ウィルvsセイル

暁子さんが書いてくださった、拙作「やさしくつもる」の二次創作です。
第4話[家族]と第5話[ふたたび]の間にこんな出来事があった、かもしれません……!?

 
 兄の姿を捜し、セイルは邸の中をうろうろとさまよっていた。
 先日借りた雪花人についての資料を返そうと思ったのだが、ウィルトールは彼の部屋にいなかった。しかも扉にはご丁寧に鍵がかけられていて、これでは返すものも返せない。
 出かけたのかと思ったが、居間のテーブルの上にはウィルトールのものと思しき本が三冊、ぽつねんと主の帰りを待っていたので、邸の中にはいるはずである。
 兄が自分の持ち物を無造作に置いていくなんて珍しい。きっと少し席を離れただけだろう。待っていればじきに兄が現れるはず、というセイルのもくろみは十分ほど粘ったところで外れたことになり、彼は資料の束を持って邸を一周するだけのウィルトールを捜す旅に出た。が、
「いねぇし !!」
 居間に戻ってきたセイルは資料をテーブルに叩きつけた。
 兄がいそうな場所なんて限られているのに。むしろそれ以外の場所も見て回ったためにすれ違ってしまったのだろうか、ついぞ捜し人に出会うことなく、セイルは居間に戻ってきた。
 叩きけられた資料の横では、相変わらず本が三冊、お迎え待ちである。
 忘れて出かけたのか? だったら兄は母か使用人に声をかけて行ったはずだ。誰かに訊いてみればよかったのだ。
 そう思い立って資料を拾い上げたセイルは、ふと本の上に置かれた栞に目を留めた。
 金属製の、傷だらけの、太陽と星が彫られたプレートの。兄の歳に見合わず子どもっぽい意匠の栞に、セイルは見覚えがある気がした。
 何気なく摘まみあげてみる。鎖に繋がれた太陽と星が、ちり、と音を立てて揺れた。はてどこで見たのだったか。
 遠い記憶の底で、太陽を背にした兄が大きく腕を振りかぶるのが見えた。幼い少年の顔は逆光で陰っていたが、溜まりに溜まった憤懣を爆発させた瞳だけが爛々と光っていて。
(あのときの――
「何してる」
「うわっ !?」
 肩口からのびてきた手に栞を引ったくられ、セイルは跳び上がるほど驚いた。振り返ったところにいたのは兄ウィルトールで、その面差しが一瞬だけ、記憶の中の幼い彼に重なる。
 しかし、目の前にいる兄の目は不機嫌そうだがあのときのように怒りと憎しみに燃えているわけじゃない。
 ほっとするセイルに怪訝そうな一瞥をくれたあと、ウィルトールは弟から取り上げた栞をそっと本の上に添え置いた。
「それさ、ずっと昔から持ってたよな」
 傷だらけの栞から離れたウィルトールの指がぴたりと空中で止まる。セイルは気づかなかった。
「つーか、それのせいで殴られた気がする。よく覚えてねえけど。なんだったんだよあれ」
……おまえが、人の部屋から勝手に持ち出して穴掘りに使ってたからだろう」
「それだけ?」
 なんて心の狭い! そう言おうとして、しかしセイルはむっと口を噤んだ。
 栞と一緒に本を抱え上げる兄の眼差しが、常にも増して冷たかったのだ。
 他人に向ける微笑がセイルに向けられないのはいつものこと。とはいえ敵意を感じるわけでもなければまるっきり無視されているわけでもない。
 けれどこのときは違った、多分。
 セイルがぐっと言葉を詰まらせたその一瞬で、ウィルトールの瞳に覗いた刃のような光は消える。気のせいだったのではないかと思うほど鮮やかに。
 代わりに兄の視線はついと下へ降り、セイルが抱えている資料を見つけた。
「読み終わったのか。何か分かったか?」
「いや、これはこれで専門的すぎて分かんねーっつーか」
 だろうな、と、溜息交じりに兄が手を差し出してくる。用が済んだなら返せということだ。
 そしてこれに書かれている以上のことを知りたいのならアンに訊けと。ウィルトールの口から何も語るつもりはない。
 それはこの資料を渡されたときから変わっていないようだった。
「これ、ウィルが調べたんだろ」
「だったらどうした。読んでも分からなかったんだろう」
「ああ。けど、親父の書庫にあったどの本より詳しくつっこんだことがあいてあるのは分かったぜ」
 ウィルトールの右手が、むしるようにセイルの手から資料を取り上げる。
「そうか」
 資料を埋める雪花人についての具体的な記述。それが何を意味するのかは、さすがにセイルにも理解出来た。
 ウィルトールが幼い頃に会ったという雪花人。アンの恋人。ウィルトールはその最期を知っているという。
 けれどこの資料はきっと〝違う〟。子供の記憶を許に書かれたものであるはずがない。
「どこでどうやって調べたんだよ、雪花人のことなんか」
「お前が知りたかったのは俺がどうやってこれを書いたかじゃなく、〝あの子〟の現状だろう。だったら――
「なんで目の前に色々知ってる奴がいるのに、アンなんかに聞かなきゃならねえんだよ」
 言葉を遮られたウィルトールは、不快感もあらわに溜息をついた。
「俺からお前に話すことなんてない」
「意味分かんねえし」
 気にくわないことがあるなら言えばいい。もっとも、言われたところでセイルが改められることがあるとも思えないが。
 だって、ウィルトールはいつも勝手に機嫌を損ねる。
 栞のことにしてもそうだ。ずっと昔に見た覚えがあったからセイルはそう言っただけ。
 話もしなければ急に不機嫌になった理由も言わない。そんなに言いたくないなら好きにしろよと思う一方で、ウィルトールがゆるりと踵を返すのをただ見送るのは癪だった。
(くそ……っ)
 彼を引き留める言葉を探したが思い浮かばない。そしてただ追いすがっても駄目なことは目に見えている。
 ――と、ウィルトールが出て行く扉のすぐ隣、盾の絵のタペストリーを背景に厳かな雰囲気で壁に飾られていたものが目に入った。セイルは思いつくより早くそれを掴みにいく。
 飾られっぱなしでも丁寧に埃を払われていたので真新しくさえ感じる。粗雑に揺すってほとんど無理矢理に壁から外すと、それを持って居間を出た兄を追いかけた。
「ウィル!」
 そしてウィルトールが振り返るかどうかすら確かめずに、彼の背中に向かって手にしていたものを投げつけた。
……!」
 何か嫌な気配を察知したのか、ウィルトールの身のこなしは素早かった。肩越しに一瞬だけ、鬱陶しそうに眇められた目が見えたものの、その青色はすぐに大きく見開かれた。
 そして彼は投げつけられたものを反射的に受け止める。
「なんだこれは」
 振り返った余韻に、括った髪を肩口から背中へさらりと流し、ウィルトールは眉間に皺を寄せた。
「見りゃ分かんだろ。剣だよ、競技用の」
……訊き方を間違えた。なんのつもりだ、これは」
 刃引きしてあるとはいえ鞘の中身は鉄製。ウィルトールに投げ渡したのものと同じ重みがセイルの左手にあった。
 彼は柄の先をウィルトールに向けて剣を掲げ、自信満々にふんぞり返る。
「オレが勝ったら雪花人のこと教えて貰うぜ。もちろんお前が知ってること全部な」

**********

 セイルは久しぶりに引っ張り出した防具を身につけて、ようやくこの格好が見た目以上に動きにくくなることを思い出した。
 胴回りを守る防具は剣の突きに耐えられるよう鉄の繊維を混ぜた綿がぎゅうぎゅうに詰まっているし、前腕を守る籠手や脛当ても革を二重三重に重ねたもの。拳を保護するため剣を持つ手には手袋もはめる。
 暑苦しいし面倒くさい……と思ったものの、顔を上げれば兄が涼しい顔ではめた革手袋の具合を確かめているので、セイルの闘志は再びふつふつと湧き上がってきた。
 この際ウィルトールをのす手段にどうして剣を選んでしまったのかということは考えないでおこう。
 肝要なのはあの涼しげな横顔に負けを認めさせること――ついでに雪花人のことも聞き出す。
 すっかり目的が入れ替わっていることに自分では気づかないセイルの前に、彼の分の革手袋が差し出された。
 持っているのはアッシュだ。
 折り良く(折り悪しく?)ウィンザール邸へ遊びに来た彼は挨拶の言葉も言い終わらぬ内にセイルに腕を掴まれ、ウィルトールとともに庭園へ引きずってこられた。
 そして実にざっくりとした決闘の経緯を聞かされながら、呆れつつも二人が防具を着けるのを手伝うことになったのだ。
「何もここまで本気にならなくてもいいんじゃありませんか?」
「知るかよ。準備しなきゃ駄目だっつったのはウィルだぜ」
「それはそうでしょう……防具を着けないと怪我じゃあ済まないこともあるんですよ。私が言いたいのはそういうことじゃなくて」
「いいから審判、ちゃんとやれよ」
 セイルは手袋を引ったくるように受け取り、腰に吊した剣を揺すりながら踵を返した。
 剣の重みに意外と動作を引っ張られる。慣れない重心の変化に辟易しながら手袋の紐をぎゅっと締めると、同じく用意を終えたウィルトールと向き合った。
「何を訊きたかったのか知りませんが、ちゃんとウィルトールさんに丁寧にお願いしたんですか? 『教えて下さい』って」
「したって教えてくれねえんだから、力ずくで訊くしかねえだろ」
「まずは〝丁寧にお願い〟してみてから言ったらどうだ?」
「無駄だって分かってるのにそんな真似するかよ」
 そう言って剣を抜き放つセイル。
 ここまで準備しておいて思うのもなんだが、本当にやるつもりなのか。
 ウィルトールとアッシュが一緒になって溜息をついても、セイルは戦意をむき出しにしたままだ。
「付き合わせて悪いな、アッシュ」
「いえ。セイルの気が済むようにした方が早く収拾がつきそうですし……
 相槌を打つ代わりに苦笑でアッシュに応えながら、ウィルトールも仕方なしに剣を抜いた。
 一馬身の距離をあけ、互いに正眼に剣を構える。
 切っ先越しに見えるウィルトールの目はすっかり冷めていた。ひたすら億劫そうなその表情がますますセイルの気に障る。
「試合時間はどうしますか?」
「公式ルールの通りでいいかな」
「二分間ですね。セイルも、それでよろしいですか?」
「なんでもいい」
……、分かりました。では一本二分間、決着がつくまでこれを繰り返します。両者、用意はいいか」
 兄弟が無言で頷くのを確認すると、睨み合う二人の間からアッシュがすっと身を引いていった。本来花を愛でて歩くための煉瓦の路(みち)に、似つかわしくない不穏な風が吹く。
「お二人とも、怪我のないようにお願いしますよ。――始め!」
 合図と同時に驚いた鳥が数羽、庭木から飛び立っていく。彼らが残した小さな羽根を払い飛ばすように剣を突き出したのはセイルだ。
 一歩退いたウィルトールの剣を追って叩き、更に踏み込む。幾度も弾いて相手の剣先を右へ逸らすと、大きく空いた左脇を狙って刀身を振り下ろす。
(入る)
 セイルにはその確信しかなかった。しかし外へ弾かれたウィルトールの剣はその勢いを殺さないまま翻り、煉瓦を引っ掻いて下から回り込むとセイルの剣を迎え撃つ。
 力任せにぶつかった刀身がびぃんと震える。拳が痺れるほどの衝撃だ。ウィルトールの目許も不快そうに歪んだ。
「馬鹿かお前は」
「何がだよっ!」
 剣を押し返される感触にはっとなり、セイルは慌てて飛びずさる。セイルの足跡を踏むようにウィルトールがそれを追う。
 後退るうちに真正面からの突き――まったくの無意識だったが、セイルは剣で弾くのではなく身体を捩って避ける。
 セイルがウィルトールの剣を躱したその一瞬、二人は背中合わせにすれ違った。そして視界の端を横切る兄の髪を見送るときにセイルは気づいた。
 背中。
 考えるが早いか、セイルは脚を踏ん張り無理矢理身体の重心を変える。
(ウィルが振り返る前に叩く!)
 この隙はそう簡単に埋められまい。速く振り向き剣を振り抜いた方が勝ちだ。
 ウィルトールが肩越しにセイルを見るより速く、セイルの剣が水平に滑り出し
「待て!!」
――!?」
 しかし滅多に聞かれない親友の怒号がその動きを急停止させた。
 また驚いた鳥が逃げていくバタバタという羽音。
 花壇の縁に立つアッシュも、咄嗟に防禦姿勢をとったウィルトールも、何やら信じられないという顔でセイルを見つめてくる。
「な、なんだよ」
「今、背中を狙ったでしょう」
「隙があったから」
「何言ってるんです! 背後をとるのはルール違反ですよ!」
「はあ?」
「まさかとは思うがお前、有効面も剣の構え方も振り方も覚えてないんだろう」
「ゆうこう……
「やっぱりな」
 ウィルトールは溜息をついて剣を収め、先ほどまともに剣をぶつけ合った右手をこれ見よがしに振ってみせた。
「文句があるなら口で言えよ、分かりづれぇんだよ!」
「セイル、この剣は基本的に〝突き〟で相手を攻撃します。だからあなたのようにブンブン振り回したりしません。それと剣を叩かれたら叩き返さないと攻撃する権利を取り戻せません。狙ってもいいのは胴の正面、脚、後ろから回り込むのは反則です。もっともそんなことをする人を見たのは今日のあなたが初めてですが――
 聞いたことがあるようなないような。懇切丁寧に基本のルールを説明してくれるアッシュにすら「ややこしい」としかめ面を向けていたセイルだったが、剣が鞘走る音を聞いてはっとし、ウィルトールに視線を戻した。
「お前が真面目に剣を習ってなかったのはよく知ってる。もう好きなようにやれ。早く終わらせよう」
 高いところで結び直した髪の先を項から払い、ウィルトールはすでに剣を構えている。
 好きなように? 反則技も全部防いでやるという意味だろうか。舐められているにもほどがある。
 しかしセイルは暴発しそうになった苛立ちをぐっと抑えた。
「ああそうかよ、じゃあ好きにやるぜ」
 どうせルールを把握したところで身体がその通りに動くはずもない。だったらさっさと決着をつけてウィルトールに諸々の後悔を味わわせてやるのだ。
 セイルも剣を構え直したが、アッシュは二人の合意に納得出来ないらしかった。
「ちょっと待って下さい! 無用な怪我を防ぐためのルールでもあるんですよ、こんな兄弟喧嘩ぐらいで何かあったら、」
「いいんだよ、ウィルは上手く避けるって言ってんだし」
「俺はルールを守るしな」
「それじゃあ余計に不公平です!」
 アッシュが喚くのをよそにセイルは踏み込む脚にぐっと力を込める。ウィルトールも弟が向かってくる気配を察したのだろう、鍔(キヨン)の陰で柄を握り直すのが見えた。
「ああもう……セイル、背後だけはなしですよ。始め!」
 張り詰めた糸が切れる前にと、アッシュは仕方なく腕を振り上げた。
 そして思い切り前へ踏み込んだセイルは息を呑む。ウィルトールがぐっと重心を下げたのは見えたが、次の瞬間見失った彼の剣に自分の剣が払い上げられた。視界の外――下から。
 危うく手を離れかけた剣を握り直し、再び真正面に現れたウィルトールの剣を叩き落とすべく振り下ろす、が、さらりと躱される。見失った剣が空気を切る音でセイルがやむなく飛びずさると、切っ先が脇腹を掠めていった。
 攻撃に失敗したウィルトールも瞬時に間合いをとるため引き下がる。
「意外と当たらないな」
「何が〝意外と〟だ……!」
 剣先が掠めたくらいでは一本とったことにはならないようだ。セイルは内心ひやひやしたが、アッシュがなんの宣言もしないということは続けていいのだ。
 脇腹を掠めた感触を払うようにセイルは剣を振りかぶる。ウィルトールは踏み込んでこない。
 剣を叩かれたなら叩き返さねば攻撃出来ない――ウィルトールがそのルールを守るなら叩き返せないように撃ちまくるだけだ。
 鉄のぶつかる耳障りな音と時折生まれる火花が色とりどりの花びらの中に散る。
 払っても叩き落としても風を切って現れるウィルトールの剣に阻まれ、セイルの切っ先は一寸たりとも兄の身体に届かなかった。逆に苛立つセイルの内心をすっかり見透かした鋭い突きが、右肩めがけて滑り込んでくる。
……っ!」
 一拍の後、絡み合った鍔(キヨン)がセイルの顔の真横にあった。
 上手く相手の剣を押し上げたからよいものの、手首に伝わる衝撃を思うとまともに突き受ければ相当痛そうだ。セイルは絡んだ鍔を横目にしながらごくりと唾を飲んだ。
「やめ!」
 詰めていた息をどっと吐き出すようなアッシュの宣言。セイルも同じ気分で剣を下ろす。ウィルトールだけは腕の具合を確かめるように飄々と剣を振りながら元の位置に戻っていく。
「ウィルトールさん、上手に避けますね。セイルの動きは見ていて怖いほどめちゃくちゃなのに……
「セイルの動きは無駄に大きいから、防ぐ暇はいくらでもあるよ」
……
 言い返したいのは山々だったが、実際今の一本で防がれた手数を思うと何も言えることがない。
 対してウィルトールが撃ち込んできたのは二度だけだ。セイルの隙を試すような、しかしあわよくばこれで決めようという確実な突き。二度とも避けた自分は万々歳だが、何か掴まれた感じはある……
 剣を構え直してウィルトールを睨めば、深い藍色と目が合った。その目はセイルの焦燥を知っていて、すっと冷ややかな笑みを浮かべる。
「お前が俺から一本とる前に、俺はお前から何本とれば勝たせて貰えるんだ?」
「な……、一本勝負に決まってんだろ!」
「ふうん」
 歯噛みするセイルを嘲笑うようにウィルトールも剣を構え直した。
 その余裕には腹が立つが、ただ腹を立てている場合でもない。彼がちゃんと剣術の稽古を受けていた光景は幼かったセイルの記憶にも残っている。正統な剣の使い方で戦う術を、ウィルトールは頭と身体で知っているのだ。
 一方の自分はというと……兄が言っていた通り、いかに自分の好きなように剣を振り回して教師をやっつけるかということに心血を注いでいたので、型なんか身についているはずもなかった。
 でもあのときはちゃんと教師をやっつけていたはず――手に負えないと放り出されていただけのような気もするけれど、まあ何度か痛い目には遭わせてやったはずだ。
 あの調子で、結局は相手の隙を突くしかないのだ。ウィルトールの攻撃だってそうなのだから。
 セイルは刀身越しにウィルトールを見つめ、合図の声が上がるのを待つ。
 そしてその間にふと気がついた。
(ウィルの構え方……
 刀身の向こうに見えるのはウィルトールの右肩だけだ。身体をセイルに対して垂直にしている。思えば守るときも攻めるときもそうだ。
 狙っていいのは胴体と脚。当然、脚よりも胴体が狙いやすい。しかしあの姿勢を保っていれば胴体という的も限りなく小さく出来る。
(なるほどな)
 セイルは見よう見まねで左脚を引いた。
「始め!」
 ウィルトールが軽く目を瞠った途端、開始の合図が上がった。
 正面から突っ込む。けれど左脚は前に出さない。すると必然剣も振り回せなくなった。
(そういうことか!)
 セイルは唐突に何かを理解した。そして理解するより先に剣を前へ前へと突き出して攻める。
 ウィルトールは剣を横に払えば剣で応じるが、正面からの攻撃は身体を引くか捩るかして避けた。そういうものらしい。
(じゃあここで、脚!)
 前後の勝負で無防備だった兄の足許に剣を振り下ろす。決まればアッシュも文句のない一本。
 が、付け焼き刃な攻め方でそう簡単にいくはずもない。セイルを誘い込んだウィルトールは足を引いてその一閃を躱し、振り抜かれたセイルの剣を更に外へと弾く。
 そして大きく身体を開いてしまったセイルの正面から右肩への突きを狙って踏み込んできた。
 右腕が剣とともに外へ弾かれた、右肩を守るものはない。足を引いて躱す、しかしそれも読まれている。セイルの脇を横切った剣は正確に軌道を変え、胴を横薙ぎに狙ってくる。
 後退って躱す算段をつけつつ、セイルは無意識のうちに腰に手を伸ばしていた。
 次の瞬間、ガン!と鈍い音を立て臙脂色の鞘がウィルトールの剣を受け止める。
 剣がぶつかるより間の抜けた音に、ウィルトールもアッシュも、セイルでさえ、最初何が起きたのか――何をしたのか分からなかった。
「セイル!!」
「あ――うわっ!」
 いち早く我に返ったのはウィルトールで、アッシュの怒声でようやくはっとなったセイルは兄の斬撃を受け流しつつ後退る。
 間合いがとれるとようやく、セイルは左手に握っていた鞘をぽいと放り投げた。今更手放しても遅い気はするが。
「鞘を使うなんて背後をとるのと同じくらい卑怯ですよ! というか聞いたことがありません!」
「うるせぇなっ! 手が動いたんだよ勝手に!!」
「一瞬で留具を外せた器用さには感心しますけど」
「好きなようにしろって言われたからいーんだよ!」
「ちょっと待って下さい、いくらなんでも……
 アッシュが中断を告げるより先にウィルトールが走った。
 不意打ちを躱すセイルの剣を何度も叩いて追い縋る。一撃を決めようとしているというよりはセイルを後ろへ追いやるために無闇に攻撃しているような。
 やがて防禦したセイルにウィルトールの剣が思い切りぶつかってきた。「振り回すものじゃないんだろ!」と突っ込みたくても、刀身を滑ってウィルトールの剣が眼前に迫ってきたのでそれどころではない。
 避けるに避けられず、反射的に目を瞑る。すると当然ながら鍔(キヨン)が刀身を受け止めた。しかし払いのけようとしたところでウィルトールの剣が更に力を込めて押し込まれ、嫌な音を立てて互いの鍔(キヨン)が絡まる。
「あまり調子に乗るんじゃないぞ」
 セイルは耳許に吹き込まれた冷たい声にはっと目を見開く。
 間近にある兄の目は一つも笑っていないし余裕の表情でもない。ただうんざりしたという顔で、セイルの剣を押さえていた。はね除けようとしても鍔の絡まりは一向に解けない。
「やめ!」
 そうしている内に二分が過ぎる。
「本当に決着がつくまでやるんですか?」
 兄が離れていくのをほっとしながら見送っていたセイルは、溜息交じりにぼやいたアッシュをきっと睨めつけた。
「最後までやるぜ」
「でも、お二人ともなかなか上手なので時間がかかりそうですよ。いいんですか、庭でこんなことをしているのがお母上に知られたら大騒ぎになりそうですが……
「大丈夫だよアッシュ。次でもう〝やめる〟」
「何勝手に決めて――
 言いさして、セイルはその先の言葉を呑み込んだ。先に剣を構えたウィルトールを見て「やめる」という意味を悟る。
 次でやめる。次で終わらせる。今までになく真剣にセイルを見据える彼の様子がそう言っている。
 また――
(急に機嫌悪くしやがって)
 わけが分からない。勝負しろと言ったらここまでついてきたし、防具も自分で着けた。ルールの無視だって認めたくせに。確かに鞘はやり過ぎたかなとは思うけれども、手が勝手に動いただけだし。
 まあ、いい。勝負がついたらついたで胸もすくし知りたいことも聞き出せる。雪花人のことと、何故セイルに語ることをそれほど頑なに拒むのかも。
 兄弟の間に漂う空気が冷たくなったことに気づいたのだろう。アッシュは戸惑いながら二人の顔を交互に見ているばかりで、なかなか合図を出そうとしない。
「アッシュ、早く」
……では、これで最後ですからね」
 急かされるとアッシュは諦めたように肩を落とし、静かに路の縁へと引き下がる。
――始め!」
 今度はどちらからも仕掛けなかった。剣の先にある互いの瞳を見据えてじっと何かを量り……けれど先にセイルがじりじりと距離を詰め出す。
 やがて切っ先が交わるところまでウィルトールの間合いに踏み込んだセイルは、唐突に剣を突き出した。
 瞬時に払い上げられた剣をそのまま真っ直ぐに振り下ろし、ウィルトールの剣を叩く、攻撃権を奪う。
 右足だけをただ前に、剣を払われたら叩き返し、後退るウィルトールの脚も狙いながらセイルは正攻法で攻めた。
 これで勝てばウィルトールはあとから言い逃れ出来ないだろう。ルールの通りだ。絶対逃がさない。
 ひときわ強く剣を払われたので、セイルはその力に任せ敢えて正面に隙を作る。
 ウィルトールが剣の柄をぐっと胸元に引き寄せた。予想通り。突きの構え。これを避ければセイルの反撃の番だ。
 ひゅうっと笛のように鳴いて剣先が胸元を通り過ぎる。
 勝った。
 大きく空いたウィルトールの胴を剣でなぎ払おうとしたその瞬間。
 何かがセイルの右肩を打った。ウィルトールの剣の柄だ。
 骨に響く瞬間的な痛みで思わず剣を握っていた右手が開く。やばい、と思ったときにはもう柄が手を離れ、更にはウィルトールの右腕がセイルの右腕に巻き付いてきて、そのままぐいと兄の方へ引き寄せられ。
 倒れまいと踏ん張った脚は勢いよく払われて、セイルの身体は一瞬宙に浮いた。
 よく晴れた空が視界いっぱいに広がり、兄の腕が解けたと思った途端に背中から墜落する。
「ってぇ――!!」
 セイルを受け止めた煉瓦の路は優しくなかった。腰と背中を強かに打った痛みに耐えられず、彼はごろごろと転げ回る。
 なんだ、何が起こったんだ!?
 考えるが先かウィルトールの足許を見たのが先か、勝負を思い出して跳ね起きようとしたセイルの胸に、トン、と何かが押しつけられた。
 防具に埋まった剣の切っ先は静かに圧力をかけてきて、起き上がりかけたセイルを再び地面に沈めようとしてくる。その柄を握るのはいうまでもなくウィルトールだ。
「な、なんだよ今の! こんなんありか!?」
 ウィルトールは答えない。ただ太陽を背負ってて――あのときのように――翳った表情の中に剣呑な光を宿す瞳が見えるだけだ。
「技としてはありですよ。脚を払うのも組み打ちになるのも」
「知らねーよそんなの!!」
「ルールを知らないあなたが悪いんです」
……それで、アッシュ。判定は?」
 セイルから顔を逸らしたウィルトールの口許には、すでにいつもの人好きのする笑みが浮かんでいた。ただ視線はその限りではなく……。思わずアッシュも息を呑んだ。
「ええと、勝者・ウィルトール」
 右手を掲げた審判の宣言に、ウィルトールはやれやれと息をつく。
 胸に突き立てられていた剣が離れていくと、セイルは初めて自分が呼吸を止めていたことに気づいた。嫌な緊張から解放された途端、心臓が思い出したように跳ね始める。
「大丈夫か、そんなに痛むのか」
「べ、別に」
 なかなか起き上がらない弟を見下ろしながらウィルトールは剣を収めている。セイルの背筋を伝う冷たい汗のことなど知りもせず。
 彼は鞘を括り付けてあるベルトごと腰から外すと、へたりこんだままでいるセイルに投げて寄越した。
「片付けておけよ」
 ついでに手袋も降ってくる。残りの防具は自分で外すようで……ウィルトールは首筋に貼りついた髪を剥がしながら踵を返した。
 振り返らない兄をこの後に及んで追おうとは、さすがに思えない。セイルは起き上がったものの立ち上がらず、腹の上にのし掛かっていた剣を横に退けてその場に座り込んだ。
「大丈夫ですか、セイル?」
「おう」
「ウィルトールさん、なんだか怒ってらっしゃいましたね……
 無理もない気はするけど、という言葉は聞き流した振りで親友から顔を背け、セイルはむうと唇を引き結んだ。