らい
2022-08-16 21:04:27
2829文字
Public そうかな♀
 

本日のマラソン⑪「忘れ物はございませんか」

お題「電車」そうかな♀(奏汰女体化注意)、ズ!軸 ※少年誌程度のラブコメ要素があります)

(堅忍不抜、臥薪嘗胆、意気軒昂、粉骨砕身、心頭滅却)

 夢ノ咲学院前駅行きの電車がガタンゴトンと揺れるたび、颯馬は四字熟語をなぞらえた。そうでなければ、正常な精神を保つこともままならない。事務所の公式経歴は「趣味・精神統一」であるのに、心を無にして雑念を払うことすら許されない状況に置かれている。
 次は〇〇駅、〇〇駅。車掌のアナウンスを聞きながら、颯馬は歯を食いしばる。額にはじわりと汗の粒が滲み、眼下に広がる世界には、ぎゅうぎゅうに詰め込まれた乗客たち。

「むう。まるで『おすし』ですね~」

 そして───奏汰の豊かな胸が、鍛えあげた肉体の表面で、むにゅっと潰れていた。颯馬は満員電車に揉まれながら、奏汰の顔を挟むようにして肘をつく。
 同年代の男子と比べれば、積極的に『ぐらびあ』の類に手を出してこなかった颯馬だけれど、女体になんの関心もないのかと聞かれたら嘘になる。男の本能は、たわわな脂肪にどうしても反応してしまうのだ。つまるところ、忍耐勝負を強いられているのだった。
 身体をずらそうにも、混雑の車内では立ち位置を保つのがやっとである。制服越しにもはっきりとわかる胸の曲線に、ブラウスをぷるんと押し上げる弾力。魅惑的な肢体を胸板に受け止めながら、颯馬は必死に耐えていた。
 親愛なる部長殿に欲情するなど、下衆な痴漢と変わりなし。颯馬はまぶたを閉じて、四字熟語を繰り返す。しかし、奏汰がつんと脇腹をつついてくるものだから、頭のなかに飛び交っていた漢字の『へん』と『つくり』が分解されて、桃色の霧に包まれてしまう。
 〇〇駅、〇〇駅。到着いたします───車掌の声とともに、走っていた電車が停まる。多くの利用者が一斉に降車したが、同じくらいの人数が押し寄せてきた。颯馬の尻は乗客が背負ったリュックに圧迫され、ぐいぐいと追いやられる。豊満な胸により一層、密着してしまうのだった。

「そうま~。あと『ひとえき』で、『ゆめのさき』ですね……♪」
「う、うむ。い……いかにも」
……うう、ぎゅうぎゅう。……あう。……きょうは……むぐぐ。ほんとうに、ありがとうございました~……
「ぶ、部長殿のためならば、例え火の中水の中!颯爽と駆けつけようぞ!」
「そうまのおかげで、おおだすかりです♪……むぎゅ」
「お褒めにあずかり、光栄である!す、水槽が見つかって、我も安心しておるゆえ」

 ドアが閉まります。ご注意ください───扉が閉まり、電車がふたたび発車する。ゆさゆさと揺れる胸に挨拶されながら、颯馬は『水槽』の話題に意識を反らした。
 本日は、奏汰とすこしばかり電車を乗り継いで、熱帯魚を取り扱う専門店に遠征した。部室の魚たちもずいぶんと成長してきたので、水槽を新調することに決めたのだ。今ではインターネットで気楽に注文できる時代だが、実際にこの目で確かめたいという奏汰に付き添って、現地まで足を運んだのである。
 薫は二泊三日の地方ロケで不在だったから、ふたりきりの旅路となった。部費の範囲内で無事に欲しい水槽が見つかって、さっそく購入。翌日には、夢ノ咲学院に届くらしい。古い水槽を外に運びださなければいけないから、明日もふたりで作業する予定だ。
 男として頼られるのは喜ばしい。尊敬してやまない奏汰と一緒に行動できるのも、嬉しい。しかし、今はとっとと電車を降りてしまいたかった。奏汰と過ごす放課後の穏やかなひとときを、人格の外側にある本能に穢される気がした。敬愛する部長の純粋な憧れが、男の欲望に飲み込まれてしまうようで、嫌悪感がほとばしるのだ。
 颯馬の苦悩も知らずに、奏汰は能天気に語りかけてくる。竜宮城に暮らす乙姫のようなふわふわの髪を揺らしながら、にこにこと微笑んでいた。

「おさかなさんたちも、きっとよろこんでくれます……♪」
「そ、そうであるな」
「ひろいおへやで、す~いすい…………っと、むう。……さっきより『ぎゅうぎゅう』ですね?」

 胸を圧迫されているのが辛いのか、奏汰の眉がへこたれる。颯馬にはそんな困り顔すら美しく思えたが、のんきに惚れこんでいる暇などない。奏汰が、ゆっくり姿勢を変えはじめたのだ。

「うんしょ……うんしょ……♪」
「ぶ、部長殿……?何をしておられる……?」
「ええと……『しせい』をかえようとおもって。そうまも、『きゅうくつ』でしょう?」

 たわわな果実がぽよんと離れて、ドアの方角に向かう。汗ばんだ白いうなじにごくりと喉が鳴りかけたが、それでも胸を当てられるよりは遥かにましだった。
 まもなく、夢ノ咲学院駅前。夢ノ咲学院駅前───やっと流れた終着駅のアナウンスに、颯馬はふう、と安堵の息を吐く。熱帯魚専門店から数十分、よくぞ耐えたものである。ほとんど薄目で四字熟語を繰り返すことに集中していたから、窓に流れる景色を拝むのは久しぶりのことだった。学生御用達のショッピングモールに、通い慣れた学び舎が見えてくる。
 そうして胸をほっと撫で下ろした颯馬は、徐々に視線を下ろし───ぎょっとした。ブラウス越しに下着のひもが透けている。おまけに、ドアに押し付けられた胸がつぶれて、横乳がのびのびと広がっていたのだ。

「な、なにゆえーーッ!?」
「はあ?……わあ~っ」

 颯馬の叫びとともに、線路がカーブに差し掛かる。電車がガタンゴトンと激しく揺れた衝撃で、颯馬はドアに手をついた。奏汰の腰に、覆いかぶさるようにして。

「あう~。ぎゅうぎゅうれべる、まっくすです……。あっ……あぁ~っ……
「ぶ、部長殿ぉ~……!」

 とどめとばかりに車内が揺れて、颯馬の腰がスカート越しの尻に密着する。背後から押されて、まるで前後運動のように揺れてしまうのだった。

「ぼく、もうげんかいです……はやく……はやく……
「わ、我も……ではなくっ!うおおおおお……!」
「うう~、だめです……だめ……ぎゅうぎゅう……あつい……
「ち、ちぇすとーーーーっ!」

 夢ノ咲学院駅前、夢ノ咲駅学院前……
 電車のドアが解き放たれた瞬間、超特急で降りた颯馬は、その場で土下座した。乗客たちが不思議そうに振り返るなか、颯馬は血眼で頭を下げ続ける。

「すまぬ、部長殿!我は切腹いたす!今すぐ!ここで!」
「はい~?」
「我は……我は……部長殿と一緒にいる資格がないのである~っ!」

 2番ホームから、電車が発車いたします───ガタンゴトンと音を立てながら、車両がどんどん遠ざかっていく。
 きょとんと首をかしげる奏汰に詫びながら、颯馬はゆっくりと旅立つ電車に想いを馳せた。部長に対する純粋な憧れごと線路の彼方に持っていかれたようで、最後部の車両を走って追いかけたい衝動に駆られてしまう。
 もう一度あれに乗れば、取り返せるだろうか。胸の裏にある鼓動はどくりどくりと高鳴るばかりで、誰もアナウンスしてくれない。