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らい
2019-10-19 23:14:44
2191文字
Public
偽物の日記
探納ワンドロ企画様/お題「弱点」/鍋ロル(S6・真髄2の精神病院パラレル)/社交恐怖が薄れている納、依存傾向のある探の要素を含みます/さほど明るい話ではありません…(すみません…)
「せんせい、ごきげんよう」
中庭のベンチに腰かけるその人は、口一杯になにかを頬張りながら僕を見やった。ケチャップまみれのフォークを、焼きたてのウィンナーに突き刺して、鼻歌を奏でている。
原則、患者たちは指定の食堂で昼食にありつく決まりになっているけれど、その人───ノートン・キャンベルは、「閉塞感が凄まじくて、嫌なんだ。とても」と唇を歪めて、勝手に抜け出すことがほとんどである。
狭苦しい病室、廊下の隅っこ、階段の三段目。彼の昼食時間は、あらゆる場所に存在している。今日の『駐在拠点』は、この中庭のようだった。普段、人目の付かない場所で黙々と食べている彼であるのに、今日はすこぶる機嫌が良いらしい。少なくとも、「ジングルベル、ジングルベル」と二ヶ月も先の季節を口ずさむ程度には。もっとも、彼はとっくの昔に成人しているから、サンタクロースなんて来やしないけれど。ソーセージにまぶした真っ赤な調味料に、童心が疼いてしまったのだろうか。
「探しましたよ。
……
どこにも居ないから」
彼の診療時間はまだ先である。しかし一人にしておくと、被害妄想に囚われて──「殺される!助けて!後ろにいる!前にも!隣にも!」と頭を抱えて机の下に隠れるのだ───騒ぎになりかねないので、極力『医師』である僕の目の届く範囲に置くようにしていた。最近はそういった事案も少なくなってきてはいるが、油断はできない。ひとまず見つかって、良かった。
「
……
せんせいも食べるかい?」
隣に座ると、彼はさっそく距離を詰めてくる。食べかけのウィンナーを二等分に切り、僕のマスク越しに近づけた。つい数分前、軽食のサンドウィッチを済ませたばかりの僕には、いささか重たく映る。
「せんせいも、しっかり食べないと。いざという時に逃げられない」
奴らが背後に現れたら危険だからさ、と教えてくれる彼の世界は僕には理解できないけれど、そっと寄り添うことはできる。だって僕は医者だから。僕は、まっすぐに覗き込んでくる彼のまなざしに微笑んだ。彼の目元に、穏やかな花が咲く。水に垂らした絵の具さながらに、じわじわと広がった。
「ありがとう、キャンベルさん。でも、僕は食べられません」
しかし、花がしおれるのはあっという間だ。僕の返答に納得がいかないのか、彼の表情はどんよりと曇りはじめる。
「
…
どうして?せっかく分けたのに」
「お気持ちだけ、受け取っておきます」
「
…
美味しいよ」
「先ほど食べたばかりなので」
「
…
それなら、誘ってくれたら良かったのに」
一緒に食べたかった。せんせいと昼。彼はそう呟いて、二つに分けたウィンナーの半分を、喉に放り込んだ。眉間に皺が寄り、口角が不自然に歪む。図体は大きいのに、丸くなっていじけた姿は、まるで幼い子どもそのものだ。
「次の診察までまだ時間がありますから、それを食べ終わるまでご一緒しますよ。お昼」
機嫌を損ねてしまった以上、致し方ない。患者の精神状態を安定的に保つ。それが医師の務めであり、僕の役目である。
僕の提案に、彼は「えっ」と大きく身じろいだ。光沢のない真っ黒な瞳に、ちいさな火が灯る。心許ない光ではあるけれど、果てしない無を映し続けるよりはずっといい。この薄暗い病院においては、むしろ充分すぎるほどの明るさだ。
「
…
本当?」
「ええ。
…
おっと、ケチャップが口元についていますよ」
「
…
嬉しいな。本当?」
「ええ。
…
今、拭いてあげますね」
「
…
せんせいと昼。本当?」
「ええ。
…
ああ、動かないでください」
「
…
本当。本当なんだ。本当。う、う、嬉しいな。嬉しい」
それから、彼は一方的に喋り続けていた。昨晩、病室を抜け出したイライの叫び声がうるさくて寝られなかったこと。トレイシーが院長の部屋に忍び込んで、カルテに落書きをしたこと。最近ツェレが夜な夜な泣いていること───彼の口から語られる、この病院で起きた出来事の一つひとつに、僕は相槌を打つ。
「
……
せんせいは、僕の話を、いつも、ちゃんと聞いてくれるね」
「僕は医者です。患者の話に耳を傾ける義務があります」
「うん。
……
まともに聞いてくれるのは、せんせい一人だけだ」
「僕は医者ですから、貴方のそばに寄り添う義務があります」
「うん。
……
僕が望んでいることを、いつだって『本当』にしてくれる」
せんせいは、僕にとって、ほんとの、本当のせんせいだ。
会話の終わりに、彼は決まって、僕を「本当のせんせい」と呼ぶ。
出会ったばかりの頃は、部屋の角で蹲っているだけの患者であったのに。胸の奥に閉ざした想いの束を、僕に開示してくれることが嬉しかった。愛おしかった。この子を、守らなくてはと、心の底から感じる。
けれども同時に、むず痒くもなった。本当のせんせい。本当の。本当?──彼に告げられるたび、指先が冷えて、溶けて、透明な水となって流れ落ちる、足場のない感覚に襲われてしまうのもまた事実だった。本当、ほんとう、彼の言う「本当?」を叶えられなくなるような、底なしの無力感に苛まれるのだ。
「僕は、せんせいが好きだ」
「
……
キャンベルさん」
「好きだよせんせい」
彼のくちびるから紡がれる言葉は、いつだって僕を強くするし、弱くもする。
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