らい
2022-08-19 21:04:16
4631文字
Public みどゆづ
 

本日のマラソン⑭「大さじ何杯分のMy♡Sweet♡You」

お題「お菓子」みどゆづ♂ ※付き合ってません

 休日といえば、観光旅行。世間の常識といわんばかりに空港を映しだすテレビを消すと、翠はベッドにごろんと寝転がった。
 人波にあふれた混雑に、わざわざ突っ込んでいく人たちの気がしれない。ひとりきりの時間がなにより好きな翠にとっては、インドア生活だって大事な休日の過ごし方のひとつだった。やわらかい布団に寝そべって、『全国のゆるキャラ大集合!ドキドキ☆わくわくの大運動会』の動画をのんびりと満喫できる幸せといったら!───手足の短いマスコットたちがグラウンドを駆けまわる姿を見つめながら、翠はとろけたストロベリーアイスのように恍惚とした表情を浮かべた。
 今日という日は、最高の休日だ。なにせ寮室のメンバーは仕事でおらず、部屋には翠だけ。「寝てばっかりいないで、掃除ぐらいしな!」と口うるさい母親もいないわけで、誰にも気を遣わない疑似的なひとり暮らしを楽しめるのだ。同室の面々は優しいから、もちろん鬱陶しいわけではないけれど。それでも、プライベートが恋しくなるときがある。他人から干渉されない時間というものは、繊細な翠にとって大切なひとときなのだった。
 ちょうど『ハラハラのパン食い競争☆予選編⑤』を見終えたところで、腹の虫がぐう、と鳴いた。時計を見やると、昼の十二時をまわっている。翠はふわぁ、とあくびをして、しわくちゃのベッドから降りた。ひきこもるのも一興だが、いったん腹ごしらえをしなくては。

(食堂だと誰かに会うかもしれないから、まずは購買に行こう……

 徹底的に知り合いを避けるプランを練りつつ、寝ぐせがないかどうか鏡で確認して、翠はドアノブに手を掛けた。
 扉を開けて早々、口をあんぐりと開けた。尊敬してやまない憧れの存在、伏見弓弦が立っていたのである。

「びっ……くりしましたけど、わぁ~っ!画伯~……♡」

 他人とのコミュニケーションは極力避けたいが、大ファンである『画伯』こと弓弦となれば、話は別だった。昨年の冬に運命の出会いを果たしてから、翠は弓弦にぞっこんなのだ。間髪を入れずに両手を握りしめ、ぐいっと顔を近づけた。オフという日に出会えた奇跡を、そう簡単に離してなるものか。翠はきらきらと瞳を輝かせながら、弓弦に詰め寄る。

「急にどうされたんですか?まさか俺に会いに来てくれたんですか?俺たち、固い絆で結ばれてますもんね……!」
「はあ…………用事というほどでも、ございませんが……

 弓弦はそっと翠を押し返すと、てのひらにおさめた透明な袋を取り出した。翠が手ごと引き寄せたために多少のしわが付いている。だが、弓弦は美しい所作で左右に引き伸ばすと、元の包装に戻してみせた。

「わたくしが焼いたクッキーが余ったので、よかったら高峯さまに……と」
「が……画伯のてづくり!?しかも……わざわざ俺のために!?」

 たまご型に開いた唇をぱくぱくと震わせながら、翠は瞳孔をハートに点滅させた。ちょうど腹を空かせていたところに、弓弦からの差し入れである。直々に会いに来てくれたことがただでさえ嬉しいのに、空腹のタイミングまでぴったりとは。

「わぁあぁあぁ~……!やっぱり俺たちは、運命の赤い糸で結ばれているんですね……!」

 翠がそう呟けば、弓弦ははあ、と首を傾げたが、何事もなかったかのように続けた。

「坊ちゃまの妹君から、お菓子のリクエストいただいたのですが……。なぜかわたくしのクッキーを見るなり、妹君が『エイリアンはイヤーーッ!』とわんわん泣き出してしまわれまして。味と品質には、まったく問題ないはずなのですけれど」
「まったくその通りですよ!画伯作のクッキーに、問題なんてあるわけないじゃないですか!」

 丁寧に包まれたラッピングから取り出せば、まがまがしい顔面のクッキーが現れた。チョコレートで描かれたそれは、どす黒い雨雲のような霧をまとった禁忌の魔物。きりっと吊り上がった眼から血涙を流し、頭の両側から生えたツノと剥きだしの歯で、宣戦布告している。
 だが、翠にはわかる。伊達に『画伯』の大ファンとして生きていないのだ。この世に数多の作品を生み出した画伯の指先で奏でられる、魂のさけび。翠の全身に伝わって、体内の血液を奮い立たせるのだった。

「うわ~っ!あまりの個性に意識を失いそう……!先端がとがりすぎてツノにしか見えないけど、実はふかふかのお耳!輪郭がはみでちゃって血眼になってるのが愛おしい、ぱっちりおめめ!パニック映画のモンスターみたいなエグい牙は、にっこり口角!全身にまとった戦闘狂のオーラは、ほわほわのお花……!これは…………もしかしなくとも、『うさちゃん』ですね!?」

 画伯の大ファンたるもの、アートの極意を理解できなくて、一体どうするというのだ。翠が自信満々に言い当てると、弓弦は憂いの帯びた表情をぱぁっと綻ばせた。伝説の木の下で告白を受けたような顔をして、感極まる。

「ああっ、恐悦至極でございます……!高峯さまなら、きっとわかっていただけると信じておりました……!」
「当たり前じゃないですか!俺と画伯は、いつだって通じ合っているんですから……!」

 感動のあまり涙ぐむ弓弦の手を引き寄せると、両者の視線が絡みあう。ふたりにしか見えない、甘ったるいシャボン玉が飛び交った。

「画伯♡」
「高峯さま……
「画伯♡♡」
「高峯さま……
「画伯♡♡♡」

 互いの名前をしばらく呼び合ったあとで、弓弦はふんわりと微笑みながら、クッキーを抜きとった。
ゴゴゴゴゴゴゴゴ───表面に描かれた絵から地獄の呼び声がとどろいたが、弓弦にメロメロの翠には、天使たちの聖なる歌声にしか聞こえない。春風を旅する綿毛のように、ふわふわと頬がとろけていく。

「ふふ。味は確かですから、安心してお召し上がりくださいまし」
「ええ~……?でも画伯の最高傑作を食べるなんて、もったいないなぁ……
「そんなこと、おっしゃらずに。ほら、あ~ん♪でございますよ」
「は~い♪」

 チョコレートのほんのり甘い味が、舌いっぱいに広がった。愛情いっぱいにこねられた糖分のかたまりは、脳にひしめく日頃のストレスを上塗りするかのように、全身に溶けこんでいく。憧れの画伯が自らの手で焼きあげたクッキーを、世界最速で味わっているという喜び。最高の休日を噛みしめながら、翠はふにゃふにゃと頬を緩ませた。
 だが、国宝級のスイーツを独り占めするなんて、実にもったいない。翠はお返しとばかりに取り出した一枚のそれを、弓弦のくちびるに押し当てた。

「すごく、すご~くおいしいです……♪画伯も、食べませんか……♪」
「そんな。わたくしは別に……
「俺のしあわせな気持ちを、画伯にも味わってほしいなあ。ねえ、だめ……?俺のお願い、聞いてくれますよね……?というわけで、はい♪どうぞ……♪」
「そのようにお願いされては、断れませんね。……では、失礼いたします。……はむ」

 上品に噛み砕いて、弓弦がにこりと笑みをこぼした。芸術品のごとく美しいまなざしに、翠ははわわと見惚れてしまう。もっと『おかわり』がしたくて、上目遣いで注文するのだった。

「俺、今ものすごくお腹が空いてるので……。もう一枚、ください♪」
「高峯さまったら……。わたくしは坊ちゃまの執事であって、あなたのお世話係ではないのですけれど」
「またまたぁ、遠慮しちゃって……。俺、もっと元気が出ちゃうんで、どうか俺を助けると思って……♪」
「まったく、仕方ありませんね……。はい、お口を開けて、あ~ん♪」
「はぁい…………画伯も、もう一枚。あ~ん♪」
「恐れ入ります……もぐ。……はい、おかわりですよ。あ~ん♪」
「ぱくっ。おいしい……あ~ん♪」
「んっ……ああ、なんて愛らしい生き物……。もう一枚どうぞ、あ~ん♪」
「粉々にされてえのかよ」

 クッキーを食べさせあいっこして、至福の永久機関を楽しんでいたその時である。ブロックを砕き割るような、騒々しい破壊音が響き渡った。
 翠がふと視線を上げると、弓弦の肩越しに、見知った人物がひとり。壁の柱に拳を叩きつける茨が、鬼気迫る顔つきで立っていた。がれきの破片がころっと落っこちて、プシュ~と煙が立ちはじめる。
 三人のあいだに数秒の沈黙が流れたが、ややあって茨が「あっはっは!」と高笑いした。

………………………っはぁ~~~~~~~~あ~~~~~~~。あー、あー、あーマイクテスマイクテス。失敬失敬!大変申し訳ない!自分徹夜続きで大変寝不足でして、つい手が滑ってしまいました!……早速失礼ですが、悪夢に出てきそうなほど最低最悪の光景でとどめを刺されたので、そこ退いてもらえます?三十分ほど仮眠したいので」

 眼鏡をくいっと上げて、茨が「はぁ~~~~~~~~」と長々しい息を吐く。翠はきょとんとしながら、通路を空けた。

「茨。三十分とはいわず、夜までぐっすり睡眠を取ったらいかがですか?そうとう顔色が悪いですよ」
「俺もそう思います……。よく分からないけど、大丈夫ですか……?お、お大事にしてくださいね……
…………心配ご無用っ、お気遣い痛み入ります!……それでは!」

 愛想よく敬礼をしたあと、舌打ちとともにバタン!と扉を閉められる。随分と顔が青白かったが、よほど徹夜が効いているんだろうか。原因がよもや自分たちにあるとは知らず、翠は首を傾げる。

「茨の体調が気がかりですが……夜にでもまた見に来ましょうかね」
「わぁあぁあぁ~……!画伯ってば、やさしい……!」
「いえ、褒められるようなことでは……。まぁ、多少のかすり傷で死ぬような男ではありませんから、杞憂に終わるでしょうけれど……っと。随分と長居してしまいましたね」
「えっ!」
「それでは、わたくしはこれで……

 会釈をして去ろうとする弓弦に、翠は「わ~っ!」と叫ぶ。バスケットコートでディフェンスを任された選手のごとく、両手を掲げて引き留めた。
 せっかく運命の邂逅を果たすことができたのに、このまま帰すのはもったいない。弓弦の手の甲をぎゅっと握りしめると、くちびるが触れそうなほどに顔を近づけるのだった。

「ところで画伯、この後空いてます?」
「はあ…………ええと、夕方には坊ちゃまのお迎えがございますので、それまでのお時間でしたら……
「わぁっ、奇跡にもほどがある……!俺、今日はオフなんです!よかったらこの後、お昼ご飯でも食べませんか……!?」
「ふふ。わたくしでよろしければ、ぜひ」
「やったあ!画伯の傍にいられるなんて、今日はハッピーな一日になりそう……!」

 クッキーの袋をぎゅっと抱きしめて、翠はぱぁっと花を咲かせた。憧れの人物と一緒にいるだけで、脳がとろけてしまう。好きな人と過ごす甘い時間、という表現はよくあるけれど、まさしくそのとおりだった。大さじの計量スプーンなんて、もういらない。地球上に存在するどんなお菓子に砂糖を注いだところで、きっと弓弦一人分にはかなわないだろう。

「次は、俺だけのクッキーも焼いてくれませんか……♪」

 誰ひとりも侵入を許されない、ふたりきりの世界。周囲の人間たちがしょっぱい気持ちを味わっていることも知らずに、翠は甘ったるい声でねだるのだった。