ナスカ
2024-02-06 18:54:40
3134文字
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知らぬが仏でいられない

ダギリン師弟健全時代の話。割と短めです。

公舎の中庭で一人の少年が木刀を振るっている。自分の胸ほどまでの長さのあるそれを片手で軽々と握り、しかし重々しく振り下ろしては切っ先を天へ向け直す。清々しい青空の下、朝露に濡れて輝く芝生に立つ美しき騎士の卵は、それだけで絵になった。そしてその様子を、公舎で働く大人たちは微笑ましげに見つめながら通り過ぎていく。そんな中、一人の若い男が足を止めた。
「おはようリンク君」
「おはようございます! えっと……
リンクは素振りの手を止め、自分に話しかけてきた男の顔を見上げた。師が数週間公舎に泊まり込むため、彼にくっついてやって来たときに男の顔を見た気がする。現在公舎内に子どもはリンクしかいないが、大人の男は何人もいる。名前と顔が一致しなければ、名前すらわからないし顔を覚えてもいない。リンクは「すみません、誰ですか?」と素直に問いかけた。すると男は覚えがめでたくない事に頭を掻きながら屈託なく笑う。
「兵部省長です。簡単に言うと、騎士団の管理を仕事にしているんだ」
「ひょうぶしょうちょう……
リンクは男の胸元にあるバッジに気づいた。七色の丸が円を描き、その真ん中には女神ハイリアの紋章が刻まれている。七つの丸が表しているのは、兵部省をはじめとした七省。それは全て、女神の代理権者たるダギアニス卿の麾下にある組織である。
「じゃあ、お兄さんは先生の部下なんですね!」
「そうですよ。兵部省長としては、こんなに熱心な未来の騎士がいるのは本当に有り難いことだと思ってね」
へへ、とリンクは肩を竦めながら笑った。
「ところで閣下はまだお目覚めでないのかな? そろそろ会議の時間なんだけど……
「こんな朝早くからですか? でも先生、いつもならこの時間には起きてるのに……
リンクは公舎の中でも一等高い棟にある師の部屋を見た。まだカーテンが開いていない。師はまだ眠っているのだろうか。
「おれ、先生を起こしてきますよ」
「あぁ、すまない。ありがとう。閣下も仕事相手より、弟子に起こしてもらったほうが気分がいいだろうからね」
リンクは木刀を背負い、小柄だからこその俊敏さで中庭を駆け出した。もちろん、屋内に入れば品良くかつ堂々と歩く。礼儀作法も大切ですよと師が度々教えてくれたのだ。階段を数階分上がり、廊下を何十メートルと歩き、師の部屋に続く扉の前に到着してリンクはようやっと息が上がっていた。扉をノックし、「先生、起きてますか?」と訊ねる。だが返事はない。まさかこんな時間まで寝ているのだろうかと、リンクは首を傾げながら「先生、入りますね」と告げた。
部屋は薄暗い。窓がカーテンで閉ざされ、蝋燭も灯っていなければ暖炉も燃えていなかった。淹れ立ての紅茶の香りがしない師の部屋というのは、ここ最近ではあり得ない事。
ソファにも全身鏡の前にも師はいない。ベッドの方へ視線を向ければ、師はまだ布団を被り丸まっていることがわかった。本当に珍しい。
「まだ寝てる……
リンクはベッドに近づいた。すると聞いたことのない、呻くような師の声がおぼろげな輪郭を成してリンクの耳に届く。寝言だろうかと思い更に近づき、布団をどけた。
「せんせ……、ッ!」
途端にリンクの心臓が縮み上がる。発熱したかのように師の顔は汗びっしょりで、藻掻くようにシーツを掴んで唸っていた。眉間に深く皺を寄せ、肩をぎゅっと上げてブルブル震えている。
「先生! 大丈夫ですか!?」
リンクの大声でも師は目覚めない。リンクが師の額に手を当てるが、高熱というほどでもなかった。しかしそれにしても様子がおかしい。そのうちリンクは、師の呻きの中で埋没している言葉を見つけた。
「ッ……、あつい……、いた、い……、くるしい……。たす、けて……だれかっ……みず、を……
リンクはその言葉の意味を考える。師はどこか体の具合が悪いのだろうか。昨晩までそんな素振りは見せていなかったというのに。見たことのない師がすっかり弱った姿に、リンクの胸は未だ不安で高鳴るばかりだ。
「いたい……いたい……、たすけて……
ついには閉じられたまつげの合間から涙が零れる。まるで子どものような口調に、リンクは師の苦しみは悪い夢が原因であれと願った。そうでなければ目覚めても師の苦しみが続いてしまう。
「先生? ねぇ先生、起きてくださいってば、先生!」
リンクはゆさゆさと自分の数回りも大きい師の身体を揺さぶった。この人が永遠に夢から覚めなかったらどうしよう。ずっとずっと苦しむことになったらどうしよう。そんな不安でリンクもいっぱいになる。
「ねぇ……先生ってば……
一向に目を覚まさず魘され続ける師に、リンクは声を絞り出す。どうして目を覚まさないのですか。こっちが現実ですよ。そんな怖い夢、現実にしちゃだめです。気がつけば、リンクの目からも涙がこぼれていた。
……リンク君……?」
ぐったりした師の声にリンクはパッと目を開いた。裾でゴシゴシ涙を拭い、師の意識が現実へ戻ってきたことに喜んで抱きついた。
「先生! よかった、戻ってきてくれて、よかった……
「戻るって……私はどこにも行っていませんよ?」
真剣に心配しているというのに、師は不思議そうな顔をしながら起き上がる。彼は悪夢を見ていたことを覚えていないらしい。
「だって先生、全然起きなくて……ずっと痛いとか、熱いとか、言ってて……
リンクがそう言ったことで師はようやく合点がいったと頷いた。そしてリンクの頭を撫で、心配させたことを詫びる。
「ご心配をおかけしましたね。けれど大丈夫。昔の夢を見ていただけですよ」
「昔、怖いことがあったのですか?」
リンクが訊ねると、師はベッドから降りながら「そうですねぇ」と思案する。リンクにソファへ座るよう話、着替えながらしばらく考え、どう伝えるべきかを模索しているようだ。やがていつもの仕事服を身に着けた師は、遠い忌むべき記憶を睨むような顔をしてリンクの隣に腰掛けた。
「死ぬかもしれないとは思いました」
「死……
「干ばつ地帯の行軍でね。とても過酷な時間だったのを今でも覚えています」
「かんばつ?」
「水も無く植物も生えていない、ひどく乾いた場所のことですよ。生物が生きれる場所ではありません」
師の目ははっきりとした様子で遠くを見ていた。自分の過去の姿を、時を超えて観測しているかのように見える。
「だからお水がほしいって言ってたんですか?」
「確かにあの時は水に飢えていましたね。喉が乾いて、頭のネジが弾け飛びそうでしたもの」
冗談めかして師は笑うが、本当はとても怖かったはずだ。そうでなければ何年も前の辛い時間を夢に見ることなどないはず。リンクは師の腰に抱きついた。
「リンク君?」
「先生が、生きててよかったです」
師はリンクの抱きつきに驚きつつも優しく微笑み「私も、そう思いますよ」とリンクの前頭部に口づけた。甘い心地になっているとリンクはハッとする。何のために師を起こしに来たのか思い出した。
「そうだ先生! えっと、ひょうぶしょうちょう? さんが、今日は先生が会議で、えっと……
リンクがモゴモゴ言うのを聞いて師も今日の予定を思い出したのか勢いよく立ち上がる。どうやら彼はゆっくりしていられないスケジューリングらしい。
「リンク君、起こしてくれてありがとうございました。また後程お会いしましょう」
師はそう言うとアレコレ書類や荷物を抱えてバタバタとした様子で部屋を飛び出していった。いつも余裕があって優雅な彼らしくはない。けれどまだまだ未熟なリンクにとって、自分に近い師の姿はどこか安心できるものがあった。


終わり