ぶんどき
2024-02-02 19:40:33
5521文字
Public 依頼
 

理想の一杯

朝香。二人の出会いの話。skebで納品したもの

 エスプレッソマシンにコーヒー粉をセットしてエスプレッソの抽出を始める。その間にスチーマーを使ってスチームミルクを作らなければならない。牛乳をミルクピッチャーに入れ、スチーマーのオンにして蒸気でミルクを温めながら泡立てる。一見簡単そうに見えるが、これが実は結構難しい。スチームミルクができあがったらエスプレッソに注ぎながらラテアートを施す。ミルクピッチャーから注ぐ動きだけで仕上げなければいけないところが難しくもあり、楽しいところでもある。
 そうして出来上がったカフェラテをセットのケーキと共に客のテーブルまで持っていく。
「お待たせ致しました、カフェラテとセットのガトーショコラです」
 テーブルにそれらを置くと、客の女性は感嘆の声をあげた。
「わぁ、すごい……! 本庄くんのラテアート、いつ見ても素敵」
「いつもありがとうございます」
「ねぇ、本庄くんってやっぱり昔からバリスタ目指してたの?」
「え? あー、実はそうでもないんですよね。まあ、色々あってこの道に」
「へえ、そうなんだ~意外」
「いやホント人生何があるかわかんないですよね……っと、そろそろ戻らないと。それでは、ごゆっくりお過ごしください」
 会話もほどほどにキッチンへと戻る。また次のコーヒーを淹れなければ。お洒落な洋楽が流れる開放的な店内。ランキングがあれば毎回上位に食い込み、雑誌やテレビの取材も何度も訪れたことのある都内有数の人気店だけあり、どの時間も大体混んでいる。
 自分がそんな店でバリスタとして働いているだなんて。高校生になったばかりの頃の自分に言っても到底信じてもらえないだろう。それだけコーヒーとは縁のない人生を送ってきたし、だからこそ、あの日あの時に飲んだコーヒーは人生のターニングポイントだったのだろう。

 天才、瀧野瀬香が淹れたコーヒーは人ひとりの人生を狂わせたのだ。





 中学生の頃からサッカー部に所属していて高校に行っても部活でサッカーを続けていた。昔から要領はよく、運動も勉強も練習すれば大体のことはできた。部活でも一年でスタメンに選ばれ成績は学年上位だった。とは言っても自分は天才なんていう選ばれた存在ではなく、なんでも簡単にできていたわけではない。サッカーだって自主練を人一倍していたし、寝る間を惜しんで勉強に励んだ。努力を怠ることだけはしなかった。というか、根が真面目すぎる自分は中途半端が嫌いだったのだろう。
 将来のことはまだあまり深く考えていなかったが、なんとなく、自分の学力レベルに合った大学に行って、趣味程度にサッカーを続ける、そんなビジョンを思い浮かべていた。その後はどうしようか。担任との進路相談のたびに、「とりあえず大学に行ってからやりたいことを探そうと思います」と言って夢を明確にすることから逃げていた。といっても、大学卒業後は両親が希望している公務員になるような気がする、と心のどこかでぼんやり思っていた。
 志望校も大体決まり、模試の結果も悪くない高校三年生の春。
 高校生活最後のサッカーの試合を一週間後に控えたある日、

 交通事故に遭った。

 通学中、信号を無視した車に跳ねられたのだ。酷い激痛に襲われ、すぐに救急車で病院に運ばれた。
 幸い命に別条はなかったものの、しばらく入院生活を余儀なくされた。勿論、サッカーの試合には出られない。それどころか、医者からは残酷な現実を告げられた。
「リハビリすれば日常生活を送るうえで問題なく歩けるようにはなるけど、サッカーを続けるのは厳しいかもしれない」
 その一言に目の前が真っ暗になった。特に右脚の損傷が酷かったらしい。サッカーを続けられない。自分の人生においてそんなことがあるなんて思わなかった。悲しいのか悔しいのか気づけばぽろぽろと涙を流していた。看護師たちが寄り添って慰めてはくれたが、心が満たされることはなかった。

 病室でできることは限られていた。ただぼうっと本を読んだり動画を見たりして一日を過ごしていた。とても勉強道具に手をつける気にはなれず、サイドテーブルの上に積み上げられている参考書たちはただの置物と化していた。
 それでも早く歩けるようになりたくてリハビリは怠らなかった。歩けるようになったところでもうサッカーはできないのに。そんな考えは常に頭の片隅にあったけれど。リハビリの後は休憩所の自販機でコーヒーを買って飲んでいた。味も薄くて特に美味しくもないコーヒーだが、無理やり目を覚ますのにはうってつけだったから。
 その甲斐あってか、予定よりも早く退院できることが決まった。学校に復帰し、部員や友人達からは気遣いの言葉をたくさんもらった。もうサッカーはできないらしいということを言うと、皆気まずそうに表情を曇らせるものだから明るく「大丈夫だよ」と笑ってみせた。
 
 季節は夏。ようやく松葉杖なしでも日常生活に支障なく歩けるようになった頃、友人に「専門学校の合同文化祭に行かないか」と誘われた。どうやら友人の先輩がいるようで遊びに行きたいが一人で行くのも気が引けるとのこと。「あーほら、朝臣も気晴らしになると思うし」と彼の気遣いが見て取れた。
 
 文化祭はグループ校全体で行われるらしく、様々な専門学校がブースを出していた。自分は大学に進学するつもりだが、こうやって専門性のある技術に特化した学校の学生が取り仕切るイベントはどれも個性的で見ていて飽きなかった。美術系の学生による会場の装飾、ダンスや演劇のパフォーマンス、ゲームの学校のブースでは学生が作ったゲームの体験会が行われている。
 最初こそパンフレットを見ながら一緒に回っていた件の友人だが、例の先輩の姿を見つけると「しばらく朝臣は自由に回ってていいぞ!」と先輩の方へと駆けて行った。かの先輩は遠目に見ても綺麗な女性だった。あー、そういうことな。邪魔するわけにもいかないか、と一人でぶらぶらと見て回ることになった。
 とある調理系の専門学校のブースの前を通りかかった時、ふわりとコーヒーの匂いがして思わず足を止めた。この学校の出し物は喫茶店のようで、軽食もスイーツも学生が作っているらしい。店の外に置いてあるボードにはメニューが貼ってあり、どれも美味しそうで見ているだけで食欲が刺激される。ちょうど小腹も減ったし、とふらりと入店。一人だったこともありカウンター席に案内された。
 メニュー表をぱらぱらめくり、適当に軽食とドリンクを注文する。ドリンクはブレンドコーヒーがおすすめらしくそれを頼んだ。最後に飲んだコーヒーといえば、あの病院の自販機の美味しくないコーヒーなのもあり、おすすめと言われるほどのコーヒーがどのようなものなのか少し気になったというのもある。
 ほどなくして、カウンター越しにカップが差し出された。視線をあげれば黒髪で眼鏡という一見真面目そうに見えるがその耳にはいくつもピアスが開いておりどちらかというと「柄が悪い」という印象を抱くような男子学生だ。静かで、気怠そうな雰囲気を纏った彼はただ一言、「ブレンドコーヒーです」と言った。

 カップに口をつける。そして一口、飲んだ。

 思わず目を見開く。「おすすめ」と称されメニュー表の中でも二重丸で囲まれていた理由が一瞬で理解できた。
……美味しい」
 感想はその一言に尽きた。それは、自分の中のコーヒーの概念が覆されるほどの衝撃だった。二口、三口、口の中で味わう。コーヒーってこんなに美味しい飲み物だったのか。そんなに良い豆を使っているのだろうか。それとも、こんなにも美味しいコーヒーを淹れる術があるのか。コーヒーというものの知識がまるでない自分にはわからなかった。何がどう良いのかとか、どんな技術が使われているのかとか。ただ、「これは美味しいコーヒーだ」ということしかわからなかった。
「なあ、このコーヒーを淹れたのって、」
 あの黒髪の男子学生だろうか。そう尋ねようと顔をあげると、もう彼の姿はなかった。それとなく店内を見回しても彼の姿は見えない。裏へ戻ってしまったのだろうか。その後運ばれてきたサンドイッチは確かに美味しかったが、コーヒーの衝撃を上回るものではなかった。

 それからどのブースを回っても心ここにあらず、あのコーヒーの味が忘れられずにそのことばかり考えていた。友人には「用ができたから先に帰るわ」と連絡をして帰路に就いた。

 それからしばらく喫茶店やカフェといった普段はあまり行かないような店に訪れてはその店自慢のコーヒーを頼んだ。専門学校の学生が淹れたコーヒーがあんなに美味しかったのだからちゃんとした店のコーヒーはもっと美味しいのだろう、そんな安易な考えだった。しかし、何度コーヒーを飲んでもあの時のコーヒーを超えるものは現れなかった。
 やはり、豆云々よりも淹れ方に秘密があるのだろうか。その考えに至ってからは自分でコーヒーを淹れることにも挑戦してみた。インターネットや本で調べ家庭用の道具を揃え、はじめて自分で淹れたコーヒーは、それはそれはとても不味かった。味は薄いし苦味は濃すぎるし豆の良さをすべて台無しにしている。これなら泥水の方がましだろう。
 どうしたらあんな美味しいコーヒーを淹れられるようになるのだろう、そんな風にいつしか自分はコーヒーへとのめり込んでいった。

 季節は秋。そろそろ志望校も本格的に定めなくてはいけない時期だ。進路希望調査のプリントを担任に提出すると、昼休みに職員室に呼び出された。
「えっと、本庄くん? この第一志望って、」
 進路希望調査のプリントを見ながら担任の先生は言いにくそうに口を開いた。
「専門学校って書いてあるけど……急にどうしたのかな? ほら、全国模試の成績も全然悪くないし、本庄くんなら志望してる国立大もちゃんと合格圏内だし……
 先生が慎重に言葉を選びながら何を言いたいのかはすぐにわかった。
「あー、先生、俺、大学行くのやめようと思って」
「や、やめる? どうして?」
「俺、バリスタになりたいんです。そのためにこの専門学校に行きたくて」
「バリスタ……? 本庄くんが?」
「はい、最近は自分でも独学で勉強しているんですけど、プロになるならやっぱりちゃんと学校で学びたくて」
「ほ、本当に? ちゃんと考えてご家族とは話した? 一時の気の迷いとかじゃない……? この時期、たまにいるからそういう子。成績に伸び悩んで自信がなくなって大学のランクを落としたり、全然違うことを始めようとしたり……でも、本庄くんの成績なら安心して大丈夫だからね……?」
 先生が困惑しながらも引き留めようとしているのが伝わってくる。学校としても難関大学に合格する生徒を少しでも多く出したいのだろう。そもそもこの高校は進学校だ。大学ではなく専門学校に進学する生徒は毎年両手の指で数えるくらいしかいない。
「いや、親にはまだちゃんと話してないんですけど、これからなんとか説得します」
「そう……。しっかりご家族と話し合ってね。進路希望が変わったら、またいつでも言ってね。やっぱり大学進学したいって思ったらそっちに切り替えてもいいから」

 その後、両親に進路のことを打ち明けたら卒倒しそうになってひと悶着あったが、こちらが意志を曲げることはなかった。先に折れたのは両親だった。度重なる説得のうえ、ようやく専門学校への進学が許可されたのだ。そのことを担任の先生に伝えると、これまた卒倒しそうになっていたが、ご両親も納得しているなら、とついには折れた。

 そして季節は巡り春。進学先は勿論、あの文化祭で立ち寄った専門学校だ。後々調べてみるとバリスタになるための専攻コースも用意されていることがわかった。恐らくあの時コーヒーを淹れてくれた学生はその専攻だったのではないだろうか。自分もあんなコーヒーを淹れられるようになりたい。そんな憧れを胸に入学を果たした。





「入学してからあの時の学生を必死に探したのに、もう卒業してるんだもんなぁ」
「しかも、文化祭で見かけたときも結局学生じゃなくてOBとして参加してたし。そりゃ前年度の卒業生あたってみても見つからねえよ」
 昔のことを思い出していたらあの味が恋しくなって仕事終わりに香の店に立ち寄った。彼が淹れたコーヒーを飲みながら、カウンター越しに話しかける。
「嬉しいな。朝臣くんがそこまで僕のこと追いかけてきてくれたなんて」
 この時間は客の入りも少なく香が表に出てきているのは知っていた。
「まあ、あんたには人生狂わされたからな」
「後悔してる?」
「ちっとも」
「じゃあよかった」
……やっぱり、香さんの淹れたコーヒーが世界一好きだな俺」
「ありがとう。これからも君に恥じないコーヒーを淹れられるといいな」 
 この人は、どんどん進化する。天賦の才があるのにまだ努力をする。さらに高みへと上っていく。だから、振り落とされたくない。
……次の大会ではぜってー勝つから」
「ふふ、楽しみにしてるよ、君がここまで這い上がってくるのを」
 強者の余裕すら感じる微笑みにぎりりと歯を食いしばる。
 
 最後の一滴を飲み干す。
 ほどよい苦味が口の中に残る。
 
 人ひとりの人生を変えた一杯のコーヒー。
 自分も誰かの人生に残るような、そんなコーヒーを淹れられるようになりたい。
 
 そのために、本庄朝臣は今日も努力を重ねるのだ。
 少しでも己の理想に近づけるように。