らい
2019-04-20 20:05:20
3305文字
Public つかそら♀
 

8時29分のシンデレラ

つかそら♀(宙女体化)※性転換、呼称改変注意/司ちゃんの青春片思いシリーズ①



 机上に教科書一式を広げ、始業のチャイムが鳴るまで予習する。昨晩のドラマの感想を交わしあい、数人で輪になって対戦ゲームに興じているクラスメイトに混じることなく、学校に通う本来の目的を黙々と実行することが、司の毎朝の日課だった。アイドルとしての技能を磨く一方で、社会に馴染むための一般教養を身に付ける場でもあるのだ、学び舎というものは──握りしめていたシャープペンシルの芯が折れた。ふいに人の気配を感じて、筆先に力を入れてしまったためである。


「つかちゃん!おはようございます!」


 小学校、中学校、そして高校と継続してきたルーチンワークは、最近になって破壊されつつある。招福宴を通じて、『同じクラスの知り合い』から『そこそこ話せるお友達』に昇格した女の子。春川宙が無邪気に会話を仕掛けてくるようになったのだ。
 宙は、正面の椅子に──この時間になっても来ていないようだが、天満光の座席にあたるそこを借りて──ぴょんと乗っかると、青の瞳をきらめかせながら振り向いた。後頭部でひとつに結んだしっぽが揺れている。こめかみから頬にかけて流れる髪は巻かれていて、一見するとお姫様のようだった。

 ここ数日の宙は毎朝、異なる髪型で登校している。本人に聞いたところによれば、隣のクラスの葵ひなたに「実験台」として髪を遊ばれているらしい。昨日はサイドに束ねていた。おとといはKnightsのライブで欠席したので把握していないが、『A組の美容室』で朝からじゃれあっていたに違いない。
「貴様には葵博士の研究材料になってもらおう~!」「HuHu~!助けて~!怪人ひなちゃんな~!」とコテを持つひなたに拘束されながら、ヘアアレンジを施されていたのだろう。なんとも平和な光景である。


「つかちゃん?」


 丸い瞳を瞬かせる宙が、首を傾げる。司は我に返って、空想の世界を打ち切った。


「ああ、すみません。おはようございます、春川さん」


 司が挨拶すると、宙はもういちど「おはようございます!」と笑う。そしてスカートから伸びる細い足を、振り子のように揺らした。座りながらにして落ち着きがない。
 日頃からおてんばな少女であるのは、司も知っている。しかし今日は特に顕著だ。


「何か、嬉しいことでもあったのですか?」
「HaHa~、つかちゃんわかるんです?」


 司が尋ねると、宙はにっこりと笑った。くるりと持ち上がったまつ毛が、二重の幅をくっきりと強調する。ショーケースの中に飾られているフランス人形のような、愛らしくも美しい顔立ちだ。校内のあちこちを飛び跳ねているパルクール少女の印象が強いので、いささか気付きづらいけれど──色事に興味津々のクラスメイトたちの言葉を借りるとするならば、「可愛い」部類に入るのだろう。
 どくり。
 そう認識した瞬間に、心音が跳ねてしまう。鼻筋から眉間に流れる神経に、熱水が流れ込んでいく気がした。
 Cool Down、Cool Down...。
 こほん、と咳払いをして、司は「ええ」と返す。


「見ればわかります。今日の春川さんは、どこか忙しないmotionといいますか...。まぁ、いつもと何ら変わりない気もしますけど」
「も~しょん?も~も~♪」


 頭上で作った『耳』を動かしながら、宙が屈託のない笑みを向ける。牛の真似をしているようだが、『Ra*bits』が繰り出すうさぎのポーズにしか見えない。司はちいさく笑った。
 きっと他人からすれば、取るに足らないやり取りなのかもしれない。それでも司にとっては、そのたったの数秒がふしぎと心地よいものだった。友達のそばにいるだけで、一瞬が永遠に変わる。朝のHRが始まるまで静かに勉強していた過去の自分には、決して発見できなかった宝物である。


「A組の教室で、ひなちゃんに髪をいじってもらったあと。廊下に出たら、ししょ~に会ったな~?」


 急に飛び出してきた名前に、司は「はい?」と問い返した。声に出すつもりはなかったが、音になって響いていた。言い訳として破綻しているが、いかんせん事実なので致し方ない。優美に振る舞わなければいけない騎士にあるまじき失態である。
 手遅れの口元を抑える司をよそに、宙は続けた。青く波打つ瞳は、よどみなく煌めいている。爽やかな朝であるのに、そこだけ星空の夜が広がっているようだった。


「宙があんまりスマホを見ないから、ししょ~がB組に来てくれたな~?」
……はあ」
「放課後のレッスン場所が変わるから、早めに伝えておきたいって」


 『宙が嬉しい理由』を、いちから説明しているのだろう。しかし同時に、それ以外の話題を振られている可能性を探りたくなってしまった。具体的には、宙の『嬉しい』に『ししょ~』が関わっていない道筋を。
 なんで?どうして?ちょっと待ってろ、妄想してやる!──心に潜むKnightsの王が、頭のなかで駆けまわる。
 待ってください、私の許可なく想像を膨らませないでください!──慌てて伸ばした腕のまぼろしは、宙の声でかき消された。


「ししょ~、宙のこと、たくさん褒めてくれたな~。『世界で一番、可愛いヨ』って。『王妃様の鏡も嫉妬してしまうほド、可憐なお姫様だネ』って!」


 だから宙、今日は一日じゅう。ううん、ずっとず~っとハッピーな~♪
 まるで甘い菓子を頬張っているかのように、宙のまぶたがとろけ落ちた。頭の後ろに束ねた髪が、無邪気に階段を下りるお姫様のごとく揺れる。
 可愛いとはなんだ。
 お姫様とはなんだ。
 そんなの自分だって何度も感じている。毎朝、隣のクラスで魔法を掛けられて戻ってくる姿を、数日間ずっと見届けているのに。
 追いかけるべきは妄想の国の王様ではなくて、目の前にいる少女だ。


「私だって、春川さんはCuteなPrincessだと思っていますよ」


 宙がきょとんと止まった。司は、すぐに後悔した。懲りずにやってしまった。Knightsを応援してくれるファンの女の子たちに告げる想いとは、また違う。相手は、友達の春川宙なのだ。お姫様を口説く舞踏会の王子様になるには早すぎる。
 司は、とっさの発言をごまかすように、再びノートを開いた。しかしながら、紙に押し付けたシャープペンシルは不発に終わった。芯が折れたのをすっかり忘れていた。
 私としたことが、何たるMiss!
 恥の濃度が、どんどん深まっていく。顔いっぱいに熱のかたまりが集まって、焼け焦げてしまいそうだった。
 ところが黙っていた宙が、司の机に身を乗り出した。マシュマロのごとく柔らかそうな肌が接近する。目と目が合って──宙は、ふわりと微笑んだ。


「宙がお姫様だったら。つかちゃんは宙の王子様になってくれますか?」
「えっ?」
「宙ちゃん!大変なんだぜ~っ!」


 司が視線を戻したそのとき、光が滑り込んできた。ぽかんとくちびるを開ける宙の腕を引っ張って、光は「追われてるんだぜ!」と助けを乞う。恐らくは椚先生だろう。大穴で、Valkyrieの斎宮宗。


「HuHu~、みつちゃんは、宙が助けます!」
「わ~ん!このご恩は一生忘れないんだぜ~っ!」
「鶴さんの恩返しです?」
「オレ、ふすまは絶対に開けないようにするぜ!」
「つかちゃん、またな~!」


 宙はちいさな手を振ると、白い上履きを鳴らして消えた。賑やかなクラスメイトたちの輪を抜けて、髪のしっぽが遠ざかっていく。司は、ふう、と長い息を吐いた。苦し紛れに開かれたノートが、司の表情を無言でうかがっている。己の心を見透かされているようで、恥ずかしい。なぜなら白い紙に映っているのは、先ほどまでの予習で書き連ねた文字列ではない。後ろでまとめた髪を揺らして走る、お姫様の姿だった。

 今は、どれだけ追いかけてもその手を取ることはできないだろう。けれども、髪がほどけたその瞬間に辿り着きたいと願ってしまう。彼女にとって、たった一人の王子様を夢見ているのかもしれない。