両親からの手紙に同封されていた、一枚の写真。そこに、目鼻立ちが整った背広の男が映っている。華やかな容姿に加えて、海外の名門大学を卒業した高学歴。おまけに大手企業の役員だというのだから、結婚市場では奪い合いになるほどの良物件に違いなかった。
泉はふう、と溜め息をつき、男の写真を机に置いた。そうして白衣を整えると、大量に書類に手をつける。今日じゅうに片付けなければならない事務作業が、獣医の泉には山ほどあるのだ。
「セナぁ~」
さて、仕事を進めようと決意を固めたところで、部屋のドアが勢いよく開けられる。やわらかな体毛に覆われた耳をぴょこぴょこと揺らし、黄昏色の『半獣』がにこやかに駆けてきた。
泉は椅子から立ち上がり、腰に手を当てながら「めっ」と叱る。預かっている他の子たちは、おとなしい獣ばかりなのに。目の前にいるフェネックは、しょっちゅう抜け出しては泉のもとにやってくるのだ。
「こぉら、れおくん。ミケジマが戻ってくるまで大人しくしてなさいって、あれほど言ったでしょお?」
「ママ、おそいんだもん。このしせつ、なぁ~んにもないし。だからおれ、たいくつしてる!」
半獣フェネックことレオは、泉の腰にぎゅう、と抱きついて、頬をすりよせた。相変わらず、甘えん坊のけものである。
泉がこの世に生を受ける何百年も前、人間と獣をかけあわせたハイブリット種が誕生した。それが、いわゆる『半獣』と呼ばれる生物だ。
半獣は増え続け、しだいに自我が芽生えはじめ───遂には、ごく一部の獰猛な獣が人間を襲いはじめた。文明の崩壊を恐れた人間たちは、半獣たちを片っ端から駆除した。そして、数少ない生き残りの善良な半獣たちは居住地を追いだされ、僻地への隠居を余儀なくされた。
ここまでが、小学五年生までの歴史で習う陰惨な過去である。
かつて生き残った半獣たちは子孫をつくり、現在は、地球の各地でひっそりと暮らしている。人間は数百年前の過ちを詫び、獣たちの最低限の生活領域を保障しながらも───彼らの自己決定権を決して侵害しないという方針のもと、必要以上の干渉はしてこなかった。
それゆえ半獣は、人間にとって珍しい。だから、密猟者に狙われて、闇オークションにペットとして売られることも、残念ながらよくあることだった。
それらの悪行を阻止しているのが、自然保護官の半獣担当・チーム『Double Face』三毛縞斑の仕事である。両親を失って、妹ともども売りにだされたレオを引き取ったのも、斑だった。
斑が仕事で家を開けているあいだ、獣医の泉は、レオたちの面倒を見ているのだ。
「ところで、妹ちゃんは?どこにいったの?」
「さいきん、『すず』といっしょにくっついてる。おにいちゃんは、さびしい……ぐすん」
どうやら妹は、『黒猫』の半獣にお熱らしい。極端に人見知りが激しい子だから、『お友達』ができるのは良い傾向だ。泉はふふ、と笑って、レオの頭を撫でる。レオはしっぽを振りながら、にかっと八重歯をのぞかせた。
「ところで、セナぁ。このひと、だれ?」
「ええ?」
机の上に置いた写真のおもてと、うらを確認して、レオが首をかしげる。容姿端麗の男と、視線が合った。泉はああ、と短い息を吐いて、気だるげに肘をつく。
「パパとママが、お見合いしなさいってお願いしてきたの」
「おみあい?」
「そ。若いうちに、結婚してほしいんだって」
「けっこん」
「つがいの、オスを見つけてほしいってこと」
「なんだって!?」
レオが、ふさふさの耳をぴこんと立てて、がるるるるる、と威嚇する。得意の穴掘りをするみたいに、するどい爪で写真をひっかいた。泉は「こぉら」と叱って、いまにも切り裂かれそうな男のそれを取り上げる。
「どうして、れおくんが怒るの?」
「だってセナ、あんまりうれしそうじゃないだろ?」
百点満点の容姿。高学歴・高収入。婚活に励んでいる女性のだれもが羨むであろう好条件が整っているが、泉は結婚なんてしたくなかった。だって見ず知らずの男に、己の人生を預けたくない。けれども、両親をはじめとする周囲の者たちは、「いい歳なんだから、結婚しなさい」と急かす。「獣医なんて、出会いがなくてつまらないでしょ?」とも。
「そうだっ!おれ、セナに、ぷれぜんとしたいものがあるんだったっ!」
そのために、ここにきたんだったぁ!───レオはそう言って、腰のポケットにもぞもぞと手を突っ込む。そこから出てきたのは、一輪のたんぽぽだった。
施設の庭に生えている、たいして珍しくもない花。しかし、ありふれた品種であるのに、鮮やかな黄色がほとばしる。まるで天国に咲き誇る花畑のように、きらめいた。
「セナっ、おれと『けっこん』してっ!」
「え?」
「『つがい』になれば、そのオスと『けっこん』しなくてすむんだろ?うむうむ、われながら、いいかんがえ。おれはやっぱりてんさいだなっ、わはは!」
ちなみにね、この『たんぽぽ』は、いちばんおおきくて、きれいだった。だから、セナにやる!───太陽さえも一歩引いてしまうほどの眩しい笑みで、レオは泉のほっぺたにキスをした。ちゅ、ちゅ、と角度を変えて愛情表現をするレオを、泉は「こぉら」と引き離す。
「『こぉら』とはなんだっ、『こぉら』とはっ!」
「はいはい。お花、ありがとうねえ」
「きにいってくれたの?セナ、だぁ~いすき♪」
「だからぁ、くっつかないのぉ」
「どうして?『つがい』なのに!」
「まだ、返事してないでしょお」
「だったら、いますぐ『いいよ』って、へんじして!」
「だぁめ。それに『けっこん』するんだったら、まずはミケジマの許可を得ないとねえ」
「ええ~……。ママ、おそいっ!」
ふさふさの耳と、しっぽを揺らしながら、レオは窓にすがりついた。まだかまだかと斑の帰りを待つレオに、泉はちいさく笑う。
「おれ、『けっこん』したら、ぜったいにセナをしあわせにする!」
「ほんとう?」
「うん。いえのまわり、たんぽぽでいっぱいにして、まいにちうたいながら、のんびりくらす!」
「絵本の世界みたいだねえ」
つらい経験をしてきただろうに、それでも幸せを分けてくれるこの子のために。いまは、獣医として生きていたい。
泉は、男の写真を、シュレッダーに差し込んだ。
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