らい
2020-09-15 21:17:05
3452文字
Public レオいず
 

今日のレオいず♀①「くちびるは嘘つかない」

お題「リップ」※泉女体化(性転換、呼称改変注意)

 ガーデンテラスの南にあるスペースは、訪問者が少ない。レオは、静かで落ち着くこの場所で、曲をつくるのがすきだった。胸のなかに溢れるメロディーを紙にしたため、楽譜のベッドに大の字で寝そべっているとき、レオの心は安らぎに満たされる。
 教室に帰っても居場所はない。他人をおとしめる悪口か、女の子をもてあそぶ下品な話題が飛び交っていて、レオのすきな音楽は少なかった。
 澄みわたる青空に、色あざやかな花々。芝生のにおいは心地よく、吹きつける風は楽しげに歌っている。毎日どこかで誰かが死んでいる夢ノ咲学院でも、ガーデンスペースでの緩やかなひとときには、救われた。息を吸って、吐いて、生きていられるのだった。


「ったく。探したんだからねえ」
「わっ!?」


 上空を流れる雲を眺めていると、視界いっぱいにひとりの女の子が現れた。
 レオは慌てて飛び起きて、すぐさま短い息を吐く。腰に手を当てながら、眉をつりあげている怒りんぼうの少女は、瀬名泉だった。細くて美しい指先には書類が握られている。恐らくは、空き教室の予約申請書のサインを求めているのだろう。ユニットの代表は、レオだった。リーダーの署名がなければ、ほとんどの書類は通らない。
 サインしたって、どうせ他のユニットに横取りされるだろうけど──いや、そんなことよりも。レオのくちびるに、しぜんと笑みがこぼれた。理由はどうあれ、泉と会えたことが嬉しい。


「セナぁ、おれに会いに来てくれたの?文句をぶつぶつ垂れながらも話しかけてくれるセナっ、だぁい好きっ!」
「会いに来てくれた、じゃなくて、会いに行かざるをえない、の間違いでしょお。スマホに連絡したのに、ちっとも見てくれないしさぁ」
「うーん……。スマホを見るのが億劫になっちゃって」
「いつものことでしょうが」


 泉は、呆れながら腕を組む。スマートフォンを放ったらかしにしているのは事実である。だが、もうひとつ事情があった。レオはふたたび地面に寝転んだ。


「まぁ、それはそうなんだけど。でも、やたらメッセージが来るんだよ」
「私以外から?」
「うん。おれの連絡先、ともだちにしか教えてないはずなのにさ。なぜか知らんやつから『曲、無料でつくってくれるんだって?俺にも作ってほしいな』って連絡がくるんだよ。理由を聞いたら、『連絡先、教えてもらっちゃった!』だって!」
「ともだち、ねえ……
「『かわりに女の子、紹介するからさ!』とか言ってさ。おんなのこを、交渉材料に使うなよな!ぶりぶりうんこたれ!」


 泉は、なにも言わない。てっきり「うっ……もぉ、下品な言い回しはやめてよねえ!」と叱られると考えていたレオは、拍子抜けしてしまう。最近の泉は、『ともだち』の話をすると口数が少なくなる。
 なんだかなぁ。レオは怪訝なまなざしを向けながら、続けた。


「というか……。だぁいすきなともだちのためなら、なんだって書いてやるのに。『曲と交換』みたいな条件だっていらないし、なにも貰えなくたっていいのにな、おれは」
「あのね、れおくん。ともだちって簡単に呼ぶけど、よく考えなよ。連絡先を勝手にバラすようなやつが、ほんとに大切なともだちなわけ?」


 泉はそう言って、書類とペンを渡す。ともだちは、ともだちだ。レオはよく考えようとして、やめた。あたまの裏側から得体の知れない液体が垂れてきて、目の前が真っ暗になりそうだった。
 難しいことは、考えたくない。その『難しい』が、恐らくは簡単な答えであろうことも、いまだけは知りたくなかった。


……って、れおくん。あんた、まぁ~たケアさぼってるでしょ!?」


 月永レオ、と署名しようとして、レオはとつぜん泉に揺さぶられた。月永の『永』がぐにゃりと曲がり、へたくそなサインが仕上がってしまう。


「こら~っ!くさび形文字っぽくなっちゃっただろ!メソポタミア文明の回し者め~っ!」
「メソポタミアでも何でもどっちでもいいけどさぁ、リップ!あんた、リップはぁ?」
「りっぷぅ!?」
「こないだ教えてあげたリップ、ちゃんと使ってるのぉ?」


 泉は「かっさかさ!」と嘆きながら、レオのくちびるに親指で触れる。そういえば数日前、乾燥しきって皮が剥けているのを、こっぴどく注意されたのだった。購買まで制服の袖を引っ張られて、リップクリームを買わされたこともしっかりと覚えている。
 桃のかおりがするそれは、当日、付けたきりだ。ブレザーのポケットに入れたまま、宝の持ち腐れとなっている。


「まさか、落っことしたんじゃないでしょうねえ?」
「ちゃんとあるぞ!ちゃららん♪りっぷくりぃむ~♪」
「四次元ポケットみたいに出すな!……ったく」


 泉はリップクリームを奪い取って、レオのくちびるにくっつけた。


「むぎゅ」
「いちいち声に出さなくていいの!」


 甘いかおりとともに、うるおいたっぷりのスティックがくちびるの曲線をなぞる。チョ~うざぁい、と文句を垂れる泉の瞳が、目と鼻の先にある。こんなに近くにいるのに、毛穴ひとつ見えなかった。まつ毛は長く、薄いくちびるもぷるんと煌めいている。


「はい。おわり」
「うう。なんか、へんなかんじだな……
「文句、いわないの」


 泉は、人差し指でレオの口元を抑えつけた。


「アイドルなんだから、もっと身なりに気を遣わなくちゃだめでしょ~?」
「うう~……
「女の子って、細かいところまで見てるんだからねえ。そういえばあんた、妹ちゃんいるよねえ。『おにいちゃん、カサカサ星人!』って幻滅されてもいいわけぇ?」
「えっ、やだやだ!ルカたんに嫌われたらおれ、生きていけない!」
「だったら、ちゃんと塗る。それに。……この先、例えばれおくんに、すきな女の子ができたとして───」
「え?」
「いざキスするってなったとき、どうするの?嫌われちゃうよぉ?」


 キスってなんだ。どうしてそんな話になるんだ。レオはふと、足元に置きっぱなしの楽譜に視線を落とした。紙に書き連ねた音符が、みるみる浮き上がる。それは大きくなって、レオの隣で、のっぺらぼうの女の子になった。


「キスして、れおくん」


 腕を絡ませてくる、妄想の恋人。レオは、とっさに振り払った。幻想の女の子が、しゅわしゅわ、と泡になり、五線譜のなかに戻っていく。
 すきな女の子にキスをする。ちっとも想像できない。


「みんな、すぐにそうやって恋愛につなげる!」


 年頃の高校生ならば、喜んでつつきたがる話だろうけれど。乾燥しているくちびると、キスはどうしても直結しなくて、レオはむくれた。


……たとえ話なんだけど。気に入らなかった?だったら、謝る」
「べつに謝らなくたっていいよ。でも、セナは、男の子にちゅ~してもらうために、毎日きれいなくちびるにしてるのか?」
「はあ?んなわけないでしょ!だいいち、いまは付き合ってるひとなんかいないし」
……ふぅん」
「ユルい女じゃないんだから。男に簡単にキスなんか、させないんだからねえ」


 ふん、と息を荒くする泉のそばに、ふたたび幻が現れる。今度は、制服を身にまとった男だった。その顔は霧で隠れていたけれど、泉のくちびるに触れる不埒な指先に、レオは「わぁ───っ!」と叫ぶ。


「ちょっとぉ……。急にどうしたのぉ?」


 緩やかな風が吹き、妄想の男はぽん、と消えた。しかし、妄想の女が入れ替わりで現れた。れおくん、とまぶたを閉じて、キスを待つその顔。どういうわけだか泉だった。レオは両手をぶんぶんと振り回しながら、虚空を切り裂く。
 幻覚の泉も、宙に消えた。


「なにがなんだか、よくわからないけど……。とりあえずサイン、してよねえ」
「セナ……
「なぁにぃ?」


 首をかしげて、泉がそっと近づく。艶のあるくちびるに見つめられて、レオはかぁっと熱くなった。


「おれは、キスなんてしないぞっ!」


 そんな目で見ていない。見たくないはずなのだ。レオは、書類に走り書きでサインして、泉の胸に叩きつける。そうして散乱している楽譜を拾い集めて、一目散に駆けだした。


「ちょっと、れおくん!?」


 戸惑う泉の声を背に受けながら、レオはくちびるをきゅっと引き結ぶ。泉の肩に手を掛けて、くちづけようとする男の影。
 あれは、自分の顔だったような気がした。