小夜子は鯉朽隊といっても、それほど現場に出たことはない。伍段の、足手まといにしかならない小娘が現場に出たってすることなど何もない。いや。ない、ではない。なにもできない、のだろう。
「……」
八雲が小夜子に妹の面影を重ねたのは無理もないようだった。
あんな高熱だ。うなされてなにかを見るのも仕方ないことだろう。
どうして小夜子自身が動揺してしまったのか、そんなことは分かりはしない。分かったってどうしようもない。
そして八雲の手が震えているのを見て、その震えがすこしでも止まるようにと思ったことはたしかだ。
あんなに、いつも飄々としてなにを考えているのか分からないような人が、小夜子に弱みを見せるようなことをして。
けれどたしかにその震える手をどうにかしたかった。
少なくとも、小夜子はそう思っている。そう、少なくとも。
八雲の顔を見下ろす。
無理をさせたのは自分だというのに、血のにおいを感じて目を伏せた。
死神のことをすこし話した。
まるで八雲が自分自身を罰するような言い方だった。
彼が言う「家族」というものは、妹の「いづも」という子のことなのだろうなと、察した。
だから、なにも言わなかった。八雲が今ほしいのは小夜子の慰めではないということを、なんとなく知ったから。
――小夜子のような、言葉足らずで能面のような顔をした女に慰められても気分がいいものでもないだろう。
かさかさになったくちびるから伝えようとする彼の言葉は、すこし、懇願しているようにも聞こえた。これも、小夜子の考えでしかないが。
「……なぁ、おれはどうすればよかったのかな」
と、彼は言った。
眠る寸前のような、揺れるような声だった。
「……あいつに、ゆるしてもらえるのかな……」
思考を放棄するような言葉だった。知らず知らず、小夜子の眉間にわずかに皺がよる。
「その子、許さないと言ったの。あなたのことを許さないって」
八雲の濃い目の色が小夜子を見上げた。
「悲しんだかもしれないけどね。あなたの想像はそんな貧相なものなの。妹さんのこと、わたしなんにも知らないけど、あなたのこと慕ってたんじゃないの。あなたが今も心配している子なんだから、彼女が憎んでるわけないじゃない。……亡くなってるならせめて優しい思い出にしておきなさいよ。そんな苦しいことずるずる引きずって、傷ついているのはあなたでしょ」
なにも守れない、なにもできない弱い小娘がなにを言っているのだろうと、自分でも思う。
でも伝えなければいけない気がした。
死んだ人間は還ってこない。
だから、叔父も還ってこない。
ひとの記憶にしか存在しない。でも、記憶だからこそ、未来にも持って行ける。
「……はは。小夜子ちゃんは、強いなぁ」
八雲は小夜子の言葉を聞き遂げたとでもいうように、瞼を下ろした。薬が効いてきたのだろう。
身体全体を包帯で巻き込んでいる八雲の姿は、今までよりずっと弱いものに見えた。
「わたしが強いなんて、あなたの目、節穴ね」
八雲が先刻、小夜子の手を掴んだ意味を問いたい。
どうして素直に「いずも」という子のことを話してくれたのか。
なぜ、あんなにも手が震えていたのか。
「……。あなたもわたしも、不器用ね。致命的に」
そっと息を吐く。
周りを見渡すと、生暖かい空気が流れていた。不自然にあたたかい。酸素が、空気が、異様に重い。
吐いた息が、まだあたりを漂っている感覚に陥った。
眉間にまだ皺がよっている気がする。手袋をしたままの手で、顔を乱暴に拭った。
ふと、小夜子の後ろから杖をつく音が聞こえ、体をひねって上を見上げる。
「天霧さま」
ぼさぼさの黒髪が土埃をかぶって白く見えた。顔の半分が見えないから、ここから見ると背の高い老翁のようにも見える。
「眠ったようですね」
「そうね」
「痛みで苦しむより、眠っていたほうがいくらかましでしょう」
「……そうね」
「それで、どうするのですか。……主」
小夜子はじっと天霧の左目を見上げた。「主」と言った。この刀神は。
「私の異能を悪しきことに使わないことを知っています。彼も――司どのもそうだった。いたずらに草木や人間を傷つけないと見込んでのことです」
「ずいぶん評価してくれるのね。わたしはまだ伍段だし、異能を使うときを見誤るかもしれない」
「そのときは私が止めてみせます。必ず」
「……」
「バディ、というものはそういうものでしょう」
「そうかもね。……今はどうもしないわ。ここにいる。わたしが出ても足手まといだから」
「ご随意に。この大型任務が終わったあと、私から天照に申し出ましょう。私のほうから伝えたほうが、天照も納得してくださるはずです」
天霧は砂のような声でそう言い、じわりと徐々に姿を黒い霧に変化させ、小夜子の腰に提げた軍刀に吸収されるように消えていった。
今まで天霧がいなかったから偉そうなことを言えたのだが、と思う。
次に八雲が目覚めたとき、「知ったような口を利いてごめんなさい」と謝らなければいけない。
膝にのせた手をきつく握りしめた。
どうしてあんなに意地になってしまったのだろう。子どもらしい思考に、すこしだけ嫌気が差した。
ずきん、と今さら肩の痛みが再度訪れる。
背中を丸めて歯を噛みしめた。その痛みに便乗するように、古傷であるはずの手の傷が痛んだ。左の手袋をそっとずらす。赤黒い、醜い傷跡があちこちに散っていた。
「……」
新たな傷がないことを確認してから、手袋を再度はめた。
八雲の目尻を見る。
そういえばいつもサングラスをかけている彼の目もとあたりを、こんなに間近で見ることはなかった。
痛みを紛らわすために、小夜子はほんの数分、八雲の閉じられた目を眺めていた。
外は霧が濃く横たわっていて、景色を窺うことはできなかった。
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