らい
2020-10-14 21:16:47
4882文字
Public レオいず
 

今日のレオいず♀㉚「かえるの歌」

お題「雨」※泉女体化(性転換、呼称改変注意)

 一本の弓矢が着弾したとき、実に気持ちがよい音がする。バシャッ、と的をつらぬいたあと、すこし遅れて弦がキーン、と駆け抜けるのだ。
 極限まで研ぎ澄まされた精神に響きわたる、弓道の息づかい。それは、脳のどこかに埋没している霊感のみなもとを、よく刺激してくれる。だから作曲に行き詰まったとき、レオは時折こうして弓道場を訪れる。頭の奥に引っかかったまま出てこないメロディーをほじくり返すのに、うってつけの場所だった。
 今日がいつもと違うのは、音の数といえる。バシャッ、キーン、ふたつの音階が交差したあとで、地面が呻くような轟音が聞こえたのである。ゴゴゴゴゴ、と鳴り響くそれは、静寂を切り裂いた。


「なんだ、なんだ!?」


 レオは、中庭まで飛びだした。空を仰げば、不穏な音の正体がそこにあった。視界いっぱいを覆いつくす灰色の雲。雨が、ポツポツと降りはじめていたのである。
 今朝、いちごジャムのトーストを頬張っていたときの天気予報。レオの記憶が確かならば、『晴れのち曇り』と告げていたような気もするが───控えめな雨の粒は、またたく間に叩きつけるような豪雨に変わる。バリバリ、と戸を叩きながら、風とともに踊り狂っていた。


「おお~っ、急激な変調っ!ベートーヴェンの交響曲第6番っ、『田園』第4章!?これは盛り上がるなっ、新曲のヒントになりそうだ~っ!」
「やっぱり、ここに居るんじゃないかと思ったんだよねえ~」
「わぁっ!?」


 のんきに観察していると、背後から声を掛けられる。不機嫌な眉をぶら下げた泉が立っていて、レオはひゅっと喉を鳴らした。
 帰る直前だったのか、利き手には通学鞄を持っている。もう片方の手には、大きな茶封筒が握られていた。


「なんだよ~、急に驚かせるなよな~。再構築されつつあったメロディーのたまごが、おたまじゃくしみたいに散っちゃっただろ~?」
「知るか。はい、これ」


 呆れ顔の泉に、茶色の封筒を渡される。一体、なにが入っているのだろう。受け取ったそれを眺めながら、レオは首を傾げた。


「おれにプレゼント?この厚さ、さては五線譜ノートだな~?ありがとうっ、今使ってるやつ、もうすぐで終わりそうだったから助かる~♪」
「この私が、なんであんたに喜んでプレゼントしなきゃいけないわけぇ?」
「なぁんだ。違うの?」
「当たり前でしょ?次に使うライブ会場の、資料を持ってきてやったの。目ぇ通しておいてよねぇ?」


 泉はそう言って、ぷいっと視線を反らす。雨の勢いが一瞬、大人しくなった。しかし、再びいつ荒れ始めるかはわからない。安全に帰るなら、今がチャンスに違いなかった。


「おまえらで勝手に決めといてくれても、よかったのにな」
「あんた、Knightsの王さまでしょ。最低限の責任は、果たしてよ」
「はいはぁい」


 レオは、床に放り投げていた鞄に封筒をしまいこみ、弓を片付けることにした。弓道場での精神統一は、今日のところは店じまい。満足のいく曲づくりに繋げられなかったのが残念ではあるが、早めに帰宅したほうが無難だろう。
 不登校の一件以来、家族に───特に、最愛の妹には、心配を掛けてしまうことが増えたから。


「王さまも、今から帰るの?」
「うん。今日は両親の帰りが遅いから、家にルカたんを一人にさせられないし」
「妹思いのお兄ちゃんじゃん。……にしても、マジで急に降ってきたから、チョ~びっくりしちゃった」
「わかる!突然のゲリ豪雨!」
「『ラ』が抜けてるんだけどぉ?……ったく。湿気で髪がうねっちゃうから、ほんと嫌なんだよねぇ………雨」
「どんな髪型をしていたって、セナはいつだって綺麗だぞ~。大好きだっ!愛してるよ!」
「適当なこと、言っちゃって」


 泉がはぁ、と短い息を吐く。そして手鏡で髪のうねりを気にしながら、レオに問いかけた。


「ところでさぁ、王さま。傘は、ちゃんと持ってきてるわけ?」
「んー。ないっ!」
「思ったとおりの展開」


 持ったつもりが置いていくし、持って帰るのも忘れてしまうから、傘なんて久しく使っていない。幸いパーカーを着ているので、雨はしのげるだろう。失笑する泉を、レオはわはは、と笑い飛ばした。
 そういえば不登校になるまえも、こんなやりとりをした覚えがある。あの時は、「セナぁ~っ、相合傘して!」なんて甘えながら、最寄りの駅までくっついて歩いたけれども。
 途中まで、傘に入れてもらえるのかな。高校二年生の頃みたいに。
 レオは、昔と全く同じようにおねだりしようとして、やはり止めた。「セナぁ」と気軽に抱きついていた頃の自分は、もういない。いま現れようものなら、殺すべきだ。だって、王座を守り続ける女騎士を前線に立たせたまま、さっさと逃げたのだ。便利屋みたいに甘えるなんて、あまりにも虫が良すぎる話だった。
 たかだか傘を借りるくらいでと、深刻に思われるかもしれないけれど。それでもレオにとっては、けじめだった。泉との距離感を、適切に保つことが。
 だからこそレオは───泉の提案に驚いた。


「駅までなら、私の傘に入れてやってもいいけどぉ?」
「あ?」


 思わず、眉をしかめてしまう。
 なんだって、こんなときに限って。やめてくれよ、簡単にそんなこと言うのは───いっそ「じゃあね、ご愁傷様」と冷たく突き放してくれたらよかったのに。淡い思い出がよみがえって、その温かさにすがりたくなる。
 積み重なる想いをぐっと飲みこみ、レオは俯いた。それから3、2、1とカウントして、引きつる口角に、突貫工事の微笑みを乗せた。


「嬉しいけど、やめとく」
「はあ?傘なしで帰ろうってわけ?」
「フードを被れば、どうってことないだろ」
「制服が濡れたら、臭くなるでしょ」
「はんぶんこしたら、セナの肩が濡れちゃうしなあ」
「水浸しのお兄ちゃんを見たら、妹ちゃん、びっくりするよ」
「あいつ、心配性だから」
「風邪、ひくし」
「逆にインスピレーションが刺激されるかも」
「体調、崩したらどうすんの」
「ベッドの上って、意外と捗るんだよなあ。作曲!」
「寝込む前提なの?」
「もしもの話だよ」
「学校、また休むつもり?」


 ザァァァァ、と雨の音が駆け抜ける。泉は、レオの肩をそっと掴んで、かぶりを振った。手入れの行き届いた美しい髪が、頬に垂れる。この世に、月のカーテンが存在するのだとしたら、縫い糸はこの女の子から取れるのかもしれない。ありもしない空想に耽ってしまうぐらい、目の前の泉をじっと眺めてしまった。
 綺麗だ、やっぱり。いつ見ても、なんど見たって───隣にいるだけで心が洗われる。外で降りしきる雨なんて、比じゃないぐらいに。


「そんなの嫌だから」


 泉はおもむろに視線を上げると、まっすぐにレオの瞳を射抜いた。お姫様のごとく可憐な容姿をしているというのに、蒼のまなざしは潤むことなく、確かな力強さを持っている。
 心配かけてごめんな、とか、そこまで身体が弱い男じゃないぞ、とか、おまえに頼りすぎるのはいやだよ、とか、伝えたい言葉は山ほどあるのに。どれもが声にならなくて、沈黙を野ざらしにしてしまう。
 すると泉は、レオの胸倉をつかんで、ブンブンと揺さぶった。漫画でよく見るような、がむしゃらな手つきで───静謐な空間が、たちまち消える。遊園地の絶叫マシンのごとく、視界が激しくうごめいた。


「だから、一緒に帰ること!いい!?」
「わわわわわかった、わかったから、離せって!」
「そうと決まったら、すぐ帰る準備する!」
「わかりました、わかりました!帰ります今すぐっ!」
「だったら、早く片付けな!」
「ぼうりょく反対!」


 せっかくの決断が揺らいじゃうよ、セナのばか。なんで嫌ってくれないんだ。そしたら、いさぎよく離れられるのに───レオは、心のなかで罵倒する。
 それでも、泉の提案をどこか嬉しく感じてしまう。いちばん蹴っ飛ばしてやりたいのは、他人の優しさに抗えない自身のずるさだった。




 急に降ってきたね、と小走りで駆ける少女たちの頭は、ずぶ濡れだ。煌びやかな衣装は、しなびてしまっている。恐らくレッスン室が取れなくて、外での練習を余儀なくされていたのだろう。
 まるで、昔の『おれたち』みたいだ。レオはそんなことを考えながら、廊下を歩く。けれども、彼女たちの瞳には、まぶしい光が滲んでいた。「明日も頑張ろうね」と朗らかに励ましあう姿は、希望に満ちあふれている。
 ああ、あの時代はもう終わったのだ。暗くて冷たくて、雪の底に埋もれた時代は───レオは、「新メンバー募集♡」と丸文字で書かれた掲示板の横を、通り過ぎる。昔は、こういった張り紙は愉快犯に破り捨てられるか、大量の画びょうで「しね」の二文字がご丁寧に彩られていたものだけれど。今は違う。時代は変わったものだ、ほんとうに。

 玄関でくつを脱いでいると、早々にローファーを履いた泉が、扉のガラス越しに薄暗い空を見上げていた。雨の勢いはまた強くなっていて、広がる水溜まりにピチャピチャと波紋を作っている。


「セナっ。お待たせっ!」


 レオは、ほとんど中身の入っていないスクールバッグを背負って、泉のそばに駆け寄る。泉は、なにも喋らない。下から覗きこむように仰げば、ようやく視線が合った。


「どうした?トイレにでも行きたくなったか?」
「ばか、乙女になんてこと聞いてんの。……王さまを傘にいれてあげるの、久しぶりだなって思ってさぁ」
「ああ、まぁ、うん。……そうだな、おれはしょっちゅう傘を忘れてたから」


 忘れたというよりは、持ってこなかったと表現するほうが正しい。だって泉に、入れてほしかったから。
 クラスメイトの大半からは避けられ、友達だと信じていた仲間たちに金づる扱いされていたあの頃。それでも分け隔てなく接してくれた泉。いつだって一緒にいたくて、仕方がなかった。「もぉ、またぁ?」と呆れつつも、傘の半分を空けてくれた泉が、この世の何よりも大好きだった。
 綺麗な思い出は、美しいままで、もうおしまい。
 レオは、玄関の戸に手を掛ける。だが、先に扉を開けたのは、泉だった。


「さぁて、帰ろっか。……昔みたいに」


 穏やかに微笑むものだから、レオの胸は嬉しさと、苦しさと、楽しさと、悲しさと───それでもやっぱり、喜びの熱で満たされてしまう。時が過ぎて、もう二度とは帰れない。そう信じていた場所に、大事なひとが待っている。
 バシャッ、キーン、ゴゴゴゴゴ、バリバリ、ポツポツ、ザァァァァ、ブンブン、ピチャピチャ。想像の世界にいくつもの音符が連なって、メロディーの螺旋が繋がっていく。頭のあちこちを覆っていた濃灰の雲が晴れ、一筋の光が射した。


「これだっ!この曲だっ、おれが書きたかった歌っ、ようやく捕まえたっ!」
「ええっ!?ちょっとぉ!?」
「おれは、やっぱり帰りたいよ!おれの愛すべき場所っ、長き旅路の果てに戻りたい場所っ、たとえ時空を超えたって、おれの世界には、たったひとつしか存在しないから!おれはなんて自分勝手なんだっ、最低だっ、それなのにっ、ああ~っ、インスピレーションが止まらない……!あふれる想いが雨となって、おれの渇いた大地に降り注ぐ~っ!」
「はぁ~!?」


 レオは、残り1ページの五線譜ノートを取りだすと、宙にバッグを放り投げた。そうして降りしきる雨のなか、濡れたアスファルトにしゃがんで、身体じゅうから流れる音楽を書き留めた。
 楽しくて、嬉しくて、いまにも走りだしたくなるような多幸感が、空から落ちるしずくとともに心臓を打つ。レオは、ガミガミと怒る泉をよそに、ペンを走らせた。
 結膜が、水溜まりのごとく濡れていく。歓喜に細まる目尻から、さながら雨に歌うカエルのように、一滴の涙がぴょんと跳ねた。