その日アネッサがまんまと騙されてしまったのは、彼の目がいつもと違うと思ったからだ。
自室を訪ねてきたリュヴァルトが浮かべていた柔和な笑みは普段通りのものだった。だが、どことなくぎこちない印象を隠しきれないでいた。
「
……アネッサ」
「は、はい」
愛称のアンではなく〝アネッサ〟と呼ばれ、すっかり雰囲気に呑まれてしまったのも一因だろうとは後から思ったことだ。笑顔の奥の真摯な瞳に見つめられ、やや緊張気味に返事を返したアネッサにリュヴァルトの笑みはますます濃くなった。
「きみに、贈りたいものがあるんだ」
「あたしに?」
アネッサは小首を傾げる。今日は誕生日でもなければ贈り物をされるようなイベントの日というわけでもない。眉根を寄せ考えこむ彼女の前でリュヴァルトはコートのポケットから紅色の布張りの小箱を取り出した。
「
……これ、受け取って」
差し出されたそれを
一瞥したアネッサは、ハッと彼の顔に目をやった。
「リュー、それって」
「俺の気持ち。
――まさかさ、幸せだなって思える日が俺にも来るなんて思ってもなかったからさ。この想いを少しでもきみに知ってほしかったんだ。
……受け取ってもらえる? あ、もしよかったら、でいいんだけど」
「リュー
……」
照れ笑いながら「赤いのが似合うと思ったから」と続けたリュヴァルトに、アネッサは感極まった声でありがとうと呟いた。手渡された小箱を両手でしっかり抱える。
「開けてもいい?」
「どうぞ」
リュヴァルトが目を細めた。アネッサははにかみながらそうっと蓋を押し上げた。
――彼女がふわふわと浮かれていられたのはそこまでだった。
小箱が僅かに開かれた次の瞬間、蓋はひとりでに勢い良く跳ねて全開した。同時にアネッサの視界は一瞬で様々な色に埋め尽くされた。
「きゃあ!」
驚いて思わず仰け反った。体勢を崩しそのまま尻餅をつく。視界の
其処此処でひらり、はらりと小さな紙片が舞い降りて、気づくとアネッサの上にも周りにも色とりどりのリボンとたくさんの紙吹雪が散らばっていた。
一体何が起きたのかわからず呆然とする。そんなアネッサの頭上からくつくつと嬉しそうな笑い声が降ってきた。
「やった、成功」
ゆるりと首を巡らせれば、そこに小さくガッツポーズをしているリュヴァルトがいた。彼は目を輝かせ、アネッサのそばに膝をついた。
「どう、びっくりした? 改良に改良を重ねたんだ」
これは最高傑作だなと破顔して、リュヴァルトは脇に落ちていた小箱をアネッサの膝の上に置く。
赤い小箱。その中は既に空である。アネッサは無言でそれを見つめた。
(これ
……ビックリ箱?)
思い至った途端、アネッサの頬に朱が差した。わなわなと震える手で小箱を掴むとバンと床に叩き付けた。
「リュヴァルト!!」
「わっ! 怒った? ごめんごめん。でも綺麗だっただろう?」
「何が綺麗よ!! あたしはてっきり
――」
ちっとも悪びれない彼目掛けてアネッサの拳が
空を切る。リュヴァルトはそれをひらりとかわし飛び退いた。彼の顔はもういつもの笑顔だった。それが更にアネッサの怒りを誘った。
さっきのぎこちない笑みはこのためだったのか。企みが成功するかどうかの緊張からなる笑み。アネッサにビックリ箱を仕掛けるただそのためだけに作った顔。
(
――てっきり、指輪だと思ったのに)
小箱はいかにも指輪が収められてそうなサイズだった。深い紅色のビロードが張られた見るからに立派な箱で、だから疑いもなくアネッサはそう思いこんだ。そして贈り物が指輪となれば当然そこに深い意味が込められていると連想するものだ。彼だってそう受け取れるような言葉を幾つも並べ立てていたのだから。
(いつもの軽口だったんだ、あれも)
アネッサの気持ちすらも利用し、狙って作られたビックリ箱。そう思うとどうにも腹が立って仕方なかった。そして勝手に勘違いしてしまった自分が酷く恥ずかしくもあった。
「じゃ、俺はこの辺で
……」
そそくさと退室しかけるリュヴァルトに向かってアネッサは件の小箱を力の限り投げつけた。
「馬鹿!!」
リュヴァルトは飛んできた小箱を華麗にキャッチする。それをテーブルにそっと置くと足取りも軽く部屋を出て行った。何とも憎たらしい笑顔で「またね」と声を残して。
アネッサはしばらくその場に座りこんだまま彼の消えたドアを睨んでいた。
* *
騙された。
盛大に騙された。
悔しくて、憤ろしくて
……悲しくて。
知らず滲んでいた涙をごしごしと荒っぽく拭い、アネッサは周りにばらまかれたリボンと紙吹雪を拾いにかかった。やり場のない想いをどうにか紛らわせたかった。
「ちゃんと掃除もしていけって言うのよ。散らかすだけ散らかして
……」
ぶつぶつぼやきながらアネッサは抱えた山のようなリボンと紙吹雪を乱暴にテーブルに置く。それから苛々と爪を噛み
――先に置かれていた赤い小箱を見下ろした。
アネッサがリュヴァルトお手製のビックリ箱を目にしたのはこれで三度目だ。
一度目は甥っ子と一緒になって作っているところに出くわし大目玉を食らわした。
二度目はまんまと引っ掛かってしまったが出来がイマイチだったらしく不発だった。
今日のは「二度あることは三度ある」で「三度目の正直」だった。
以前リュヴァルトが教えてくれたことがある。これまでの人生、周りから顧みられることなど全くなかったと。
不遇な子ども時代を過ごした彼にとって、ここでの暮らしは確かに『幸せだなって思える日々』なのかもしれない。仕掛け玩具を色々と作っては甥っ子と一緒にはしゃぐ、そんなリュヴァルトを見ていると、もしかしたら彼自身が幼い頃そんなふうに遊んでもらいたかったのではないかとアネッサなどは勘繰ってしまったりする。
だからこそあまり強くは怒れず、かといって甥っ子の勉強を邪魔され続けるのはさすがに困るので、アネッサはそのたび複雑な気分で拳を振り上げてきたのだが。
ぼんやりと想いを馳せつつ、その三度目の正直箱をまるで検分でもするようにアネッサは触った。
蓋が開いただけでなぜ中から色々飛び出してきたのかと思えば何のことはない、箱のサイズに切られた偽の底板の下側にスプリングが仕込まれていたのだった。二重底になっていてバネの力で中身が弾け飛んだというわけだ。
(
……二重底? これって
……)
アネッサは偽の底板とスプリングを取り出し、脇に置いた。更に注意深く調べてみると外から触った底と内側の底の厚みが明らかにおかしかった。まるでこの間に空洞がありそうな厚さだ。試しに指で押さえてみれば何か挟まっているのか底板は不安定に上下した。
次の瞬間、アネッサは箱の内側に爪を立てていた。逸る心を抑え一心不乱に底板の端に隙間を作る。ぴったり
嵌まっていた底板は片側が浮くと後は簡単に取り外すことができた。中を見てアネッサは目を見張った。
収まっていたのは小さく折り畳まれた白い絹布。
滑らかな手触りのそれをそうっと取り出す。触った感じ、何かが包まれているようだ。その何かが何なのか、アネッサにもさすがに察しがついていた。
震える手でゆっくりと布を広げた。中から出てきたのはアネッサの予想していた通りのもの。予想はついていたがそのデザインは全くの予想外で、目にした瞬間彼女の息は止まった。
それは両脇にキラキラと輝く小粒のダイヤモンドを従えた、血のように赤いルビーの指輪だった。
『君には赤が似合う』
アネッサの脳裏にリュヴァルトの笑顔が弾けた。俺の気持ちだよ、と笑ったあのぎこちない笑みはやはり彼の真摯な想いによるものだった。
「
……リューの馬鹿!」
アネッサは指輪をぎゅっと握り締めた。それから急いで部屋を飛び出した。向かうは当然、リュヴァルトの部屋だ。
階段を駆け下りながらアネッサは頬が熱くなるのを感じていた。からかうのもいい加減にしろと一喝しなければ気が済みそうにない。
きっと嬉しそうに笑って出迎えてくれるだろう彼を想像し、アネッサの胸は踊った。
<目次>
ご時世的に暴力系彼女は忌避されるんですが、アンにはこのあと出迎えてくれたリューに一発ビンタくらわしてから彼の胸に飛びこんでほしいですね。
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