のま
2023-07-29 15:08:46
2289文字
Public CPなし
 

お題「夕涼み」

ワンライで書きました。ヴィを夕涼み会に連れていくおくぶの話。

「ふう……日本のなつ、あついね」
 日もだいぶ傾いたというのに、頬を執拗に撫ぜる風はまだまだ熱を孕んでいる。
 ほんとうにそうだな、と心の底から同意して、暑さにため息を漏らすヴィハーンさんにそっとうちわを手渡した。「わあ、ありがとう」とヴィハーンさんがうちわでぱたぱたと仰ぐ動作をすると、古びた木製のベンチが少し軋んだ音を立てる。
「トウイはこの……えっと、なんだっけ」
「夕涼み会」隣から山田さんが助け舟を出す。
「そう! この、ゆう、ゆうすず、ゆうすずみかいには来たことあるの?」
 おぼろげな昔の記憶を辿る。「……小さい頃に来ましたよね、山田さん?」
 そう問いかけると、山田さんも顎に手を当てて考え込む。それから、あー、と頷いた。
「来たかもな。小学一年生くらいの時だろ。なんか浴衣みたいなの着せられてさ」
「あれは浴衣じゃないですよ、甚兵衛かな」
 些細なことが気になって訂正すれば、
「何が違うんだっけそれ?」
「浴衣は上下繋がってるけど甚兵衛は上下分かれてますよ。それから──」
 へえ、と山田さんが興味がなさそうな相槌を打ったから、話はそれっきりにした。ヴィハーンさんはまた新しく出てきた単語に興奮気味に食いつく。「ジンベエ! マンガで見たことあるよ!」
 たぶん、それは違うものだと思いますよ、と説明すると、ヴィハーンさんは少し残念そうな顔をしていた。
──午後六時。地域のグラウンドで催される小さな夕涼み会。
「よし、大会前のリフレッシュも兼ねて日本の〝お祭り〟ってやつをさ、ヴィハーンにも見せてやろうぜ!」
 丸一日続いた練習の後、キャプテンである山田さんの一声でこの小さな夕涼み会に来ることが決まった。〝お祭り〟というには、規模が小さすぎないかと内心心配していたけど、それはどうやら杞憂だったらしい。ヴィハーンさんは学内の国際交流センターで借りた浴衣を着て嬉しそうに何度も写真を撮っていたし、グラウンドに散らばった部員たちも思い思いにこの場を楽しんでいるように見えた。
 ここに来てよかったな。
 昼間とも夜ともつかない曖昧な空気の中、ぼんやりとそう考える。夏の夕方は不思議だ。この時間がいつまでも続くような、そんな曖昧な感覚に陥る。
「おい! なーに三人で座ってんだよ」
 不満げな声と共に、頬に冷たく濡れたものが押しつけられた。
「ヒッ」
 思わず飛び上がりそうになって振り向くと、僕の頬にペットボトルを押し付けた橋本さんと矢島さんがケラケラ笑っていた。古典的ないたずらに思わず眉を顰めつつ、ペットボトルを受け取る。
「ちょ、霞、あげるとは言ってないだろ」
 橋本さんが僕の肩をつついたが、矢島さんは「いいよ、部費の余りで全員分買っていい、って山田が言ってたし」とのんびり笑った。矢島さんはそのままヴィハーンさんに話しかける。
「なあ、あっちにかき氷あるってよ」
「カキゴオリ?」首を傾げるヴィハーンさんを見て、山田さんはよぉし、と声を上げた。
「かき氷はお祭りにはマストなんだぜ。行くぞ、ヴィハーン」
 そんなこんなで小さな祭りに向かってかけだしていく先輩たちを眺め、僕もベンチから腰を上げた。

 小さな祭り、とは言ったけど、あたりには思ったよりもたくさんの屋台や出店が立ち並んでいて、少年野球ができるほどの大きさのグラウンドには多くの人がひしめいていた。
 僕たちもお祭りの定番、射的に立ち寄ったり(そういえば昔から山田さんは射的が異様にうまい)、フリーマーケットを冷やかしで回ったり(ヴィハーンさんは桜の柄がついた扇子を買っていた)、お面を買って遊んだり(港さんが美少女戦士のアニメキャラを付けるとたいそうウケていた)、束の間の休息を楽しんでいると、いつの間にかあたりは暗くなっていてあれだけの熱を含んでいた風も優しく心地の良いものになっていた。
「おし、そろそろ帰るとするか」
 そう切り出した山田さんの顔はだいぶ和やかでリラックスしている。
「そうだな、明日もトレーニングしたいし」
「お、さすが港。気合い十分じゃん。大会前だしオーバーワークはすんなよ」
「わかってるって。でもちょっとでも強くなっときたいだろ」
「お前もう筋肉はいいだろぉ」
 いつもよりも賑やかさを増した三年の先輩たちを追って、僕もグラウンドの出口に向かって踵を返した。その瞬間、腰くらいの背丈の男の子とすれ違った。
 その男の子は隣の友達に向かって嬉しそうに話しかけていた。「ねえ、また来年も絶対来ようよ、やくそくだよ」
 なんてことない一言が、心に引っかかって立ち止まった。
──また、来年も。
 ひとつひとつ、繰り返して、それから気づく。
 これは今の僕には決して言えない言葉だ。
 夏の夕方はこの時間がいつまでも続くかのように錯覚させてくるけど、心地よい時間はいつの間にか終わりを迎えていて、それは決して取り戻すことができない。
 時間にしてほんの数秒、立ち止まっていると、山田さんが振り返った。
「おーい、冬居、帰るぞ」
 あたりまえのように言って、手を挙げる。
 ヴィハーンさんも振り返る。
「トウイ、おいでよ、はぐれちゃうよ」
 艶やかな黒髪がふわりと風に揺蕩う。
 それから、先輩たちの並んだ背中を順々に見つめて、ほんのすこしだけ唇を噛み締める。──今も、これから迎える大会も、その先の時間も、決して取り戻すことはできない。だけど、それは誰にとっても同じだ。
 だから僕ができることは、
……ちゃんと行きますよ」
 そう答えて、足を一歩進めた。