らい
2020-07-14 20:16:26
5412文字
Public つかそら♀
 

私の夏は泡にはならない

つかそら♀(宙女体化)※性転換、呼称改変注意/司ちゃんの青春片思いシリーズ②



「結構きれいになったな~?」


 浜辺に落ちていたコーラの容器をトングで拾うと、宙がふう、と一息ついた。空き缶、スナック菓子の袋、たばこの吸い殻、使用済みの花火。あらゆる廃棄物がたっぷり詰まったビニール袋に封をして、司も額の汗をぬぐう。
 空の向こうに沈みゆく太陽は未だに燃え続けていて、制服のシャツがじわりと蒸れている。静かに鳴り響く波音だけが、唯一の涼しさだった。
 砂浜のゴミ拾いなんて、いつぶりだろう。不祥事により暴落したKnightsの評判を取り戻していたころの、地道なボランティア活動。あれ以来かもしれない。アイドルとして軌道に乗り始めてからは、すっかりやらなくなってしまった。今日という日がなければ、次の機会は数年後だったかもわからない。


「つかちゃん、ありがとう!」


 宙がうんと背を反らし、心地よさそうに伸びをする。司は、「いえ」と短く返事して、誇らしげに胸を張った。感謝されるのは、単純に気持ちがいい。それも親しい女の子の笑顔つきなのだから、達成感もひとしおである。
 とはいえ、紳士たるもの──『誉められた!』と悦に浸り続けるのは、いががなものか。生ぬるい潮風に吹かれながら、司は我に返る。そして自然と緩んでしまった頬に喝を入れるべく、こほん、と咳払いをした。


……お友達が困っているのを、放っておくわけにはいきませんからね。ええ」
「HoHo~、つかちゃんはさすがです!困った民を守る、心優しい騎士さまな~?」


 宙、とっても助かっちゃいました!──人懐こい笑みとともに、ふたつに結んだ髪の束が揺れる。まるで縁側の息吹になびく、風鈴のようだった。黙っていても汗が噴きだす蒸し地獄の季節に、さわやかな色彩を加えてくれる。涼しげな音こそ鳴らないけれど、どこか期待にふくらむ、そんな夏のはじまりを感じさせた。
 クラスメイトの女の子と、浜辺でふたりきり。
 いくら大人のふりをしていても、中身は十七歳の男子高校生に過ぎないことを思い知らされる。海が奏でるさざ波の歌がかき消されるほど、心臓の高鳴りがやかましいのだから。


「つかちゃん!」


 宙は、余ったビニール袋を砂浜に敷くと、ぴょこんと座った。ちいさな身体を端っこまで詰めて、その隣に空いたスペースを手でぽんぽん、と叩く。


「つかちゃんも、座って座って!」


 狭いおうちですが、と付け足して、宙がにっこりと笑う。ワンコインで釣り銭がもらえるゴミ袋でさえも、彼女の魔法にかかれば、砂浜の特等席になってしまう。宙は、「はんぶんこです!」と無邪気に笑いながら、足首を左右に揺らす。可愛くて、それでいてあざとさを感じさせない、宙らしい仕草だった。
 しかし、いざ着席してしまえば、肩が触れてしまいそうな距離である。司は半歩ほど進んで、また引っ込めた。汗のにおいが鼻につかないだろうかとか、誘われるがままに近くに寄ってしまっていいものだろうかとか、余計なことばかり考えてしまう。
 砂を踏みしめる足音が、いやに目立つ気がする。まったく臆病なつま先だ。


………し」
「し~?」
………失礼します」


 司は、意を決して、ゆっくりと腰を下ろす。


……男である私が、Ladyを真っ先にEscortすべきなのに。なんたる失態……


 宙が提案するまえに、休憩場所を確保しておけばよかった。重大な事柄を、うっかり失念していたことに気が付いた司は、頭のなかでくあぁあぁぁ、と額を抱えた。騎士として未熟すぎる。いつだってスマートに振る舞える男でありたいのに。残念なことに、その道のりは遥かに遠い。
 現役モデルの瀬名泉にさえも「かさくんは、姿勢がいいよねえ」とお墨付きの背筋が、丸くなってしまう。彼が現在、日本にいなくてよかった。今の情けない姿を見られたら、間違いなく叱責されていた。スタジオの真ん中で、正座を余儀なくされていたことだろう。
 ところが宙は、司の心情などお構いなしに、首をこてんと傾げた。


「男?女?性別は関係ないな~?宙は、宙がしたいと思ったことをしてるだけ!」
「春川さん
「でも、つかちゃんが宙のえすこ~とを望むなら、次は──」


 よろこんで、おねがいしちゃうな~!
 緊張しきった頬がとろけるほど、甘くて暖かい、陽だまりのような声だった。曇ったこころの色が、またたく間に晴れてしまう。
 夕陽に染まる空、寄せては返す波の音。汗ばんだ身体の奥で、今この瞬間が、暑い夏になっていく。





 本日は、待ちに待った念願のオフである。自由に解き放たれた放課後のこと、先に声を掛けてきたのは宙だった。
「今日の授業はウトウトしちゃったな~」とか、「みつちゃん、またまた椚せんせいに怒られてたな~」とか、なんてことのない会話を交わすのが『いつもどおり』の日常だ。そこから一緒にESビルに向かったり、各々の部活動に参加するためにバイバイしたりするのだけれど、今日は『いつもどおり』とは少しばかり異なった。他愛のない話のなかで、宙もオフであることが判明したのである。
 高校一年生のころは、任される仕事はそう多くはなかった。手持ち無沙汰の日が被ることはざらにあったけれど、最近はそういった機会もめっきり減っていた。だから、正直なところ、司は浮かれてしまった。昨年度のように、「つかちゃん!よかったら、宙といっしょにゲー研で遊びませんか?」と微笑まれる展開を、勝手に想像してしまったのだ。
 私とて、断じて暇ではありませんが、せっかくのお誘いを無下にするわけにもいきませんね。春川さんのお誘いとあれば、限られた時間ではありますがそのgameとやらに──しかし、頭の隅々までとっておきの台詞を用意したところで、宙が告げたのだった。


「今日の宙は、海のお掃除をがんばるので、失礼するな~!」


 なんでも昔からよく寄り道している近所の海が、ゴミまみれになっているという。次の休日は、浜辺のゴミを片付けようと密かに決めていたのだそうだ。
 独りよがりの妄想を膨らませていた数秒前の『朱桜司』という存在が、恥ずかしくて仕方ない。流鏑馬の的にして、片っ端から貫きたくなるほどに。


「私も、手伝いますよ!ええ!」


 司は、やけくそに申し出た。子どもっぽさを拭いきれずにいる十七歳の人格を、綺麗さっぱり洗い流してしまいたかったし、それに。


「ほんとう?宙、とっても助かるな~!」


 愛嬌たっぷりに笑う女の子と、一緒にいたかったのだ。どんなに、恥をかいたとしても。





「つかちゃん、あのね」

 砂浜に放りだした細い足首をくるくると回しながら、宙がつぶやく。スカートの下から伸びるまっしろな太腿が視界に入り、司はとっさに視線を外した。
 cool down、cool down……
 夕陽に揺れる海の向こうを眺めつつ、司は唾を飲みこむ。


……はい。なんでしょう?」
「一年前も、ここで宙と会ったの、覚えてますか?」
「え?……ええと」


 去年の記憶がうっすらとよみがえる。復帰したばかりの『Leader』がちっとも仕事をしないので、黒服軍団とともに、海に連れ戻しに来たのだった。確かそのときは、宙もいたような気がする。しかし、『同級生以外の接点がない、ちょっと変わった女の子』がいた、それだけだ。はっきりとした事実は覚えていても、宙に関する思い出は残っていない。
 学校というのはお勉強する場であって、仲良しこよしのレクリエーションに興じるべきではないと信じていた。挨拶をされたら手を振り返すけれど、クラスメイト以上の関係に発展することは決してない。いま思い返せば、ひどく偏った価値観だった。
 春川宙という人間を、もっと知っておけばよかった。
 過ぎ去った時間は元に戻せないが、いまでも取り返したい後悔のひとつといえよう。思い出は、これから先たくさん作っていけばいいとは、よく言うけれど。その通りではあるのだが、心の奥に住む子どもの人格が、『実にもったいないことをした』と主張する。だって春から知り合っていたら、ふたりで学園祭をまわれたし、体育祭でめいっぱい応援できたかもしれない。数えるときりがなかった。
 だったらよかった。かもしれない。幼さの滲む発想ばかりが浮かんでしまう。宙と『お友達』になってから、どうにも大人になりきれない。いや、『お友達』というよりは──宙のちいさな横顔が目に入る。柴犬を彷彿とさせるやわらかな眉毛と、きゅっと上がった口角が可愛らしくて、眉間が熱くなった。


「言葉を濁しちゃうのも、無理ないです。あの頃のつかちゃんとは、あんまりおしゃべりしたことがなかったからな~?」


 司が返答しかねていると、宙は困り顔で笑った。宙のおおきな瞳から伸びるまつ毛が、しょんぼりと垂れる。


「すみません。綺麗さっぱり忘れているわけでは、なかったのですけれど」
「ううん、そうじゃなくって。宙が、急にこの話をしたのは───」


 宙が、顔をパッとほころばせる。
 基本的には笑顔を忘れない女の子だけれど、さまざまな表情を見せてくれるようになったのは『お友達』になってからだ。あの招福宴がなければ、永遠に知ることはなかっただろう。できれば、これからも──笑って、悲しんで、怒って、でも最後にはやっぱり笑って、めくるめく表情の一つひとつを、朱桜司ひとりだけに見せてほしいと、わがままに願ってしまう。
 夏空のひまわりのようなまぶしい笑顔を咲かせるこの子は、一体どんな想いを抱いているだろう。小説、映画、テレビドラマの空想世界で得た男女の疑似体験よりも、想像以上にあたたかいこの気持ち。いつだって、すぐ隣にいたい気持ち。全くおなじ感情が、彼女のなかにも存在するのだろうか。いまは、そっと疑問を投げかけることしかできなかった。
 司は、膝に置いた拳を、更にぎゅっと握りしめる。肺の底まで積もるもどかしさごと、押し潰してしまいたかった。


「宙ね。海に来るたび、すごく嬉しくなるんです」


 立て直した膝にあごを乗せて、宙がふわりと微笑んだ。


「嬉しくなる、というのは?」
「それはね!」


 司が反芻すると、宙は勢いよく立ち上がる。


「あの夏、目も合わせてくれなかったつかちゃんが。今こうして宙と、なかよしでいてくれることです!」
「私が?」
「だから宙は、と~ってもハッピーな~!」


 つかちゃん、だぁいすき!
 宙はスニーカーを脱ぎ捨てて、波打ち際に駆けだした。砂を踏みしめる足音が、波の揺らめきに溶けていく。潮風になびく制服のスカートは、美しい夏に踊る人魚の尾ひれのようだった。やわらかな足の曲線が、水しぶきのきらめきとともに踊る姿に、司はただ、呆然と溺れてしまった。
 だぁいすき、だなんて。そんなこと簡単に、伝えないでほしい。なぜって、ただでさえ蒸し暑い夏が、さらに熱くなってしまうから。胸を打つ鼓動が加速して、身体じゅうをめぐる血液が茹だってしまう。


「春川さん」


 司は、おもむろに腰を上げて、波に近づいていく。きょとん、と振り返る宙の頬は、夕陽の影に焼けていた。海風に乗り、こめかみから髪がほつれる。
 綺麗だなぁ、と、なんの飾り気もない言葉だけが浮かんだ。
 心のすべてを洗い流す、清らかな水のような感情が、そこにあった。


「なぁに?」
……あの」


 ぱしゃ、ぱしゃ、と飛び跳ねる宙が、立ち止まる。青くてまるい瞳に、波のざわめきが静かに反射した。


……………………転ばないように、気を付けてくださいね」
「はぁい!宙、ちゃんと気を付けます!」
「万が一、春川さんに何かあったら、逆先先輩に申し訳が立ちませんから」
「ししょ~は心配性だからな~?」
「あの方の場合は、いささか過保護ですけれど」
「ししょ~は優しいので!でも、宙はだいじょうぶ!そう簡単には転びません!」
「ふふ、そうでしょうね。運動神経に優れている貴方のことですから。でも、『もしも』の可能性も捨てきれませんから。念のためのadviceです」
「『もしも』の場合は、つかちゃん。宙を助けてくれる?」
「当たり前でしょう。その手を握って救ってみせます、私は騎士ですから」
「だったら、宙は安心な~!つかちゃんなら、そう言ってくれるって信じてました!」
「春川さん」
「つかちゃんも、こっちにきて!海の色はひんやりして、とっても気持ちいいな~!」


 私はきっと、貴方のことが好きです。喉の奥に突っかかったままの言葉は、波にさらわれてしまった。
 それでも、心の隙間に射し込む夏の陽ざし、その眩しさにまぶたを閉じてはいられない。夏はまだ始まったばかりだ。太陽の輝きは、どうしたって止められない。
 今はまだその時ではないけれど、いつかは真夏の海岸を、ふたり並んで歩きたい。もちろん『お友達』ではなくて、とくべつな関係として。報われようが報われまいが、まずは地上の一歩を踏み出さねばなるまい。恋の呼吸は、それからだ。


「ええ。ご一緒してもよろしいですか?」


 司は、淡い期待を込めて、靴を脱いだ。