らい
2021-06-12 20:53:10
3696文字
Public レオいず
 

100曲以上のラブソング

レオいず♀/泉女体化(性転換注意)

 共演した女の子から、電話番号の書かれた紙を渡された。
 神妙な面持ちで「後で見てください」と念を押すものだから、誰にも打ち明けられない秘密がしたためられているのだと思って、レオは上着のポケットに大切にしまいこんだ。
 フルネームはなんだっけ、とか。たしか繊細そうな子だったような気がする、とか。仲が良い共演者は他にもいたはずなのに、その中でおれを選んだのはなぜだろう、とか。夜道を運転しながらぼんやり考えたけれど、ほんとうに中身を知らなかったのだ。
 玄関の扉を開いて早々、泉の胸に「セナぁ〜ただいまぁ~」と飛び込んで、「なにこれ?」と紙を引っ張り出されるまでは。


「出てって」
「だから、浮気じゃないんだって!」
「はあ?信じらんない」
「待て!待てってば!いま帰ろうとするのは危険行為!赤信号!交通違反だぞセナ~っ!」
「ふざけるのも大概にして」
「これでも真面目に説得してる!」


 夏夜に映えそうな月色の髪をひるがえし、泉はさっさと自室に戻ろうとする。そんな泉を帰すまいと、レオは必死の形相で食い止めた。大股をひろげて床にふんばり、細い手首を掴む。まるでリードに噛みついて、散歩から帰宅しようとする飼い主に吠える犬にでもなったような気分だ。
 いわゆる修羅場というものは、昼間のドラマでもさんざん放送されている題材だし、泥沼の人間関係をテーマに楽曲をつくっている音楽仲間も知っている。だから、こういった恋愛のもつれにまったくの鈍感だったわけではない。けれども、こうした局面に陥ったとき、いちから説明すればすぐに理解してくれるものだとばかり思っていたから、レオはひどく驚いた。それ以上にショックなのは、電話番号ひとつで、これまで泉一筋に注いできた愛を、いとも簡単に疑われたことだった。
 レオは、ひどく情けない困り眉をぶら下げて、泉の肩を激しく揺さぶった。学院時代のいざこざから、紆余曲折の末に築きあげた関係なのだ。数年の付き合いで、互いの性質を把握しているわけだし。「れおくんがそんなことするわけないよねえ」と、すんなり信じてもらえる未来を期待していたのに。髪のしっぽが、元気をなくしてシュンとしおれる。瀬名泉という栄養を失ったそれは、枯れていく一方だ。


「十一桁の数字に騙されるなよ、セナぁ~……。おれはその子とは本当になぁ~んにもないし、冤罪にもほどがある~……。証拠不十分で釈放だろ、普通に考えて~……?」
「電話番号の紙がしっかり残されてる状態で、うだうだ言い訳するつもりぃ?」
「なんだ、やるか!?セナがその気なら、こっちは弁護士のリッツをつけるぞ!おれの愛がいかに本物で、浮気する暇なんかないくらいセナに夢中だったか証明してやるよ。何せあいつには、セナのことしょっちゅう自慢してたし!」
「ふぅん。それじゃあ聞くけどさあ。番号の下に添えられてる、この『また、ご飯いきましょうね』は何?」


 証拠品の紙が、勢いよくパン!と開かれる。丸っこい文字で綴られたそれを見せつけながら、泉は「とっとと説明してくんない?」と吐き捨てた。
 至近距離でも耐えうる美しい肌に、レオはうっかり惚れ直しそうになったけれど───いまは無実の罪を着せられようとしているのだ。理不尽に攻められている状況に、レオは我に返った。恋のつぼみがまたたく間に石化して、怒りの芽が生えてくる。
 顔をぐいと近づけて問い詰める泉を追い返すように、レオはがるる!と威嚇した。


「ふたりきりでご飯を食べたことなんて、一度もない!共演者のみんなとお疲れさま会をして、そこでその子とは何度も一緒になったけど……ん?だから『また』なのか?なるほど!」
「はあ?なに納得してんの?」
「『なっとく』じゃなくて、『はあく』!」
「別にどっちでもいい。そうやって勘違いさせるような書き方する計算高い女に、あんたがホイホイひっかかったっていう事実は消えないし」
「だからさぁ……待てってば」


 まるで聞く耳を持たない。部屋に戻ろうとする泉の手首をしっかりと引き寄せて、レオは低い声色で制止した。
 一日も経てば頭が冷えるだろうが、あらぬ誤解を抱かれたまま一夜を明かすのは、嫌だった。それに勘違いとはいえ、泉は『浮気』に敏感に反応しているわけで、心の安穏を乱したまま寝かせるわけにはいかない。二股疑惑には納得いかないが、大好きな女の子を傷つけた可能性があるとなれば、話はまた別なのである。
 どうすれば、この想いが伝わるだろう。レオは、音符がたっぷり詰めこまれた脳みそをほじくり返し、空いたすきまにランニングマシンを設置して、思考回路を走らせた。一瞬だけ、そうだ曲を作ろうという考えがよぎったが、紙にペンを走らせているうちに、泉はきっと部屋に戻ってしまうだろう。そうなると朝まで籠城するだろうから、本日中の解決は難しくなる。
 レオは雨雪にさらされる地蔵のような顔をして、「ぐあ~っ!」とうなる。ややあって、頭上に電球をきらめかせながら、ポンとひらめいた。


「今からセナの好きなところ、百個いうから待って!」


 発想が小学生である。きっと同年代の男性たちは、怒りに震える乙女の心をときほぐす方法をもっと他に知っているのだろうが、高校生の頃から『セナ、だぁいすき!』を貫いてきたレオには、これが精いっぱいなのだった。
 口に出したあとでカァッと恥ずかしくなったが、宣言したからにはやるしかない。レオはすう、と深呼吸をして、指おり数えはじめた。


「そういうわけですから、セナのだぁい好きなところを並べていきます。いち、夜空に輝くお月さんみたいな髪をしてるところ。に、瞳をのぞいたら、きれいな海が広がってるところ。さん、お手をどうぞってダンスを申し込みたくなるぐらい、まつ毛がくるんと踊ってるところ。よん、トンネルを抜けるとそこは雪国だったみたいな白い肌をしてるところ。ご、おもわず食いつきたくなる桃色のくちびるが、おれを刺激するところ……


 右手の五本指を制覇したところで、左手が、泉を捕まえるのに忙しいことに気づく。レオは仕方なく、小指を折り返した。

「外見の話ばっかりしてるけど、もっとあります。ろく、服のボタンをかけ間違えたおれに『馬鹿じゃないのぉ〜』って呆れるくせに、なんだかんだで直してくれるところ。なな、いってきますって玄関を出るときに『頑張りなよぉ、れおくん』って応援してくれるところ。はち、おれがハンバーグ食べたい!ってリクエストしたら、『仕方ないなあ』ってエプロンして料理してくれるところ。きゅう、おれがタオルをすこんと忘れてお風呂に入っちゃったときも、『置いとくからねえ』って用意してくれるところ。じゅう、えらい大人たちと慣れない敬語で仕事してクタクタのおれに、『お疲れ様ぁ』って頭を撫でてくれるところ……あ?」


 現在、百個のうち、十個を言い終えたところである。この時点で、右手がパーの形をしているはずだが、なぜか親指と人差し指が、余分に折れている。泉への『だいすき』が溢れるあまり、ふたつの指が、先走ってしまった。
 まだ序盤なのに、早くも計算がおかしくなっている。さきほど言い終えたばかりの『じゅう』がほんとうに十個めだったのかも、怪しくなってきた。測定不能の愛を、ぎゅっと握りしめた右手。せっかく言葉にしているのに、己の意志に反して、指がはみだしてしまうのだ。


「なに止まってんの?あと九十個も残ってるんだけど~?」
「これで終わりなわけないだろ!指を軌道修正するから待って!」
「早くしないと、部屋に戻っちゃうよお〜?」
「それは無理!セナがおれのだぁいすきをぜんぶ聞いてくれるまで、絶対に帰さんからな!」
「ばかじゃないの。ほんと、ばかなれおくん」


 泉は、「ばぁか」と呆れ果てながら、レオの左手にそっと触れた。ベビーピンクに彩られた上品なネイルが、レオの肌をいたずらにつつく。


「ほぉら。こっちの手も解放してあげるから、今度こそきちんと数えなよ」


 あんたの愛、いちおう最後まで聴いてあげるからさあ。
 烈火のごとく燃え盛っていた、怒りの色は消え失せて。水面に浮かぶ満月のような、美しい笑みが反射する。
 また、泉の好きなところが増えた。毎日、まいにち、愛おしさが増していく。決して取りこぼさないように、一つひとつ数えるのに必死だから、浮気している暇などないのだ。


「セナぁ~!不安にさせてごめんな!」


 だぁいすき!───レオは、泉のからだをぎゅうと抱き締めて、やわらかな頬にキスをした。たらこのごとく唇をとがらせて、勢いのままくっつけたものだから、すぐに「調子に乗らないで」と押し返されてしまったけれど。
 たった十一桁の電話番号に振り回さないくらい、ありったけの愛を伝えたい。そう考えたら、百個では足りない気がしてきた。
 むすんで、ひらいて、またとじて、グーとパーが繰り返される。レオの十本指は、ふたたび忙しくなった。