ORANGE*AXE/小野美歓
2024-02-11 17:13:12
7089文字
Public 風花
 

妻たちのはかりごと【ディミメル+シルレス】

いい夫婦の日2023の小話。蒼月クリア後何年か経った後の花冠の節の話。短編再録集「CANDY BOX 3」収録。

 ディミトリとメルセデスのガルグ=マク大修道院への訪問は、一年と二節振りのことであった。前回は婚姻の儀式の時で、それ以来となる。
 セイロス聖教会の大司教位に就いた恩師は戦争終結の後に別れたあの時と些かも変わらず、今やファーガス神聖王国の国王夫妻となったかつての生徒二人を気安く出迎えた。
「久しぶりだね、二人とも。会えて嬉しいよ」
「こちらこそ。先生もシルヴァンも、元気そうで何よりだ」
 それぞれに大仰な肩書きが付き、纏う装束は身を縛るようで窮屈だ。けれど、誰も彼も、為人までは変わらない。士官学校の教師と生徒として出会ったあの頃の、懐かしい空気がそこにはあった。


 なかなか自由には動けない身である国王夫妻が大修道院まで足を運んだのは、旅の帰途に付近を通過することによる。今はその名を史書に残すのみとなったアドラステア帝国、その首都であったアンヴァルを初めとする旧帝国領の各所を巡ってきた後であった。無論、目的は物見遊山などではなく、政治的な意図をふんだんに含んだものだ。
 フォドラの南半分を直に見て回り、各地で有力者と会談し、復興と統治の状況を確かめてきた。その間にはメリセウス要塞に立ち寄るなど、若干の私的な用件もこなしながら旧帝国領の巡察を終え、ベルグリーズ領からミルディン大橋を渡って大修道院に到着。二日ほど逗留した後にエレボス領に入って北上、王都へ戻る旅程となっている。


 祭礼や会談の予定はなく、今回の国王夫妻の訪問はあくまでも非公式ではある。が、現在のフォドラを動かす頂点たる人物が直に見(まみ)える機は稀少で、顔を合わせれば仕事の話になってしまうのは致し方ないのだろう。
 懐かしい顔ぶれが揃い、互いに久闊(きゅうかつ)を叙した後。王国側の生真面目の見本こと国王ディミトリと、教団側の規律を体現する大司教補佐役セテスとが、旧帝国領の巡察の結果について踏み込んだのを機に、半ばうんざりした顔のシルヴァンを巻き添えに話が進んでいく。
 彼らの会話が熱を帯び始めるのを端で見ていたベレスがメルセデスを振り返り、やれやれとばかりに肩を竦めて苦笑いを浮かべる。フォドラの未来に対する真摯な姿勢故と思えば咎められるはずもないが、ベレスが呆れ顔になるのも無理はない。メルセデスも同じように微笑んで返すと、寄っていたベレスの眉根が少し緩んだ。
「仕事の話は任せておいて良さそうだから、私たちは外に出ようか」
「うふふ、そうね~」
 話の輪の外のそんな声を耳にして、ディミトリは済まなさそうに苦笑いをメルセデスに寄越し、シルヴァンは自分も連れて行ってくれと言わんばかりの顔でベレスに縋る。ベレスがシルヴァンの側に戻って何事かを耳打ちすると、不承不承といった態ながらも彼は飲み込んだようだが。
 一連の遣り取りも聞こえていただろうセテスが何も言わないので、女性二人が退出することについては彼は制限するつもりはないらしい。問題はないと判断したメルセデスは、先に執務室を出て行ったベレスの後を追った。


 傭兵から士官学校の教師に抜擢され、戦時には王国軍の指揮を執ったベレスは、今やセイロス聖教会の大司教である。が、先代の大司教であったレアが「修道士や信徒に気を遣わせたくないから」と大修道院内でもあまり気軽には出歩かなかったのに対し、ベレスは以前と然して変わることなく過ごしているようで、すれ違う人々の反応は気安い。
「本当は執務の後で時間を取るつもりだったんだけど、ディミトリとセテスがあんな性格だったお陰で上手く抜けられて良かったよ」
 目的地へと向かう途次。声を掛けてくる人々に笑顔で応じていたベレスが、不意の人の気配の切れ間にそう語る。懐かしい思いで隣を歩いていたメルセデスは、恩師の言葉に同意を返した後、一つ問うた。
「支度の方は、上手く行ったの?」
「管理人に助けてもらいながらだけど、何とか揃えたよ」
「勿論、シルヴァンには内緒で、よね?」
「そっちこそ、ディミトリには気づかれてない?」
 歩きながら顔を見やり、互いに悪戯めいた表情になっていることに、また笑い合う。ベレスの先導で執務室を抜け出したのは、ある意味では予定された行動であったのだ。

 二人が向かった先は、学生寮の先にある温室だった。ここもメルセデスの記憶にあるままで変わらず、色とりどりの花々が咲き乱れている。
 中に入って管理人に声を掛け、予め支度されていたらしい籠をベレスが受け取る。こっちだよ、と奥を示すベレスの指先に視線を合わせると、他の植物に少し隠れるように植えられた白い薔薇があった。正に見頃の、美しいその姿に、メルセデスの容は自然と綻ぶ。
 棘で怪我をしないように、綺麗に開いた花を壊してしまわないように、と気を遣いながら、暫し二人で白薔薇の茎に鋏を入れて収穫していく。花を収めた籠を時折メルセデスが見遣り、もう十分よ、とベレスに告げるまで、それは続いた。


 国王夫妻による旧帝国領の巡察の概要が組まれたのは昨年の冬の話で、決定した時点で帰路に大修道院に逗留することも旅程に盛り込まれていた。国王ディミトリの名で訪問についてを大修道院に知らせたところ、後に承諾の返事が届いたのだが、使者は公式な書簡の他に、大司教の直筆による王妃に宛てた手紙を携えていた。
 珍しいこともあるものだと思いながらメルセデスが受け取った封書を開けば、書き出しからして妙な文章だった。「ディミトリには絶対に見せないで」という文言に目を丸くしながら読み進めると、花冠の節に大修道院を訪問すると聞いたので、その時に白薔薇の花冠の制作を手伝ってほしい、とあった。シルヴァンを驚かせたいから、完成まではディミトリにも内緒で、とも。
 大修道院に来るまでは、そも花冠の節の風習など知らなかった。士官学校の教師になったあの年に初めて、断片的に話を聞いた。風習について正確に知ったのは戦争が終わる年のことで、けれど当時は花冠を贈る相手がいなかった。
 シルヴァンと夫婦となって初めて迎えた昨年の花冠の節は、自身のみならず皆が多忙で、私事で時間を空ける余裕がなかった。その後もやはり仕事は多く、今年も無理かな、と半ば諦めていたところに、国王夫妻の来訪の報が届いた――というわけだ。


「千載一遇の好機だと思ったよ。これを逃したら、実現するのは何年も先になっていただろうって」
 温室から程近くの学生寮の空き部屋――かつてメルセデスが使っていた部屋だ――に、薔薇の籠を運び入れた。ここまで上手く事が運べていることに安堵したベレスは、緊張を解いた様子で息を吐き、それから二人分の紅茶の支度を始める。
 彼女が紅茶を用意している間に、メルセデスは花冠を編むための下準備に取りかかる。籠から出した薔薇から、収穫の際に見逃した棘を取り除き、茎を切って長さを整えて。作業の手は止めないままで、些か大袈裟な恩師の言葉には苦笑いで返した。
「あらあら~。修道士さんたちにお願いしたら、きっと丁寧に教えてくれたでしょうに」
「でも、そのために仕事を滞らせてしまったら、セテスの目が怖いよ。私だけならいいけれど、皆が叱られる羽目になったら申し訳なくて」
「う~ん、そうねえ。今はまだ、みんなが好きなことを好きなようにできる状況じゃないものね」
 自身の婚姻の儀式で訪れた一年と二節前の時点で、かつての戦争の象徴とも言えた大聖堂の瓦礫は綺麗に取り払われ、大きく開いた天井の穴も修復されていた。居住区や他の施設に架かっていた足場も今はその数を減らし、再建は順調に進んでいることが窺える。
 しかし、破壊された建造物が修復され、或いは新たに作り替えられても、それで戦禍は消えたことにはならない。直に足を運んで街での作業に携わっているメルセデスは、王都の復興は未だ道半ばであると実感していた。
 視界の外から漂ってきた甘い香りは、メルセデスが好きなベリーティーのそれだ。釣られて顔を上げれば、どうぞ、と紅茶を勧めてくるベレスの笑顔がある。会うことすらも容易ではなくなって久しいが、今でも好みを覚えていてくれると分かる師の心遣いがメルセデスには嬉しかった。
 作業の内容を教え、ベレスが薔薇の花に手を伸ばす様を見守りながら、メルセデスは勧められた紅茶を口に運んだ。互いが無言になり、室内を沈黙が満たして暫し後。
……君も忙しいんだよね? 王都の街の復興作業に出かけてる、って聞いているよ」
 顔を俯けて作業を続けながら、ベレスが問うてくる。メルセデスは茶碗を置き、頷いた。
「復興は進んでいるけれど、まだまだなのよね。戦争で身寄りをなくした子も沢山いるし、色々なものが足りないままよ。
 だからね、『一緒に花冠を作ろう』って言ってもらえて、私もすごく助かったの」
 ベレスからの手紙には、制作の手助けの要請だけでなく、「必要なものはこちらで揃えるから、君もディミトリに贈る花冠を作らないか」とあった。無論、彼女が夫のために作る分だけだったとしても助力を拒みはしなかったが、生花を用意する当てがなかったメルセデスにとっても好機だったのだ。 
「今はまだ、王宮の庭園で自分で薔薇を育てられる余裕はなくて、咲いた花を取り寄せるのも時勢を考えると贅沢でしょう。先生から手紙がくるまでは、今年は造花で何とか……って思ってたのよ」
 造花で編んだ冠でも、白薔薇の刺繍を施した小物でも、心を込めた品ならディミトリはきっと喜んでくれただろう。けれどやはり、この時期の花冠は想い合う者同士にとっては特別なものだ。叶うならばと考えながらも、彼が抱く喜びには微かにでも後ろめたさを纏わせたくはなかったから、諦めようとした矢先に届いた手紙は天啓にも等しかった。
 一通りの作業を終えたベレスが道具を置いて、顔を上げる。それを見計らって、メルセデスは改めて謝意を述べた。誘ってくれて本当にありがとう、先生――と。


 最初に用意された紅茶を空にして、それから。メルセデスが実演し、ベレスが真似て。質問と助言とを繰り返し、間に紅茶を入れ直しての休憩を挟みながら、少しずつ編み進めていく。
 完成したベレスの花冠は若干歪ではあったものの、初めて作ったものとするなら上出来と言えた。傍らの綺麗に整った作品と比べたベレスが少し悄気た顔を見せるが、メルセデスは小さく頭を振って説いた。
「こういうものは、何よりも気持ちが大切なのよ、先生。シルヴァンは物事の本質を見誤らない賢い人よ。初めてで完璧にできないのは当たり前だし、それでも、って頑張って作ったんだもの。シルヴァンが喜ばないはずがないわ~」
 自信が持てずにいるベレスの背をメルセデスが笑顔で押し、部屋の片付けを済ませてから執務室へと戻る。二人が不在だった時間は結構な長さだったはずなのに、仕事の話となればいくらでも種は尽きないようで、「今頃はお茶でも飲んで、ゆっくりしているかも」というメルセデスの予想は見事に外れた。逆にベレスはこの状況を正確に予期しており、あまりに想像通り過ぎて呆れ顔になったものだ。
 生真面目二人に挟まれて息苦しさも限界だったのか。扉を開けたベレスが「ただいま」と声を掛けるより早く、シルヴァンがすっ飛んでくる。最愛の妻が戻ってきたことを大仰に喜ぶシルヴァンを、ベレスは「はいはい」と毎度のことと言わんばかりにあしらう。
 次いで、どう切り出すか少し悩んだ素振りの後に、意を決してベレスがメルセデスの手元を振り返った。二人で作ったそれぞれの花冠は、メルセデスが提げている籠の中にあったからだ。
 メルセデスはそっと籠に手を差し入れ、赤い飾り紐を結わえつけた花冠を取り出して彼女に渡した。察したシルヴァンの目が丸くなるが、メルセデスは触れずに見守るだけに留める。
「えっと、その。シルヴァン、これ……なんだけど」
 夫のために想いを込めて編んだ花冠を、恐る恐るといった風情でベレスがシルヴァンに向けて差し出す。目の前に現れたそれに対して、シルヴァンが暫しの沈黙の後に返したのも、怖々といった態で。
「それは……、所謂、花冠の節の贈り物……で、合ってます?」
「そう。メルセデスに教えてもらって、私が作ったの。いつか君に贈りたい、って思ってて、それで」
「~~~~~~っ!!」
 訥々と語るベレスの言葉を理解したシルヴァンの表情が、一気に歓喜の色に染まった。形にならない声を上げて衝動的に両手を広げた彼に対し、何が起こるかを察したらしいベレスが咄嗟に花冠を引っ込め、同時に後退って距離を取ると、叫ぶように制止する。
「ちょっ、待って! 折角作った花冠、壊れちゃうから!」
 それはまるで、厳しく躾けられた犬のようだった。ぴたりと動きを止めたシルヴァンが、だったら、と呟いてその場で膝を折る。行動から彼の求めるところを察して、ベレスは花冠を軽く掲げて歩み寄ると、その頭上に載せた。ベレスが夫に喜んでほしいと願って育てた白薔薇は、シルヴァンの赤い髪によく映えて、誇らしげにも見える。
「ありがとう、ございます、ベレスさん……!!」
 喜びで緩みきった震え声で言ったシルヴァンが、想いが込められた花冠を落としてしまわないように気遣いながら立ち上がると、今度は遠慮なくベレスを抱きしめた。腕の中でベレスが藻掻いても聞く耳持たずで、浮かれきったシルヴァンが愛妻に止めどなく賛辞を浴びせる様は、過去に見た不実な男の姿とは随分と印象が違っていて、メルセデスには微笑ましく思えた。
 さて、ベレスが目的を果たした後は自分の番となるが、ディミトリが執務室という場で重要な話をしている最中であったことを思い出せば、花冠を渡すのは後にすべきではないかとの迷いがメルセデスの裡に生じる。しかしその判断は、ディミトリの次の行動で忘却の彼方へ追いやられてしまったが。
 シルヴァンの浮かれ振りに呆気にとられていたが、ややあってディミトリは、何事かに気づいたように表情を変えた。席を立ち、メルセデスの側に近づくと、彼は改めて籠の中に視線を落とす。青い飾り紐で印された花冠が収められているのを見咎め、それから問うてくるには。
「つかぬ事を訊くが……メルセデス。お前が持っているその花冠は……
 真っ直ぐな碧眼に、期待の感情が差し込んでいる。愛しい人が望んでくれていると分かるその様が、何にも代え難い喜びとなってメルセデスの胸を巡っていく。
 幸せだと、注ぐ眼差しだけでも分かるように。想いを込めてメルセデスは夫に告げた。
「勿論、私があなたのために作ったものよ、ディミトリ」
「そ、そうか」
 期待すればこそ、緊張もあって。解を得たディミトリの表情が目に見えて安堵に緩み、じわりと滲むように笑みが広がっていった。
「ありがとう、メルセデス。何と言えばいいのか……嬉しくて、どうしようもなく幸せなのに、上手く言葉で伝えられないのが情けないな」
 悔しげにディミトリは言うが、彼にとっては言葉にできないほどの幸せ、ということでもある。彼は罪悪感と責任感に強く囚われるあまりに、かつては幸福を自ら遠ざけようとしていた人だ。そうと知れば尚更に、メルセデスには感慨深く、これ以上の褒め言葉もないと思えた。
「うふふ。いいのよ、ディミトリ。あなたが喜んでくれているのは、顔を見たら分かるもの。私も、とっても幸せよ」
 ディミトリは喜びを表現するために、シルヴァンのような行動には出なかった。元来彼はシルヴァンほどには体面を放擲できる性質ではなく――否、シルヴァンとて昔からこうではなかった気がするが――、同時に、彼はその血統の故に、衝動的な行動を戒めざるを得ないからでもある。
 抱きしめる代わりにか、ディミトリの指先がそろりと頬を撫で、微かに唇に触れる。できることならと彼が思っているのは、その動きで明らかだった。
 名残惜しげに指先が離れた後。ディミトリはふと、何かを思い出したような顔になった。
「もしや、春先からの先生との手紙の内容を秘密にしていたのは、このことを打ち合わせていたからなのか?」
「そうなのよ~」
 これ以上黙っている理由はないので、メルセデスは素直に頷いた。が、しかし。
「色々と事情があって、先生はシルヴァンには内緒にしておきたかったんですって。詳しい話は……後でもいいかしら?」
 最初にベレスから届いた手紙に書かれていた秘匿したい事情そのものに、不穏な要素は何もない。夫を驚かせたかったのともう一つ、事が上手く運ばずに頓挫する可能性もあるから、先に知らせて落胆させたくないという至極普通の危惧からだ。この場で明かしてしまっても構わない程度の話なのだが、メルセデスが先延ばしにしようと考えた理由は、別のところにあった。
「構わないが、何故後に?」
 小首を傾げる夫に、メルセデスは少しだけ背伸びをして、そっと耳打ちする。
……セテスさんの目が、ちょっと怖くなってきたと思わない?」
「あー……
 妻の言葉に促されて、つい見てしまったディミトリの唇から、何とも言えない声が漏れた。


 ――予感が的中したのか、声を潜めたはずの言葉が当人にも届いていたのか、或いは、耳打ちという行為自体に問題があったのか。何が切欠となったのかは不明だが、セテスの雷が執務室に落ちたのはその直後のことであった。