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Public さめしし☔🦁
 

夕景

さめしし☔🦁
昔と今、同じ時間帯に見えるものの違いについて(🦁さんモノローグメインなSS)※お付き合いしてる設定

 
 夕方五時を告げるチャイムの絶望感は今もまだ鮮明に思い出せる。
 
 
 たまたま触れた情景や音や匂いが昔の記憶を呼び起こすというのはままあることだ。例えば裏寂れた公園で街灯が照らす夜桜や昔流行ったCMで使われてた曲や黄色い落ち葉に紛れ踏み潰された銀杏の匂いみたいなそういう類のもの。そんなものを鍵にして普段の生活ではすっかり忘れ去っていたシーンが記憶の奥底から転がり出てくる。
 昨日、耳にしたメロディーもそういった類のものだった。
 
 §
 
 午前中からひっきりなしに降ってきた細々としたタスクがようやく片付き、空になったコーヒーカップ片手にダイニングへと向かった。同じ姿勢で凝り固まった身体を解すべく、ぐるりぐるりと大きく腕を回し肩甲骨周辺を軽くストレッチする。キッチンで掃除をしていた雑用係が目に入ると同時に向こうも気付いたようで、持っていたカップに視線を落とすと回収のため手を差し出してくる。仕事を取り上げる気もないので促されるまま手渡すとどこか満足そうな表情を浮かべている。ワーカーホリックの気でもあるのかもしれないと少し呆れるが雇用主として困ることではないので放っておく。
 テレビを点ければ平日の午後ということもあり、いくつかチャンネルを変えてみても似たようなバラエティ番組やドラマが流れている。賑やかすぎる色使いのスタジオでタレントがはしゃぐのをぼーっと眺めながら、自分にとって毒にも薬にもならない情報を頭を使わずに受け止めるのはそれでも多少の気分転換にはなった。
 
 売れ筋の便利グッズを当てるというコーナーが終わると映像は中継先へと移る。そうして映し出された芸人の、その背後に見える景色を認識した瞬間、鈍くリラックスしていた脳が弾かれたように一気に働きだした。正確には頭が認識するよりも数瞬速く体が反応して頭の奥にざわりと鳥肌が立つような感覚が走った。その理由を少し遅れて理解する。
 それは随分と遠い昔に通りかかったことがある場所だった。そう頻繁に出向いていたわけでもなく、だから、本当に今の今まで忘れていた。場所自体には別に思い入れも何もない。むしろよく思い出したなと我ながら感心するほどだ。
 遠い記憶の中の景色とテレビに映る光景とを照らし合わせているとハイテンションで話し続ける芸人が少し歩いた先の和菓子屋へと入っていく。中で待ち構えていたのは店主と皿に載せられた大福だった。小ぶりの大福は丸ごと一個とその横に半分に切られ断面を向けられたものが置かれていた。求肥と薄く白あんでいちごを包んだものらしい。用意されたいちご大福を芸人が口に放り込み大げさな反応を見せた辺りでテレビの電源を切る。
 思い返せばたしかに記憶の中の景色にも和菓子屋のようなものがあった気がする。気がするだけで違ったかもしれないし、長い年月の中で別の店になっている可能性もある。ただ、まあ、なんでも良かった。なんとなく、行ってみようかと思ったのは郷愁の念に駆られてというよりは単純に紹介されていたいちご大福が気になったからだ。
 
 テレビで見た中継先がどこだったのかを正確に調べることなく記憶だけを頼りに車を出した。はたして実際に頭に浮かんだ場所と同じなのか確証は何一つなかったが、違ったら違った時だ。午前中で疲れた頭の気晴らしに深く考えずドライブに出たかったのもあるかもしれない。そういえば十五年以上前の自分が行動範囲としていたエリアに赴くのは初めてになるのかと今更ながら気付いた。
 幼いころの記憶というのはどうやら馬鹿にできないらしい。半ばお遊びのように当たりをつけて出発したが、結果、想像以上に難なく目的地へと辿り着いてしまう。多少手間取るか、そもそも記憶違いで辿り着かないかとダメ元で出掛けたはずなのに、紹介されていた店を見つけ、すぐ近くのコインパーキングに車を停めているのが現状だ。運転席から降り立ち、車の施錠をし目当ての店へと足を向ける。短い道中の景色は見覚えがあるようなないような、といった感じで判然としない。店の正面まで来て、改めて店構えをまじまじと眺めるが、やっぱり過去に目にした店かどうかは分からなかった。そもそも店に何か思い出があるわけでも、それ以前に利用した記憶すらもないのだから当たり前と言えば当たり前だろう。
 テレビで紹介されていたいちご大福は売り切れることなくすんなりと買えて、あまりのあっさりさに余計何の思い入れもないままに目当てのものを手にして店を出た。まあ、気晴らしにはなったのか。そう思いつつ手に下げたビニール袋の重さにもう何個か多く買っても良かったかなと今夜家に来る予定の恋人を思い浮かべた時だった。
 突如、空に鳴り響くチャイムに身体がビクリと跳ねる。身を縮ませるようなけたたましさではないものの、無視できないほどの音量で耳に届く音が、不意に視界にフィルターをかける。道脇にぎっしりと停められた自転車の塊。電柱にべったりと付いている剥がし損ねた広告の切れ端。足元の黄色い点字ブロック。さっきまでは目に留まらなかったようなものが途端に意識に飛び込み、そうして不意に思い出した。自分がこの夕方のチャイムに毎日繰り返し小さく絶望していた頃のことを。
 
 あの頃は小学四年生かそこらで十歳前後を境に急に伸びてきた身長に引っ張られるように、心も駆け足で大人になろうとしていた気がする。自分を取り巻く環境に、もしかしたら今日こそは、なんて期待をしても無駄だと分かりかけてきていて。だから、どうにもならないものを再確認するために家に帰るのが苦痛だった。
 自分の足で遠くまで行けるようになると、放課後は学区外の公園や図書館に居るのが日課だった。今思えば、自分が何者か知られている世界の外側に出たかったんだろう。身に着けているもののみすぼらしさはさておき、最低限清潔さには気をつけるようにしていたから身なりで顔を顰められるようなことはなかった。上手くいけば初対面で暇をしている同年代と遊べる日があったり、ひとりで手持ち無沙汰にしていると通りかかった女子中学生が暇つぶしに話しかけてくることもあった。別に楽しいことに溢れたわけでもないが、それでも学校が終わってからの時間は良くも悪くもなんのしがらみもなく自由だった。
 ただ、もちろんそんな時間も長くは続かない。毎日決まってその終わりを知らせるのは夕方五時のチャイムだった。特に日が短くなった冬の時期。公園で遊んでいた子供たちや幼児を連れた大人は、その音に反応すると途端に空気が変わる。区切りのいいところまで遊び終えると、それぞれが家路へとつく。まだ遊びたいとごねる子供をなだめながら抱き上げる大人や、弾かれたように自転車に飛び乗ると口々に、また明日! と大声をかけあってペダルを漕ぐ男子。残っておしゃべりを続ける女子達も帰らなくてはと頭では分かっているので、どこかソワソワとしていた。
 帰りたかった。自分もチャイムの音に急かされるようにして帰りたかった。でも、どこに帰りたいのかが分からなくて。家はもう帰りたい場所ではなくなっていた。それでも当時の自分が帰るべき場所はそこしかなくて。帰りたいのに帰りたい場所がない。それを毎日毎日、律儀に容赦なく報せるチャイムの音が欠かすことなく途方に暮れさせた。
 帰らずに居たこともあったが、暗い公園に手ぶらの小学生がひとりで居るのを見かけた常識的な大人の手により補導され、その後の母親の心配とは別のヒステリーの凄まじさに同じ過ちは繰り返さなかった。
 
 車のロックを解除して手に下げていた袋を助手席へそっと下ろす。運転席のドアを閉めてシートベルトを着けたタイミングで鳴り響いていた音はふっと止んだ。
 
 §
 
 昨日はあれから帰宅した後に予定通り夕食の用意をし、村雨はきっちり約束の時間に自宅へ訪れた。デザートがてら調達したいちご大福は思いのほか口に合ったようで、白い粉を少し口の周りにつけながらポイポイと飲み込んでいった。全部村雨の分として買ったので食べ切ってしまうこと自体は問題無かったが、やっぱりもう何個か買っておけば良かったなと己の読みの甘さを少しだけ悔いて。そうしたら、すかさず「また買えばいいだけの話だろう?」と事も無げに告げられ、それもそうかと納得した。満足そうに口を拭う村雨に、仕事終わりのこの男が目の前で満たされていく様を眺めていると何とも言えない嬉しさがふつりふつりと湧いてくるものだなとしみじみ感じた。
 その日、夕方に思い出した光景を村雨に伝えることはしなかった。それは隠したいからとかではなく、単純に伝える必要が無かったからだ。
 面白い話でもなく、その記憶が再び今現在の自分を抉ることはなかったから。逆説的だが、もしも当時の記憶に苛むことがあれば、あの主治医は目敏くそれを見つけ病原を追求する。それがなかったということは、そういうことだ。
 
 
 書斎でパソコンに向かっていると、外から夕方のチャイムが耳に届く。今住んでいる場所では幼少期に過したエリアと比べ、チャイムが鳴る時間も使われるメロディも違っている。夕方のチャイムに絶望することはもうなくて、帰る場所も、帰ってきてほしい相手も今の自分は持っている。
 この辺りでチャイムの鳴る時間は、実は村雨の形ばかりの定時と同じ時刻だったりする。だからか夕方のチャイムを耳にすると自然と思い浮かべるのはあの男のことだった。
 まず時間通りには終わらないお医者様の終業時間。今頃は手術の最中なのか、デスクワークをやっつけてるのか、よく分からない会議にでも駆り出されてるのか。ふとした瞬間にこうしてなにをしているのかと思い浮かべてしまうのは典型的な恋愛の症状なのだろう。
 この話も特にこちらから伝えてはいない。別にわざわざ伝えるような話ではないから。
 
 
 
 
 夕方五時を告げるチャイムの絶望感は今もまだ鮮明に思い出せる。でも、ただそれだけだ。あの当時の絶望感が今の自分を傷つけることはない。思い出そうとしないと忘れ去られるそれは思い出でしかなくて。どう頑張ってもあの時感じた絶望感は消せやしないけど、それはそのままひっそりと抱えたままで良い。当分思い出にはならない予定の男が、知らず塗り替えてくることに少しだけ苦笑いしつつ。自分もあの恋人の些細な思い出のなにかを塗り替えていたりするものなのかと考えてみる。もちろん、答えは分からないけど。


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マシュマロ
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