らい
2020-10-17 18:11:42
1973文字
Public こはひめ
 

靴ひもをほどくな

こはひめ60min様/テーマ「お揃い」

 外で買い物をするのは好きだ。ESビル近隣のショッピング街、セゾンアベニューで靴を吟味するこはくの足は、羽のように軽い。実家という名の座敷牢に閉じこめられていたころ、マウスを片手にインターネットの海を泳ぐのも悪くはなかったけれど。実際に見て、触れて、自身の所有物になったときの満足感は、通販のワンクリックでは味わえないものだった。
 棚に並んだスリッポン、ブーツ、ローファー、ドライビングシューズ───最近、ようやく覚えたばかりの靴の種類。今どきの若者らしいファッションには未だに疎いが、「かっこええな」と人並に憧れることも増えた。幽閉時代には知り得なかった未知の感情まで含めて、買い物というものは心が躍る。好きなひとが傍にいれば、なおのこと。
 隣をふと見上げれば、HiMERUと視線が合った。まるで崇高な芸術品のような、穏やかなまなざしに射抜かれる。上品に引き結ばれたくちびるが、「桜河、お気に入りの靴は見つかりましたか?」と美しく開かれて、思わずこはくは息をのんだ。ひとめぼれのパンプスを披露しあう女子大生、旦那に似合いそうな革靴を大量に運んでくる妻、少々お待ちくださいと、在庫の確認に走る店員。休日の店は騒がしいはずなのに、人々の喧噪が鳴り止んで、HiMERUの声しか認知できなくなってしまう。
 今日は早めに仕事が終わったので、久しぶりにHiMERUを、デートまがいの買い物に誘ってみたけれど───最近は多忙を極めて滅多に会えず、唯一のコミュニケーションは電話のみ。ご無沙汰のふたりきりに対する耐性が、想像以上に低下しているようである。やさしく微笑まれただけで動揺するだなんて、一丁前の男として情けない。こはくは、熱した頬の温度を冷ますべく、深呼吸をする。
 ふと一足の靴が視線に入った。黒のレザー素材で彩られた、ローカットのスニーカー。どこか垢抜けた光沢感に、こはくは思わず吸い寄せられる。


「わしが持っとる服と、合いそうやわ」
「今、HiMERUが履いているものと同じものですね。……ほら」
「ほんまや」


 シルエットが美しいHiMERUのアンクルパンツから、同種のスニーカーが覗いている。友人の『ラブはん』と食堂で一緒になったとき、「やっぱりオシャレは、足元からだよォ~」とファッション雑誌を開きながら楽しげに喋っていたのを、ふと思い出した。派手な装飾ではないが洗練されたデザインに、こはくは釘付けになる。センスを活かせるかどうかは別として、己が理想とする「今風の男子」に近づける気がしたのだ。


「履かせられるんやなくて、履きこなせる……。そないな男になれそうな気ぃするわ。……ええなあ。………ええなあ………


 憧れが詰まったスニーカーに瞳を輝かせていると、HiMERUがそれを手に取った。


「HiMERUも、この靴は気に入っていますよ。カジュアルもドレッシーも、器用にこなせますから。落ち着いた雰囲気も出ますし、桜河にも合っていると思います」
「わしがおんなじもん買うたら、HiMERUはんと『お揃い』やね」
「お揃い?」


 HiMERUが不思議そうに首を傾げた。そんなに引っかかる台詞だっただろうか。こはくは、きょとんと瞬きをするHiMERUの裾を引っ張る。


「今のあかんかった?駄目?」


 恐る恐る尋ねると、HiMERUはくすくすと笑った。


「いえ。純粋で愛らしい子だなと、感心していただけですよ」
「わし、幼子とちゃうよ?」
「ふふ、わかっていますよ。お揃い……そうですね、HiMERUと桜河は、お揃い………


 綻ぶ口元を抑えながら、HiMERUは手に取ったスニーカーをこはくに握らせる。そうして細い指先が触れたとき、柔らかな笑みとともに呟いた。


「桜河。SNSに、靴の写真をアップしたら駄目ですよ」
「?……なんでなん?」
「昨今流行りの『匂わせ』になってしまうかもしれないので。秘密の関係、バレてしまいますから。……なんてね」


 まぁ、嘘ですよ。今のは、HiMERUの冗談です。
 ぽかんと唇を開けるこはくをよそに、HiMERUは茶目っ気に溢れる微笑みをこぼした。スツールに腰を下ろして、「履き心地、確かめてみましょうか?」と隣をポンポンと叩くHiMERUに、こはくは頬を膨らませながら歩み寄る。一人前の男に憧れているのに、いとも簡単に胸が高鳴って、なにも考えられなくなってしまう。靴ひもがほどけて、足元がおぼつかない子どもになってしまうのが、悔しかった。
 いたずらに笑ってのける綺麗なこの人を、余裕たっぷりにひっくり返したい。スニーカーをおしゃれに履きこなして、ちょっとやそっとの冗談でも転ばない男になってやろうと、こはくはこの時、固く誓ったわけである。