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のま
2023-01-09 22:05:29
6552文字
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冬駿
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午前一時のクリスマス
冬駿/同棲一年目のクリスマスに喧嘩する話
仕方のないことだって、わかってる。でもわかったからといって、許せるわけではないのだ。少なくとも僕にとっては。
トントントン、と玄関先で靴をつっかける音が響く。スニーカーに足を押し込めながら、山田さんは言った。
「なあ、冬居。悪かったって」
返事は、してやらない。そのかわりに眉をひそめた。
悪かった、の一言で済むことならとっくにこんな言い争いは止めているんだ、そもそも。
「しょうがないんだって。クリスマスイブのかきいれ時だからバイト手伝ってくれってお願いされてさ。ノートと過去問貸してくれるっていうし、断れなかったんだよ」
「
……
前から僕が約束してたのに」
言い訳を繰り返す唇を、じとりと睨んだ。いまさら文句を言ってもしょうがないのは百も承知だ。けれども、恨み言のひとつやふたつくらいは許してくれてもいいんじゃないかと思う。だいたい、一ヶ月前から僕が約束してたんだ。「クリスマスイブの夜、一緒に家でご飯食べましょうね」って。理由はどうであれ、結果として約束は破られた。だから僕には怒る権利があると思う。
一段下がったところにある玄関から手が伸びてきて、なだめるようにポンポンと肩を叩かれる。
「機嫌なおせよ。できるだけ早く帰ってくるし、ちゃんと別の日に埋め合わせもすっからさ」
その手を軽く払いのけ、「埋め合わせなんかできっこないです」と顔を背ける。今日だから、大事だったのだ。別の日じゃ意味がない。
背けた視線の先には、玄関横のスペースに飾ったちいさなクリスマスツリーがあった。一ヶ月前くらいに、これを雑貨屋さんで見つけたときには、来たるクリスマスのことをそれはそれは楽しみにしていたのだ。このツリーをうっかりそのままお買い上げするくらいには。
そんなことを思い出して、余計に腹立たしさが増してきた。
「早く行ったほうがいいんじゃないですか?」
外に向けて顎をしゃくると、さすがに気に障ったのか、ギロリと睨みつけられた。「いつまでもぐずんなよ、俺謝ってんだろーが」
最悪な空気だ。クリスマスだっていうのに。
これ以上言い合いたくなくて、はいはい分かりました、遅れますよ、と背中の黒いリュックをとん、と押した。そのまま玄関の外、すっかり暗い夜空の下に山田さんを追い出す。冷えた風が容赦なく室内に吹き込んだ。
おい、と不満げに睨んでくる視線を遮るように、扉を閉める。そのままがちゃりと音を立てて鍵をかけた。
僕と山田さんの今の距離は、扉を隔ててたぶん30センチやそこら。たったそれだけの距離だけど、山田さんをのいる外界と僕のいる室内は、実際の距離以上に離れているような気がした。決定的で、どうしようもない距離がそこにはある。
扉越しの手の届かない外の世界に、耳を澄ませる。ただ風の音だけがひゅうひゅうと聞こえる。しばらくしてから、ざっ、ざっ、と足音が立つ。規則的なその音はだんだん小さくなって遠のいて、やがてほとんど消えてなくなった。
よかったのかよくないのか、山田さんはちゃんと出かけたようだ。扉に寄りかかると、冷たく硬い板が背中全体を受け止めた。ようやくひとりになって、はあ、と長い溜息が漏れた。
──少し言いすぎただろうか。でも約束破ったのはあっちなんだし、あれくらい言ったって何も悪くない。
ふたつの気持ちを行ったりきたりしながら、玄関から繋がる共同スペースを眺める。備え付けのキッチンと小さなダイニングテーブルを置いた部屋。2DKという間取りのこの家も、同棲を始めて数ヶ月でだいぶ物が増えてきて最近ではだいぶ手狭に感じている。部屋の中ですれ違うたびに何度もお互いの体をぶつけ、山田さん邪魔なんですけど、お前がデカくなりすぎたんだろ、と小競り合いを繰り返してきた。(全然関係ないけど、部屋の狭さというのは人の気持ちまで狭くするんだと思う。さっきの言い合いも、もしかしたらそのイライラが関係しているのかもしれない)
そんな風に狭く感じていた部屋も、一人いなくなってみれば急にがらんとして見えてくる。それと、少しさみしい、なんて思ってしまってそんな自分にも余計むしゃくしゃする。
何もかもがうまくいってない気がして、玄関で片足分だけ転がっている山田さんのスニーカーを睨みつけた。
脱ぎ捨てるの、本当にやめてほしい。
こういう気持ちの時、行くところは大体決まっている。近くにある、深夜営業している国道沿いのファミレス。山田さんとつまんないことで言い争ったり、なんだか一人になりたい気分のときとかは、大体ここを訪れている。家から二十分ほどの道のりをふらっと散歩して、ピークタイムを過ぎた閑散としたファミレスに入って、ぼんやりしたり読書したりする。そうするとなんだか気持ちが落ち着いてくるのだ。
今日も変わらない「いらっしゃいませ」の声に迎えられて、煌々とあかりのついた店内に吸い込まれた。夜も深まったファミレスは決まってすこしさみしくて、たぶんみんな孤独だ。少なくとも、この空間の中でだけは。
窓際のボックス席に案内される。すっかり食べ損ねた夕飯も兼ねて、ハンバーグとセットドリンクバーを注文した。長居するときにはドリンクバーは必須だ。もしかしたらいらないのかもしれないけど、なんとなく習慣でそうしてしまう。ここのティーバッグで淹れる紅茶は、少し草っぽい不思議な匂いがする。紅茶のようで紅茶でないような薄い液体を啜りながら、あるべきだったクリスマスについて想いを馳せた。
本当だったら、今頃は山田さんとふたりで家にいたはずだ。玄関に飾っていたツリーを、ダイニングテーブルの上に移動させて、買ってきたチキンを食べて、ケーキを食べて、それからクリスマス定番の映画とかを見て、ぬくぬくと家で過ごしていたはずなのだ。ちゃんとプレゼントだって、悩んで用意していた。
クリスマスイブの夜を一緒にそうやって過ごしてみたい、というのは馬鹿げた僕のロマンなのかもしれないけど、それはそれは楽しみにしていた。一緒に暮らすようになってから初めて迎えるクリスマス。それくらい浮かれたってバチは当たらないはずだ。ちゃんと予定空けておいてくださいね、と事前に伝えていた。山田さんも、おうわかった、空いてる、空いてる、なんて言ってたはずなのに、昨日の朝に突然言い出した。あ、冬居、悪ぃ、明日のクリスマスイブ、友達のバイト単発で手伝えって言われたんだわ。
その言葉にびっくりして、朝食の目玉焼きを掴もうとした箸を思わず止めてしまった。え、どういうこと、明日一緒にクリスマスお祝いしましょうね、って言ったじゃないですか。いや、それは覚えてたんだけどさ。いつもレポートとか手伝ってくれるやつだから断れなくて。俺の留年が掛かってんだよ。夜、ほんとちょこっとだけだよ。夜の八時から四時間とか、ほんの少しだけで──そう言って、いとも簡単に約束は反故にされた。
手を合わせたポーズでの本気のごめん、が聞けたし、あの人はあの人なりに謝る気持ちがあるんだと思う。だからと言って、楽しみにしていた予定を覆されて、気持ちの整理がすぐ付くわけではない。昨日一日、気持ちは収まらなかったし、一晩寝てみても全然だめだった。
思い出すだけでまたむかむかしてきて、白いマグカップをぐいと傾ける。「あっつ
……
」勢いよく流れ込んできた熱い液体に、舌がひどくヒリヒリした。
おしぼりで口元を抑えていると、ボックス席の壁越しに、声が聞こえてきた。姿は見えないけど、若めの女性の声がふたつ。どうやらよくあるような恋愛トークを繰り広げているようだ。このクリスマスイブに寂れたファミレスで、若い女性二人が恋愛トーク。ぜったいにいい話ではない。わかっていても怖いもの聞きたさに、思わず耳をそばだててしまう。
「クリスマスなのに一人にされてんだよ、あたし? サークルの飲み会、とかでさ」
一人の女性が早口で捲し立てる。盗み聞きした情報を繋ぎ合わせると、彼氏とクリスマスに約束してたのに、三日前に突然断られたらしい。
「うわー、ないわ、そいつ」
もう一人の声が、ダメ出しをする。
「と思うじゃん? あいつといるとイライラしちゃうのにさ、本当は一緒にいたかったよ、とか、ごめんとか言われるとさ、どうしてなんだか許しちゃうんだよねー」
絶対今回もそう、と落ち込んだ声が聞こえる。ぜんぜん他人事に聞こえなくてどきりとした。
「もうそういう恋愛やめなって言ってるじゃん、だめだってわかってるんでしょ」
呆れたように突っ込むもう一人の顔も見えない人に、突然ぐさりと急所を刺された気がする。
本当にその通りでしかない。僕だって、山田さんといるとろくなことがない、何回も何百回もそう思っているはずなのだ。それこそ、小さいときからずっと。
それなのに、山田さんのいない世界を考えてみると、どうも物足りない気がしてしまう。おい、冬居、と呼んでくる気まぐれで強引なあの人がいなかったら、ムカムカするようなことは半分に減るだろうけど、たぶんそんな世界は別に面白くないだろう。そのことが悔しくてしょうがないけど、そもそも本当に嫌ならこんな関係にはなってないし、とっくに同棲なんて解消しているはずだ。結局、何回言い争いをしたところで、しょせん僕一人では徒歩二十分のファミレスまでしかいけないのだ。唇を噛み締め、自分の愚かさを呪った。
壁越しの女性二人は、まだ会話を続けている。
「結局さー、あいつのそういう勝手なとこ分かってあげられるのはあたししかいないとか思うわけよ」
「はー惚気? なんやかんやで意外に愛されてる、ってやつでしょ、どうせ」
「
……
まあそうかもしんないわ」
あーあたしもカレシの自虐風自慢とかしてみたい人生だったわー、と愚痴を聞いている側の女性がボヤき始めて、そこからはその女性にどうしたら彼氏ができるのか、という話題に移っていった。あまりにあっけなく早い解決に舌を巻く。
見ず知らずの女性とその交際相手に、思わず自分を重ねてしまったけど、僕だけが同じところを永遠にぐるぐるしている。ちょうどいいタイミングで運ばれてきたハンバーグに、ぶすりとフォークを突き立てた。こんなときだって、鉄板に乗った熱いハンバーグは変わらず美味しいからずるい。苛立ち紛れに、ジューシーな肉塊をぱくぱくと口に放り込んだ。
ハンバーグをさっさと平らげて、紅茶を何杯かおかわりして、持ってきた本ももう読み終わった。目線をあげて壁の時計を見ると、もう午前一時だ。さすがに寝る時間だ、帰ろう、と立ちあがる。ドアベルをからんと鳴らして店を出た。
外の空気がコートから出た部分を容赦なく突き刺してきて、痛いくらいだ。車が何台か真っ暗な国道を駆け抜けて、強い風が袖口から入ってきて寒さに身がすくむ。はやく帰ろう、と襟をかき合わせて、人気のない道を歩き出す。
山田さんはもう帰ってるだろうか、と自分を悩ますあの人のことを思う。バイトの終わりは日付少し超えたくらい、と聞いていたから、帰ってるか帰っていないか、たぶんそのくらいの時間だ。家から送り出した時の重い空気を思い出すと、途端にぜんぜん帰りたくなくなってきて、足取りが重くなっていく。足元のスニーカーに目線を落として、一歩、また一歩と重い足を動かした。トラックのごう、という音が耳を時折つんざいて、横を次々と過ぎ去っていく。遠くに救急車の音も聞こえる。
夜の雑多な音の洪水の中、ひとつ異質な音を耳が捉える。かすかに聞こえる、おーい、という人の声。なんだろうと顔を上げてみると、遠くに見覚えのあるような人影が見えた。
「山田、さん
……
?」
立ち止まって目を凝らして見てみると、もじゃもじゃの頭のシルエットも、胸元に黒いラインの入ったカーキのダウンジャケットも、山田さんに他ならなかった。あっという間に人影は大きくなって、本人が眼の前で停止した。
「やっぱここかよ」山田さんは息を弾ませて、続けた。「帰ったらお前いねえからさ、探しに行こうと思って」
「
……
なんでここにいるって分かるの」
「ばかだなあ。お前のいるところなんざ、すべて俺はお見通しだっての」
やたら偉そうにふん、と鼻を鳴らした後に、まあ、からくり教えると前に何回かレシート見かけたからなんだけどな、とか言ってるから合点がいった。見てないようで、意外と見てるんだ、この人は。悪事が見つかった子供のように、バツの悪い気持ちになってくる。けど、こんな寒い中で探しにきてくれたことは、ほんのすこしだけ、うれしい。
ぐちゃまぜの気持ちで、目を山田さんの手元に落とすと、すぐ先のコンビニのロゴが入った袋があった。半透明の袋に入っているのは、取手の付いた白い箱。この大きさの箱の中身は、たぶんクリスマスケーキに違いない。ねえ、それ、と指差すと、ああ、もうそこにしか売ってなくてさ、と山田さんは少し先のコンビニを指した。
「こんな時間から食べるんですか、それ」
「まあ、今日くらいはいいだろ?」
ほら、帰ろうぜと、山田さんはくるりと背を向けて袋をプラプラと振って歩き出した。慌てて追いかけてその手を掴んで止めた。
「ケーキ崩れちゃいますよ、そんな持ち方したら」
「うお! 中身ケーキだっての忘れてた」
あんま自分で買ったことねーから、と頬をかく横顔を眺めて、じわじわとさっきまでの気まずさが嬉しさに置き変わっていった。この人は、帰って僕がいない部屋を眺めて、ちょっと焦ったのだろうか。それで色々考えてこれを買ってここにきたのかな、なんて思うと、少し唇の端が上がってしまう。でもここで許してしまうのは絶対に違うから、必死に唇を引き結ぶ。「ちゃんと大事に持って帰ってくださいよ」
おう、と答える彼を横目に、ふたりで並んで歩く。街頭が白くぼんやり光って、家路を照らしていた。
結局どんな不満があったって、最後の最後で山田さんは僕を探しにきてくれるし、たまには慣れないことだってしてくれる。そのことだけで全然僕は満足してしまうのだ。あまりにちょろいから、悔しいし認めたくないけど。
「明日」
ポケットの中の拳を握りしめて、刺すような夜の空気の中に単語を放り投げた。僕の言葉に応じて、「ん、明日がどうかしたかよ」と振り返る顔を見つめる。
「あした、ちゃんとクリスマスやりなおしたいです。ちゃんと家でご飯一緒に食べたいし、このケーキもいいけど
……
近くの美味しいケーキ屋さんのケーキも食べたい」
あ、そんなことでいいの? オマエめっちゃ機嫌悪そうだったじゃん。拍子抜けした声があがって、カラカラと笑われた。機嫌悪かったのは誰のせいなんだ、とムッとしたからもう一つ続けた。
「あと、たまにこうやって迎えに来てほしいです、三丁目の角まででいいから」
目が丸く見開かれて、うーん、と顎に手を当てて考えている。
「まあ、そんくらいは
……
たまにはしてやらねえこともない」
僕も意外と愛されてる、っていうやつなのかもしれない。満足すぎるその返事に、今度こそ唇の端が上がってしまうのを許した。
たぶん、僕たちはこれから家に帰って、山田さんが買ってきてくれたなんの変哲もないコンビニのケーキをやたら大きな白いプラスチックのフォークでつつく。手持ち無沙汰にテレビとかを付けてみれば、もう深夜の通販番組しか映らないだろう。ケーキのてっぺんのいちごは、墜落してるかもしれないし、クリームもぐしょぐしょで悲惨な状況かもしれない。あーあ、山田さんが振り回すからだよ。いいだろ、食べたら一緒だって。そんなやりとりはするけど、ケーキはちゃんと平らげるし、食べ終わった頃には今日の最悪な気持ちだってすっかり忘れているはずだ。
「山田さん」
ん、と相槌を打って見上げてくる顔は、寒さに少し鼻の頭が赤くなっていて、安心したように緩んでいる。僕の大好きな大好きな人の顔。
これでようやく、言うことができる。
「メリークリスマス」
「
……
おう、メリークリスマス」
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