のま
2022-11-14 22:26:02
3606文字
Public 冬駿
 

まどろみの温度に溺れる

冬駿/特に説明もなく同棲している話

 今日の昼はラーメンにしましょう、と告げると駿君は「お、いいなそれ」と露骨に嬉しそうな顔を見せた。
 男はみんなラーメンが好きだ──なんて、ひどく大雑把な決めつけをしてしまうけど、たぶん大きくは外れていない。作るのも簡単だし、余り物の具材を入れれば偏りがちな栄養バランスも解決するし、家でのお昼は麺ものに限る。ありがたいメニューだ。
 鍋に水を注いでガラス蓋をして火にかける。深い青色でコーティングされたそれは実家から出る時に母親から贈られたもので、二人暮らしにはぴったりのサイズだ。
「なぁ、冬居、何味のラーメン残ってたっけ」
「塩と味噌2つあると思いますよ、どっちがいい?」
「味噌の気分だな」
 すぐに返事をよこした彼は、ローテーブルの前にどっかりと腰を下ろした。ぱちりとテレビがつけられて、日曜特有のどこかテンポが悪いバラエティが流れ出す。画面に早速釘付けになっている様子の駿君は、こちらを手伝う気はさらさらないらしい。
 食器棚から黒塗りの器を二つ取り出す。コンロの奥に立てかけたまな板に手を伸ばし、水道でかるく表面を洗い流して冷蔵庫から取り出した野菜を置いた。ねぎ、にんじん、キャベツ。これにもやしとかを入れておけば大体いい感じになるだろう。それから冷蔵庫に眠っている挽き肉を炒めて、卵を最後に落としておけばバランスも悪くないはずだ。
「テーブル拭いて、飲み物用意しといてくださいよ」と声を掛ける。
 おー、わかった、なんて生返事が飛んできたけど、すぐに動く気はなさそうだ。僕だけがせこせこと動いていて、損しているみたいでちょっと腹が立つ。あとでお返しに食器洗いは絶対してもらおう、と思い立ち、所帯じみた考え方だなと自分で笑ってしまった。
 コンロにかけた鍋が沸騰を知らせるようにコトコトと揺れる。同棲を始めてだいたい半年とちょっと。正反対みたいな僕たちも、案外うまく暮らせている。

 おおかたの予想通り、直前に雑に拭かれたローテーブルの上にことりと二人分の味噌ラーメンを並べた。
「おー、うまそ! 冬居、料理上手くなってんじゃん、やるな」
……これくらい駿君もできるでしょ」
 褒められるほどのものじゃないけど、ストレートに褒められて悪い気がする人はいない。ほんの少し自尊心がくすぐられて、それからいただきますの声が重なった。
 慎重に持ち上げた麺にふうと息を吹きかけ口に運ぶ。薄茶色のスープはまだまだ熱をもっていて、湯気がゆらりとほそく天井へと立ち上った。れんげでスープを掬って、一口啜ってみる。少し味が薄い気がする。野菜を入れすぎたせいだろうか。それでも「んまいな」と言ってもらえると、途端に上出来な気がしてくるものだから不思議だ。
 するすると麺を啜って、箸を口に運んだ。あっという間にたくさんあった具材も無くなる。もやしのしっぽがひとつふたつ浮かんだ少しのスープを残して、二つの空の食器が机に残された。
「あーうまかった、ありがとな、冬居」
「どういたしまして……洗い物は駿君がやってくださいよ」
「え、ああ、そうだな、まあ別にいいけど」
 よっこいせと隣の塊が立ち上がり、のそのそとキッチンに向かう。僕はその黒いフード付きパーカーの背中が、シンクの前に立つのをうしろから眺めた。
 面倒くさがりを自称するこの人が、僕のために面倒をこなしてくれる姿を見るのが昔から好きだ。自分が何か特別なものになったような気持ちがするから──もっとも今ではその行動が自分だけに向けられるものではない、とじゅうぶんなくらい知っている。それでも、しょうがねえなあ俺がやってやるよ、と言わんばかりの背中を見ると何度でも嬉しくなってしまうのだから僕も大概どうかしてる。
 水切りかごに洗い終わったフライパンと鍋と食器を並べて、駿君がこちらを振り返る。
「ありがとう、助かりました」と礼を告げると、彼はさも当然と言わんばかりの顔で言った。「まーこんくらいは一緒に住んでんだからやらないとだよな」
 お手本みたいなやり取りに安心した。
 昔からよく知った幼馴染との生活は、何を自分が言えば何が返ってくるかなんて大体予想がついてくる。何事も予測して安心してから臨みたい僕にとって、駿君との共同生活はとても快適で心地よかった。案外うまくやれてる、なんていうのは遠慮した言い方だったかもしれない。(どこへの遠慮かはわからないけれど)
 二人だけの穏やかな生活は脳みそを甘やかにゆっくりゆっくり溶かしていくみたいで、そんな毎日を僕はひそかに愛してさえいた。

 片付けも済んで、ソファに並んで腰掛けた。相変わらずテレビの中では、誰かが何か面白いようなことを言って、増幅された笑い声が流れている。内容は全然頭に入ってこなくて、どこか遠くの世界でお祭りでもしてるみたいだなと思った。
「ねえ、このテレビ、面白いですか?」
「いや、別にそんな好んで見てるわけでもねーよ。消すか?」
 お互いの肩が少しふれあう。もどかしい距離の体温を求めて、そのままもたれかかった。「うん、そうしようかな」
 隣で腕伸びて、親指がリモコンを押す。
 喧騒が部屋から消えて、ふっと静かになる。
 すこし傾いた午後の日差しが、窓から惜しみなく降り注いでいる。光がフローリングを容赦なく照らして、じり、と室温を上げる音まで聞こえるようだ。湯気のあたたかさをまだ残した空気が煮詰まって、じわじわと思考をゆるやかにしていった。
……メシ食ってボーッとしてるとなんか馬鹿になりそうだな。走りにでもいくか」
 駿君がぽつりと呟いた。
「うん、そうしましょうか……でも気持ちいいからもうちょっとこのまま」
 そうかよ、と言われたからいちど座り直して、そこから上体を倒して駿君の腿に頭をあずけた。両足のあいだの窪みが後頭部にぴたりとはまって重みを受け止めてくれる。
「なんだよ、それ好きだよなーお前。男の膝枕なんて別に気持ち良くも何ともないだろ」
 あきれたような笑い声が上から降ってきた。たまにやるこの仕草を、駿君はあまり理解できないようだ。それでも文句を言われることはない。
「ん、意外といいんですよ、僕のは気持ちよくないと思うけど」
 頭をやわらかく包むスウェット越しのあたたかさが心地よくて、ゆっくりと瞼を閉じた。
 耳をすますと窓の外からは、つっかえつっかえのピアノの音が聴こえてくる。音の主はたぶん、向かいの一軒家の小さな女の子だ。いつも髪をふたつにくくった、スカートをひるがえす女の子。
 まどろみの中であまりに満たされたちいさな午後は、停滞に気付かせないまま僕たちをここに留める。昨日も今日も明日も、こうして二人だけの場所で眠って、起きて、生きていく。僕たちの幸せにこれ以上はない。
 いつまで経ってもここから進まないことを、この上なく幸せだなと思った。
 ──ぼく、このまましんでもいいかもしれない
 浮かんだ言葉をそのまま口に出すと、何言ってんだよ、こんなところで死なれても困るっつの、と返される。だからいいんじゃないですかと適当なことを言えば、趣味わりーぞお前と呆れたように呟かれた。そういう表情はたぶんしかめられているはずだ。
 明るい日差しを受けて、煮詰まった空気に体の温度も上昇していく。後頭部をやわく受け止める腿の感触も、たまに頭を撫ぜる手も、全部がぜんぶあたたかかった。もし天国があるならばこんな感じだといいな、とぼんやり思った。
「駿君」
 目を開けてみれば見慣れた顔の眉根は緩んで、僕の顔を覗き込んでいる。
「なんだよ」
……好きだよ」
 返事はないけど、くしゃりと前髪を崩された。ふっと唇の端があがって目が細められる。それが答えなんだとわかるくらい、この関係はあまりに長すぎた。
 いつのまにか部屋の空気はあたたかいを通り越して暑いに変わっていた。じんわりと季節外れの汗を背中に感じる。
 行き止まりみたいな幸せの中で、知らない間に周りの空気は温度を上げてだんだん息もできなくなる。そうやって気づかないまま、たぶん僕たちは窒息していく。でもそれはきっと心地よいことなんだと思う。

……冬居、そろそろ外行くか?」
 その声を合図に起き上がった。軽く伸びをすると、頭に酸素が行き渡っておぼろげだった部屋の中の何もかもの輪郭がはっきりとしてくる。
 行くぞ、と差し伸べられた手を掴んで立ち上がった。
「そうですね、暗くなる前に走って、シャワー浴びて。それから買い物でも行きましょうか」
 きっと僕らはこれからもこうやって暮らしていく。幸せにじわじわと首を絞められて、時折差し伸べられた手を掴んで外の世界に出て。思えば小さな時からずっとそうだった。
 これからも変わらないことを願って、握り返した手にきゅっと力を込めた。