉はとうとう向き直って、「馬鹿じゃないの」と眉を吊り上げた。いつのまにかシャツのボタンは全て止められていて、今度は細長い指が床の上のネクタイに伸ばされる。今日はどうやら凛月の家に泊まるつもりではないようだった。凛月はふああ、と欠伸をしながら、泉に尋ねる。


「セッちゃん、もう帰るの」
「当たり前でしょ」
「せっかく兄者がいないのに。ざんねん」
「これ以上ケダモノに付き合ってらんないっての」
「ちぇー」
「ちぇー、じゃないでしょ。それに―――


 ベスト、ブレザーを順番に着ながら、泉は身なりを整える。つい先程まで見せていた、劣情まみれの姿が嘘のようだった。散々とろけた顔で抱かれていたくせに。あっという間に、穢れを知らない清純派の出来上がりである。もちろん、その双方の姿を知っているのは自分だけだ。凛月は口角を上げて、ふふ、とほほ笑んだ。
 微笑みの裏に隠れた思惑を知るよしもなく、泉は続ける。


それに。明日は朝イチでKnightsのスタジオ練習だって、一昨日から言ってるんだけど?」
う。そうだった」
「なぁに、忘れてたわけぇ?……怒るのも面倒だからもう何も言わないけど。……とにかく、今日は早く帰るからねえ」
「え~」
「万が一にでも寝坊したら、かさくんに示しがつかないでしょ」


 英語かぶれのクソガキだけど、Knightsの原石だからさぁ。俺たちお兄さんが磨いてやって、ちゃんとキレイにしてやんなくちゃねえ。
 泉が目を細めて、ハハ、と笑う。最近やっと見せてくれるようになった素の笑顔に、凛月はすこしだけ、嬉しさを覚えた。夢ノ咲学院の暗黒時代に飲み込まれて、すっかりと落ちぶれていたころは。まるで、白黒写真のようだったから。ずっと前から見たかった表情が今、この瞬間に存在していることが、奇跡のように思えるのである。

 そういえば、ずっと前からって、一体いつからだっけ?――凛月はふと、ひとつの違和感に思い当たった。泉の笑顔ひとつで、果たしてこんなにも嬉しくなるものなんだろうか。もっと、他の理由があった気がする。だが、思い出せない。思考回路が部分的に切り取られているような、奇妙な感覚に襲われる。

 俺も、これまた随分とセンチメンタルな性格になったもんだよね。どうしてかなあ、訳のわかんないことばっかり考えちゃう。セッちゃんとのエッチが気持ちよすぎて、頭のネジがどっかに飛んでいったとか?ああ、めんどくさいこと、きらい。もう考えるの、やめよう。―――凛月はベッドの上であぐらを掻きながら、膝の上で頬杖をつく。


セッちゃん、ほんとに変わったよねえ」
「そう?」
「うん。そんなふうに、キラキラしてなかったよ」
「くまくんだって、生ける屍だったくせに」
「俺たち、ゾンビだね。おそろいだ」


 頭ぶち抜かないと、何度でも復活しちゃうよ。ふふふのふ~。凛月はぶらぶらと両腕を掲げながら、B級映画に登場するゾンビを真似る。泉は呆れた表情を浮かべながら、茶番に走る凛月の隣に歩み寄る。そうして、「くまくんって、ほんと馬鹿」と腰を下ろした。


……まぁ、キラキラなんていう言葉は俺には似合わないけど。お兄さんとして、道しるべを作ってあげなきゃなんないって思うわけ。あの子が決して迷わないように」
……うわ。なんかセッちゃんがまじめなこと言ってる」
「わるい?」
わるかないけど」
……とりあえず。俺だって、もうすぐで卒業するわけだし。それぐらいのことは、してやんないとねえ?」


 そっかあ、セッちゃんも卒業するのかあ。
 凛月はこの先に訪れるであろう春のさよならに思いを馳せる。ところが、凛月にはいまいち”卒業”の実感が湧かなかった。散りゆく桜の花びらの下、夢ノ咲学院を後にする泉の姿を、ちっとも想像できないのである。一年のころからずっと一緒にいるからとか、キスもセックスも済ませた密接な間柄であるからとか、『卒業したところで何ひとつ変わらない理由』はいくらでも思いあたるのに、そのいずれでもない気がしていた。卒業を”想像できない”んじゃなくて、はなから”見たことがない”ような―――そこまで考えて、凛月は眉間にしわを寄せた。そもそも卒業していないのだから、見たことがないに決まっている。一体なにを考えているんだろう。どうにもスッキリしない。

 凛月は「セッちゃん」と名前を呼んで、泉の両肩に触れた。「なぁに」と視線を向ける泉を、ふたたびシーツの上に押し倒す。ふたりぶんの身体が真っ白なベッドに沈んだ。


「ちょっと、くまくん。俺、もう帰るんだけど?」
「えっちは、もう、しない」
それじゃあ、なぁに?甘えん坊期かなんかなの?」
うーん。……そうかも」


 凛月は泉の頬に唇をよせる。泉がくすぐったそうに身をよじった。


なぁんかね。どっか遠くにいっちゃうような、そうでないような、何もかもふりだしに戻ってしまうような、まっしろな状態になっちゃうような、要するに、こころもとない感じがしただけ」
くまくんらしくないね」


 卒業まであと半年もあるし、明日だってまた会うんだから。そういうこと、言わないでよね。―――泉が右手をそろりと伸ばして、凛月の頬をなぞった。ゆるやかに描かれる曲線から、確かな熱を感じる。ああ、そうだ。ここに泉がいること。今はただ、それだけで充分だ。
 凛月はふふ、と小さく笑って、自らの左手を泉の指に重ねた。


……明日も会うどころか、明後日も一週間後も一ヶ月後も一年後も。カウンターストップしちゃうくらい、永遠に会ってくれるでしょ?」
「はあ?」
「俺、もう、セッちゃんのこと離すつもりないから」
何それ」
「セッちゃんがいやだっていっても、会いにいっちゃうし。セッちゃんがどこにいても、探しにいっちゃうから」


 凛月はゆっくりと顔を傾けて、泉の唇に触れるだけのキスをする。数秒のあいだ視線が絡み合ったあと、泉はいつものように静かな笑みをこぼした。


当たり前でしょ。会いに来てよね」

「俺はいつだって、”ここ”にいるからさぁ」
セッちゃん」
「くまくんが迎えに来るまで、ずっと待っててあげる」


 うん。絶対に会いに行くからね。―――初めての、それでいて幾億も呟いたことがあるような、なつかしい約束にも聞こえる。泉がそっと小指を向けるので、凛月はたまらずその指を噛んだ。



(何億回も離れても、何億回も会いに行く。約束だけは、死んでも守る)