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らい
2022-08-17 21:13:10
3754文字
Public
みどゆづ
本日のマラソン⑫「いつかのあなたにくちづけを」
お題「おでこ」みどゆづ♂
「穴があったら入りたい
……
。なんなら永遠に住みたい
……
。もうだめだ
……
おしまいだ
……
」
スターメイカープロダクション事務所合同ライブの会場。楽屋からすこし離れた自販機のベンチに腰を下ろし、赤く腫れた額をおさえた翠は、ずびずびと鼻水をすすった。
失敗は成功のもと、ということわざがあるけれど、あれは翠にとって異世界の言い伝えみたいなものだ。切り替えが早く、なにごとにも前向きで、困難にもへこたれない。不屈のメンタルを持っている人々の言葉に他ならない。
これまでの人生において成功経験が少ない翠は、たった一度の失敗で負のスパイラルに陥ってしまう。例えば小学生のとき、班の発表会で言い間違いをして、「なんでミスするんだよ!」と責められたこと。運動会で披露するダンスの練習で、みんなの前で「ちゃんと踊って!」と叱られたこと。一生懸命やっているつもりなのに、なにをしてもだめ。今回とまったく関係のない過去の記憶に紐づいて、いやな思い出をぶり返してしまうのだ。
恐竜の着ぐるみに空中キックを披露するパフォーマンスで、着地失敗。受け身には成功したものの、勢いあまって壁に激突。本日のライブは、散々な出来映えだった。さいわい流血沙汰の怪我にはならなかったし、子どもの頃とちがって、翠を笑いものにする人間はひとりとして存在しなかったけれど。それはみんな大人だからだ。言いたいことをぐっと我慢して、ごくりと飲みこむスキルを身に付けているからだ。こころのなかでは、「ださい」、「みんなの足を引っ張っている」と迷惑がられているかもしれない。仮面の裏の呆れたまなざしを想像するだけで、翠は泣きそうになる。
きっと今頃のネットニュースでは、『流星隊高峯翠、あわや大ケガ!?』の見出しも登場しているだろう。ただでさえ身長が高いのに、たったひとつの失態で悪目立ちしてしまうとは。ああ、いますぐ消えてしまいたい。そんな思いを抱えながら、こうして人気の少ない場所でひっそり休憩しているわけである。
「鬱だ
……
。死にたい
……
。カッコ悪い
……
」
「高峯さま。お身体は大丈夫ですか?」
「この声は
……
伏見先輩!?」
しょんぼりと垂れた頭に降り注ぐ声色は、奈落の底に差しこむ一筋の光そのものだ。泣きっ面の翠がぱっと視線を上げると、弓弦の美しいまなざしに覗きこまれていた。
純白の衣装から見え隠れする首筋は、ほのかに紅く染まっている。今しがたfineの出番を終えたばかりなのだろう。心配性の弓弦だから、きっと失態を案じて足を運んでくれたに違いない。心の底から好きですきで仕方のない弓弦で思われていることが嬉しくて、翠の身体は、たんぽぽの綿毛さながらにふわふわと揺れる。
「うう~、俺なんかを心配してくれるなんて、伏見先輩はやっぱり優しいなあ♪」
「ステージ上で、大胆に転ばれた場面をモニター越しに眺めていたものですから
……
。お怪我はないとお聞きしましたが、あれからお身体の具合は?」
「べつに、大したことないんですけど
……
。おでこが、ちょっと赤くなっちゃって
……
」
「おや。本当ですね」
弓弦の人差し指が、翠の額にとんとんと触れる。怪我をした子どもを慰めるような柔らかな所作で撫でるものだから、翠の瞳にうるうると水滴が溜まってしまう。もう高校生になるというのに、年上の包容力に甘えずにはいられない。
しかし同時に、いつになったら自立できるのだろうかと無性に情けなくなった。それでも弓弦は、表向きは優しく接してくれるけれど、本心はどうなんだろう。疑心暗鬼になった翠の心に、ふたたび負の螺旋階段ができあがる。
「うう
……
やっぱり死にたくなってきたかもしれない
……
。放課後あんなに練習したのに、当日になって失敗するとか
……
。普通のひとは、こういう時ちゃんと決められますよね
……
?」
「普通のひと、でございますか」
「昔から、そうなんだ
……
俺はいつもそう
……
。伏見先輩は、こんな俺をカッコ悪く思ってますよね
……
?うう
……
聞いちゃった
……
。答えなんて、わかりきってるのに
……
」
額をさすっていた指を離すと、弓弦は押し黙った。凛とした切れ長の瞳からは表情をうかがい知れなくて、翠はしょんぼりと猫背になってしまう。
図体が大きいだけの能なし男だと、内心呆れているかもしれない。昔から見た目以上に中身を崇められてばかりで、他人から「大したことないじゃん」と期待はずれの烙印を押されることが多かった。観客席のファンに幻滅されている可能性を考えるだけでも憂うつになるのに、大好きでだいすきでたまらない弓弦にがっかりされてしまったら、繊細な翠はこれ以上ないくらい傷ついてしまう。
悲観的な思考をぐるぐると巡らせていると、弓弦は中腰になって、翠の肩にそっと手を置いた。
「いきなり何をおっしゃるのかと思えば
……
。高峯さまは、ほんとうにマイナスな方向に物事を考えますね」
「うう~
……
」
「いま貴方の頭でどのような未来が繰り広げられているのか、わたくしは存じ上げませんけれど。たった一度のパフォーマンスに失敗したぐらいで、わたくしは幻滅いたしませんよ。もちろん
……
流星隊のみなさまや、ファンの方々も。
……
ちゃんと練習したのでしょう?」
「うん
……
でも
……
」
かごめ、かごめ。かごのなかのとりは───幼稚園児、小学生、中学生の自分が、まっくろな魔物となった過去の失敗に取り囲まれる。歳を重ねても退いてくれない陰鬱な記憶のかたまりに、翠は頭を抱えてうつむいた。
だが弓弦は、その手をぐいと引っ張って、穏やかな笑みを咲かせた。
「ふしみせんぱい
……
?」
「誰しも失敗はするものですよ。ただ、その後の見せ方が上手なだけで
……
高峯さまが思っている以上に、この世は失敗だらけでございます。わたくしだって
……
」
弓弦はふう、と息を吐くと、気まずそうに笑った。
「わたくしだって
……
ふふ。登壇の際、段差で危うくつまづきそうになりました」
「えっ!?伏見先輩も転びそうになること、あるんですか
……
!?」
姫宮家の従者、そしてfineの一員として。いつだって完璧に振る舞う弓弦は、劣等生の憧れそのものだ。翠は唇をぽかんと開けながら驚愕する。はい、と相槌を打って、弓弦が続けた。
「もちろん。わたくしも人間ですので、『うっかり』はございますよ。
……
とはいえ、坊ちゃまの顔とfineの看板に泥を塗るわけにはまいりませんから、何事もなかったかのように振る舞いますけれど」
「普通に転びそうになる画伯
……
。えへへ、ファンとして耳よりな情報を知っちゃったなあ
……
♪」
「はあ。わたくしの情報に、たいした価値はありませんけれど
……
」
「なにを言ってるんですか!伏見画伯ファンクラブ上級プレミアム会員の特典にしてもいいぐらいですよ!」
「わたくしのファンクラブ
……
でございますか」
両手を握りしめながら、ぐいと顔を近づける翠の視線を反らして、弓弦が首を振る。
「話題が、逸れてしまいましたけれど。
……
要するにわたくしが伝えたいのは、貴方が思うより、失敗は『ふつう』なのだということです」
「えっ?ああ
……
そ、そういうものなのかな
……
」
「ええ。それにわたくしは
……
たとえ転んでも、だるまのごとく起き上がってひたむきに頑張り続ける
……
。そのような高峯さまを愛おしく感じておりますゆえ───」
弓弦は身を乗りだすと、翠に覆いかぶさった。美しいまつ毛が近づいて、薄いくちびるがちゅっと触れる。
「痛いのいたいの、飛んでいけ~♪
……
で、ございますよ」
赤く腫れた額に、優しいくちづけが降ってくる。翠は数秒ほど止まって、ようやく額にキスをされていることに気が付いた。ぽっと頬を紅くしながら、ぽっと頬を紅くしながら、くちびるを噛みしめる。引き締まった口角はすこしずつ緩んで、最終的には照れ笑いになっていた。
ほんの一瞬の温もりは、いやな記憶でかたどられた輪を溶かすのに、じゅうぶんの熱を帯びていた。膝を抱えて、しくしくと泣いていた子どもの頃の自分がにこりと微笑んだようで、翠もつられてしまったのだ。
「は
……
励まされちゃった
……
」
「すこしは元気が出ましたか?」
「は、はい
……
」
「安心いたしました。大丈夫そうでしたら、そろそろ戻りましょうか。みなさんもきっと心配しておられますよ」
「伏見先輩
……
」
個性的な絵にひとめぼれしたあの冬が、すべてのはじまりだけれど。弓弦と接するたびに、絵とサインだけでは手に入れられない、とくべつの優しさを知ってしまう。立ち上がった弓弦の手首をつかんで、翠ははにかんだ。
「ありがとうございます
……
」
「いえいえ」
先頭を進む弓弦の裾を引っ張りながら、とてとてと背後についていく。「わたくしは、このような大きな子どもを育てたつもりはないのですけれど」と冗談を投げる弓弦に、翠はえへへ、と無垢に笑った。
心に負った傷も、額の鈍痛も、優しいくちびるが癒してくれる。うしろのしょうめん、だぁれ───過去の記憶にとらわれた子ども時代の幻影ごと抱き締めてもらったようで、翠の足取りは軽くなるのだった。
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