スサ
2024-02-07 21:35:46
3441文字
Public
 

【ゲ】ねずみへの頼み事

直接は関係ないのですが大海獣見たらキタローがいい子すぎて情緒がめちゃくちゃになった上、イマジナリー水木が大暴れし、もっとこずるく立ち回ることも必要だぞって教えてくれってねずみに頼む話が生まれました。

 こうしてまじまじ正面から見ると、変わってないようでもやっぱり年をとりなすったんだなァ、兄さんも、とねずみ男は思った。とはいえ、同世代の人間と比較したら飛び抜けて若々しい。加齢で背は少し縮んだかもしれないが、頑健な体躯は今も堂々としている。整った顔貌だって大きな変わりはない。目尻の皺だって色気を添えることこそあれ、年寄りになど見せやしない。
 話があると呼び出されてのこのこやってきたのは、1つには眼の前の男にはいくつも小さな借りがあるからだ。出会いは随分前に遡る。何しろあの鬼太郎が生まれる前の話だ。もっとも、再会した最初はこの多分人間の男もすぐに自分があの時の小僧だとはわからなかったようだが。
「何でも好きなものを頼んでくれ」
 男──水木はねずみ男にそう言うと、早速タバコをふかし始めた。まるで高級な店で大盤振る舞いでもするかのような言い草だが、ここは何てことのない居酒屋で、十中八九、ゆったりタバコを吸える店を選んだのに違いない。
 だがねずみ男に文句のあるはずがない。財布はいつでもさみしい。
「いつも助かるよ、兄さん」
 水木は片目を眇めるようにして紫煙をくゆらせた。何とも色気がある仕草が似合う男である。
「そんで、話ってのは?」
 遠慮なく一通り注文を入れて、ねずみ男は聞いた。信じがたいことだが、打算だけでもなかった。水木には恩もあるが、妖怪に対して全く臆することのない変わった人間の男を、ねずみ男も好ましく思っているのだ。
「まあ、酒がきたらな。ゆっくり話そう。センセイとも久しぶりだ」
 指でタバコを軽く挟み、くっくっと喉で笑うと目を細める。藍色ががった瞳がきらりと光る。
 まあ、兄さんがそう言うならと答えるねずみ男は、珍しく素直な顔で笑ってしまっていた。話している相手を気持ちよくさせるのが昔から上手い男だった。仕事柄だと本人は笑っていたことがあったが、それだけでもないだろう。言葉も上手く話せなかった頃の鬼太郎も、水木といればいつでも大抵笑っていた。それはもちろん、目に入れても痛くないのだと可愛がっていたのもあるだろうけれど、幽霊族の赤子だ、水木だからあんなに懐いていたのではないか

 三杯目を飲み終えようかというところで、水木がおもむろに通帳と印鑑を出してきた。早くもほろ酔いだったねずみ男の酔いが急にさめる。
「に、ニィサン?」
「折りいって頼みがある」
 水木の顔も真面目なものになっていた。先程までは確かに他愛のない話に興じていたはずなのに。この切り替えの速さ、胸の奥の奥まで見透かされそうな目が底しれない。得体のしれない恐ろしさのようなものがあって、ねずみ男はただの人間のはずの水木に敵う気がしない。
「鬼太郎のことだ」
まあ、兄さんが言うこった、そりゃ鬼太郎のことに決まってらァな」
 肩をすくめ、ねずみ男は水木の猪口に酒を注いだ。水木は大抵日本酒を頼む。最近の酒は上品すぎて飲んだ気がしないね、なんて笑う男くさい顔も彼の魅力のひとつだ。
「しかしね兄さん、いや、オレァ兄さんには大小様々恩があるがね、おたくの息子の役に立てるようなことがあるかしらん?」
 何と言っても鬼太郎はめっぽう腕が立つ。幽霊族だ。体が健在だった頃の親父さんもそりゃあ強かったが、あんなちびの背丈でもとんでもなく強い。頭だって悪かない。妖怪の生き字引みたいな目玉の親父って外付けHDD抜きだって、まあ賢いもんだ。
 水木はくいっと酒を煽ると、ハハ、と笑った。こざっぱりとした笑い方だった。
「鬼太郎は本当にいい子に育った。自慢の息子だ」
 億面もなく言い放って、水木は目を伏せ手酌で猪口に注ぎ足した。
「まっすぐで、弱きを助け強きを挫く、真面目で、優しくて強い子だ」
 本当に自慢の息子だよ、と水木は繰り返した。そのしみじみした口調には海のように広い慈しみの情がこもっていて、お天道様の下を堂々と歩いてきましたとはとても言えないねずみ男の胸さえ打った。
だがなぁ、どうにもいい子すぎる」
ハ?」
 眉間に皺を寄せる水木にねずみ男はぽかんとした。
「なまじ腕っぷしが強いのもいけないんだろうな、いや、親父もどっか呑気だったから幽霊族ってやつはそうなのかもしれないが」
……
 何となく黙り込んだねずみ男の前、水木は新しいタバコに火をつけた。とんとん、とタバコを打つところも、ライターを点けるところも、煙を吐き出すところまでまるで映画の一場面のようだ。相変わらずこの兄さんは格好がいいネェ、と感心してしまう。
「なあ、センセイならわかるだろう。世の中にゃそんなイイコを食い物にするやつもごまんといる」
ハハ、兄さん人が悪いや。そりゃオレはそっちが専門みたいなもんだ」
 水木は目を細めて少しだけ笑った。
「俺は鬼太郎より先にいなくなる」
………
 きっぱりとした台詞には何の未練も感じられず、こんなスッパリ思い切れるもんかね、とねずみ男はまたしても感心した。
「目玉もなあ、呑気だから、親子揃ってな。俺が生きてるうちはいい。俺の目が黒いうちは、誰にも勝手なんかやらせないさ」
 繰り返しになるが、水木は人間だ。怪しい所は大いにあるが、あやかしのものではない。だから彼がどう許さなかろうと、力のある妖怪には関係ない。関係ないはずなのだが、なぜだろう、水木の言葉にはあまりにも力があった。
「あいつらのその甘っちょろいところを、俺は、そうだなあ、とても愛おしく思ってるが」
 水木は少し遠くを見ながらタバコを吸う。銘柄はずっと変わらない。
「──だからなぁ、センセイ」
 一度目を眇めたのは、何を見極めようとしたのか。それはねずみ男にはわからない。
「これは、まあ俺の気持ちだよ」
「気持ち、ねぇ
 失礼、とねずみ男は通帳を手に取る。中を開いて、まあ、残高に驚いた。動じないつもりが目を丸くしたねずみ男に、水木は面白そうな顔で笑った。
「時にはずるくなれってのをさ」
 とん、と水木は灰を落とした。電子タバコなんて代物も増えた昨今だが、水木はタバコを変える気はないらしい。
「教えてやってくれないか。体面なんざどうでもいい。無茶やる時は引っ張って逃げてやってくれ」

 頼むよ、センセイ。

 ニッと笑った顔は、まあ何とも惚れ惚れする程男前で。その気のないねずみ男でもちょっと見とれてしまったものだ。
やあ、兄さん。オレァ、兄さんが好きだから言うけどサ。オレが、このねずみ男様が真っ当にそんな頼みを聞くと思うのかい?」
 金だけ頂いてハイあばよ、そうなるとは思わないのか? とニヤニヤ言っても、水木はけして動じない。
「思うよ」
 そして頬杖ついて笑う顔は、確信に満ちていた。
「センセイは沙代さんの使いをちゃあんとしてくれたじゃないか」
…………、」
 ねずみ男ともあろうものが、とっさに言い返すことができなかった。
 水木は昔を懐かしむような顔で、スパー、と煙を吐く。
「お前さんは確かに善人じゃないだろう、何なら悪党の部類だ」
 ねずみ男から視線をそらさないまま、水木は生ビールの追加を入れてくれた。ジョッキのまわりが濡れたままの生中がすぐにねずみ男の前に置かれる。
「だがなあ、そんなことは大した問題じゃない」
 水木はタバコを指に挟んだまま猪口を傾けた。
「お前さんにだって裏切らないモン、捨てない情があるって、俺はちゃぁんと知ってるからな」
 ハハ、と笑って、水木は向かい側からねずみ男の肩を叩いた。面食らうねずみ男の前で、水木はおでんを追加で頼んだ。昔屋台で並んで食べさしてもらったおでんの味を、ねずみ男は思い出した。
 いつかの年の、木枯らしが吹き始める頃のことだった。

 皆が集まる命日の一日前。ねずみ男は、あの男の墓の前に立っていた。
 面と向かって頼まれた、あの次の次の年くらいだろうか。そんなそぶりは全くなかったのに、水木が逝った。穏やかな秋晴れの日だった。
 あの男が好んでいたタバコを一本、少しだけ吸ってから供えて、ねずみ男はニヤッと笑った。
「おたくの息子さんは最近ちょっとふてぶてしくなってきた気がするんだよ」
 返事はないが、水木ならきっと笑うだろう。なにしろ
あいつ、兄さんに随分似てきた気がするよ」
 ねずみ男はもう一度笑って、それで墓前を離れたのだった。