今にも、はらわたが煮えくり返りそうだ。筆舌に尽くしがたい憤りが爆発しそうで、たまらない。空き教室の窓際にたたずんでいた泉は、液晶画面に映るSNSに視線を落として、舌打ちをした。「この度、イメージモデルをやらせていただくことになりました」と丁寧に書かれた文章のとなりに、クラスメイトの女子が映っている。にこやかな笑みを携えながら、上品なブランドの服に、袖を通していた。
本来ならば、そこに立っているのは泉のはずだった。だが、一枚上手の彼女に、決まりかけていた仕事をとられたのである。
横取りされた事実以上に、自身の努力不足を痛感させられるのがつらかった。たとえ、上層部に気に入られたのが彼女だとしても、それを覆すほどの魅力がなかったということなのだ。
泉は、窓ガラスの向こうをぼんやりと眺めた。空に反射する夕陽のきらめきは美しく、きっと写真として映えるだろう。けれども撮る気になれなくて、制服のポケットに、スマートフォンをしまいこむ。いまの泉にとって、夕焼けの彩度はまぶしすぎた。
「セナ~っ。おまたせっ」
するとそこに、黄昏色の頭をした能天気な男がやってくる。遅れて登場したのは、レオだった。レオは、曲がったネクタイを気にも留めず、手をぶんぶんと振り回しながら近づいてくる。
仕事を奪っては、奪い返されて───そんな弱肉強食の世界である夢ノ咲学院において、いまだに笑顔をわすれない稀有な存在だ。
「あれっ。他のみんなは、まだ来てないの?」
「……今日は来ないんじゃない?」
「ええ~っ。おれ、久しぶりにみんなに会えると思って、昨日から楽しみにしてたのにな~。ちぇっ」
「そもそもあいつらに、やる気なんてないでしょ?」
「むむ。他人を悪くいうのはよくないぞ~、セナ」
「あんたは、他人をよく思いすぎなの」
「そうか?」
曲だけせしめて、練習には参加しないろくでもない連中さえも、レオは「大好きだ」と笑う。この世の真理に気がついていないのは、ある意味でしあわせなのかもしれない。今日もどこかで誰かのこころが血まみれになっている、この学院においては。
口数の少ない泉をふしぎに思ったのか、レオはちょこまかと動きまわる。黙りこんでる泉の顔をのぞいて、問いかけた。
「セナ~。なんかいやなことあった?」
「はあ?」
「いつもは、『遅刻とか、チョ~うざぁい!』とかいって、ぷんぷん怒るからさ」
ちゃらんぽらんな性格をしているくせに、感情の機微にはどうやら敏感らしい。う~ん、う~ん、と悩みながら、レオは質問を変える。
「お腹いたい?」
「痛くない」
「べんぴ?」
「女の子に、そういうこと聞くな」
「それじゃあ……みんな来ないから、さびしい?」
「あんたの気持ちでしょ、それは」
「……。……わかったっ、さてはクラスの子から、ひどいこと言われたな!?」
「この私が、陰口を叩くようなアホ相手に落ち込むと思う?」
「おれは、へこむけどなぁ」
「あんたの話は、してない」
「わるぐちでも、ないとすると……う~ん……くあぁっ、セナの笑顔が失われたらっ、おれの生きる意味がなくなってしまう~っ!尊くて優しいこの世界ごと、ぶち壊してしまうかもしれん~……!」
「いや、大げさすぎるでしょ…」
レオは深刻に頭を抱えながら、その場をくるくると歩く。レオが動くたび、窓から射し込む夕陽のひかりで、ちいさな影法師ができあがる。真っ黒なそれと追いかけっこしているようで、泉はつい笑ってしまった。
悪口を叩かれたわけでもないのに、仕事をとられたことに苛立って───ほんとうに憎くて仕方ないのは、表面上強がっていても内心へこたれている、自身の脆さだ。それでもレオは、泉の機嫌を直そうと試行錯誤している。曲がりくねったネクタイを必死に整えて、「ほらっ!おれだってやればできる!」と誇らしげに胸を張ってみたり。泉の手を取って、「せっせっせ~の、よいよいよい!」と陽気に歌ってみたり。
肺の底に溜まっていた怒りの熱は、いつのまにか冷えていた。レオと一緒にいると、いつもこうだ。いつの間にか、わすれている。悲しいことも、つらいことも。
「あっ。ちょっと元に戻った!?」
「あんたが、飼い主を慰めようとする子犬みたいに動くからねえ。おかしくって、どうでもよくなっちゃった」
「なんだよ~、おれは『おすわり』も『まて』もしないぞ~……って、そうだっ。これこれ!」
レオはぱぁっと顔を綻ばせながら、ブレザーのポケットをもぞもぞと漁る。そうして、なにかを取り出した。
水色の包装紙に包まれたそれは、キャンディーだった。
「セナに、やるよ。最近おれが気に入ってるアメちゃん!」
「……なに味?」
「ソーダ味!……ほんとはもっと、いちご味とかピーチ味とか、あとマスカット味とかあるんだけど。セナは青がすきだから、いつか分けてやろうと思って、とっといたやつ!」
「……ふぅん」
「おいしかったから、セナにもあげたくってさ!おれのしあわせの、おすそわけ~。最後の一個だぞ~。味わって食べろ!」
「えらそうに。……でもまぁ、ありがと」
泉はなんとなく窓を見る。眩しすぎた夕焼けの空が、今度はすんなりと視界に焼きついた。飴細工のように透き通った色が、どこまでも広がっている。怒りも、苦しみも、悲しみも、そのすべてを上書きする美しい炎が、そっと燃えていた。
「あっ。そうだ」
泉は、ブレザーからスマートフォンを取り出して、カメラを起動する。
「おっ、写真?撮って撮って♪」
「もぉ。あんたは映らなくていいの」
「むぎゅ」
カメラの前に踊り出ようとするレオの頬を押しのけて、泉はソーダ色のキャンディーを掲げる。夕暮れの空に浮かぶ飴は、宇宙にきらめく星のようだった。
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