らい
2022-08-30 21:30:49
3869文字
Public ちあかな
 

本日のマラソン㉔「さみしがりやのうみぼうず」

お題「夏休み」ちあかな♂

「う~み~は~♪ おおな~み♪ あおい~な~み~♪ ゆ~れ~て♪ どこま~で♪つづく~や~ら~♪」

 夕焼けの照り返す砂浜に、つむじの影が映る。ちょうちんあんこうの頭部を彷彿とさせるシルエットが、寄せては返す波とともに踊った。「うみは」と始まれば、「ひろいな、おおきいな」が続くものだと考えていた千秋は、ひな壇に立つ芸人よろしく膝から崩れ落ちそうになる。
 童謡『うみ』といえば、日本人の誰もが知っている有名な歌なのに。一番目以降は、存外なじみが薄いものだ。千秋は前かがみになった姿勢を持ち直すと、小走りで追いかける。潮風に羽ばたくように両手を広げる奏汰を追い抜いて、先頭に踊り出た。

「意外性を狙ってきたな!このこのっ!」
「うふふ。ちあきなら、いっしょに『がっしょう』してくれるだろうとおもって、ちょっぴり『いじわる』しちゃいました……♪」
「ぐ、ぐぬぅ……!会って早々に姑息ないたずらを仕掛けられてしまった……!」
「だって、ちあき。ぼくと、ぜんぜんあってくれないから。たしょう『いたずら』したって、『ばち』はあたりませんよ。ぼく、これでも『がまん』してるので」

 上機嫌なメロディーをぴたっと止めて、奏汰がいじける。頬をむう、と膨らませる姿に、千秋はぐうの音も出なかった。だって、おおむね事実なのだ。ヒーロー番組の収録に、ソロ写真集の撮影。バラエティ番組にもひっぱりだこで、空いた時間には雑誌のインタビュー。流星隊の活動もそこそこに、個人の仕事がてんてこまいの状態にあった。千秋は、直近のスケジュールを思い返しながら、「すまん、奏汰!」と九十度の角度で詫びる。

……だが、安心してほしい。プロデューサーに頼み込んで、どうにか夏休みをねじ込んでもらった!今日からしばらくはフリーだ!朝は元気にラジオ体操っ、昼はドキドキのすいか割り!キャンプで火起こし!海水浴で泳ぎ放題!夜は花火大会でた~ま~や~と叫ぶ!水族館でひんやり過ごすのもいいし、炎天下でかき氷食い倒れツアーもいいなあ!うんうん、とにかく時間の許す限りなんだって楽しめるっ、俺たちの夏はこれからだ!わっはっは~!」
「まったく、『うちきり』みたいなこと、いっちゃって。ほうったらかしの『こどもたち』のことも、きちんとかんがえているんでしょうね?」

 潮風に揺れる前髪をうっとうしそうに払いながら、奏汰が訝しげなまなざしを向ける。千秋は、己の胸板をポンと叩いて、高笑いを響かせた。

「もちろん!流星隊との時間も、しっかりと設けるつもりだぞ!とくに高峯はひきこもりがちだから、外に連れ出してやろう!そういえば南雲は焼肉を食べたがっていたなっ?仙石だって、忍者体験ツアーに行きたがっていたし……あとは───」

 長いこと構ってやれなかった、大事な存在も忘れていない。千秋は、奏汰の手首をおもむろに掴んで、「おまえとの時間も作りたい」と真摯に伝えようとしたけれど、静かな海のさざめきが妙にロマンチックで、肝心の言葉が波にさらわれてしまった。海に咲く水草のような瞳にじっと捕らえられて、千秋の眉間はぽっと熱くなる。

……お、お、おまえとのふふふふふふたりきりっきりっふたりきりっの時間も、たたたたたたっぷりとすすすすす過ごそっ過ごそううううとおもおも思っているるるるる……
「ちあきったら、あいかわらず『うぶ』なんだから……。『めがね』をかけて、『おどおど』していたころから、かわりませんね……♪」
「ぐぬぅ……。流星レッド、決め台詞を失敗するとは一生の不覚っ……!」
「かっこわるくたって、『いっしょうけんめい』なちあき……。ぼくは、『だいすき』ですよ……♪」

 奏汰はうふふ、と穏やかな笑みを乗せて、千秋の頬にちゅっと幼いキスをした。これまで幾度もされてきたのに、柔らかなくちづけの感触には、いつだって心臓が高鳴ってしまう。恋の始まりと呼ぶにはいささか時が経ちすぎているけれど、それでも千秋はゆでだこのように新鮮に赤くなる。地平線の彼方に太陽が沈みゆくのに、全身にはふたたび日が昇っていくようだ。この先どれだけ慣れたとしても、千秋はその一瞬のすべてに、きっと何度だって恋をするだろう。
 どくりと揺れる鼓動に酔いしれているうちに、夕陽のきらめく海がざぶん、ざぶんと波打った。千秋はハッと我に返る。ぱっと離れた奏汰が、海に進んでいくのが見えたのだ。衣服を身に付けたままの入水はさほど珍しいことではなかったが、日が暮れているだけに、風邪を引きやしないか心配だった。

「奏汰!」

 千秋はスニーカーを脱ぎ捨てて、奏汰を追いかけた。夕陽の海に溶けていく水色の髪をめがけて、重々しい足をじゃぶ、じゃぶと進める。

「あんまり遠くに行くと、危ないぞ!」
「それもそうですね。どんな『まもの』がすんでいるか、わかりませんから」
「え?」

 茶目っ気たっぷりに振り返った奏汰が、きょとんとする千秋の手首を引っ張った。バランスを崩した千秋は、「うおーっ!」とやかましい悲鳴を上げながら、勢いよく海に飲まれていく。ふたり分の体重で沈んだ水しぶきが、まるでクジラの潮吹きみたいに、夕焼け空の彼方に咲いた。

「いまのぼくは、『うみぼうず』……♪ いっしょにいたくて、たまらないひと。うみのそこまで、つれていっちゃいます……♪くすくす……♪」

 ずぶ濡れの千秋に覆いかぶさって、奏汰がほくそ笑む。普段はのんびりと構えているくせに、我慢の限界を超えるとこの有様。地上の世界が息苦しくなると、陸の人間をたぶらかす海妖に成り果ててしまうのだった。
 理不尽ないたずらは、かなしみの裏返し。さびしがりやのうみぼうずを、これ以上、魔物にしないために───千秋は、どくりと高鳴る胸を抑えながら、腕を持ち上げる。手のひらから垂れ落ちる水滴が、夕陽の反射する海にちゃぽんと落下した。

……奏汰。……すきだ」

 濡れそぼった頬をぎゅっと包みこんで、そっとキスをする。現状はまだ、触れるだけのくちづけが精いっぱいだから、すぐに離れてしまったけれど。まるで干上がった魚のように身震いしながら、奏汰がしなだれかかってくる。千秋は、いささか緊張ぎみに抱き寄せた。

「うみぼうずの『じゃくてん』は、『たばこ』の『けむり』なのに……。『きす』なんて、ずるいです。ぼく、『やけど』しちゃいます……
「そ、そうか、すまん……。俺が喫煙者じゃなくて、よかったな……?」
「まじめに『ぶんせき』しないでください。ちあきの、すっとこどっこい」

 千秋の胸板をポコポコと叩くと、奏汰がぎゅっと抱きついた。ざぶんと波打つ音と共鳴するように、海のメロディーを奏ではじめる。

「う~み~に……おふね~を……うかば~せ~て~……い~って……みたいな……よその、くに……
「ところで、奏汰。『一番』を歌わないのは、なんでだ?」

 ひろいな、おおきいな。世間の大多数が認知しているであろう歌詞のパートを、奏汰はまったく歌わない。千秋が首をかしげると、奏汰はむくりと起き上がって、か細い声でつぶやいた。

……『つきがのぼって、ひがしずむ』からですよ」
「うむ……?」
「ぼくはね、ちあき。いちにちが、おわることなく。このまま、ずっと……ちあきと、ぷかぷかしていたいんです」
「んん……?」
「だから、『いちばん』は、うたいたくありません」

 くちびるを尖らせながら、奏汰がそっぽを向く。なんだその理由は。千秋は困り笑いを浮かべながら、いじける奏汰の肩に触れる。
 一日の終わりを描かれるのは、確かにさびしい。友達でも恋人でもなんでも、ひとしきり笑いあった時間が過ぎ去っていくのは切なかった。真昼の太陽がどこかに消えて、静かに浮かぶ月夜のもとで「それじゃあ、バイバイ」と手を振ることの切なさは、千秋だって知っている。楽しい時間がずっと続けばいい、永遠に終わらないでほしいと願うのは、この世界に生きている人間の誰もが抱くであろう感情だ。
 けれども、永遠にループを繰り返す世界は、やはり味気ない。地球が回り続けるからこそ、今この瞬間に生きる奏汰との時間を手に入れられたのだから───千秋の顔に、真夏の太陽のような眩しい笑みがはじける。

「でも、今日という日が終わらないと、明日のお前に会えないな!」
「え?」
「知っているか、奏汰。明日の太陽は、今日の太陽よりもずっとず~っと眩しいのだ!」
「はあ」
「俺は、今日はまだ知らない奏汰の輝きに触れたい!奏汰も、昨日と今日以上にきらめく明日の俺を見てほしい!……それじゃあ、駄目か?」

 無限の愛をたっぷり込めて、海藻色の瞳に問いかける。静かに鳴り響く波の音が、夕焼けの空に溶けていく。奏汰はにっこりと目を細めながら、上目遣いで返事した。

「それじゃあ、『なつやすみ』のあいだは……。ううん、『なつやすみ』がおわっても。ぼくのこと、ず~っと『きらきら』てらしてくださいね」
「もちろんだ!わっはっは!」
「うふふ。『やくそく』です……♪」

 静かにまぶたを閉じて、奏汰がくちびるを差し出した。千秋は、きゅんと高鳴る恋の波音に耳を澄ませて、そっと顔を近づける。
 眩しい日が沈んで、真っ暗な空に覆い尽くされたとしても。いつだって、おまえの輝かしい太陽でありたい───ささやかな願いを海に捧げながら、さみしがりやのうみぼうずに、もういちどキスをした。