らい
2022-08-13 21:01:24
5857文字
Public みどゆづ
 

本日のマラソン⑧「俺の彼女はミステリアス・サマー」

お題「海デート」みどゆづ♀(弓弦女体化注意)

「ああ、心地よい風でございますね……

 潮風にたなびく弓弦の青髪が、美しいハープの音色のように夏を奏でている。透き通った白い肌、艶やかな泣きぼくろ。そして上品なワンピースによく映えるものだから、翠の頬は甘い苺みたいに赤みを帯びた。憧れの画伯とふたりきりで歩けるなんて、夢のようだ。もしかすると、一生分の運を使い果たしたかもしれない。
 前日の夜は、緊張しすぎて一睡もできなかったけれど。当日になれば、思いのほか順風満帆に進むものである。映画館で、ふわふわの三毛猫が主役のハートフルストーリーを鑑賞したあと、公園でのんびりと散歩して。昔ながらの喫茶店で感想を語らいながら、劇中に登場した猫のアートも描いてもらった。さっそく額縁に飾らなくてはいけない。何色がぴったりだろうかと心を躍らせながら、翠は心ゆくまでデートを楽しんだ。
 そうして迎えた、寮までの帰り道。「せっかくですから、海の近くを通りませんか」と誘われたら、ふたつ返事で頷くしかない。夕陽の射す砂浜をふたりで歩きながら、のんびりと帰路を辿る。遊泳禁止の海だから、静けさもちょうどよかった。もちろん、デートの締めとしても悪くない。

(手、繋げるかな……。ちょっぴり早いかな……

 夕方の潮風にまぶたを閉じる弓弦を見つめては、小指をひっこめる。翠はふわふわと頬を赤らめながら、弓弦の横顔にすっかり見惚れていた。すっと通った鼻筋と、美しいまつ毛。ぷるんと艶めいた薄桃のくちびるは、きっと柔らかいのだろう。
 猛烈なアタックの末に、ようやく手に入れた恋人の座。がっついてはいけないと言い聞かせながらも、魅惑の果実に近づかずにはいられない。
 翠はおもわず吸い寄せられそうになったけれど、土壇場で我に返った。服の裾を、くいっと引っ張られたのだ。

「高峯さま」
「わっ……あっ、はい!」
「あちらに……ソフトクリームが売っておりますよ」

 指を差した先には、屋台がある。弓弦がにこやかに目を細めるものだから、翠は背筋をぴっと伸ばして、かしこまる。
 冷静に考えると、やはり手を繋ぐのは時期尚早な気がしてきた。間を置いて、頭を冷やしたほうがいいかもしれない。翠は、ポケットから財布を取り出した。

「だいぶ涼しくなってきたけど、やっぱりまだちょっぴり暑いし……食べます?」
「ええ、いただきましょうか。それでは……わたくしが買ってきますから、高峯さまはそちらのベンチで───」

 姫宮家の使用人は、さすがに動きが早い。しかし、翠は慌てて弓弦の肩を押し戻した。憧れの画伯にして、付き合いはじめたばかりの恋人を、むやみに働かせるわけにはいかなかった。面倒くさがりの翠だけれど、最低限の男気ぐらいは発揮したかったのだ。

「いやいやいや!俺が買ってくるんで、伏見先輩は待っててください!」
「はあ。ですが先に提案したのは、わたくしでございますし……
「あ、歩き疲れてますよね……?こういうのは、いちおう男の仕事なんで……。どうぞ、座って座って……!」

 華奢な肩をぐいぐいと押して、ベンチまで誘導する。すると弓弦は、服が汚れないようにと、翠の分も含めて二枚のビニール袋を取り出した。細かな気遣いもできるなんて、なんて素晴らしいカノジョなんだろう!───誉め称えたくなるのをこらえて、翠は小銭を確認する。

「それでは……わたくし、バニラでお願いいたします」
「わかりました。ま、任せてください……!」

 夕方だから、さっさと店が閉まるかもしれない。翠は小走りでソフトクリーム屋に駆け寄ると、早口で注文した。気前のいい店主が、あいよと返事する。翠は財布の奥から百円玉をいくつか取り出して、トレイに置いた。くるくると巻かれた甘いそれが、あっという間に渡される。

(はじめてのデートだから、緊張してたけど……。なんだかんだで上手くいったし、幸せな一日だったなあ……。寮に戻ったら、まずは猫ちゃんのアートを飾って……。鉄虎くんと忍くんにも、『画伯』の作品を自慢しちゃおう……

 最高のデートを噛みしめつつ、満面の笑みを浮かべながらベンチに戻る。しかしながら幸福の絶頂から、真っ逆さまに突き落とされることになるとは、思いもよらなかった。
 いまにも花が咲きそうな翠の表情が、極寒の大地にそびえたつ氷壁のように固まった。サーファーの男たちに、弓弦が囲まれていたのだ。

「お姉さん、美人だね!」
「ひとり?」
「お、おやめくださいまし……

 金髪の色黒と、パーマのひげ男がひとりずつ。いかにも治安の悪そうなふたりは、弓弦を挟むようにして座ると、あろうことか肩を揺さぶりはじめる。遊泳禁止の海でサーフィンを楽しむこと自体が非常識なのに、嫌がる女の子をナンパするなんて。天地がひっくり返っても、まともな人物とは思えない。
 人見知りの概念が存在しない、いわゆる陽気なタイプが苦手の翠は、すこしばかり目が泳いでしまう。だが、勇気を振り絞って一歩ずつ、そろりそろりと歩み寄った。なにせ、大切なひとが口説かれているのだ。ほんとうは今すぐにでも逃げたいが、恋人を置き去りにして帰るわけにはいかない。なんとしてでも助けたくて、猫背の姿勢でいそいそと近づいていく。

「あ、あの~……?」
「あ?んだてめぇ」

 とがった眉で威嚇された翠は、つま先から震えあがる。中学時代も一定数の不良がいたけれど、野蛮な連中とは極力関わらないように息をひそめてきたのだ。いまでは逆にそれが仇となっているのかもしれなかった。実際に対峙すると、いとも簡単にすくみあがってしまう。
 しかし、静かに俯いたままの弓弦は、問答無用でベタベタと触られている。翠はうう、と唇を噛みしめながら、負けじと踏ん張った。
 大切な彼女のひとりも守れないなら、流星グリーンを名乗る資格はない。ヒーローの才能には乏しいけれど、それぐらいの気概は持っているのだ。
 翠は殴られる覚悟で片目を閉じながら、決死の一歩を踏み出した。

「こ、こ、困ってますし……
「マジで迷惑なら抵抗するだろうが」
「いや……ほんとうに怖いと声も出ないと思いますけど……。ま、まさに俺が今その状態に近いんで……
「ああ?」
「んだとコラ!文句あんのかテメー!」
「ひぃ~っ!」

 死に物狂いの覚悟もむなしく、金髪の男に胸倉をつかまれる。弱い者いじめの光景をニヤニヤと満喫するひげ男と目が合って、翠はぶんぶんと首を振った。両手のソフトクリームを落とさないように支えながら、なけなしの勇気をふりしぼって抵抗する。

「よ、よよよよくないと思いますっ、女のひとに無理やり迫るのは……!」
「この期に及んで、まだ文句を言いやがる!」
「顔がいいからって、調子に乗りやがって!」
「た、確かに俺の顔は整ってるほうだと思うけど、急にそんなこと言われても困る……!この顔は、生まれつきなんで……!」
「いや、謙遜しろや!」
「クソが!ぶん殴って、物も言えないようにしてやんよ!」
「ひ、ひぇえぇえぇぇえぇ~……!」

 万事休す!翠はきゅっと瞼を閉じかけたが、頬の衝撃は襲ってこない。一体なぜだろうとおもむろに目を開けると、ナンパ男たちは怪訝そうなまなざしで弓弦を見つめていた。聖母のような美しい笑みを輝かせる弓弦が、金髪男の肩をとんとんと叩いたのだ。

「あ?なんだよ姉ちゃん」
「大いに盛り上がっているところ、大変恐縮ですが……。一点、確認よろしいですか?」

 弓弦は手をボキボキと慣らしながら、首をこてんと傾げる。

「先ほどは『マジで迷惑なら抵抗するだろ』と……そうおっしゃいましたね?」
「えっ……いや……その……
「わたくし、美しい海を汚すゴミ野郎は『マジで迷惑』でございますので、ささっとお掃除したく……お覚悟、よろしいですか?」

 殺し屋のごとく開眼した弓弦は、ふたりの返事を待たずにして間合いを詰めた。美しいワンピースをひるがえして、まずは金髪男の腕をひねり上げる。日常生活を送っていれば、まずありえない角度に───美しい波音と共鳴するように、関節の音がボキッと鳴り響く。男の涙声が、砂浜いっぱいにとどろいた。

「あだだだだだだだだだだだだ~っ!」
「おとなしく黙っていれば、調子に乗りやがって。この金髪クソ野郎!わたくし、堪忍袋の緒がブチ切れておりますゆえ。手加減はいたしませんよ……!」
「お、お助け~っ!……ぐえっ」

 許しを請う金髪男のつむじに、弓弦の肘鉄が直撃する。第一の制裁が繰り広げられているうちに、パーマのひげ男はこっそり逃げようとしていたが、弓弦はにっこりと笑いながら首ねっこを掴んだ。両腕をL字にして、まるで強盗を仕留める警察官のように羽交い絞めにする。骨をミシミシと圧迫する音に、翠はぽかんと口を開けた。

「いったい何でございましょう?そのスチャラカな格好は。こちらの海は、遊泳禁止でございます。『泳いではならない』という意味すら理解できないのですか?」
「あばばばばばばばばばばばば~っ!」
「そのくせ、気の弱そうな相手には大変イキり申されて……わたくし、溜め息のひとつも出ないほどに呆れてしまいました。まぁその代わり、貴方がたの唇からは『魂』を吐いていただきますけれど……ふふ。地獄に堕ちやがりなさいまし」
「す、すみません、許してくださぁい!ごほっごほっぐえっ」

 ひげ男が詫びると、弓弦はパッと腕を離した。そうして尻もちをついて震えあがる男を見下ろすと、ワンピースの裾をたくし上げる。美しいおみ足で、股間を踏んづけようとしていた。
 いい加減まずい。翠は口元を抑えながら、あわあわと困惑した。暴力で支配しようとする彼らの行為は極めて最悪で、相応の罰を受けて然るべきであるけれど。だからといって拳でやり返しても、真の平和は訪れない。それに───男の急所にクリティカルヒットが加わったときの苦痛を、同性の翠はいやでも知っている。こそこそと遠慮がちに男たちの前に踊り出ると、翠は「待って……」と弓弦を制止するのだった。

「ふ、ふしみせんぱい……あの、これ以上は……
「高峯さまに暴力を奮おうとした罪。貴方が許しても、わたくしは断じて許せません」
「た、確かに腹立つし、むちゃくちゃ怖かったけど!……俺は、伏見先輩が無事なら、その……もうそれで安心なんで……
……高峯さま……
「この人たち、可哀想なぐらいビビってるし……

 ナンパ男たちは、まるで殺人鬼に襲われた双子みたいに抱き合っている。目尻いっぱいに涙を溜めながら、がくがくと震えていた。そんな彼らを冷ややかに見下ろすと、弓弦はふう、と息をつく。ぽっと紅く染まった頬をおさえて、上品にはにかんだ。

「さすがに……お仕置き、しすぎましたかね」
「ね、姉ちゃん!いえ、お姉さま!」
「俺たちを許してくれるんですか!」
「ええ…………大変失礼いたしました」

 可憐な笑みをこぼす弓弦に、男たちは安堵の表情を浮かべる。翠もつられて笑いそうになったけれど───両手に持っていたソフトクリームが、忽然と消える。弓弦は美しく整った眉をつり上げて、最後の一発をねじ込むのだった。

「とっとと失せやがりなさいまし、渚のナンパ野郎ども」
「ご、ごちそうさまですぅ~!」

 金髪にはバニラ、ひげにはチョコレート。甘いスイーツを唇にぶち込まれた男たちは、コーンを片手に裸足で逃げ帰っていく。砂浜に残った哀れな足跡を眺めながら、翠は長い息をついた。まるで生きた心地がしない、嵐のような数分間だった。

「あの……俺、ぜんぜん守れなくってごめんなさい…………伏見先輩、その」

 大丈夫ですか、と振り返ろうとしたその時である。翠の首筋に、弓弦がぎゅっと絡みついてきた。清潔感のあるせっけんの香りがして、やわらかな胸がきゅっと当たる。翠はどぎまぎしながら、細い腰を受け止めた。

「ふ、伏見先輩~……!?」
「ああっ、高峯さま……!お怪我はございませんか……?」
「えっ!?俺は平気だけど……伏見先輩こそ、だいじょうぶ……?」
「わたくしは、なんの問題もございません。あなたが無事ならば、それで……ああ、恐ろしゅうございました。わたくし、心の底からホッとしております……

 広い胸板にしおらしく飛び込んでくるものだから、翠の頭のてっぺんに、大量のひよこがくるくると踊りはじめる。華奢で、美人で、ふとした瞬間に垣間見える仕草が、女の子らしくて───そんな彼女を抱き締めていると忘れそうになるけれど、先ほどの姿はいったい……。戸惑う翠をよそに、弓弦は続けた。頬をおさえながら、いじらしくまぶたを伏せる。

「ああ、申し訳ございません。せっかくソフトクリームを買ってきてくださったのに、ナンパ野郎ども……ではなく、やんちゃな殿方にうっかりお裾分けしてしまったものですから……。わたくし、買い直してまいりますね。もちろん、先ほどのお代もきちんとお支払いしますので」
「へ?……ああ、あのっ、別に気にしないでください!……というか、またナンパされたら大変だし、一緒に行きませんか?……こ、今度こそは、きちんと守ってみせるので……!た、たぶん……
「ふふ。高峯さまったら、なんてお優しいお方……

 小指でつん、と手の甲をつつかれる。柔らかなてのひらが重なって、ずっと夢見ていた恋人繋ぎが果たされる。翠の背筋は、ぴょこんと耳が生えたうさぎのように跳ねるのだった。

「それでは、参りましょうか」

 口元に手を当てながら微笑む姿は可憐で、美しくて───けれども、依然として謎めいている。気配りができて優しくて、胸にぐっとくる絵を描く画伯だけが、果たしてほんとうに俺の恋人なのかな?そんな疑問が、翠の脳裏をよぎる。

「は、はい……!よろしくお願いします……!」

 これから先、何年後になるかわからないけれど。ずっと手を繋いでいれば、出会えるだろうか。ぬくもりの裏側にある、恋人のさらなる一面に。
 夕陽に焼かれる波音を聞きながら、翠はてのひらを更にぎゅっと握りしめた。当分、離すことはないだろう。恐らくはちょっと怖いけれど、しかしそれ以上に楽しいはずだから。
 恋は盲目だ。謎めいた秘密さえも、まばゆい夏のときめきに変えていく。