作曲に明け暮れていると、いつのまにか日が沈んでいる。ベッドの上で楽譜を広げていたレオは、ぐううううう、と響きわたる腹の虫に、そういえば、朝からなにも食べていなかったことに気が付いた。
壁時計の数字は、午後7時12分を指している。そろそろ夕飯の時間だ。普段ならば泉が呼びに来るのだけれど、姿を現さないのは珍しい。レオはぴょんと飛び降りて、リビングに向かった。
食卓には、ラップの掛けられた夕飯が並んでいた。ふっくらと焼けたデミグラスハンバーグ、水菜とスモークサーモンの小洒落たサラダ。そういえば昨日、「おれ、お肉が食べたい!汁がジュワ~っとでてるやつ!」とおねだりしたのだが、どうやらリクエストに応えてくれたらしい。料理上手の泉が振る舞ってくれる食事は、どれも頬がとろけるほどおいしい。ほかほかの白米を、何膳でもおかわりできてしまう。
レオの腹太鼓が、ふたたび鳴り響く。ところが、肝心の泉は───ソファーで、すやすやと眠っていた。とちゅうで寝てしまったのか、ファッション雑誌を膝に乗せたまま。美しく整った眉はやわらかく溶けて、薄いくちびるから小さな寝息がこぼれている。世間では、氷の女王とか、あるいは雪原の騎士だとか、そう呼ばれがちだけれど。一緒に住んでいるレオは、泉にも穏やかな表情があることを知っている。無防備に眠りつづけるその姿は、まるで眠りの森の美女のようだった。
きっと無心で曲を作り続けていたから、声掛けを遠慮したのだろう。あとで呼ぼうと考えて、そのまま寝てしまったに違いない。起こすべきか、そっとしておくべきか。レオは迷いに迷ったが───どこからともなく甲高いアラームが鳴ったので、伸ばしかけた手をひっこめた。洗濯機の終わりを知らせる音である。上機嫌なメロディーが流れる方角を見つめたあと、レオはすぐさま脱衣所に歩きだした。
「……セナの洗い物、干してあげよ~っと」
気持ちよさそうに熟睡している彼女のためならば、何でもしてみせるのだ。
レオは、軽やかな足取りで洗濯機に辿りつくと、鼻歌を口ずさみながら『OPEN』ボタンを押した。ガチャ、と開かれた扉のすきまから腕を突っ込み、清潔なかおりがするバスタオルと、洗濯ネットを取りだす。
「セナのごはんは、三つ星~♪」
いま考えたばかりの歌詞にメロディーをつけて、レオは網のチャックに手を掛ける。出てきたのは、白のノースリーブブラウス。
「皺がつきやすいから、ちゃんと伸ばさないといけないやつだ……」
以前、洗濯物の乾かし方で「だ~れがアイロンかけると思ってんのぉ~!?」とこっぴどく叱られたのを思い出して、レオは困り顔になる。ハンガーを持って鬼々と迫ってくるものだから、あのときは怒りを静めるのに大変だった。
「……よし!」
だが、泉に喜んでもらいたい一心で、気合いを入れた。爆弾処理班のごとく顔つきで、洗濯機の上にそっと置く。
さて、お次は───残りの洗濯ものをネットから引きずりだす。真っ黒な物体が出てきたので、両手に掲げてまじまじと観察する。
ややあってレオは、言葉を失った。未だかつて見たことがない、新品のブラジャーだったのである。
「くろ………」
レースであしらわれたそれに、色の名称を呟くことしかできない。泉とは恋人同士であって、当然ながら夜の営みも済ませている。いまさら下着に動揺するほど思春期ではなかったが、色っぽくてそそるデザインとなると、事情はまた違ってくる。レオはおそるおそる、ネットの中からもうひとつ、洗濯ものを取りだした。セットで購入したのだろう、黒く透けたパンツが現れる。三秒ほど固まって、レオは不良のごとく眉を尖らせた。
「け、けしからん……」
表、裏、表、裏、やっぱり裏、裏、最終的に表。何度もひっくり返して確認するが、どう考えても布面積が少ない。レオはおもわず両手で額をおさえた。
「こんなんで、×××が隠れるのか~……?無理だろ、ちょっと動いただけで×××、はみでそう……」
全国のお姫さまには聞かせられない単語を連発して、レオは赤面する。これ以上は刺激的すぎると、先ほど置いたブラウスの上に、パンツを重ねた。
そして───床に放り投げていた黒のブラジャーを再度、手に取った。泉はけっして巨乳ではなかったが、それでも手の平からこぼれる程度には、わがままな胸がある。夢たっぷりのバストを包み込んでいるのが、このブラジャーとなると───レオは拳でグーをつくって、カップの部分にこっそりパンチした。余裕いっぱいに食べられてしまう。
「おお~……」
胸も、下着も、とっくの昔に見慣れているというのに、なぜだか感動してしまった。
だが、ふとした疑問があった。いかにも勝負下着のフォルムであるのに、なぜ泉はお披露目してくれないのか、ということである。
それとも、まさか普段使いのつもりで───レオは宙にブラジャーをかざして、理由を考えはじめる。しかしその時、背後から物音がした。
「ちょっとぉ……。私の下着で何してんのぉ?」
可愛らしい寝顔はどこにいったのか、仏頂面をした泉が現れる。眠り姫のお目覚めに、レオは怪訝な眼差しを花のように綻ばせた。
「おっ。セナ、起きた?うっちゅ~♪」
「ブラと一緒に手を振らないでよねぇ」
色っぽい下着となると、やはり抵抗があるのだろうか。泉は、恥じらいながらブラジャーを奪い取る。ついでに、洗濯機の上に置いてあったパンツとブラウスも、胸にきゅっと抱えこんだ。
「セナがぐっすり寝てたからさ。洗濯もの、干してあげようかと思って」
「ああ、なんだ。そういうこと……。まぁ、なんていうか……ありがと」
「どういたしまして。でも、未だかつて目撃したことない未知のぶらじゃ~とぱんつだったから、驚いたな~。それ、普段用に付けんの?」
「こ、こんなエッチな下着、普段から使うわけないでしょお~!?」
「でも、洗濯機のなかに入ってるってことは、今日のお仕事でつけてったってことだろ~?ン~?」
レオはくちびるを尖らせながら、意地悪に問い詰める。勝負パンツ以外の何物でもないというのに、いったい何の用途に使うというのか。隠しごとをされているみたいで、気に食わなかったのだ。
すると泉は、恥ずかしげに返事した。
「……最近、マンネリ気味だし、試しに買ってみたの」
「えっ」
「明日、オフだし……。今日の仕事も、お昼で終わりだし……。もしかしたら、エッチするかもしれないって思って……」
「えっ?」
「久しぶりだから、私が仕事から帰ってきたら即がっついてくるだろうって。ちゃんと予想もしてたのに……」
「えっ!?」
「それなのに、あんたが普通に作曲してるから!」
「ええっ!?」
「………悪い!?」
やけくそになった泉は、レオにぐっと顔を近づける。黒の下着を抱きしめているおかげで、胸の曲線がいやらしく潰れている。レオはごくりと喉を鳴らした。
「いや、わるくないです………」
いますぐ繋がりたいきもち。せっかく買ってくれた下着を後日、めいっぱい堪能したいきもち。泉が作ってくれたハンバーグが冷めてしまうから、早くご飯を食べたいきもち。
レオの頭のなかで、みっつの想いがぐるぐると回転しはじめた。しかし、決断を知らせるメロディーは、いつまで経っても鳴り響きそうになかった。
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