「冷たっ!」
考えるより先に声が出た。あたしが反射的に振り向くと彼はきょとんとした顔をしていた。登り坂に差しかかっていたお陰で目線は若干あたしの方が高い。長い前髪の奥から覗く藤色の目があたしを見上げ「なんの話?」と尋ねている。
あたしはたった今捕われた手をそのまま持ち上げて、捕らえている本人・リューの目の前に突き出してやった。
「あんたの手! まるで氷じゃないの」
苛ついた声で訴えればリューはようやくそれに目を向けた。あたしの手と、あたしの手を掴むリューの手と。
でもそれもほんの一瞬のこと。ちらりと視線を流しただけで手を離す気はさらさらないらしい。リューが何を考えているのか、再び目を合わせたところであたしにはさっぱりわからない。ただ小首を傾げて見返してきたその顔が、そしてのんびりした仕草が、どうにもわざとらしくて腹が立つ。
素っ惚けるのもいい加減にしろと怒鳴るつもりで息を吸いこんだあたしに、彼は絶妙の間でへらっと相好を崩した。
「アンの手はあったかいね」
言いかけた言葉を思わず飲みこんだ。笑顔を見せる彼に果たして懐柔してやろうという気があったかどうか。案外思ったことをそのまま口にしただけなのかもしれない。だけどもしあたしがそれで大人しくなると思ってるなら大間違いだ。そんなの、褒め言葉でもなんでもないんだから。
リューの言う通り、あたしの手は温かい。そしてそれはほとほと聞き飽きた台詞。
昔から兄に「手袋など不要だな」と呆れられ、母に至っては「子どもは眠くなると手が温かくなると言うけどねぇ」なんて、全く寝そうにないあたしに首を捻っていた。もちろん手と額を交互に触れ比べて、平熱なのをしっかり確認されたあとで。
そんなふうに体温が高いところは小さな頃から全く変わってなかった。大人になり、これだけ背が伸びた今でも。
「どうせ子どもみたいとか言いたいんだろ」
むうと唇を尖らせて問えばリューは「子ども?」とますます首を傾けた。視線を宙に彷徨わせしばらく思案したのち、「ああ、」と声を上げた。
「子どもは体温高いから、アンもそうだっていうこと? ウィルは確かにあったかいよね。眠いときなんかすぐわかるし」
納得したのかうんうん頷き、すっきりした顔を見せた。つまりさっきの発言は単に思ったことを述べただけだったのか。
リューは掲げたままだった手にもう片方の手を重ねて下ろし、「でも」と口を開いた。
「アンを子どもみたいって思ったことないよ。手だってウィルとは全然違う。柔らかくて女性らしい、美しい手だと思う」
一瞬、何を言われたのかわからなかった。というより向けられた言葉に馴染みがなさ過ぎた。手の甲をそっと撫でられ、そうされたことでやっと理解が追いついた。途端に顔が熱を帯びる。
「あ、あのね
……!」
「ん?」
「あの、だから」
この男は、いきなり何を言い出すんだろう!
逃げなきゃ駄目だ。本能が危険だと告げている。このまま捕われていたらどんどん自分が変わっていってしまうような、後戻りができなくなるような、得体の知れない不安感に襲われた。慌てて手を引き抜こうとしたけどリューの力は思いのほか強く、あたしが戒めから逃れることは叶わなかった。
失敗してしまうと今度は動揺を悟られたくなくて、わざと真正面からリューの瞳を見据えた。
「調子いいこと言ってないで! あんたももっと代謝を上げる努力しなよ。ちゃんと規則正しい生活してれば体温上がるし、体力だってついてくるんだから」
「うーん、そんなに不摂生してるつもりはないんだけどなあ。体温低いのは昔からだし。ほら、よく言うだろう? 手が冷たい人は」
「心が温かい」
すかさず語を継いだ。再びきょとんと目を瞬いた彼にあたしは挑むような眼差しを向ける。
「その法則だとあたしは心が冷たいってことになるよね? 手、離してくれる?」
にっこり笑って言ってやればリューも同じように
――いや、あたしのそれとは比べようもないほどの清々しさで破顔した。
「アンは情熱的だからね、それが手先にまで滲み出てるんだよ」
今度はあたしが目を見開く番
……いや、口をあんぐりと開ける番だった。全く、ああ言えばこう言うとはこのことだ。
しかも手を離してくれと頼んだそれはそっくりそのまま流された。聞こえなかったはずはない。とすれば離す気がないということか。
一体なんのつもりだろう。なんの得があってこんなことをするのだろう。
非難の目を向けるあたしに気づいているのかいないのか、リューは「帰ろう」とにこにこ言った。
<目次>
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